64.策

 新聞から届いた簡素な一報は、実感というものがあまりにも欠けるものだった。
 しかし、それでも、キラは数文字の言葉を理解するのにたっぷりと時間を要した。
「王都が、って……え?」
「七年前、帝国じゃ『王都を壊滅寸前まで追い詰めた』と大騒ぎになったもんだ……。当時の状況をなにか聞いてやしないか?」
「え……。確か、六人の師団長は王国を離れてて……そこを突かれて、って」
「ふむ……。だとしたら辻褄は合う。で、今回はどうなってる? ブラックが動いてるんだ……どうせ、あいつの力を使って王都を襲撃でもしたんだろう?」
「僕がここに来る直前くらいに、魔獣たちが……王都を……」

 キラは、目の前に真っ暗闇の中燃え盛る王都を見た気がした。もやもやと漠然としていた恐怖が、急に形をなして胸にのしかかってくる。
 事態の重さを肌で感じとり、居てもたっても居られず立ち上がろうとした。
 が、レオナルドの魔法なのか、身体がピクリとも動かず、口も満足に開けなかった。

「……!」
「まあ、そう慌てるな。おまえさんがここに飛ばされた三日前……もう四日前か……そのときに勝敗が決していたなら、こんな超がつくほどの重要な速報は、二日前には飛び回っているはずだ」
「で……も!」
「心配か? 焦ってんのか? なら聞こう――世界でもトップクラスの実力者集団である竜ノ騎士団、その師団長たちは王都に居たのか?」
「いや……。エマって人以外は……」

「おかしいとは思わないか? なぜ師団長を全員王都に集結させない?」
「だって……支部が襲撃されて、”転移の魔法陣”が……」
「それを加味しても、だ。そもそも、師団長たちは、支部に居たから王都に戻れないんじゃないのか? ”転移の魔法陣”が狙われてると分かったのは、師団長がもともと支部に居たからじゃないか?」
「え……ん……?」

「今回の戦の始まりが何だったかは知らないがな。『支部が帝国軍に襲撃を受けた』と報告を受け取った時点で、真っ先に王都を守るとは思わないか? 襲撃を受けた支部の師団長が戻れなくとも、そいつ以外はまっさきに戻るべき、あるいは王都に留まっておくべきと思わないか? 七年前にこっぴどくやられたんだぞ」
「あ……!」
「ようやく分かったか。つまるとこ、師団長たちがほぼ王都を留守にしてるのは、ハナからそういう意図があったからさ。”三人のキサイ”のエマ……そいつが画策したに違いない。現に、ちゃっかり王都に残ってやがる」
「ってことは……」
「王都が落ちることも作戦のうち、ってことだ。もともとそんな可能性はなかったわけだ……そうとしか考えられない」

 レオナルドの含みの在る言い方に疑問を持つよりも、キラは強張った身体から力を抜いて、ほっと息をついた。
 しかし……。
「作戦でも、なんでも……。王都が落ちたって……それって、帝国に支配されてるってことで……。大変なことには変わりないじゃないか」

 胸の中には、まだザワザワとした嫌な感触が残っていた。
 深く考えれば考えるほどに。リリィやセレナやグリューンが今どんな状況にあるのか、不安という言葉と一緒になって頭に張り付く。
 リリィもセレナも、心配されるほど弱くはない。

 だがキラは、ブラックという”授かりし者”の強さを知ってしまっていた。”闇の神力”は、ともすればすべての攻撃を無力化する。
 あの強さが、二人に降りかかるのではないかと……あの力が、かの老人を死に追いやったように、二人を追い詰めていくのではないかと。どうしても思ってしまう。
 グリューンにしてもそうだ。いくらユニィがついているからとはいえ、人の言葉を持たない馬がどれだけ混沌とした戦場の中を上手くかいくぐれるのか……。
 不安は尽きず、どころか、倍々に膨れ上がっていく。

「だったら、やっぱり僕も王都に……!」
「いいか。王都を取り戻す算段があったから、敵の手にわたらせたんだろ。沢山の人が住む場所を戦場にしたくないから、あえて身を引いたんだろ」
「それは――だけど……! 帝国にはドラゴンだっているし、巨大なゴーレムも……ブラックだって! そんなに簡単に事が運ぶわけがない」
「……だからな。お前さんが戻ったとしても、今の時点でやれることなんてないんだよ。そういう作戦を立てた以上、綿密な計画があるはずだ――それをお前さんがかき乱してしまうことだってあるんだぞ」
「それでも、僕がこのまま見過ごすなんてことはありえない。だから、力を……知恵を貸してほしい」

 キラが前のめりになって言う一方で、レオナルドは微動だにしなかった。
 テーブルに乗せていた手を胸に引き寄せ、腕を組む。麻袋をかぶった頭は、静かにうつむきがちになる。
 そうして、詰まっていたものを吐き出すかのように、地響きのようなため息をついた。

「ここでオレが折れちまったら、それこそランディのやつに笑われるだろう」
「……?」
「だから、今回は、お前さんのその奇妙な”魅力”に負けたということにしてくれ」
「じゃあ……!」
「ああ。だが、やるからには徹底的にやってもらう。死に目にあうかもしれんが――いいか?」

 キラは答えようとして、一瞬だけ、声を出し渋った。
 ”死”という言葉が、永遠につながる暗闇を思わせたのだ。見聞きして恐ろしく思うその感覚とは違う、肌に染み込むような身近な恐怖だ。
 その恐怖に身体を縛られ……しかし次の瞬間にはあっという間に振り払えていた。

「大丈夫。僕はそんな臆病者じゃない」

 ”グエストの村”で目が覚めたときのことを……その直後に見た鏡の中の自分を、不意に思い出したのだ。
 何もかもが抜けきった顔だった。
 生きているのかすらもわからない真っ白な顔だった。
 あれは誰なのかと。あれは自分なのかと。呆然としたことを、今でもはっきりと覚えている。

 そのまま立ちすくんでいたところを、救われた。そのままでは立ち尽くしていたであろうところを、手を引っ張ってもらった。
 前を向いて歩きだすことができた。
 だからこそ。
 ここで一歩退いては、ここで背中を向けては。
 生も死もないあの虚無へと、後戻りしてしまうのだ。
「言うじゃねえの。だったら、授けてやろう――力と秘策をよ」

 朝食として肉をたらふく食って、少しばかり時間をおいたのち、キラはレオナルドとともに魔法陣に乗った。
 ”転移”によって飛ばされた先は、見慣れぬ部屋だった。
「ここは……?」
「特別に頑丈な部屋だ。ここなら、どれだけ”神力”をぶっ放しても問題ない」
 レオナルドのはなった炎の玉に照らされた部屋は、”転移の間”にも似ていた。が、石床には魔法陣は刻まれておらず、壁際に本棚が並んでいるということもない。
 長方形の箱の中に入り込んだかのような、本当の意味でなにもない部屋だった。

「それにしても、寒い……! 外にいるみたいだ……」
「だから言ったろ。室内でも寒いんだ、オレ自慢の”隠れ家的ラボ”は」
「けど、尋常じゃないよ……」
 キラは再度自分の格好を見返した。
 セーターもコートもズボンも、全部厚手で、隙間がないくらいに着込んでいる。だと言うのに、寒さが体の奥底へと侵入してくる。
 腕を組んで身体を縮こまらせ……ガタガタと震える振動が、左腰の刀にもカチカチと細かく伝わった。

「これだから王国の出は。――へっくしょい!」
「レオナルドも寒がってるじゃん! っていうか、何その毛皮! ずるい!」
 盛大なくしゃみをかました美女は、見るからにあたたかそうな毛皮のコートに身を包んでいた。スタイルの良い体つきも、寸胴のようなシルエットとなっている。
 頭には変わらず麻袋をかぶり、さらにその上からもこもこのフードで覆い……寒さとは程遠い格好をしていた。

「うっせえ! 女の体は冷やしちゃなんねえんだ!」
「寒さに男も女も関係ないでしょ……!」
「お前さんは今から身体動かすから良いだろうが! オレ、見とくだけだぞ!」
「でも寒い!」
「きかん坊だなっ」
 一緒になってガタガタと震えていると、レオナルドが魔法を使った。ひょい、と人差し指をくるりと回すと、またたく間に寒さが身体中から取れていく。
 キラはその心地よさにほっと一息つき……しかし、まだ寒さが取れない気がして、細かく足踏みしながら聞いた。

「王国は結構暑かったんだけど……。帝国って、季節が変わるくらいに北側にあるの?」
「同じ大陸で隣り合ってるさ。まあ、確かに温度差はひどいもんだし、王国と帝国は世界の両端にあるんじゃないかって思っても仕方がないがな」
「じゃあ、大陸が広いとか?」
「広いっちゃ広いんだが……世界七不思議ってやつだな。王国の”不自然の”って知ってるか? あそこを境に、グンと気温が変わっちまうんだよ。約千年前の”天変地異”の影響じゃないかって言われてんだ。――って、んなことはいいから始めるぞ」

「今から何を?」
「昨日、修行中につぶやいているのを聞いた限りだと、お前さんの持つ力は”雷の神力”といっていいだろうな」
「うん。ランディさんたちはそう言ってた」
「話を整理すると、だ。天気が悪い日には決まって体調が悪くなり、それが極まったときに暴発した。そうだな?」
「うん。っていっても、その時の記憶はないけど」

「ふん……。体調が悪くなる、ってのはどういうふうに?」
「心臓がひとりでに動き出すと言うか……。気味悪く暴れだすんだよ」
「で、『ここ最近はそういうこともなくなった』とも言っていたが、それは?」
「ロットの村から竜ノ騎士団の支部経由で王都まで”飛ぶ”予定だったんだけど……帝国軍の邪魔が入ってエマール領の近くに落ちて。それからは、ずっと落ち着いたままなんだ。その予兆というか、不安すらないというか……正直、そういう事があったのを忘れてたくらい」
「で、ランディから渡された”お守り”に考えが行き着いたってわけか……」
「うん。体調が安定する前と後とで何が変わったかっていったら、ランディさんに”旧世界の遺物”をお守りとしてもらったこと以外になくて」

 キラは、無意識に右の腰にくくりつけたポーチに手を伸ばした。
 今となっては形見の一つとなったそれは、握った手のひらの中で確固たる存在感を放っていた。

「じゃあ、その”お守り”についてなにか思い至ることは在るか? なにか……異変があったとか、変わったことが起こったとか。なんでもいい」
「んー……? あ、そういえば……。一回、光った時があった」
「光った? どういうふうに? どんなときに?」
「あれは、確か……。エヴァルトが雷の魔法を使ったときだったような……。稲光みたいなのをまとって……で、しばらくすると消えてったんだ」
「雷の魔法……。なるほど。――ちょいと、”お守り”を手に持っててくれるか」
「え? うん」

 キラは、ポーチの中から”旧世界の遺物”を取り出した。
 手のひらにあるソレは、やはり異質だった。サラサラとした手触りの表面は、天井に浮かぶ炎が一つとして映らない。そのさまは、まるで光を吸収しているかのようだ。

「今から近づく。が、オレの顔を見るな。絶対――惹きつけられるから!」
「う、うん……」
 レオナルドは、男勝りな彼女らしくもなく、へっぴり腰で近づいてきた。
 その可笑しさに思わず凝視していると、どこから出しているのか疑問なほど、擦れたような声で威嚇してくる。
 キラは慌てて視線をそらし、ジリジリとにじり寄り……噴き出すのを我慢しているところで、ようやく隣に立った。

「そら、オレの手に近づけてみろ」
 背後に立ったレオナルドが、にゅっと腕を突き出し、手袋に包まれた手を上に向ける。
 キラは、背中に感じる柔らかな感触にどことなく微妙な気持ちになりながら、”旧世界の遺物”を乗せた手を並べる。

「お前さん……昨日、風呂入ったよな?」
「へ? うん」
「石鹸はオレ好みの香りのはず……。じゃあ、いま漂っているこの香りは……ぬう、なんたる不思議! 視覚だけじゃなく、嗅覚をも伝って侵しにかかるか……!」
「何の話……?」
「我慢だ……我慢。オレは神もうなずく天才。こんなところで屈するような、やわな精神力じゃない……!」
 キラの問いかけには答えようともせず、レオナルドはなにかに抗っていた。
 しばらく待っていると、つらそうに息を吐きながらも、話を先に進めた。

「集中だ、集中……。そら、見てなよ。オレの推測が正しけりゃ……」
 レオナルドの手のひらの上で、パチリとしたものがほとばしる。
 ほんの小さな雷が弾けては消え、脱皮を繰り返しては強大になっていく。
 そうして、鼓膜が揺さぶられるほどの雷が上空へ伸びていき、
「え……っ」
 天井に届こうというところで、フッと消えた。

「注目すべきは、上じゃないぞ」
 レオナルドの忠告で、キラは自分の手のひらに視線を戻した。
 四角い石のような”旧世界の遺物”が、いつかのときのように、光り輝いていた。
 雷をまとって、その真っ黒な姿を幾度か明滅させ……しばらくすると、まとったものを飲み込んで静まりかえる。

「これは……?」
 レオナルドはぱっと体を離し、距離をおいて深呼吸していた。
 胸に手を当て、肩を上下させ……そうしておいてから、ようやく向き直った。
「見たとおりだ。その”お守り”が、雷を吸ったんだ」
「ってことは……”お守り”が肩代わりをしてくれたから、僕の体調が良かったわけで……。……うん?」
「つまるとこ、セレナとやらの推測通りだ。お前さんは、『無意識的に雲から雷を吸収してる』ってことだ。だから、吸収した雷の負荷に耐え切れず、心臓が悲鳴を上げていた」

「じゃあ、あの暴走は……」
「おそらく、たまり続けていた雷を一気に放出したんだろう」
「けど、みんな『雷を引き寄せていた』って……」
「とすれば、溜まっていたのは雷ではなく”神力”そのもの。言い換えれば、雷を吸収することによって、お前さんの体内でエネルギーへと変換し、蓄積していったんだ。魔法使いたちの魔力のように……」
「なるほど……?」

「分かってないな、この重要性を。極端な話、お前さんの”雷の神力”は魔法といってもいい。魔法使いたちが取り込む魔素が雷に変わり、体内で変換されるエネルギーが魔力ではなく”雷の神力”になっただけこと」
「じゃあ、僕は天気の悪い日には”雷の神力”を使えるってこと?」
「正確に言えば、『体内にエネルギーが残っている限り』だ。しかも、お前さんは雷を引き寄せられる。雷は常に雲とともにあるんだ――その気になれば、半永久的に力を使い続けることが出来るってわけさ!」

 興奮気味に早口になるレオナルドを前にして、キラはようやく実感が湧いてきた。
 今まで気味悪く体の中を巣食っていたものが、途端に明るい未来を指し示す希望の光のように思える。
「なら、さっそく――」
「ってわけにもいかないんだな、これが」
「なんで?」
「まだ”神力”に耐えられる身体じゃねえってこと、忘れてるだろ。天気が悪くなるたびに体調を崩すのがその証拠だ。リスクを背負い、使用制限を設け、なんとか使える状態にこぎつける……それが今のお前さんの限界だ」

 複雑な気持ちだった。
 今すぐにでも”雷の神力”のすべてを身に着けたかった。
 だが、おそらくは。ここで少しでも立ち止まろうものならば、今までの全部を後悔してしまいたくなることが待っている。
 だからこそキラは、深く考える前に即決していた。

「それでもいい。どうやったら”雷の神力”を扱えるのか、教えてほしい」
「思ったがお前さん、オレが手を伸ばしたらすぐに掴むよな。迷いとか疑いとかねえのか?」
「……ランディさんにも同じこと言われた気がする」
「だろうな。オレらはそういうことにはすぐに敏感になるから。一応忠告しておくが、気をつけとけよ」
「……? 信頼できない人は信頼しないよ」
「……ま、お前さんならすぐにたたっ斬れるからな。そういう自信の現れってことにしとくよ」
「はあ」
「そんじゃ、修行始める前に、”お守り”を預かっておくぞ。それがあったらお前さんに雷を当てても効果が薄くなる」
「はい……?」

 いきなりの暴力的な言葉に唖然としていると、手を引っ張られた。
 キラはたたらを踏み……そこで、レオナルドの使い魔である狛犬が寄りかかっていることに気づいた。
 器用に後ろ足で立ちつつ、手のひらにある”お守り”にかじりつく。
「あ……!」
 と言う間に、狛犬は”お守り”を飲み込んでしまった。

「ちょっと……!」
「大丈夫さ、腹の中に収まっただけだ。だいたい、”旧世界の遺物”がこの程度でどうにかなるわけないだろ」
「でも、何となく今バキッて……!」
「気の所為だ……多分」
「多分って!」
「ほら、んなことより修行だ! 夢の中でのブラックとの戦いもみっちりやってもらうから、これから二十四時間休憩なし。それでも終わんなかったら四十八時間! 弱音吐く余裕なんてねえからな!」
「分かってる。時間がない――だから全部吸収するんだ」
 キラは自分を鼓舞するように言い。
 それから、まさに地獄の修練が始まった。

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