キラは二コラから指し示された可能性に、ハッとした。エヴァルトの「気づいとらんかったんかい!」というツッコミを受け流し、シスの方を伺う。
黒フードの優男は、しかしいつもの柔和な顔に厳しさを混じらせ、ブツブツと言った。
「現状、王国の状況はかなり厳しいかと。王都奪還の際にどんな策が練られたかは知りませんが、なぜだか王都の防壁が半壊ということですし」
即座にユニィのことを思い出し、キラは口をつぐんだ。
「それに、竜ノ騎士団の支部の問題もあります。各支部は帝国の攻撃によってかなりのダメージを受けていますし、それぞれ各自に復興を目指さねばならない状況。と言っても、一週間程度で快復には至るでしょうが……少なくともこの二、三日は、本部は王都の守りを固めておきたいはずです」
「ならば、援軍が来るまで待つという手も……」
「それはそうですが……今度はこの”隠された村”の状況が問題となってきます。あなたの息子であるエリックさんが、なぜあれだけの身勝手をして、皆に説教を受けるだけで許されたのか……。それを思い出さねばなりませんよ」
キラが首を傾げていると、エヴァルトがこっそりと教えてくれた。
「まあ、これまで身を粉にして尽力したニコラの人望もあるんやが……。『エマールの横暴に対してもう耐えきれない』っちゅう表れにしたんよ。エリックでなくとも、他の誰かが先走ってエマールの寝首をかこうとした、ってな」
「身もふたもない話をすれば、たかだか十五歳の少年に出来る話ではありませんからね。それを簡単に信じてしまうという状況で……。……おや?」
シスがふとしてその黒目で見つめてきたことに対し、キラはきょとんとした。
「キラさんは、いまおいくつですか?」
「え? ……十六だけど」
たぶん、と言いかけるのを、キラはぐっと我慢した。
「ひとつ違い。なのに、戦争を……?」
ぼそぼそと呟くシスの声は聞き取れるものではなく……必死になって耳をそばだてていると、ボリュームの上がり方に目を白黒させた。
「ま、この際キラさんは例外としておきましょう。――ともかく、この村にいる皆さんは、『限界だったから』といって身勝手を許してしまうくらいに、切羽詰まっているのです。どれだけ毎夜明るく過ごそうとも」
「もう時間的な猶予がないということか……」
「ええ。二段階目の成功を収めた今、時間をあけてしまえば、一気に不満が溜まっていくのは目に見えています。けが人の多さを理由に先延ばしにすることも出来ますが……この間に、例えば”隠された村”を包囲されるなど、エマール側に何かしらの手を打たれれば。あとは壮絶な消耗戦となってしまいます」
ニコラは目を泳がせて反撃の材料を探していたが、ついに言葉を続けることはなかった。
「竜ノ騎士団に援軍を望めないとはいえ、エマール側に決定的な戦力があるわけでもありません。キラさんの協力を仰げましたし、むしろ僕たちに勢いが傾いたといえるでしょう。あまり落ち込む必要はありません」
「そうか……。そうだな。よし、少し皆の様子を見てこよう。キラ殿はまだここでゆっくり休んでいてくれ」
やる気を取り戻したニコラは、明るい顔つきになって、勢いよく立ち上がった。
大股でテントを出ていく背中を見送り、その足音が遠ざかっていくのを聞き届けてから、キラはシスとエヴァルトに向けてボソリと問いかけた。
「……ほんとに優勢になったの? リモンの”貴族街”の門番はリリィも警戒してたくらいだし……それに、闘技場で手合わせしたマーカスの息子だってかなりの腕だった。いくら帝国の後ろ盾がなくなったからって……」
「まあ、たしかに、今なお戦力不足なのは否めません」
「じゃあ……。あ、でも、リモンにはもうひとりいたよね。竜ノ騎士団の……エルフの……」
ボリュームのある、と言おうとして、キラは口をつぐんだ。
なぜだか、背筋に悪寒が走ったのだ。
「おや、トレーズに会ったのですか?」
「ん、うん、そう。あれ、ノアじゃなかった?」
「おやおや……。まあ、たしかに彼女は実力者ですが、もう王都に戻って別の任務についていると聞きますよ」
「そっか……。なら、やっぱり騎士団に力を貸してもらったほうが良いんじゃない?」
「先程も言ったとおり、現状、竜ノ騎士団も手一杯です。僕個人の意見としても、あまり余計なことはしてほしくないんですよ。終戦したとはいえ、帝国は一つの意思のもとに動いてはいませんからね……何が起こっても良いように、万全を期してほしいわけです」
それを聞いて、キラは何も言えなくなった。
確かに、帝国には様々な思惑が渦巻いていた。
帝国を根底から覆さんとするバザロフたちや、戦争を良しとはしなかった皇帝ペトログラート。”五傑”にしても、ネゲロは帝国民のために英雄を名乗り、グローザは国を思って道を譲った。
更には、警戒態勢が解除されたにもかかわらず襲いかかってきたトーマス・マキシマに、ボリス・マルトフ……。
ロキも、そしてブラックも。国が負けたからと引き下がるような正直者ではなかった。
王国と帝国は地理的にかなり離れている。だが、ブラックの力があれば、そんなものはあってないようなものなのだ。
「まあ、そう深刻に考える必要はないでしょう。帝国は食糧的な問題で困窮している状況……自らの首を絞めるような行動を取る者を、野放しにすることはありません」
「ブラックもロキも、簡単にやられるとは思えないけど」
「ですね。しかし、いかに”授かりし者”であろうとも……勝手に先走って仕掛けてくるような輩に、騎士団が揺るがされる事はありませんよ」
自分のことのように誇らしげに胸を張るシスを見て、キラはホッと安堵した。
そこで、優男から外した視線の先に見えたエヴァルトが、なぜだか異常に気になってしまった。
興味なさげに背中を向けて寝そべる姿が、どうしても顔を見られたくなくてそうしているように思えてしまったのだ。
「さて……。外はもうすでにお祭り騒ぎのようですし、飛び出してしまった二人を探してきましょうかね。予定通りならば、もうそろそろ到着予定ですから」
「到着? 誰が?」
「ああ、言ってませんでしたっけ? ”反乱軍”の指揮官的な人です」
「指揮官……。ニコラさんじゃなくって?」
「元々、この”反乱作戦”は、リモン”労働街”のシェイク市長が立案されたんです。ニコラさんはその方の補佐をする形で、エマールにはばれないよう水面下で準備を進めていたようです」
「へえ……。そのシェイクって人が、”隠された村”に? ……このタイミングで?」
「まあ、多少はごたつくでしょうが。護衛にはクロスという腕利きの傭兵がついていますので平気でしょう」
「傭兵って……エマール側の? それ、大丈夫なの?」
「ええ。万が一、シェイク市長になにか異変があった場合は、僕が始末をつけるので。ちょっとばかりの手合わせもしましたし、逆らうことはないでしょう。……まあ、問題があるとすれば、期待したほどの強さはないという点でしょうかね」
キラ自身、シスの強さを良くは知らないが……ブラックと戦ったあとならば、その異常さがよくわかる。
真っ黒なマントを白く染め、口調も性格もガラリと変わる”白シス”は、闘技場でブラックを食い止めていた。しかも、ほとんど無傷で。
それ故に、優男なシスがさらりとえげつないことを言ってのけるのに対して、キラは苦笑いでしか返せなかった。
「エヴァルトはさ、大丈夫なの?」
「んあ? おいおい、俺を疑っとるんかいな」
「いや、そうじゃなくって。なんというか……エヴァルトにしてみれば、巻き込まれた形でしょ? こういう言い方はアレだけど……元々はエマールの傭兵の募集を目当てに来てたわけだし、”反乱作戦”に関わっても得がないじゃん。それこそ、”隠された村”には何の関わりもなかったんだし」
「俺がなんでこんな作戦に関わっとるか不思議でしゃあない、ってことか?」
「まあ、うん。シスは竜ノ騎士団なんだし、わかるけど」
「……実はな、俺も端っからエマールに与する気なんかあらへんかったんや。言ってみれば、あのエリックっちゅうガキと同じやったわけやな」
「傭兵になる気はなかったの?」
「せや。前も言ったかもしれんが、俺はこの国が好きなんや。それに……」
エヴァルトが続けようとしたところ、何やらテントの外が騒がしくなった。
先程から飲めや歌えの大騒ぎになっていたのは分かっていたが、とりわけ甲高い歓声がテントの幕を貫いたのだ。
鼓膜を揺さぶる大きさにキラは目をつむり、話の続きを聞こうと視線を向けた先では、エヴァルトが何事もなかったかのように立ち上がっていた。
「どうやら、件の市長が到着したようやな」
シスもその動きに合わせるかのようにして腰を上げる。
「ですね。おそらく、三十分後には会議が始まるかと思いますが……まさか、皆酔いつぶれてるということはありませんよね」
「ま、最低限主要メンバーだけおればええやろ。明日はリモンへ向けて発つんや……少しも悔いなんぞのこしたらあかん」
「酒程度で晴れればいいですが……。まあ、ともかく早くエリックさんとセドリックさんを探しましょうか。未熟だからこそ、作戦の概要はきっちりと聞いてもらわねばなりませんし」
「ちょい待ち! 俺とキラで行く。お前はなんかツマミでもよそっとけ!」
「おや……。エヴァルトさんもお酒を?」
「ちゃうわ! どっちを探しても、どのみちトラブルしか起こさへんねんから。じっとしとけ!」
「む、心外ですね――」
「知るかアホ! ほれ、俺はエリックを探すから、キラはセドリックや。ええな」
言外の圧力とシスのふくれっ面に苦笑しつつ、キラはエヴァルトに続いて外に出た。
打ち上がる花火は、これまでに見てきたどれよりも、力強く”隠された村”全体を照らしていた。
”作戦本部”として設けられたテントの近くには、背丈ほどの明るい炎を立ち上らせる焚き火が組まれ、その周りでは戦の前の最後の宴が催されていた。
婦人たちが手料理をふるまう傍らで、戦場に赴くらしい男たちが数々の絶品に群がり、あちらこちらで歌や踊りが披露されている。
笑い声や歓声が絶えず……しばらくすると、チラホラと拍手が喧騒の中に紛れる。
拍手はやがて広場に波打つように広まり――キラは、エヴァルトの姿を見失うと同時に、村人たちに出迎えられるその人物を遠目に見かけた。
背が低く、少しぽっちゃりとした体型の男だった。
顔立ちが整っているというわけでもなく、かといって何か底しれぬオーラがあるわけでもない。きらめくブロンドはくせっ毛で跳ね返り、仕立ての良い服装もぽちゃっとした体型でだらしなく見える。
だが、キラも”隠された村”の人々と同様に、その男――シェイクに注目していた。
「あの人が……」
出迎えられ歓迎されたシェイクは、とけ込んでいるように見えた。
皆と同じように笑い、皆と同じように手を振り、皆と同じように握手を求める。
市長という肩書に見合う厳格さはなかったが、その代わり、村にいる誰もと変わらない価値観を持っているように思えた。
「人気なのが何となく分かる……」
キラはそう呟いて広場を後にしようとしたとき、
「だろぉ〜、少年! あの人、すげ〜人なんだよ!」
陽気な声とともに、バンッ、と腰を叩かれた。口調の割にはものすごい力で、危うく地面に顔面を擦り付けるところだった。
あまりの勢いに怒りすら忘れて、呆けた面で振り返ると、小柄な青年が真っ赤な顔で大笑いしていた。
「あっはははは! どうしたんだよ、軽いな、少年〜! 尻軽かよっ――なんつって!」
「ベル君、面白くない……」
「流石に養護できないんだけど……」
かなり酒が入っているらしい青年の両隣には、二人の可憐な女性がいた。
一五〇にも満たないであろう小さな青年とは違って、ふたりとも長身だった。すらりとした体型で一八〇は下らず……隣にいる青年とは雲泥の身長差がある。
「えっと……ベルとルイーズとエミリー……だっけ」
「んおぅ! 名前覚えててくれたかぁ! 良いやつだ、少年!」
ジョッキを片手に隣に並び、なおもバンバンと背中を叩いてくるベル。
キラはその勢いに圧倒されつつ、ルイーズとエミリーにぼそりと告げた。
「あ、あの……子どもがこんなになるまでお酒を飲むのは、あんまり良くないんじゃ……」
ブロンドなルイーズと茶髪のエミリーは、一緒になって苦笑いした。
その様子は、双子のよう。ただ、ルイーズは鋭い目つきな一重瞼なのに対して、エミリーは穏やかなたれ目の二重まぶた。到底、血のつながりは感じない。
しかし、動きやすそうな服装といい、ショートカットな髪型といい、仲の良さを示すかのように格好が似ており……本当は姉妹なのではないかと思ってしまうくらいに、雰囲気が重なっていた。
「一応、ベル君、十八歳だから」
「法律じゃ、十五歳からでも大丈夫だけど……心配するのもわかるよ」
二人の言葉に、キラは思わず隣に立つベルを凝視した。
水汲みのときも今も、どことなく年上を思わせる態度ではあったが……ルイーズとエミリーの証言があっても、なお信じがたかった。
小柄だからではない。顔立ちはもちろん、金色に輝く髪の毛にしろ、白い肌の様子にしろ、どこをとってみても子どもにしか見えないのである。
「ん〜、どうした、少年〜? ああ、でも、妻帯者だから……アレは子どもじゃねえだろうな!」
キラはその思い切りの良さに、ひくりと頬を引くつかせた。
ダジャレも下ネタも躊躇せずぶち込む容赦のないさまは、まさしく大人の男。
格好も見た目の子供らしさをかき消すほどにワイルドで、”コルベール号”の海賊たちを彷彿とさせた。
「水汲みのときには大剣を背負ってたし……なんか、おとぎ話にいるドワーフみたい」
「あん? 小人族ってぁ言われるけど〜……どわーふ、ってなんだ?」
そういってベルは、ついに回った酔に耐えきれなくなったらしい。傍目にもわかるほどに目を回し、ふらりと身体が傾く。
倒れ込みそうなところをルイーズがすかさずフォローし、出遅れたエミリーはたれた目つきをムッとさせていた。
「ベル君はこんな調子だし、会議はパスね。……って、ニコラさんに言っといてくれる?」
「ルイーズ、一人抜け駆けはずるい! って言うわけで、私も。よろしく伝えてね〜」
返事をするよりも早く、今度は『どっちがベルを背負うか』で喧嘩を始めたルイーズとエミリー。
「そういえば、夫婦って偽ってたっけ……」
キラは三者三様な自由奔放さに唖然としながらも、その場を後にした。