自分の中に巣食っていた”誰か”に体を乗っ取られたのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
「その赤い瞳……見覚えがある。貴様は誰だ」
”五傑”たちもブラックも、目の前の異変に気づかないわけがなかった。
マキシマは両の拳を燃やし、マルトフが一歩退いて杖を構える。ドラゴンに乗ったロキは特に様相も変わらなかったが、幾分高度を上げて、インコを自らの肩に引き寄せた。
そうしてブラックは、血のような赤い瞳を瞼で引き絞り、透き通るような白髪まで”闇”の色に染めて警戒した。
「あらら? やっぱり目の色が変わる?」
”誰か”は首を傾げつつ、キラの身体を操り、落ちていた刀を拾った。
「う〜ん、上手くイメージ通りに行かない……。……気持ち悪くないように声も口調も寄せたのに、バレちゃったら意味がないじゃん。まあ、それはそれでいいけど」
のんきにぶつぶつと呟く様子にキラが呆れていると、しゃがれたガナリ声が響いた。
「小童! 質問に答えんかッ! 貴様は何だ――何をした!」
「ん〜? そうだなあ……別人って思われてるなら名前も必要だよねえ。じゃあ、とりあえず……エルトって呼んでよ」
「呼んでだと? ふざけてるのか、貴様ッ!」
マキシマは、見ての通り熱い老人だった。
ざっくばらんに短く刈り揃えられた髪の毛はほとんどが白髪で、ゴツゴツとした顔つきはシワだらけ。張り付くような冷気の中、なぜか上半身だけ裸になったその体つきは、年齢を感じさせないほどに筋骨隆々だった。
ところどころ痣や傷跡が目立ち、ズボンも千切れて七分丈になってしまっている。
おそらくはロジャーと戦ったのだろうと、キラはエルトの中から観察し、推察した。
「齢を重ねただけの愚か者か、トーマス・マキシマ。敵が真実を語るわけがなかろう」
もうひとりの男は、マキシマと同じ程の年齢ではあろうが、見た目がかなり違っていた。
すらりと背高な身長を真っ黒な詰め襟の軍服で包み、制帽を目深にかぶっている。髪も眉も体つきも隠れているために、マキシマよりかはすこし若く見えた。
戦争に備えて常日頃から鍛えていることは、その引き締まった顔つきから伺える。
”軍部”の人間であることをことさら象徴するかのような姿ではあったが、帝国城で見たアバルキンとはまるで雰囲気が違っていた。
〈”軍部”にもいろいろな人がいるってことか……〉
キラはそうつぶやき……そこで、己の声が妙に反響するのにビクリとした。
身体と意識は完全に切り離されているようで、声も出なければ、肩をビクつかせもしない。
ホッとしていいやら、恥ずかしいやら。
奇妙な気持ちになっていると、頭の中にエルトの女声が響いた。
〈私が”覇術”を使っている影響かしら? あなたの声、はっきりと聞こえてるわよ。ユニィに話しかけられてるみたいに〉
〈え……。じゃ考えてることも筒抜け?〉
〈そこ? もうちょっと聞きたいことがあるでしょうに……。あなたって、結構ユニークなところがあるわよね〉
〈だって、気になる〉
〈ま、安心しなさい。どれだけエッチなこと考えてても、私が分かるわけもないから〉
〈この状況でエッチ……?〉
〈ふふ、ものの例えよ。――まあ、今は私が戦ってあげるから。ゆっくりしてなさい〉
エルトの気遣いをむず痒く感じていると、マルトフの厳粛な声が聞こえてきた。
「赤眼の少年よ。よもや、この場から逃げようと画策しているのではあるまいな? なれば、今一度この布陣に刮目せよ――逃げる隙など、ありはしない」
確かにと、キラは今更ながらに焦りを感じてきた。
今や敵はブラックだけではない。
マキシマとマルトフの実力は未知数だが、相当な実力者であることは手を合わせずとも分かる。
ドラゴンもいれば、ロキも要るのだ。
〈あのさ、もしかして……〉
〈あら、気づいた?〉
〈リヴォルから聞いた時に……。ブラックとロキが同時期に帝国軍に入ったって〉
〈忘れておきなさい――レオナルドの言ったように、あのロキは口にするのも憚れる”ヤバイやつ”なんだから〉
〈だとしたら、相当まずいなんじゃ――〉
〈大丈夫。だから、見て、聞いて、感じておきなさい。これからのためにも〉
エルトはそう言うと、マルトフに向かって言った。
「逃げる隙なんていらないんだけど」
「何……?」
「全員、全力でかかってきなよ。戦争は終わったからね――殺さずにおいてあげるよ」
キラもひやりとするほど、エルトが調子よく言い放つ。
わかりやすくも癪に障る煽りにブラックがピクリと動き――それよりも先に、上半身裸の翁が怒髪天を衝く勢いで向かってきた。
その両の拳を包む炎が、苛立ちを表すかのように、真っ赤に輝いている。
「殺さずにじゃとッ? 舐めよって――望み通り息の根を止めてやろう!」
「ふふっ――そうだよね、あなたがまっさきにくるよね、”燃える剛拳”」
エルトも、マキシマと同じように前のめりに飛び出した。
無駄なく、淀みなく。そして速い――”身体強化”を施したマキシマよりも、断然に。
〈お、おぉっ……!〉
あまりに突発的なトップスピードは、身体の持ち主であるキラ自身が情けない悲鳴を上げるほどだった。
これまで何度も敵の速さを目の当たりにしたことはあるが。
自らが音をも置き去りにして、瞬時に動き始めた相手の無防備な懐に入り込むのは、初めての体験だった。
「なんじゃ、この速さ……!」
エルトはそのままマキシマの太い首をひっつかみ、地面へ押さえつけた。
勢いも相まって。そんな生易しい表現では通用しないほど、スピードの乗ったパワーは凄まじく、マキシマを土の中へ埋め込んでしまった。
キラが唖然としていると、エルトが”覇”を通じて語りかけてくる。
〈これが”覇術”よ。まだあなたは使えないけど、いずれ身につける時が来る――だから、ちゃんとこの感覚を覚えておきなさい〉
〈ん、うん……〉
〈それにしても、あなたのこの身体、想像以上に鍛え抜かれてる。筋力がぐっと落ちてるけど――おかげで、テンション上がるくらい動きやすい!〉
エルトは楽しそうに声を響かせ、迫りくるブラックに振り向いた。
突然の事態にも動揺を見せず、驚くべき冷静さで距離を詰めてくる。
全身からは黒い”闇”が立ちのぼり、蠢くそれらが黒剣に巻き付いている。
さらに、その動きに合わせるかのように、
「本当に――貴様は何者だッ!」
マルトフが強大な魔法を放ってきた。
背後から迫る太陽のような炎の塊に、前方から放たれる”闇”をまとった刺突。
キラが息を呑むのとは対照的に、エルトは楽しそうに口を歪ませた。
そして、
「――ッ!」
「なん――!」
ブラックもマルトフも目を見開いた。
それもそのはず。
エルトは背後も見ずに刀を振り払って、炎の塊を真っ二つに斬り。”闇”をまとった黒剣を、素手で掴んで止めたのだ。
「チッ……!」
ブラックは、剣ごと”闇”に身を包んで姿をくらまし。
「何のこれしき……!」
マルトフは斬られた炎を杖で操り、二つの火の玉を再利用した。
回避を試みたエルトだったが、
「ん、っと……やるぅ!」
意に反して足が動かない。
ブラックが”闇”の沼を作り出し、身動きを取れなくしていたのだ。足元に広がる黒い沼は、ずずっ、と白い雪の上で広がり、蠢いた。
〈黒い棘が来る!〉
キラは思わず叫び――エルトは刀を逆さまにして両手で握った。
白銀の刃に”白い稲妻”が絡みつき、地面に突き刺さると同時に放出。強烈な”白雷”は、全てを弾き飛ばした。
いくつもの黒棘となって迫りくる”闇”を、地面ごとえぐり。
今に振りかかる二つの炎球を、逆巻く白雷が粉々に打ち砕いた。
〈ンンッ! これ、ほんっっと、身体に来るわね。キラくん、あなたこんなものを”覇術”なしでぶっ放してたの?〉
〈うん、ま――って、前!〉
エルトが”雷”の反動に呻いていると、その好機に影が飛び込んできた。
「ハッ、小童が! 調子に乗りよったな!」
マキシマだった。地面に埋めつけられたダメージはなかったのか、年に似つかない俊敏な動きで殴りかかってきた。
燃える拳が腹に迫り、
「ヌァ……ッ!」
呻いたのは、老人のほうだった。
見れば、叩き込んだ拳が奇妙な形に歪んでいる。痛みに耐えかね、たまらず大きく後退する。
「そのまま我慢すればこっちも危なかったのに――甘すぎ、だね!」
エルトは燃えかけた白シャツを一回はたき、逃げるマキシマをすぐさま追った。
老人が唇を噛み締め、エルトの握る刀が今に届きそうになったその時。
地面がモコリと動き出した。
〈ゴーレムッ!〉
キラが叫ぶと、エルトはその声に弾かれたように一歩下がった。
想像通り、盛り上がった地面はまたたく間に土塊の柱となり、その先端が手の形を模し始めた。
「そうはいかなーい」
「さあ、それはどうかなっ」
エルトは、ぐっと刀を背後にまで引き、一気に振り抜いた。
ヴンっ、と。地面から生えた土塊を根本から刈り取る。それだけにとどまらず、鋭い斬撃によって発生した衝撃波が、マキシマを吹き飛ばした。
悲鳴もうめき声も置き去りにして、ほぼ瞬間的に帝都の防壁へとめり込む。
「これはおまけってことで!」
くらりと倒れる土の柱を、エルトは蹴り上げた。別のゴーレムを作り出そうと集中するロキに向けて、脅威的な牽制を行う。
が、土塊はロキを乗せるドラゴンによって難なく焼き尽くされる。
エルトは舌打ちをしながら追撃をかけようとして――はたと振り返った。
「まったくいいタイミング!」
”闇”より飛び出るは、白髪を黒く染めたブラック。
降りかかる黒剣を、エルトは刀で受け流した。
〈う〜っ! やっぱ刀使いにくい! 教えてっ〉
〈えっ、今っ?〉
〈このままスイッチするから! 体動かして――それで覚える!〉
〈このままって――〉
「えっ!」