戦いの終わりを告げるかのように、鐘の音が帝都から響いてきた。
キラも、エルトと一緒になってハッとし、周りに目をやった。
壮絶な戦いを繰り広げたのだと、ひと目で分かるほどの惨状だった。
一面雪で積もっていた地面は、その白さも忘れたかのように、凹凸を重ねていた。陥没し、あるいは砕かれ、または土が山盛りになり、平坦なところが極端に少ない。
地面の穴ぼこの一つにブラックが倒れ、”ペンドラゴンの剣”と重なるようにして、”センゴの刀”が横たわっている。
エルトは刀を見つけるやいなや、ふらりふらりとキラの身体を操って歩いた。
〈今更なんだけどさ……エルトって、何者? 味方……ではあるよね〉
〈ええ、あいにくね〉
含みのある言い方をしながら、エルトは”センゴの刀”を拾った。
夜闇の中でもはっきりと分かるほどの美しい白銀の刀身は、真っ赤な血で濡れていること以外には、いつもと何ら変わりがなかった。
〈あいにくって?〉
〈レオナルドがバラしちゃったから。私があなたの味方だって〉
〈ああ……そういえば。……『えっち』っていって襲いかかった話だよね?〉
〈違うわよ! ……いえ、違わないけど! 元はと言えば、レオナルドが寝てるあなたの身体をまさぐったから……!〉
エルトは一度大きくため息を付き、刀を鞘に収めた。
昏倒するブラックを見つめ、”ペンドラゴンの剣”に目をやる。
それから視線を外して、穴四つ分ほど離れた場所で倒れるボリス・マルトフをみやった。風呂桶に突っ込むかのように、頭から穴に突っ込んで動く気配がない。
そのはるか先にある帝都の防壁は、一部が大きく崩れていた。トーマス・マキシマが吹っ飛んだせいである。
〈ともかく! 私が言いたいのは、もうちょっと……こう……威厳が欲しかったのよ。優しくすればつけあがるってわけじゃないけど、あんまり親身になっちゃいけないと思ったから〉
〈……なんで?〉
〈……そういうのに憧れてたから〉
〈速攻噛んで素が出るのに?〉
〈グサッと来るからやめて?〉
〈で、実際のところ……〉
問いかけようとしたところで、キラは視界に映る違和感に気がついた。
誰かが、立っていたのだ。
まるで布を吊り下げたかのようなローブを纏ったその人物は、ふらりふらりと、死したドラゴンへと近づいた。
ローブの内側から手を出し……キラはひやりと胸に何かが落ちた気がした。
〈人形の手……!〉
ちらりとのぞいた手は、人間のものではなかったのだ。人形独特の球体の関節が、不気味に腕と手とをつなぎ合わせている。
掌がドラゴンの体に触れ――すると、消えた。
跡形もなく。死体が、姿を消していた。
あとに残ったのは、そばで横たわっていたロキだけだった。
〈一体、何を……? いや、それよりも、あれってあの時の”人形”じゃ……〉
〈いいえ、そんなはずないわ。あの”海流”を操る人形は、あなたが確かに首を飛ばしたもの〉
エルトの声も、キラと同じように震えていた。
〈けど、バザロフは”人形”はいなかったって〉
〈それにしては、”力”の種類が異質すぎる。あなたも感じたでしょう――”神力”を〉
〈じゃあ、あれは別の”人形”……?〉
〈何にしても――死者を冒涜するだなんて、許されることではないわ〉
エルトは苛立ちを顕にして、倒れていたブラックを飛び越え叫んだ。
「何が目的かは知らないけど! 来なさい――相手してあげる」
”人形”はカタカタと震えつつ、ぎこちない動きで振り向き――目の前に現れた。
踏み込みも何もなく、ただ唐突に。
「――ッ!」
〈これって――!〉
紛れもなく、瞬間移動だった。
「キミョーなソンザヒ、キョーミ深い!」
フードの真っ黒な内側から、聞き覚えのあるような片言の雄叫びが聞こえる。
同時に、”人形”は右手を勢いよく突き出した。掌の中心がパックリと割れて、鋭い隠し刃が姿を表す。
エルトは危ういところで刀で弾き、思い切り踏み込んだ。
が。
すでに、”人形”は目の前から消えていた。
〈エルト!〉
「――スイッチ!」
キラはもとに戻った身体をよじり、背後からの襲撃を避けた。
パッと横っ飛びになって素早く体勢を戻し――またも後ろを取った”人形”に舌を巻く。
〈頭と腰!〉
響いた声に従い、キラは再び身を捩った。
振り向きつつ頭を傾けて避け、刀でもう一方を払う。
最大限に警戒を高め、次なる襲撃に備えて柄を両手で握ったところ、”人形”はわかりやすく距離をとった。
「狙いは雑だし力も弱いけど――瞬間的な移動が厄介すぎる」
〈私とあなたで戦闘スタイルを変えて対処するしかないわね。それと、お互いに死角を補完すること〉
「けど、僕は視界が限られるから……。さっきの”覇術”でしょ?」
〈ええ。でも、感覚は共有されてるから、意識すればいけるわ。あなたの予測の技術もあれば、かなりのものだけど……一体、何なのかしらね〉
”人形”は襲いかかる素振りも見せず、カタカタと震えて立ったままでいた。
エルトの感じた不気味さをキラも感じ取り、まるで相手の震えがうつったかのように薄気味悪い寒さが肌を刺激する。
そして、”人形”はぼそぼそとつぶやいた。
「ココはサムヒ……。やはりサムヒ……」
冷たい潮風に乗って届いた言葉に、キラは唖然とした。
「人形が寒さを気にするって、どういう……」
〈――油断しないで!〉
エルトの声にはっとするも、遅かった。
瞬きをした瞬間に、”人形”は姿を消していたのだ。
〈右前方!〉
”人形”の動きに出遅れた上、背後に現れるという予測も外れていた。
身体が硬直し、刹那に生まれた隙に、ローブ姿の”人形”がつけ込んできだ。
それでもなんとか刀を構え、手から生えた刃を防ぎ――、
「バショをカヘル」
途端に、ぎゅるりと周りの景色が回転し、塗り替えられた。
その気味の悪い感触は、まさしく転移。
脳を揺さぶられるかのような感覚に、キラは立ちくらみをした。ふらりとして尻餅をつきそうになったところで、
〈スイッチが合図よ〉
という声とともに、体の内側へ押し込まれた。
かわりに表に出たエルトがしっかりと踏ん張り、ふらつく身体を抑える。左手に刀を持ち替え、右手を体の影に隠すように半歩退く。
いつでも奇襲に備えられるよう体勢を整えたが、”人形”はまたも予想に反し、大きく距離をとった。
「ああ……ここはアタタカイ……」
前のめりになって震えていた”人形”が、少しずつ背筋を伸ばしていく。
その間に、キラはエルトの視界の隅から隅まで観察した。
〈明るい……。さっきまで夜だったのに〉
群青色の澄み渡る星空は、太陽に照らされる青空へと変わっていた。
どこに注目してみても、積もる雪は一つもない。青々と茂る木々に取り囲まれ、ただひたすらに心地の良い風が吹き抜けていく。
〈ここって……まさか、王国?〉
空の色も照りつける日差しも風の含む香りも、帝国とはまるで違う。
だがそれ以上に、立っている場所には見覚えがあった。
草はらと一緒に焼けた地面。周りを取り囲む木々の中には、中程から折れたものや焼けて細ったものが多くある。
そして、乾いた大量の血痕も……。
〈感傷に浸ってる暇はないわよ。集中して――来る!〉
震えの消え去った”人形”は、ぴんと直立し――わずかに左右に身体を揺らした後に、消えた。
速いなどという次元を越えている。
まばたきをしたときには、すでに懐に潜り込まれていた。
エルトはギリギリのところで刀を掲げ――、
〈フェイント! 左から!〉
”人形”は、身体一個分だけ瞬間移動をして、左脇を狙ってきた。
「――ッぶないっ!」
その動きとキラのアドバイスに、エルトも神がかった反応を見せた。
刀を引き戻すのを瞬時に諦め、代わりに空いていた右手を脇の下へくぐらせる。
”人形”の掌から突き出る刃を、人差し指と中指で受け止め、さらにがしりと”人形”の手を掴む。
もう一方の刃が迫りくる前に、エルトは容赦なく”白雷”をうちはなった。
どうあがいても逃げられない。
だが。
「――ほんッッとに!」
〈でももう右は使えない!〉
”人形”は自らの腕を切り離すことで回避した。
焦げた腕がぽとりと地面に落ちる間にも、その猛撃が止むことがない。
瞬間移動を果たした”人形”が、エルトの背後へ回り込む。
「判断甘すぎ!」
最も警戒していた死角へ現れたことで、エルトは機敏に動けていた。
瞬間移動によってわずかに感知できる”力”でおおよその位置を把握し、ローブの衣擦れや風の流れから狙うポイントを絞り、対処する。
キラがある意味部外者だからこそ把握できたことを、彼女は戦いながら対応していた。
光る戦闘センスには、舌を巻くばかりだった。
「あと、もうちょい――のはずなのにっ!」
右腕を失った”人形”は、明らかに動きが鈍くなっている。
血も出ていなければ、呻きもしない。が、自立していた人形がバランスを崩すかのように、途端に素人じみた動きとなる。
ただ、それでも”瞬間移動”が厄介だった。
後もう少しで刃が届くというところで逃してしまうのだ。
「ああっ、鬱陶しい!」
エルトは左手で振り払った刀を引き連れつつ、大きく踏み込んだ。
”人形”の体勢は、”センゴの刀”の一振りを防いだことで崩れている。
接近してつかめば、”白雷”も確実に当てられる――が、もののみごとに右手は空を切った。
「ソレは、コッチのセリフ」
”人形”は、超短距離の移動を果たしただけだった。
伸ばしきった腕の直ぐ側に現れ――左掌の刃を振り払う。
「ぐっ……!」
エルトはうめき声を上げたものの、腕は切り落とされることなく、パッと切り傷で鮮血が散る程度に終わった。
「ヌゥ、”覇術”……!」
「ふんっ、所詮人形には使えないでしょ……!」
苛立ちを拳を握る力に変えて、振り払うエルト。
”人形”は、ぐっ、と膝を曲げて沈み込み、裏拳打ちを回避した。
〈次、代わる!〉
前のめりになって溜めた力を解き放とうとするのにたいして、エルトは素早く右足を振り上げた。
牽制混じりの蹴りを回避しようとして、”人形”は”瞬間移動”を使い、
〈——今!〉
「スイッチ!」
餌に食いついたのを見て、キラはエルトと入れ替わった。
振り上げた足をそのまま戻し、両手でしっかり漆柄を握る。ぎゅっと力を込めた瞬間に、左前方に姿を現した”人形”が刃を押し付けようと迫っていた。
刀でしっかりと防ぎ、刃を滑らせつつ、思い切り振り抜く。
狙いは”人形”の左腕――が、それが当然かのように、刃は空を切った。
「ッとに!」
〈退いた! 右奥――木の陰!〉
そのまま流れるように駆ける。
しかし、木からちらりと見えていた”人形”のローブが不自然にかき消える。
そうして現れたのは、前のめりになって走るキラの背後だった。
〈スイーー〉
「いや、大丈夫!」
微妙な”力”の波動、風の流れやそこに含まれる音、失われた”人形”の右腕……。
あらゆる情報に感覚を詰め込み――狙われるのは首元だと察知する。
背後からの襲撃を見ることなく、キラは身体を傾けて避けた。
倒れ込みながらも、後ろから追い越してきた”人形”の左腕を、”センゴの刀”で狙う。
だが。
またも刀は空を切るのみに終わった。
「くそっ……!」
キラは草原の上でごろりと受け身を取りつつ、ぱっと立ち上がる。
〈やっぱり、掴んで”雷”放つのがベストね……!〉
しかし今度は、”人形”はすぐには姿を現さなかった。
張り詰める緊張感に舌打ちをしつつ、早口にエルトに向かって言う。
「でも段々反応が化け物じみてきてる。動きのバランスもおかしい――見極めやすいけど、掴むってなると難しい」
キラは幾度か両手で漆柄を握り直し……そこで、刀が重くなっていることに気がついた。
切りつけられた腕が痛むからではない。思い出したかのように、徐々に全身に疲れがのしかかり始めているのだ。
〈そうかもしれないけど……ごめん、私もこれ以上”表”には出られないみたい〉
「出られない……?」
〈あなたの”覇”が大きく乱れたのを感じて、私の”覇”をねじ込んだわけだけど……今、少しずつ主導権が握れなくなってきてる〉
「ってことは……」
〈もうスイッチ戦法は取れない。ノーリスクで”雷”を放てるのも、後一回のみよ〉
「――じゃあ、次で決める」
〈ふふ。いいわよ、サポートする〉
ふぅっ、とキラは呼吸を整え、”センゴの刀”を納刀した。
左手で柄に手を添え鯉口を切り、右手で軽く漆柄を握る。
視界をまぶたで遮り、感覚を研ぎ澄ます。エルトの”覇”を伝い、風の流れも空気の歪みも”力”の波動も、全てへ集中する。
そうして、ひとり暗闇に佇んだかのような静けさに溶け込み――まばゆい光のような瞬きを感じ取った。
前方からの”力”の波動と草原を踏みしめる音とが、”人形”の姿を形成する。
抜刀しそうな手を押さえ、”センゴの刀”を身体に隠すように抑えつける。
〈来る〉
静かに告げるエルトの声も、どこか遠く聞こえる。
前方に現れた気配は再び姿を消し――今度こそ、眼前に現れた。
目を開かずとも、”人形”の掌の刃が顔面へ向けて迫りくるのが分かる。
だからこそ、ギリギリにまで引きつけ。
音をも置き去りにする勢いで。
”センゴの刀”を放った。
「ヌ……!」
目を開いた一瞬の内に、すべての状況を読み取る。
”人形”の刃は、目と鼻の先でピタリと止まっていた。
どうやら、神速の居合にもギリギリで反応したようだった――が、”瞬間移動”を発動する刹那の瞬間に、”センゴの刀”の刃が届いたらしかった。
胸を引き裂かれたその衝撃で、”瞬間移動”の発動がワンテンポ遅れていた。
〈今よ!〉
キラはエルトの”覇”に導かれ、左手を突き出した。
”人形”が避けるよりも早く、”白雷”を解き放つ。
身体を突き抜ける衝撃に耐えきれず、ふらりと後ろへ倒れながら……暴虐なまでの雷に飲み込まれる〝人形〟を見た。
地面に倒れ込んだときには、刃の突き出た手だけを残して、消え去っていた。
「勝った……!」
ギリギリのところだった。
倒れ込んだ身体は、すでに動かない。エルトの維持してくれていた”覇のコーティング”が剥がれ、ドッと疲れが押し寄せてきたのだ。
更には、切り込まれた右腕に、右肩と左肩それぞれの傷も、ずきずきと痛みだす。ドラゴンに追われて地面に衝突したダメージも、今更になって全身を痛めつけていた。
「あー……疲れた」
〈でしょうね〉
頭の中に響くエルトの声も、ひどく疲れ切っていた。
気のせいか、これまでよりも遠くの場所で話しているような感覚がした。
「色々と……聞きたいことがあった気がするけど、なんか忘れちゃった。なんだっけ?」
〈知らないわよ、そんなこと〉
「分からないの……? 僕の中に住んでるのに?」
〈そんなの当たり前じゃない……。なんなら、私の方も色々と言いたいことがあった気がするけど……それ、分かる?〉
「……わかんない」
「でしょう?」
エルトの笑い声につられて、キラも全身の痛みを感じながらくすくすと笑みを漏らす。
〈もうちょっと話したかったけど……私もあなたも、これ以上は無理のようね……〉
「じゃあ……また夢に出てきてよ。……そしたら話せる」
〈忘れるくせに〉
「忘れないよ、今度からは……たぶん」
それから何かあれこれと喋っていた気はしたが。
いつの間にやら、王国の穏やかに風に揺られて、二人して眠りについていた。