97.ボッ

 キラとエルトがぐうすかと眠りにつく一方。
 王都の城門前広場は、捕縛された帝国軍兵士で埋め尽くされていた。
「この光景……騎士としてはなかなか微妙ね……」
「はい……。結局、ラザラス様が一人で帝国兵を片付けてしまいましたからね」

 王城奪還のため、リリィとセレナは白馬のユニィの足の速さを頼りに、本隊よりも一足先に王都に潜入していた。
 そのさなかに元国王ラザラスが公開処刑されると聞きつけ、二人としても無視するわけにはいかなくなった。ユニィがいることを利用して、行商人として変装し、不安そうな面持ちで広場に集まる民衆に紛れたのである。

 そうして、未来永劫語り継がれるであろう”秘密の告白”がなされるわけだが……その少し前から、事態はおかしくなりつつあった。
 ブラックが、何やら血相を変えて姿を消したのがきっかけだった。
 それに疑問を持っていると、いつの間にか、警戒にあたっていた帝国兵士たちに動揺が広がっていた。

 おそらく、ブラックを突き動かした何かが、彼らの間で恐怖として広がり……その隙をついたからこそ、リリィはエマールの手からラザラスを解放することに成功した。
 ガイアとの戦闘に入り、ラザラスのアドバイスもあって、その狂気的な力を追い返すことができ――その次にもまた、異変が起きていた。

 王城を占拠していた帝国兵士たちが、次々と城門”ウラキ門”から飛び出してきたのだ。
 一見すれば、王城を取り戻さんとする脅威への対抗策にも見えた。
 だが、彼らには一つも余裕がなかった。
 公開処刑を免れたといっても、まだ帝国軍側に有利な状況だった。王城の奪還は果たされておらず、逆に王都には帝国軍がはびこり、肝心の竜ノ騎士団本部も取り戻せていないのだ。

 皇帝の意に逆らおうと、人質でも取ればリリィもセレナもラザラスも、戦うことすらなく捕らえられていたはずだった。それだけの有利な状況と余裕が、帝国兵士たちに根付いていてもおかしくはない。
 というのに、王城から飛び出た兵士たちが成したのは、自爆覚悟の特攻。
 まるで恐れをなしたかのように、誰も彼もひどく切羽詰まった表情をして……だからこそ、ラザラス一人でかたを付けることができたのだ。

「それにしても、気色の悪い決着の仕方でしたね」
 セレナが広場にギュウギュウに詰められた帝国兵士たちを眺め、そうつぶやいた。
「ええ、本当に……」
 リリィも頷きながら、同じように広場を見渡す。

 すでに、ローラ率いる”王国軍”本隊が到着していた。元国王ラザラスの助言を受けつつ、新しく王座についたローラがぎこちなく騎士たちに指示を飛ばしている。
 ”王国軍”はいくつかに分散し、ある隊は広場に集う帝国兵士たちの監視をし、ある隊は王城の無事を確認しに行き、またある隊は竜ノ騎士団本部へ先行調査へ向かった。

「なぜ、ブラックは王都の占拠を放棄してまで姿を消したのかしら? 帝国軍の統率の乱れも気がかりだし……」
「敵国の侵入よりも大事なことといえば……やはり、自国の安全でしょうか。もしや、帝都が落とされたとか?」
「まさか。そんな都合のいいこと、あるわけないでしょう?」
 相変わらずの無表情で言い放つセレナに対し、リリィは呆れて言い返す。少しして、そのやりとりの可笑しさに二人して噴き出してしまう。

「意外と、そうでもないみたいですよ」 
 くすくすと笑い合っていると、くぐもった声が遮ってきた。
 金属特有の輝きを極限にまで抑えた鈍色のフルプレートアーマーを身にまとうのは、いまや”自称無職”になりつつあるクロエ・サーベラスだった。

「そうでもない、とは? 何か分かったのでしょうか?」
 笑いのツボがゆるくなったリリィは、生真面目なクロエの格好に頬を緩めそうになりながらも、努めて真面目に問いかけた。
「そこな帝国兵士への尋問で分かりました」
「というと……?」
「兵士たちも動揺しておりますゆえ、少しばかり情報に齟齬がありましょうが……まず間違いなく、帝都は機能不全に陥ったようです」

 リリィはセレナと顔を見合わせた。
 親友の無表情の中に驚きがあるのをみて、次の問いかけを彼女へと譲る。
「すなわち、帝都は落ちた、と?」
「もしくは、ひどい混乱に陥っているか。申し上げましたとおり、兵士たちの間でも情報が錯綜している状況ですので」
「これで合点がいきましたね……。信じがたいことではありますが……帝都が落ちているかもしれないという不確定要素が、兵士たちを揺さぶったのでしょう」

 セレナのつぶやきに、リリィもクロエと一緒に頷いた。
「帝国軍を指揮しているであろうブラックが何も言わずに姿を消したのも、拍車をかけたに違いありませんわ。――それほどの緊急事態だとすれば、帝都が陥落したという話にも真実味が出てきます」
「しかし、一体なぜ……。確かに、最高戦力を投入したがゆえに、帝都の防衛力が落ちるのは必然ですが……帝国こそ、それをしっかりと認識していたはず。そうやすやすと自壊するものでしょうか……?」

 三人で首を傾げていると、ラザラスが何やら渋い顔のまま近づいてきた。
「クロエよ、すまぬがローラの補助を頼めるか。それなりに学を積ませたつもりではいるが、やはり実践するとなるとなかなか勝手が違うのでな」
「は、承りました」
「それと、これはローラからの命令でな。『無職』は解職、今後は新たに編成される『女王直属近衛騎士隊』に配属することとする。総隊長補佐としてな」
「はい……。……はい?」
「む、なんだ、はよういかんか」
「それは承知していますが……補佐、とは? 総隊長は、誰が……」

 問いかけながら、クロエは答えがわかったらしい。
 リリィもセレナも、最初は不思議に思っていたが……ラザラスのしわがれたニンマリ顔に、はたとして悟った。
「まさか……」
「バレてしまっては仕方がない……! まさか、このワシがそのまま引退するとでも思ったか? ようやく王の座から降りたのだ……楽しく生きねば!」
「そ、そう申されましても……一度、議会にて議題にされてもよかったのでは……」
「その必要はない。議長には伝えてある」
「どうせ、『近衛騎士総隊長になりたい』とか走り書きの紙を渡しただけでしょう……!」
「わっはっは! ……なぜバレた」
「母からいつも相談されてますからね……!」

 何度目かのため息を付き、クロエはフルフェイスヘルメットを脱いだ。彼女の端正な顔つきは、いまやむっとして歪められている。
 流石にまずいと思ったのか、ラザラスが慌てて釈明しようとしたところ……クロエの手を掴む小さな手があった。
「クロエさん、お父様も色々考えがあってのことなのですよ、きっと」
 小さな女王ローラが、一瞬にしてクロエの中で高ぶった感情をたしなめる。

 その隙をついて、ラザラスも重ねて言った。
「さすがは我が娘! よくわかっておる」
「でも、走り書きはいけませんよ、お父様。きちんと皆の意見を汲まねばなりません。考えがあるならば、なおのこと」
「むん……」
 娘にたしなめられたラザラスは、しゅんとして頷いた。
 その姿に気を良くしたのか、クロエはそれ以上何も言うことなく、ローラとともに騎士たちへの指示に向かった。

「娘が……冷たい。さっきまで抱きついて泣いてくれたのに」
 リリィはセレナと一緒になって苦笑し、なだめるように言う。
「そういうものかと存じますわ。わたくしたちも、よく父に似たようなことをぼそっと呟かれますもの。独り立ちをしたのだと思っていただければよろしいかと」
「そうか……」
「それで……先程、何やら浮かない顔をされていましたが。父やアランに、何かあったのでしょうか……?」
「うん? ああ、そっちは問題ない。それぞれ独房にいれられはしたが、何も危害は加えられておらん。ワシの思ったとおり、エマールは支配よりも”王国の権力”がほしかったらしい――今回の一件でその狙いがはっきりした」
「支配よりも……? イマイチぴんときませんわね」
「いずれ分かる」

 ラザラスはそう言うと、再び難しい顔つきになって腕を組んだ。年老いた身体には似合わないほどに筋肉を膨らませ、じろりと広場の兵士たちを眺める。
「少しばかり……とはいえないほど、気がかりなことがあってなあ」
「気がかり、ですか」
 父の無事にホッとするリリィに代わって、セレナが問いかけた。

「ベルゼという男が、城内にはたしかに居たはず。姿は見なんだが、兵士たちの間で名前が上がっているのを聞いた。ワシの思い違いでなければ、”三人のキサイ”のひとりであろう」
「――この兵士たちの中にそれらしき人物はいない、ということですね?」
「おそらくな。紛れている可能性もあるが……なにせ手練の魔法使い。やつの捜索を手伝ってはくれんか」
「承知しました。国際的に指名手配を受けながらもその包囲網から逃れている人物……場合によれば、大捕物になるでしょう。リリィ様も、ご助力を」

 セレナの言葉に、リリィも気を引き締めて頷いた。
「ええ、もちろん。何の因果か、シスの報告ではベルゼはエマールと協力関係にあると言います。まずは、投獄したエマールの様子を……」
 セレナとラザラスを連れ立って王城へ向かおうと一歩踏み出したところ、リリィは背中を押されてつんのめった。

 振り返るとそこには、白馬のユニィが立っていた。
 興奮したように鼻を鳴らし、ぶんぶんとしっぽを振っている。思慮深い真ん丸とした黒い瞳は、何か訴えかけているようでもあった。
「ワシらでは分からん何かを感じ取ったらしいな。昔のように勝手に突っ走らんのを見ると、君も連れていきたいんだろう」

 なぜだかリリィには、言い当てられたことにユニィが腹を立てているというのが、手にとるように分かった。
 頭を上下におおきく振りながら背中を向ける白馬を見て……次に、セレナの方を伺う。
 すると、メイドで親友な彼女は無表情に頷いた。

「こちらはお任せください。シリウス様もアランもいますし、何よりラザラス様も一緒ですから」
「うむ、よく言った! さあ、不届き者をぶちのめしてみせようぞ!」
 これ以上迷う必要はないとばかりに、ラザラスは背中を向けて歩き出した。
 リリィはもう一度セレナとアイコンタクトをとり、互いの意思を確認しあってから、足を踏み鳴らして待つ白馬の背中に乗った。

「さあ、行きましょう」
 手綱をしっかりと握りしめ、お腹をトンと蹴って合図する。
 甲高くいなないた白馬は、しかし、頭の中で幻聴を響かせることはなかった。

 ユニィは、やはり疾かった。
 あっという間に王都を駆け抜けたかと思うと、防壁をひとっ飛びで越えてしまい。蹄を深く地面に食い込ませつつ着地し、再び疾走。
 すでにどこへ向かうか分かっているかのようで、問いかける暇もないほどだった。
 手綱に頼っていれば勢いで吹き飛ばされそうで、必死に真っ白なたてがみに顔をうずめ……そこで、ちらりと見える草原の異変に気がついた。

 至るところが陥没し、草原がめくられ地肌を晒している。
 数えるのも億劫になるほどで、ユニィの向かう先である森に近づくにつれて多くなっていく。
「何があったのか……尋常ではありませんわね。エマールの率いる傭兵団は想定よりも遥かに少ない人数で、ブラックとロキの魔獣軍団が現れるまで優勢が崩れることはなかったと、ラザラス様が――」
 白馬が穴ぼこを飛び越えるたびに、リリィは小さく悲鳴を上げつつ、首にしがみつく。

 すでにユニィは、森へ飛び込んでいた。木々の枝や葉っぱが勢いよく飛び込んでくるにも関わらず、そのスピードを一切落とさない。
 森も、平原と同じく異変に見舞われていた。
 地面に穴があいているだけではなく、焼け焦げた木々が視線を移動させるたびに目につく。
「こんなに広範囲に渡って……まるで雷の雨でも降ったかのような……」
 自分の声を耳にして、リリィはハッとした。
 すると、ユニィが鼻息荒くいなないた。頭を振りつつ、徐々に走る足を緩める。

 そうして最終的に止まったその場所は、森の中にあって不自然にひらけていた。いくつもの焼けた木の株が埋まり、地面の殆どが焼け焦げて黒くなっている。
 呆然として白馬から降りたリリィは、一本の木の存在に目が釘付けになった。
 大量の血痕が、木の根元から地面にかけて広がっている。乾ききってはいるものの、誰かが誰かと戦った後なのだということが、容易にわかった。
 その壮絶な痕跡にユニィがそっと歩み寄り、長い首を下げて頭を近づける。

「もしかして、ここが……」
 寂しそうな姿に、リリィは思わず視線をそらし……そこでふと目を細めた。
「人の足……?」
 木の陰から、誰かが倒れているのが見えた。
 剣に手をかけ、リリィは警戒しながら近づいた。
 ゆっくりと木の裏側へまわり――そこで見つけたのはキラだった。

「……え?」
 見覚えのある刀を握ったまま、両腕も両足も投げ出して倒れている。
 王都で別れたときとは、まるで違う服だった。白いシャツにブラウンのズボン……それぞれ、擦り切れていたり、血で染まったり、焦げて黒くなったりしていた。
 そんなボロボロの姿だと言うのに、気持ちよさそうに眠っていた。日差しのよく当たるところを選んだのか、くうすかと寝息を立てている。

 戦争など忘れてしまいそうな穏やかな姿を目にして……リリィは、へたりと腰をおろした。
 力が抜けきり再び立ち上がれそうにないこの状態は、まさしく安堵からくるものだった。
 戦争を終わらせてから行方を探すのだと決めてから。キラの強さにかこつけて、ことさらその無事を意識しないようにと意識していた。

 だが。本当の本当は……。
 強さと同時に脆さも抱える少年が、ただただ、心配でたまらなかったのだ。
 彼と過ごした時間はまだまだ短く、”友達”とさえも明言されていない。一緒に転移の失敗に巻き込まれたり、エマール領を旅したりと、濃密な時をともにしたとはいえ……何故これほどに胸が締め付けられるのか、分からなかった。

 無事を願えば願うほどに。頭も心もぐちゃぐちゃになりそうだったのだ。
 沼に飲み込まれていくかのように、底なしに湧き出てくる不安に耐えきれず……キラの強さに甘えて、自分を納得させていた。
 だからこそ。
 キラの無事で平和な寝姿を見て。
 なぜ心がかき乱されるほどに心配になったのか、はっきりと分かってしまった。

「わたくしは……」
 言葉にして形にするほどに。
「キラが……」
 顔が熱くなっていく。
 ボッ、と”紅の炎”が髪の毛の先に灯り……。

 ――起きろや寝坊助ェ!
「いッッッたい!」

 頭の中に突如として響く幻聴と、キラの素っ頓狂な叫び声に、炎がさっとかき消えた。
 気持ちよさそうに眠っていたキラの頭を、ユニィが歯茎をむき出しにしてガジリと噛んだのだ。
 突拍子もない光景にリリィは目を丸くして……。
 一つも変わらない一人と一頭の姿に、溢れ出てくる笑い声を止められそうになかった。

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