すでに”隠された村”は寝る準備をしているようだった。
湖を照らす花火はひゅるりと打ち上がった一発を最後になくなり、ふわりとした風が静けさを運ぶようになる。
「ああ……。やっぱテントにいるよりずっといいや」
――そらみろ
「何が?」
――厩に閉じ込められる俺の気分がわかったか
「それとこれとは別な気がする。っていうか、この村にも馬いるし、厩あるんだよね? また壊したの?」
――ああっ? どこでもここでも暴れやしねえよ! 舐めてんのか!
「いや、むしろ警戒してるんだよ。……まあ、ニコラさんとかもユニィの不思議さ加減を目にしてるし、ある程度自由にしたほうがいいってわかってるのかな」
――けっ
白馬がブルルンっと鼻を鳴らして悪態をつき、キラはいつもと変わらない様子にどこか安堵しつつ、岸辺へ向かった。
ゆっくりと腰を下ろすと、ユニィも同じように足を折り曲げて地べたに座った。
「あれ、珍しい……っていうか、そうやって座ってるとこ見せるの、初めてだね?」
ユニィは鼻を鳴らしもせずに、そっぽを向いた。
それがこの不思議馬なりの気遣いなのだと気付いたのは、座った状態でも体がふらりと傾いたときだった。白馬の体がうまくフィットして、無理なく寄り掛かることができる。
口悪い白馬も、これほどに上等な気遣いができたのだと驚き……しかし、その内心が悟られては大変なことになると、妙な緊張感と一緒に白馬の厚意に甘える。
しばらく穏やかな風で波を立てる湖面を眺めていると……。
「おいおい、結局テントから出ちゃったのかよ」
ドミニクを連れたセドリックが、呆れたように声をかけてきた。
いつの間にやらすぐそばにまで近寄っていたことにびくりとしつつ、キラは応えた。
「こういう時って、風に当たってたいじゃん?」
「そうかもしんないけどさ」
セドリックは仕方なさそうにため息をつき……その隣でドミニクがボソリと言った。
「”白馬の王子は黒髪”派……」
理解するのに一瞬の間が要する呟きに、セドリックはバッと振り向いた。
「ちょ、ドミニクっ? 何言ってんだよ」
「でもセドリックは、王子って感じじゃない」
「まあ、そりゃあな……。王子様って言ったら、あれだろ、爽やかでイケてて格好がつくんだろ。比べられてもな」
そのセドリックの言葉を聞いてか、白馬がふんっと鼻息を漏らした。ユニィが何を考えているのか容易にわかった気がして、キラも言葉に出して同調した。
「僕が知ってる王子様っていったら、はちゃめちゃな印象しかないけどね」
「へえ! すげえ! 知り合いがいんのかよっ」
「いや……話聞いただけ。一人王城を飛び出しちゃったり、海賊作っちゃったり」
「ふっふ、海賊って! おとぎ話聞かされたんじゃねえの?」
「かもね。――で、エリックとはちゃんと話せた?」
けたけたと恋人と笑い合うセドリックの様子が気になり、キラは話を変えてみた。
すると、二人ともそれまでの楽しげな様子が嘘だったかのように、しゅんとして静かになる。
じっと見つめていると、セドリックは観念したかのようにボソリと言った。
「まあ……その、話せてないんだよ」
「話せてない?」
「テントには行ったんだけどさ? ミレーヌさんが出てきて、『今はそっとしてあげてほしい』って」
「そっか……。大怪我してる、とかじゃないんだよね?」
「ああ、それは確かだ。シスさんが連れて帰ってきてくれたときに見てるし。やっぱ、クロスって傭兵の裏切り方がだいぶショックみたいで……」
「ふーん……」
キラは生返事で返しつつ、記憶を辿った。
タイミング悪く”貴族街”でエリックを見つけたとき……少年は、幾多の戦いに囲まれて、右往左往していた。
顔を合わせるや否や、ムッとしつつも安堵した顔つきをしていたが……。
「ま、クロスから逃げた先であんなことになってれば、ショックどころじゃないのかも……」
「うん? なんか言ったか?」
「いや、なんでも。それより、セドリックたちはこれからどうするの? 反乱軍は?」
「ああ、それな――」
セドリックが気軽に告げようとして、しかし、小さな恋人に袖を引っ張られたことでハッとして口を閉じた。
その様に、キラは思わず、
「チッ」
舌打ちをしてしまった。
「おまっ……舌打ちしたなっ? 聞こえたぞ、綺麗な舌打ち!」
「……してない」
「わかりやすい嘘つくんじゃねえって!」
「……嘘ってわかるならいいじゃん」
「うん? そうか……そうか? ――いや、まあ、ともかく! 計画を聞いたら何か無茶しそうだからって、エヴァルトさんにはお前には何も伝えないようにって厳しく言われてんだ。だから、何もいえない」
「じゃあ、出発は?」
「それなら、明日の朝だ。ってことで、俺らももう寝とかなきゃいけないから。キラも、体ボロボロなんだから、夜更かしも大概にしとけよ」
セドリックはそう言うと、ドミニクと一緒にさっさと去ってしまった。
取り残されたキラは、しばらくの間二人の背中を見送り……体勢が辛いことに気がついて、湖の方へ顔を向けた。
足を折り曲げて座っている白馬の体に寄りかかりつつ、ぽつりと呟く。
「反乱軍、大丈夫かな」
――正直、厳しいだろうな
「なんで? ガイアがいるから?」
――それもあるが……別行動を取る前、”神力”の波動が二つあると言ったろう
「ああ……。じゃあ、その波動の持ち主がわかったの?」
――ロキだ。”操りの神力”を有する……
その名前を聞いて、キラは眉をしかめた。
「ロキ? 冗談でしょ。だって……帝国で戦ったんだよ? 確かに倒しはしたけど殺せてはいないし……それに、多分、あれからまだ一週間も経ってない。帝都にいるはずのロキが、王国にいるなんて……」
――事実だ。なにより、くそヴァンパイアが対敵した
「そんな……。じゃあ、こんなに悠長にしてる場合じゃ――」
――だからテメエに計画の全容を明かさなかったんだろ。そろそろ察してやれ
「けど……!」
――じゃあ聞くがな。今のその状態のテメエが、ロキに勝てる見込みはあんのかよ。”エルト”の力を借りたから何とかなったんだろ?
「それは……」
――だったら、大人しくしとけ
ぐうの音も出ないほどに。白馬のユニィの正論に、キラは返す言葉もなかった。
しかし、居ても立っても居られない気持ちが収まることはなく……じっとユニィの横顔を見つめて言った。
「出来ることはないかな? 僕たちに、今すぐ、出来ることは」
――テメエ、さらっと俺を巻き込んでんじゃねえよ
「そわそわしてるくせに」
――けっ。だったら、俺がロキとやらをぶっ飛ばしてやったらいいか?
「……いや、それはちょっと」
――んだよっ!
「や、だって。ロキと戦った感じ、絶対に一撃じゃ終わらないだろうし。ユニィが戦ったら、エマール領自体が崩壊しちゃうよ」
――そこまで考えなしじゃねえよ。だが……まあ、全力出しきれねえって意味じゃ同感だ。加減を間違えりゃ、ほかに被害がいく
「でしょ? だったら……そう、リリィたちに応援の要請をするとかさ」
――どうせあのくそヴァンパイアから連絡が入ってるだろ。それに……今のテメエの状況に、あの小娘が発狂しねえとも限らねえぞ。……どやされんぞ
「ぐ……。そこは、我慢するよ。ともかく――これは、きっと時間との勝負でもあるんだ。だから、シスもエヴァルトも先にリモンへ向かったんだろうし」
――ま、騎士団が到着する前に、ロキが動くだろうな
「早ければ早いほどいい。ってことは、ユニィが全速力でリリィを連れて来れれば。それだけで、この劣勢がどうにかなる……はず」
――エマール側にもちったあ頭の回る奴がいるだろ。”授かりし者”を抱え込んでいようと、それだけで王国に逆らえるほど甘くはねえ。だが、ロキの力を逃げの一手に使われたら……捕まえもできずに終わる
「それならそれでいいんだと思う。よくはないけど。最悪なのは、エマール領がロキにめちゃくちゃにされて、なおかつ逃げられること。で……現状、そうなる可能性が高い」
――ふん、なるほどな
「なんとしてでも、その”最悪”に至る可能性を少しでも削っておかないと。ユニィとリリィがいれば、きっと何とかなる」
――空飛べば人数なんざ関係ないが……テメエ、手紙書けんのか
「……そ、それ、必要ある?」
――ったりめえだろ
「リリィに直接会えばいいじゃん。居場所なんて”覇術”ですぐわかるんだしさ。それに、どうせ話したことあるんでしょ?」
――そりゃそうだが。それでどうやって騎士団全体を納得させるんだ。こっちの意図汲み取ってもらわねえと、話にもなんねえぞ
「……わかったよ。じゃあ手紙の書き方教えてよ」
――書くもんもらってこい
まさか、馬が本当に読み書きができるものとは思わず。キラの最後の抵抗も、無駄に終わった。