65.怒涛

――時は、キラのもとに『王都陥落』の情報が舞い込む四日前にまでさかのぼる。

「セレナ! そっちの……それ! ちょうだい!」
「リリィ様、焦りは禁物です。――エマ、散らかしすぎでしょう」
「う〜! 代理の代理なんか引き受けるんじゃなかったよ! 世襲なんだからリリィ元帥でいいじゃん! アンちゃん、第八師団の報告書はっ?」
「私の使い魔、もういっぱいいっぱいで……! サーベラス様に確認してきます!」

 小高い丘の頂点を囲むようにして築かれた”サーベラス騎士団本部”。
 そのさまは、さながら丘から生えた壁だった。実際に、堅牢な石造りの建物が四つ、防壁のごとく一棟の屋敷を取り囲んでいる。
 その屋敷は、エグバート王国公爵家サーベラスの邸宅であり……奇妙なことに、たったそれだけで領地とされていた。世界最小の領地である。

 特異な由来を持つサーベラス邸――その三階の角部屋に設けられた”緊急対策本部”にて、これまた特異な光景が繰り広げられていた。
 豪奢な内装に負けず劣らず質の高い書斎机につくのは、第九師団師団長エマ。その机の前に設けられた腰の低いテーブルに、元帥であるリリィとセレナが向かい合って座っている。そして、その周りではメイドであるアンが忙しなく行き交い……ついには部屋を飛び出す。
 平均年齢二十歳の淑女たちが、一瞬も気の抜けない時間を過ごしていた。

「っていうか〜! リリィ元帥、駄々こねすぎ! ホントは私、王都に残る予定だったのに!」
「だって、仕方がないでしょう! ランディ殿もいなければ、キラだって行方知れず。しかも魔獣と傭兵の混成部隊に襲われてる中、王都を離れろだなんてッ。あまりにも酷な話ですわ! 本当なら、わたくしは今にでも――」
「リリィ様、すでにお決めになったことでしょう。すべてを早急に終わらせて、キラ様とランディ様をお探しすると。――エマ、あなたこそ駄々をこねてないで、頭と手を働かせてください」
「鬼! 悪魔! ゆるゆるウーマン!」
「叩きますよ!」

 彼女たちが必死になって机にかじりついているのは、ほかでもない王都奪還のためだった。
 とはいっても、現状、まだ陥落の知らせは届いていない。
 つまるところ、王都に残った騎士たちがエマール軍と帝国軍の襲撃に耐え抜いているということである。
 そのために、本来ならばもう少しゆとりをもって計画を練ることができたのだが……開戦とも言えるエマール軍”混成部隊”の王都襲撃と同時に、各地の騎士団支部でも相次いで魔獣による襲来が報告されたのだ。

 ありとあらゆる種の魔獣がともに行動しているという事実は、思う以上におおごとだった。
 つまるところそれは、下手に支部の人員を動かすことはできず、十二の地点それぞれに適した防衛指示を行わねばならないということであった。

 リリィもセレナもエマも、リンク・イヤリングで各師団長と直接連絡を取り、事前に送られてきた報告書を片手に対策を練る……。
 すべてが終わる頃には、日がどっぷりとくれていた。

「――ああ……。やっとこれで一段落ついたかな」
 エマが椅子に体を預けたのと同時に、リリィもセレナもソファでぐったりと横になった。アンも、それぞれに紅茶のおかわりを置いた後に、セレナの隣に座ってうなだれた。

「住民の避難を先にすませておいて正解でしたわね。師団長たちの足止めがあるとは予想していましたが、まさか十二の支部すべてが同時多発的に襲われるとは……」
「確かに、想定外も良いところです。王都奪還へ向けて、近い支部から人員を要求したいところですが……それは酷というものでしょう」
「被害状況から考えても、どこの支部も安全圏内。とくに二と五は鉄壁の守りだから、魔法陣さえ崩されてないけど……精神的にきついよね~。アンちゃん、”ノンブル”の方は?」

 アンはうめきながら顔を上げ、ごそごそとメイド服のポケットを探った。
 四つ折りにたたまれた羊皮紙を広げ、可愛らしい顔をクシャクシャにして目を細め、ボソボソとつぶやくように言う。

「出払ってます……。殆どが”新大陸”の調査にお出かけで……例外的にシスとトレーズが残っているだけです。シスは引き続きエマール領で任務続行で、トレーズは少し前に王都へ戻ったらしいですよ」
「だよね〜、動ける人いないよね〜」
「エマ。王都奪還へ向けて動かせる戦力について、確認させてもらえますか。私もリリィ様も、慌ただしい中でざっと聞いただけなので」
「そだね〜。じゃあ、確認もしつつ書き留めて整理しておこうかな」

 淑女たちはなんとか体を起こして姿勢を正し……そこで、ノックの音が響く。
 それに対して、室内のメイドたちが反応した。アンが腰を浮かし、それよりも素早く、セレナが癖のように対応する。

「どうかしましたか、サーベラス様」
 開け放たれたドアに対し、壮年の男性は部屋に入ろうともせずに立ち尽くしていた。
 つるりとした禿頭と豊かなひげが特徴的なその男――ルベル・サーベラスは、屈強でいかつい見た目以上に、低く迫力のある声でボソリといった。

「場所が場所なら、勉強会と見間違うところでしょうな」
「……はい?」
「常日頃から申し上げています通り、淑女は淑女らしくあらねばなりません。平和な場所で平和な日常を過ごし、戦いから縁遠いところで笑いながら過ごさねばならないのです」
 ぼそぼそと低く聞き取りにくい言葉に、淑女たちは一様にため息を付いた。

「またそのお小言ですか、サーベラス様。幾度も申していますが、私達は自ら望んでこの場所に居ます」
「さすがに、クロエさんに呆れられますわよ」
 ため息交じりのセレナとリリィの言葉に、サーベラスは一つたりとも動じない……ように見えたが、幅広な肩が落ち込むように若干下がっていた。ピンとして伸びていた背筋がちょっとばかり前のめりになる。
 いかつい表情も、見た目には変わらないものの、どこかショックを受けた様子が色濃く出ていた。娘のクロエの名前が地味に効いたようだった。

「ま、私はそんなに戦場に出ないけどね〜。でも……たしか総隊長さんって、いま無職じゃなかったっけ?」
「そうはいっても、王都防衛に張り切ってましたけどね」
 続くエマとアンの言葉に、サーベラスは再びわかりやすく反応した。
 再び背筋を伸ばして姿勢をよくし、落ち込みがちだった顔色がぱあっと晴れやかになる。

「無職! なんと素晴らしい響きか……! あの子も、ようやく分かってくれたか……!」
「とはいっても、今回の作戦のための無職ですわよ」
「は……ッ!」
「……その一瞬で全部ど忘れするだなんて、驚きですわね。そんなことより、中に入って座ってはいかがです?」
 ショックと動揺で細かく揺れていたサーベラスは、しばらくしてから、威厳たっぷりに咳払いをした。それから、仰々しく首を振る。

「……ケーキはいかがかと、伺いに来たまで。私はサーベラス家当主にして、”石版”の守護者――一時でもその任を離れることは許されません」
「クロエさん同様、相変わらず頭が硬いですわね。けど、あなたのお菓子作りの趣味はどうなのかしら?」
「当領地は、御存知の通り、シェフもメイドも踏み入ってはならない秘密の領域。ですので、自分の飯は自分で作らねばならないのです。――では、早速お持ちいたします」
 まるで執事のように頭を下げ、サーベラスは粛々として姿を消した。

「ケーキは食事には入らないでしょうに。――アン、サーベラス殿の手伝いをお願いしますわ」
 するとアンは、セレナが何か言い出さない内に動き出し、ほとんど走るようにして部屋を飛び出していった。
「セレナも、この肝心なときにメイドとして動いてしまう癖を直したほうが良いわよ」
「そうは言われましても、身体が動いてしまうんです。――とはいえ、今回ばかりはリリィ様の言うとおりでしょう」

 セレナはリリィの目の前に腰を下ろし、その様子を見届けたエマがにっこりとして切り出した。
「で、何の話だっけ」
「王都奪還へ向けて動かせる戦力の整理ですわよ。……そうやってとぼけて試すの、いい加減止めません?」
「コミュニケーションの一環だよ〜」
「まったく……」
 エマの奔放さにリリィは頭を抱え、セレナが少しばかり笑みを漏らす。

 しかし、少しすると雑念の入った空気がぴりりと引き締まり、一切のにごりなく澄み渡る。
「まずは、私達だね。私と、リリィ元帥と、セレナ元帥。アンちゃんは前線には出ずに、連絡と情報収集に徹してもらう。で……」
「サーベラス騎士団から五十名ほどお借りできましたわよね。……少々物足りない気はしますが、この領地の特殊性を考えれば、致し方ないでしょう」
「あとは、これから合流予定のクロエさん。そして……港町バルクへ進軍中の王国騎士軍の一部。……これに関しては、非常に物申したいことがありますが」

 セレナが不満を隠さず声を低くし、リリィも思い出したようにジトリとエマを睨む。
 港町バルク。”非武装地帯”とも称されることの多いその場所を挟んで、王国と帝国が睨み合っている。
 しかし、少し前に帝国が謎の撤退を開始。この動きに対して、エマールが『この機を逃さず攻めるべし』と無理やり王国騎士軍を動かしたのである。
 そこまでの成り行きは、納得の行かない気持ちながらも、リリィもセレナも聞き及んでいた。

「まさか、この”王都奪還計画”に向けて、わざとエマールの進言を聞き入れたとは誰も思いませんわよ。もっと早くに教えてもらいたかったのですが?」
「いや〜、だって口止めされてたし。楽しそうだったし!」
「陛下の入れ知恵ですわね!」
「あはっ、言い方! ――けど実際さ? 情報もれないようにするの大変じゃん?」
「そういうことにしておきましょう。事が事だけに、誰も責めませんわよ」

 リリィは浮かしかけた腰を落ち着け……その様子とは反対に、くいっ、と紅茶をあおったセレナがボソボソと言う。
「私は責めますが。一体私達どれだけヤキモキしたか……あとでたくさん教えてあげましょう」
「わあっ……ちょー本気……」
 ニコニコとした笑顔を引きつらせ、エマがそろりと目をそらす。

 対してセレナは、何もなかったかのように話を続けていた。
「戦力としては、私達三人に、クロエさん、そして王国騎士軍。騎士軍に関しては、一部が南下してこのサーベラス領で合流。残りは王都へ折り返し、タイミングを合わせて行軍開始……」
「こうして考えますと、やはり心もとないですわね。もともとは、各支部から戦力を集める予定でしたし、ランディ殿もキラもいましたから……」
「英雄さんはわかるけどさ。君たちの言うキラくんってのは、そんなに頼りになる少年なのかい?」
「もちろん! 剣の腕だけで元帥に上り詰めることの出来る、唯一無二の人物ですわっ」
「おー、それは……お〜?」

 いきなり語尾が甲高く上がったエマに、リリィは首を傾げた。セレナと顔を見合わせ……こつ、という物静かな足音に、一緒になって顔を動かした。
 靴音のしたほう。書斎机のエマが凝視していたのは、開いたドアの枠いっぱいに収まるサーベラスだったのだ。そばには、キッチンワゴンを引いて苦笑いするアンがいる。

「その御仁の話、後で詳しくお聞かせ願いますかな?」
「え……あ、あの、まさか……?」
「世界最強の竜ノ騎士団。そのトップスリーであるリリィ様をもってして”唯一無二”と言わしめる腕前……! 我が愛娘クロエにピッタリの人物ではっ?」
「では、と言われましても……。そういったことは、両人の相性もあるのでは……?」
「クロエの愛嬌たっぷりの人柄はよくご存知でしょう。リリィ様の人を見る目は確かでございますから、キラ殿も良き人に違いありません。こうしてはおれません――これから先の計画をたてねば。では、これにて……」
「あっ、ちょっと……! 行ってしまわれましたわね。あの人、暇なのでは?」

 リリィが困惑気味に疑問を投げかけると、エマもセレナもアンも、それぞれ微妙な反応を示していた。
「とりあえず〜。アンちゃん、配達ご苦労さま。早かったね?」
「う……。すでに作り置きがありましたし。私も急いでお持ちしたく、魔法を使ったのですが……」
「話を聞かないサーベラス様に問題があるでしょう。重婚は申請すればなんとかなるとしても……公爵家出身が二人となると話がこじれます」

 冷静に言うセレナに、それを受けてキャッキャとはしゃぐエマにアン。
 リリィはそれまで感じなかった熱さに顔を染め……ボッ、と”紅の炎”で頭を燃やした。
「その反応、本気だ〜」
「からかわないでくださいまし……」
「となれば、行方知れずの少年を早く見つけ出すためにも、今目の前に立ちはだかる戦力不足という問題を解決しなきゃね」
「ええ、もちろんです……!」

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