35.正直

 ああでもない。こうでもない。そうじゃねえっつってんだろ。
 馬に罵倒され、泣きそうになりながらも、拙い字で何とか手紙を書き上げたのが、もう皆が寝静まった頃。ミミズが這ったような下手くそな文字の羅列に、白馬は『手紙ない方が伝わるかもな』という何とも残酷な評価を下した。

 そうは言いながらも、ユニィはきっちりと手紙を携えて村を飛び出していった。
 その後ろ姿を見送ったところで、クタクタになっていたキラはテントに入るなり意識を失い……。
 瞼をさす日の光と、締め付けるような空腹と、何やらざわざわとした雰囲気とで、叩き起こされた。

「なんだろ……騒がしい気がする」
 あくびを噛み締めながら背伸びをして、枕元へ手を伸ばす。
 剣帯と”センゴの刀”を求めていた手は空を切り……。
「ああ、そういえば……。出発の前に、セドリックに返してもらわなきゃ」
 どちらともさりげなく二人に没収されていたことを思い出し、キラは重い体を動かした。
 いろんなところに違和感はあるものの、問題なく体は動いた。我ながら何と丈夫だと不気味に思いつつ、テントを出る。

 気持ちの良いほどに突き抜ける晴天だった。
 降りかかる日の光は肌を焦すほどに熱く、包帯だらけの全身から汗が噴き出るのを感じる。
 気色の悪い感触にげんなりとしていると、騒ぎの大元が目に入った。

 重傷者たち一人一人に当てられたテントは、湖に沿うようにして一列に並んでいる。その中でキラのテントは端に位置するのだが……その真反対の方で、なにやら人だかりができていたのだ。
 釣られるようにふらふらと近寄ると、少しずつその全容が耳に入ってきた。
 どうやら、誰かが姿を消したらしい。まばらに固まってひそひそ話をする村人たちの間を、よろつきながら縫っていく。

「まただってよ……」
「言っちゃ悪いが、足並み乱してくるよな……」
「な。ん、あの子は……?」
 誰かの失踪に夢中だった村人たちが、話題を転換し始めたのをキラは聞き逃さなかった。

「まさか……」
「そうだ、”救世主”」
「動けないくらいの大怪我だって聞いたけど……」
「ああ、じゃあ、やっぱり神様に愛されてるって証拠じゃ……?」
 何やら、知らないところで妙なことになっているらしい。奇妙な好奇心の視線を一手に受けながらも、どうすることもできずにただ人混みの合間を歩く。

 皆が率先して道を開けてくれるために、騒ぎの中心をすぐに目にすることができ……。
「ミレーヌ……」
 顔を真っ青にする妻を慰めるニコラがいた。
 すぐそばには、セドリックやドミニクやベルたちが立ち尽くしている。
 それだけで、キラは何もかもを悟ったような気がした。

「また……エリックがいなくなったんですか?」
 そう声をかけると、キラが思う以上に皆がギョッとしていた。
「キ、キラ殿……」
 この一瞬ばかりは、ニコラもミレーヌも、心配事が頭の中から吹っ飛んでいたようだった。二人とも、同じように唖然とした顔つきで見てきている。
 メアリやベルやルイーズやエミリーも同じ顔つきをしていた。

「もう、目が覚めたのか……? あれだけの火傷を負って……?」
「昨日のお昼には起きてましたよ。夜にはセドリックに鉛筆と紙を貰いに行きましたし」
「ああ、だから……。しかし、驚いた。それと……よかった、本当に」
「ありがとうございます。……あとでスープか何か欲しいんですけど。お腹が減って」
「そうだな……。メアリ、用意してやってくれ」

 唖然としながらもその場を離れるメアリには目もやらず、ニコラはあいも変わらずキラをぼうっと見つめたまま、小さく口を開いた。
「情けない話だ……。これは……父親たる私の責任だ。言って聞かせるだけで、あの子の話を聞いてやれていなかったかもしれん……」

 エリックが抱えていた劣等感や焦燥感を指しているのだと、キラは気づいた。
 そこで、これまでのエリックの行動をざっと頭の中でさらってみて……ふと、セドリックの表情に目をやった。
 大柄な少年は、俯いて唇をかみしめていた。それは、決して、怒っているのではなく……。

「セドリックは、どう思う?」
 はたと顔を上げた少年は、意外そうに目を丸くしていた。しかしそれも一瞬で、唇をキュッと引き絞ったかと思うと、首を横にふる。
 そうして確固たる意思をその目に宿して、屹然とした口調で言ってのけた。

「俺は、エリックが間違ったことをやるとは、どうしても思えない」
 ざわりと。セドリックの考えが、集まった人々の間で良くも悪くも反響していた。
 セドリックも口に出した自分の言葉にこくりと唾を飲んでいたが、決して意見を変えるつもりはないようだった。
「我が儘だったり自分勝手だったり……腹の立つ言い方もすることもあるけど、今まで間違ったことをしたことは一度だってないんだ。ただ、少し先走る癖があるだけで……俺たちのことを蔑ろにしてるわけじゃ、絶対にない」

 セドリックは、エリックに嫉妬していたのだ。自分が二の足を踏んでいると言うのに、エリックは前へ前へと突き進む。
 しかし、エリックもエリックで、劣等感に苛まれていた。焦燥感に身を焦がされながらも、前へ行くしかないと猪突猛進に突き進んでいた。

 だからこその、二人の衝突だったのだ。
 セドリックはエリックを羨みもしていたからこそ前へ進み、それゆえに少年がなぜ暴走しているのか解らなくなってしまい。エリックも、前へ進んで無茶をするたびに己の限界を悟り、劣等感を膨らませてしまったのだろう。

 キラは、こっそりとため息をついた。
 何が悪いと言うわけではない。強いて言うならば、セドリックとエリックの”前を向く”ということの巡り合わせが、悉く噛み合わなかっただけの話である。
 そうして、エリックの再びの失踪という問題となって浮き上がってきた。
 だから、このまま放っておくのは良くない気がした。

「僕も、セドリックと同意見です」
 キラはじっとしてセドリックを見つめたのち、ニコラと目を合わせた。
「とんでもなく自分勝手ですけど……でも、正しいことを行わずにはいられないだけなんだと思います。……自分勝手ですけど」
 ニコラはぽかんとしたのちに、ため息をつくかのように笑い声を漏らした。
 すると、その緩みは空気を伝って皆の心に入り込み……いつの間にか、ピリピリとしていた空気感がどこかへ消えていった。

「君は……正直ものなのだな、キラ殿。普通、その父親を前に言えないぞ」
「それは……すみません。けど、僕も間違ったことは言ってないつもりです」
「ああ、そうだろう。事実、その通りだ。……セドリックも、な?」
 セドリックは大きく頷いていた。
 もはや、迷いも戸惑いも消えているのが、その表情からうかがえた。

「俺はエリックの友達なんで。――だから、あいつにばっかり良い格好はさせられない。俺たちも、負けてらんない!」
 胸を張ったエリックの言葉は、瞬く間に駆け抜けた。
 歓声もなく、拍手もなく、それどころか一人として声を上げない。しかし、その状況こそが、彼らの覚悟の証でもあった。
 着実に高まった”隠された村”の士気を目の当たりにして、キラは特に何も言うこともなく、その場を立ち去った。
 もはや、彼らの戦いの行く末を心配することすら、失礼のような気がした。

   〇   〇   〇

 時間が過ぎるのは早いもので、エヴァルトがシスと共に”隠された村”を出発してから、既に二日が経っていた。
 シスや”反乱軍”を交えて話し合った今後の計画……それは、『エマールの確保を最優先すること』である。
 これまでと、何ら変わりない。
 だが、先の計画を経て、戦いの展開は大きく異なることが予想される。

 主に”労働街”の”境界門通り”を舞台とした戦いでは、クロスの裏切りにより戦場が引っ搔き回されたものの、助けられた面が大きかった。
 見方を変えれば、志や想いは違えど、”反乱軍”や”労働街”に潜んでいたクロス一派とは、『エマールが敵』であるという点において利害が一致していた。
 クロス一派が”貴族街”にまでなだれ込んだことは、紛れもなく〝反乱軍〟に福音をもたらすはずだった。

 が……実際には『エマールの確保』という目的を果たすことはおろか、撤退を余儀なくされる始末。
 戦い方を工夫するだけではどうすることもできない強者ヨーク・ランカスター。”授かりし者”であるガイアに、隠し球のロキ……。他にも様々いるが、彼らの存在を脅威として見れなかったのは、素直に情報収集不足といえた。
 どれだけ想定外だったとしても。望んだ結果が手に入らなければ、これほど間抜けなことはない。

 だからこそ、次の一手がもっとも肝心となるのだが……。
「しょーじき、俺は騎士団の到着を待ったほうがええと思うけどなあ」
 現在、エヴァルトはシスと共に、市長シェイクの執務室にいた。

 ”労働街”に到着するや、クロス一派の治癒の使い手たちをかき集めて、”反乱軍”との合流地点へ向かわせ。
 ”貴族街”の監視を行いつつ、”労働街”の住民たちを所定の位置へ避難誘導し。
 一日中、緊張感と焦燥感に押しつぶされそうになりながら、”最終作戦”への下準備を終えたところなのである。

「仕方がありませんよ。僕たちが先んじて動かなければ、エマール側が仕掛けてくるでしょうし。そうなれば、”労働街”に住む皆さんに謂れのない災難が降りかかります。――ところで、怪我の具合は?」
 エヴァルトは対面したソファに座るシスに、負傷していた片腕をひらひら見せながら答えた。

「ばっちりや。もとは”聖母教”なだけあって、クロスの手下どもの治癒もバカにできんで。これなら”反乱軍”もばっちし全快やな。――って話逸らすなや!」
「おや。これは失礼。――しかし、攻撃は最大の防御ともいうでしょう。エマール側も、僕たちの狙いはわかっています。だからこそ、狙われたなら守らねばなりません」
「先手打って、”授かりし者”のロキの力使って守らせて……で、どないしろっちゅうねん。それなら確かに”労働街”への被害は最小限に抑えられるかもしらんが、守り固められたら攻めるんが辛くなるだけやろ」

「忘れてはならないのは、”反乱軍”の最終的な願いは、『エマールの確保』などではありません。平穏な生活、これに限ります」
「……最悪、エマールらを逃がしてもええっちゅうわけかいな」
「勘違いしてはなりませんよ。僕たちは、一度敗れました。その上で、元々の目的を達成し、なおかつ悲願を叶えるなどということは万が一にもあり得ません」
「……けっ」

 敗北。
 その言葉の並びがエヴァルトの胸にも重くのしかかり、まともな反論もできずに毒づくほかなかった。

「まあ、そっちはええわ。俺が気になるんは、”貴族街”に何ら動きが見られんかったことや」
 ”貴族街”は”労働街”に外周を囲まれている。
 すなわち”労働街”が”貴族街”を三百六十度ぐるっと取り囲んでいるのであり、これはそのまま監視のしやすさに直結する。

 先の作戦の失敗の直後、シェイクがすぐさま有志を募って包囲網を張ったのだが……いまだ、誰一人として”貴族街”から出た者はいないという。
 エヴァルトもシスも、幾度か”貴族街”へ侵入を試みたものの、街はもぬけの殻のままだった。
 流石に、ロキが控えているであろうエマール城にまで近づくことはなかったが……エヴァルトもシスも、『エマール側は静寂を保っている』と意見が一致した。

「確かに……不気味です」
「こうもエマールが動かんと、裏で動いてるやないかと勘ぐってしまう」
「……というと?」
「たとえば。”隠された村”の場所がバレた、とかな。こっち側のタレコミで」

 これに食ってかかるように反論したのは、執務机に座している市長シェイクだった。
「面白いジョークだ。動機は、なんだね?」
 ぽっちゃりとした普通な青年とは思えないほどのビリビリとした圧力を、エヴァルトは感じ取った。
 返答次第では圧し潰されてしまいそうな威圧感に、しかし飄々として受け答えする。

「さあな。そら解らん。せやけど……エマールみたいな”上”の人間は、敵の本拠地を探したがる習性があるやろ」
「ふむ。やはり面白い。しかし、そうして何かしらの接触をしていたとして……エマールらが一体どんなメリットを与えられる? エマールは王国に追われる立場にある。金も地位も約束できはしない――すぐにこの場をさらねば、奴自身の首が危ないからな」
「そないに迫力出されてもな。クロスみたいなやつもおるかも分からんし、第一、俺が言いたいのは『何にしろ”隠された村”に接触しとるんやないか』っちゅうことや。こないに動きがないんは、あんたも不気味やろ」

 シェイクは不満げに鼻を鳴らしながらも、言い返すことはなかった。顎の肉を膨らませて、俯きがちに考え込む。
 するとシスが、ぽつりと漏らすように言った。

「”隠された村”は、うっすらとですが”神力”の気配がありますよね……」
「……そうやったか? 俺らみたいな普通な”ヒト”は、そういうもんに興味がない限り気づけへんしな」
「では、”隠された村”が隠れ続けている理由が気になりませんか?」
 そう言えばとエヴァルトは首を傾げ……思い出したその事実を、恐る恐る口にした。

「確か……”流浪の民”に作ってもらったとか何とか……いうとったなあ」
「となれば、どんな方法にせよ”神力”が使われているはず……。そして、エマールには”授かりし者”が二人います」
「最悪やな……! ほんまに”隠された村”の場所がバレとったら――今使いを出せば、”反乱軍”を引き返させることもできるで」

 エヴァルトが焦燥感を募らせる中でも、シェイクは少したりとも動じずに判断を下した。
「”隠された村”の状況を確認するためにも、使いは出そう。しかし、ここで引き返すことは許されない――一貫して、ぶれないでいるべきだ」
「確かに、ネガティブな考えに引っ張られて右往左往していては元も子もありませんしね。それに、考えてみれば”隠された村”は”神力”で守られているわけです……あのブラックがその場所も特定できていないようでしたから、滅多なことはないでしょう」
「……お前が不安煽るようなこと言うたやんけ!」
「おや、不安になりましたか」
「――アホぬかせ!」

 目つきをギラっとして睨むも、シスはどこ吹く風といった体で。そんな二人の様子に、シェイクは肩の力を抜いて苦笑していた。

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