95.ドラゴン

 急なことに。すべての体の感覚が、キラのもとに戻った。
 エルトのいきなりの提案に驚いた声が、そのまま己の口を突いて出る。
 目の前で起こった出来事に、ブラックも機敏に反応した。黒剣を脇に引き戻しつつ、黒く染まった眉を歪ませる。

「左目だけ黒く戻った――何をした」
〈いいでしょ、”感覚共有スイッチ”!〉
 ブラックの代わりに答えたのはエルトであり、しかしその声は、ユニィのときと同じように頭の中で響くにとどまる。

 キラは何がなんだか分からないままに、身体を繰った。
 一歩、深く踏み出す。それだけで、自分の体が驚くほど軽いことに気がついた。
〈驚いてる? でも当然! だって、私が”覇術”でコーティングしたんだもの。痛みも抜いたし――まあ、後で反動があるけど〉

 頭の中の声に耳を貸しつつも、キラは”センゴの刀”を両手で握り直し――脇腹めがけて刃を振り抜く。
 これをブラックは、いとも簡単に受け止めて見せた。
「ん……!」
 掌に伝わる振動に、キラは思わず舌打ちする。
 それまでならば、”闇”に隠れて防ぐ一手だった。

「そう何度も同じ手には乗ってやらん……!」
「ああ、そう……!」
 だったら、と。刃に刃を滑らせつつ、もうひとつ踏み込む。
 この特攻にブラックは一歩退き――キラもその動きに合わせて同じく後退する。
「チッ……! フェイントか」
 ブラックが唇を噛みしめるも、もう遅い。
 キラは一歩退く間にも刀を振るい、その腕を切り裂いていた。

 ぱっと鮮血が散り――キラが再度前のめりに攻め入り――ブラックが今度こそ”闇”に消える。
 死角を突きに現れる。
 そう見越して動き出したところで、マルトフの魔法が迫ってきた。無数の氷の礫が、雨あられのごとく飛来する。

〈雷、今なら使える!〉
 頭の中に響く声に瞬時に反応し、キラは刀から右手を離した。
 腕に”白い稲妻”が巻き付き――放出。これまでで一番弱い反動だったものの、その威力は絶大だった。
 一瞬にして空中を”白雷”が駆け抜け、氷の礫を飲み込む。
 雷の矛先にいたマルトフは、ギリギリのところで魔法の障壁を張ったが、
「――ッ!」
 衝撃に耐えきれずあえなく吹っ飛んでいた。

 脅威を消したところで、しかし安堵はできなかった。
 マルトフの魔法に僅かにも気を取られたことで、ブラックに優位を与えてしまった。
 なんとか身体を正面に向けたものの、”闇”から突き出てくる剣に、対処しきれなくなってしまう。
 キラは体をそらしながらも奥歯を噛み締め、甘んじてその一撃を受け入れる。

〈うわあっ、ごめん! スイッチすればよかった!〉
「ぐっ……! 平気さ……!」
 頭の中で勝手にパニックになるエルトに、キラは場違いにも笑みをこぼした。
 少しばかり思い出したのだ。

 『今までに生き残ったのは幸運だから』と説教されたとき……彼女の雰囲気は、言葉ほどに厳粛なものではなかった。
 エルトは、もともと愉快で天然な人なのだ。凛とした雰囲気を醸し出そうと頑張っているだけで、何かあるとすぐに素に戻ってしまう。
 あの説教も、最初は叱り口調だったのだが……途中噛んでしまったせいで、諭すような優しい口調でやり直したのだ。

 そんな説教と、そしていま現在脳内で響く若干の涙声――彼女ほどの人物が味方であるのだと実感し、その心強さに声を出して笑ってしまいそうだった。
「貫かれて笑うとは、ついに狂ったか」
「ふふっ、ごめんよ――負ける気がしないだけださ」

 キラは脇腹を貫いた剣に目をやり、その柄を握るブラックの手を掴んだ。
 その瞬間、危険を察知したブラックはすぐに”闇”に消えた。
 ズキリとうずく腹に顔を歪ませながらも、すぐさま追従した。
 背後に現れ地面に着地するその一瞬を狙い、突進する。

「チッ……!」
「さっきから思ってたけど――ブラック、君も手負いでしょ」
 ブラックは”センゴの刀”の一太刀を受け止めたものの、疲れからか怪我からか、中途半端にのけぞった。
「だから移動の距離も短いし、強力な”闇”も数を撃てない!」
 もう一つ打ち込むと、ブラックが完全に体勢を崩す。
「今、この瞬間も!」
 誘いのための動きではないことは、明らかだった。

 倒れゆくブラックに対して、いくらでもやりようはある――倒すにしろ、殺すにしろ。
 だが、その瞬間に……。
 これ以上踏み込んではならないと、身体が警告していた。

 キラは目を細めて奥歯を噛み締め……その腹めがけて、鋭い峰打ちを叩き込んだ。
 一瞬、”闇”の靄を出したものの、逃げること敵わず。
 ブラックは地面に倒れ込み……髪の毛も剣も、元の白さを取り戻した。

〈……今、何に戸惑ったのかしら。”殺し合いの定め”に従うこと? それとも、抗うこと?〉
 気遣わしげに問いかけてくるエルトに対して、キラはボソボソとつぶやいた。
「わからない……。だけど、今、ブラックを殺したらいけないと思った……」
〈あなたの恩人の敵なのに?〉
「王都でブラックの”力”を……全力の”闇”を感じたとき、なんとなく哀しい感じがしたんだ。その哀しさを、放っておいたらいけない気がした」

〈それが気の所為だったら。あなたが死ぬかもしれないのよ?〉
「うん。多分――それだけならまだマシなんだと思う」
〈レオナルドからはそういう類の話は聞いてないし……あなたがそれがいいというなら、きっとそうなんでしょう。だけど、今は――〉
 エルトの声が聞こえるやいなや、キラは体の内側へ引っ張られる感触がした。
 ”スイッチ”したエルトが、表に出たのだ。
「今はロキに集中」

 ロキとの戦いは、一対一ではなかった。
 ”操りの神力”は留まるところを知らず、地面にいくつもの穴を開けるほどにゴーレムを生み出し続けた。
 それにたいしてエルトは、地面から土塊の腕が生え出たそばから、”センゴの刀”で根こそぎ刈り取っていく。まれに上半身まで出来上がる個体もあったが、それも漏れなく切り刻んでいく。

 だが、状況は芳しくなかった。
 どれだけのゴーレムを生まれる前から叩こうとも、所詮は土塊。
 肝心のロキは、満天の星空をゆうゆうと泳ぐドラゴンの背に乗ったまま、一向に降りる気配を見せない。

〈エルト! これじゃあ消耗戦だ、勝ち目がない!〉
〈そう、みたいね!〉
 エルトはゴーレムの手を切り飛ばし、”覇”を介して言った。
〈刀の使い心地にテンション爆上がりなのに!〉
〈なんか――それ、違うっ〉
〈ナイス突っ込み――って言いたいけど、ホント、だれる!〉

 エルトが縦横無尽に戦場を駆け回る内に、キラは思いついた案をそのまま口にした。
〈だったら! ゴーレムを作らせればいい!〉
〈なんでっ?〉
〈足場ができる!〉
「――なるほど、いいアイデア!」
 靴底を滑らせ、雪と土を撒き散らしながら停止するエルト。

 白い息が潮風で揺れ、周囲でゴーレムが続々と出来上がっていく中……エルトもキラも、ロキを乗せて飛ぶドラゴンに注目していた。
〈気の所為かな……あのドラゴン、すごく苦しそう〉
〈私も、同じこと思ってた。”覇”に支配された上で、ああやって操られてるんだもの……あの子にとっては、屈辱以外の何ものでもないわ〉
〈なんとかならないの?〉
〈誰も、何もできない。苦しまずに殺してあげる他には……〉

〈けど、”覇術”ならなんとかできるんじゃ……。だって、”覇”をコントロールするための力でしょう?〉
〈レオナルドから、そう教わったんだろうけど。きっとその本質までは知らないの……知りようもない。私も最初はそう思ってたけど、間違ってたのよ〉
〈間違い? あのレオナルドが?〉

 その時、ドラゴンが雄叫びを上げながら夜空へ炎を撒き散らした。
 そのさまは、痛くて痛くてどうしようもない辛さを、暴れることによってなんとか逃れようとしているようだった。
 エルトは唇を噛み締めつつ、視線を動かした。周囲では、背高なゴーレムが森に集う木々のように生え揃うところだった。
〈――もう時間もないことだし、悠長にはしてられないわ。一気にかたをつけましょう〉

 地面を蹴って飛び出し、エルトは手近なゴーレムの背中を駆け上がる。
 身体が沈むよりも早く、そして強く足で踏み込み、そのたびに土塊の体がガラリと欠けていく。
 そうして、最後に思いっきりゴーレムの頭を踏み潰して、空中へと跳ぶ。刀の柄に手をかけて、夜闇の中を一直線に飛翔する。
 狙う先は、もちろんドラゴン――その背中に乗るロキ。

「うーん、そうきたかー」
 肩に乗るインコがパタリと羽ばたき、主の元を離れる。
 すると、それが合図だったかのように、ドラゴンは翼をはためき急上昇した――エルトの思惑通りに。
 刀に手をかけたのは見せかけだったのだ。
 ロキの動きを見透かしたエルトは、空中で体勢を変え、右手を突き出す。
 白い稲妻が冷たい空気を裂いて飛び込んでいき――ロキの身体をかすめた。

「ンッ……ちょっと狙いが外れた……っ」
 エルトはそう悔しがったが、キラには十分のようにも思えた。
 ロキはクラリとよろめき、ドラゴンの背中から落ちたのだ。近くを羽ばたいていたインコが、慌ててその後を追う。
 続けて、上昇しようと長い首を持ち上げていたドラゴンが、はたとしてその場にとどまる。

〈悔しがってる暇はない――僕らどうすんの! こんな空中で――〉
 ドラゴンが炎を牙の隙間から漏らしつつ、ぎらりと睨みつけてきた。
 その咆哮の勢いたるや。
 響き渡る怒りの雄叫びは、景色そのものを歪めるかのような圧力があり――実際、速度を落としつつあるエルトを押し返した。
 そうして、”白雷”を放ったことも相まって、なすすべもなく落下していく。

〈――思い出した! 確か、ユニィ、飛んでたよね! あれ、できないのっ?〉
〈あいにく、私もそこまで万能じゃないの! それに――〉
 ぎゃあぎゃあと言い争っている暇はなかった。
 ドラゴンが翼をたたみ、飛び込んでくる。

 口いっぱいに溜め込んだ炎を一気の放出。エルトはそれに合わせて、再度”白雷”を右手からはじき出した。
 飲み込もうと広がる炎を、”白い稲妻”がすんでのところで食い止める。
 しかし、ドラゴンはその衝突を物ともせずに突っ込んできた。炎と雷が喰らいあってるところを、その巨体と鱗で弾き飛ばす。

「常識は通じない、か……っ!」
 危うく腹に噛みつかれるところを、もう一発”白雷”を放つ。
 ドラゴンの顔面にぶつかるも、硬い鱗に見事に防がれてしまう。稲妻は鱗を貫くことができず、その表面で幾度も跳ね……額にあった傷に触れた。
 すると、一瞬、ドラゴンの身体が硬直した。
 傷から侵入した雷に、感電したのだ。

「あの暴れ馬に感謝ね。傷を狙って正解だった……!」
 動きを止めたのは、ほんの僅か。すぐに、黒く落ち窪んでいた目にギラリとした生気が戻り、大きく口を開く。
 しかし、そのときには、エルトは面長の頭部を伝って、背中にしがみついていた。
 そして、今度こそ”センゴの刀”を解き放ち――思い切り、”覇”をまとった刃でドラゴンの身体を貫いた。

 ――ァァァああああッ!
 ドラゴンは悲痛な雄叫びを上げると同時に、頭の中をかき回すような悲鳴を轟かせた。
 その感覚は、まさしくユニィに声をかけられたときと同じであり……人としての意識を取り戻したドラゴンの嘆きに違いなかった。
 キラはむごたらしい死に際の肉声に呆然とし、エルトも奥歯を噛んで涙をこらえていた。

 そのせいか、落ち行くドラゴンの身体から離れるタイミングが遅れ……ともに、地面で跳ねることとなった。
「ごめん……! また身体傷つけた……っ」
 そう言いながらも、エルトは空中で体勢を立て直した。今度は見事に着地し、ふらりとしつつもドラゴンから目を離さないでいる。

〈大丈夫だよ、頑丈だし。それよりも……〉
 地に伏したドラゴンは、一秒が経つごとに、大量の血を地面に流していた。
 もはや虫の息であるのは、考えるまでもなかった。荒々しく息巻いていた姿はなく、ただ、全身で細々とした呼吸を繰り返している。
 半開きになった目にも、すでに狂気の色はなく……。

 ――ありがとう……これで逝ける

 苦しそうに、しかしながら安堵したかのように。頭の中に届いた声はゆっくりと消え入り、同時に、ドラゴンの目からも光が失われていった。

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