55.新時代

 そんな家の生まれであるユースは、注目されると同時に親しまれ……彼女が皆から愛されれば愛されるほど、キラは己の立場がわからなくなるほど居心地が悪くなった。
 ひとたびともに外へ出れば、奇声にも似た大声を上げてはしゃぎまわっていた子供の一人がシュンとして黙り。そのさまは子どもから子どもへ、そして大人へと伝わっていき、活気づいていた村は急に静になる。

「みんな、おはよー!」
 ユースの元気な挨拶にまばらに応えが返ってくるものの、気もそぞろといったふうだった。ほぼすべての視線が、少女ではない方へ向けられる。
「外から来る人なんて滅多にいないから。みんな、戸惑ってるんだよ」
「うん……」
「でも、このままじゃ良くないから。とりあえず、みんなに挨拶するところからだよ」
 ユースにつつかれて促され、キラは重い口を開いた。

「おはよう……」

 消え入るような声は、それでも静かな村には届いたはずだった。
 が、誰も何も返さない。隣人とコソコソと言葉をかわす程度で、皆、なにやら薄気味悪いものを見たとでも言ったような表情をしていた。
「上出来! だとおもう……」
 元気だったユースも、皆の反応を自分のことのように受け止めて、自信なさげに言葉をすぼめる。

 しかし少女は、うつむきがちだった顔をはっとしてあげ、ふるふると首を振るった。
「よし! じゃあ、お兄ちゃんがどれだけ凄い人か、みんなに見てもらおうよ」
「でも……君のお母さんに、だめって……」
「あ……。じゃ、じゃあ――えっと、とにかく、私と仲がいいってことアピールしよ!」
 少女は焦りを取り繕うように、ギュッと手を握ってくる。
 キラは反射的に小さな手を握り返し、ぐいぐいと引っ張る彼女に任せて足を動かした。

 連れられたのは、家の隣だった。馬小屋との間に空いたスペースに、三つのわらを何重にも巻いた木の棒が地面から突き出ている。
「ここ、おじいちゃんに作ってもらった訓練場なの。あのわらを的にして、この木剣を素振りをするんだよ」
 キラが静かに見守っているうちに、黒髪の少女は「見てて!」と木剣を構えた。
 正眼を見据えて腕を振り上げ、右足で踏み込む。一歩前へ移動しつつ、腕を振り下ろし、木剣の切っ先で木の棒に巻かれたわらを叩く。そうして左足から一歩退き、最初と同じく正眼にまで木剣を戻す。

 最初のうちは、気恥ずかしそうにちらちらと視線をよこしながら素振りを繰り返していたが、次第に集中力が増していった。
「やっ、はっ」
 わらだけを睨み、掛け声とともに、黙々と木剣を打ち込んでいく。
「……ユース」
 同じ動きを繰り返す少女の姿を眺めていたキラは、ふと声をかけた。
 しかし少女の耳には届いていないらしく、一向に動きが止まらない。

 そこで、木剣の動きをじっと観察して、
「ユース」
 腕を振り上げ力が僅かに抜けた瞬間を見計らい、切っ先を握った。すると、あっけないほど簡単に少女の両手からすっぽりと抜ける。
 ユースは腕をふるった後に、剣を失ったことに気づき、呆然として振り向いてきた。

「あれ? お兄ちゃん……?」
「声をかけたけど、聞いてくれなかったから……」
 キラは木剣を返し、ぼそぼそとつぶやくように続けた。
「素振りが速すぎ、な気がする……」
「え……?」
「必要以上に速いから……手の力が抜けてた。腕が疲れてる証拠……と思う」

 言われて初めて、少女も自分の疲労に気づいたようだった。両手を何度も握っては開いて、ぷらぷらと揺らして疲れを落とそうとする。
「お兄ちゃんの言うとおりかも……! すごい!」
「そう……?」
「そうだよ、すごいよ! もっと教えて!」
 屈託のない少女の称賛に、キラは口元を緩め……。
 とくん、と勝手にうずく鼓動に、少しばかり頬を引きつらせた。
 
   ○   ○   ○

 ロットの村まで時間がかかる。
 森を抜けて、開拓された平原を真っ直ぐに駆ける。たったそれだけの道程ではあるが、木々が密集する中で馬を走らせるのは得策ではなく、視界がひらけてからも度々魔獣の奇襲が待ち受ける。
 並の人間であれば、森を出るのに半日かかり、平原を乗り切るのに一日は要してしまう。
 だが、”不死身の英雄”と呼ばれたランディは、三十分とたたずに森を抜けていた。

「――ユニィ! ここらで少し速度を緩めよう!」
 白馬は言葉を聞き届け、手綱の合図もなしに走る足を緩めた。
 その馬上で、ランディはピュッと刀を振るった。幾重にも重なった魔獣たちの血のりを、一度にして草原へと払い落とす。
 そうしているうちに、頬やこめかみや肩をえぐる傷があっという間に消えてなくなる。

「さて……。キラくんのことだがね」
 ランディがそこまで言うと、相槌を打つように白馬が鼻を鳴らした。
 どこまでも人間臭い仕草にほほえみ、しかし次にはその後頭部を小突いた。
「現状での村でのキラくんの立場……君にも責任の一端があることを感じてほしいね。よりによって君に、私の家から引きずり出されていたら、皆色々と勘違いするだろう」
 ユニィはブルブルと嘶きながら頭を振った。そのさまはさながら、「俺のせいじゃねえ!」と言っているようだった。
 今にも耳に幻聴が届きそうな様に、老人は思わずため息を付いた。

「皆にどれほど君が崇められているか、感じていないわけではあるまい」
 そうやってぐさりと刺すようにいうと、傍目からわかるほど白馬はシュンとした。
 ”不死身の英雄”とともに戦場を駆け抜けた白馬……”グエストの村”の皆は、たったそれだけの存在ではないと知っている。
 魔獣を簡単に蹴散らす強さ然り、人の意思を汲み取る賢さ然り、ときに子どもを笑わせるユーモア然り。”グエストの村”で育った者は、皆ユニィが単なる馬とは思っていない。

 ある少年は魔獣の脅威から助けられたことから”救世主”とよび、ある老婆は”英雄”を導いた”神の使い”としている。エーコやユースでさえ、白馬を絶対的な”守り神”としているふしがある。
 それほど大きな存在が、ユニィなのだ。
 そんな白馬が、森の外から流れてきた正体不明の少年を、はたから見ればぞんざいに扱えばどう見えるか。これほどはっきりすることもない。

「きっと、記憶喪失のことも触れ回っているぞ。そうでなくとも、キラくんの不自然なほどの無表情さに、誰もが尾ひれをつけて話をややこしくする。悪魔だなんだとね」
 そこまではっきりと非難すると、ユニィも申し訳無さそうにいなないた。
 ランディは再びため息をつく。困ったことに、キラという存在に期待をせずにいられないのは、ユニィだけではないのだ。

「まあ、過ぎたことは仕方がないさ。それに……君も思っているだろうが、彼は小さなところに収まるような人間じゃない。よりによって私の元へ転がり込んだのは、きっとなにか訳があるんだ……と思う」
 ブルッ、と短い鼻息は、肯定なのか否定なのか。
 声が聞こえなくなった今となっては定かではないが、六十年という月日を共に過ごしてきたからこそ、同じ気持ちなのだと容易に汲み取ることができた。

「ユニィ。もう君の声を聞かなくなって、ずいぶんたつ。何がどうなってるかは知らないが……何を意味しているかはわかる。君もそうだろう?」
 今度は、白馬は一つたりとも応えなかった。
 嘶きもせず、瞬きもせず。ただ、前を見つめて足を動かしている。
「帝国が動いた。王国も動く。――私のときもそうであったように、きっと新しい時代が来るんだろう。あの少年は、新時代の旗手となる」

 ユニィは嘶いた。
 ただの一度。だが今度は、ランディにもその気持ちを汲むことができなかった。
 良い意味の相槌か、悪い意味の生返事か。どちらにしろ悪態をついているのは間違いなく、ランディはその幻聴を想像してしまい、クスクスと笑ってしまった。

「ユニィ。君にはあの子の手助けをしてやってほしい。これから何かが起ころうとも、未来を担うあの子の言葉を受け入れてほしいんだ」
 白馬の目を見つめていると、
 ――しかたねえな。任せておけ
 懐かしい声でそう言われたような気がして、ますますにやけてしまった。

 それと同時に、ユニィのまんまるな黒目に、一つの疑問があることを読み取れた。
「なぜ彼に”キラ”と名付けたか、知りたいんだろう?」
 白馬は、大きくゆっくりと頷いた。
「でも、こういう言い方は君は嫌うだろうか。――きっと、それが彼の名前だと思ったからなんだよ」

 ロットの村についたときには、すでに市場が開かれていた。
 週に一度、竜ノ騎士団から派遣された騎士たちが、国内各地の特産品を持ってくるのだ。村全体あるいは個人で、物品のやり取りが行われ、ちょっとしたお祭りとなるのが恒例である。
 騎士団の役目は円滑な物流であり、それには手紙も含まれている。
 ”不死身の英雄”を前にして恐縮する騎士に確かに手紙を任せ、ランディはすぐさま白馬のユニィを駆ってとんぼ返りした。

 帝国の脅威が判明した今、下手に急ぐことはできない。それが当然であるかのような速度で、しかし気取られないように動かなければならない。
 が、ロットの村までの道中で”神力”の波動を感じることはなく、どうやら四六時中村を監視しているわけでもないらしかった。

 ユニィもそうと分かったからか、気持ちよさそうに全速力で駆けていた。蹄が大地をえぐり、道中の魔獣たちを踏み潰しつつ、轟々と風を切る。
 子どものようにはしゃぐ一面に、キラを任せても良いものかと首を傾げた瞬間であった。

「ユニィ……! そろそろゆっくりと歩こうか」
 森の中でも構わずぴょんぴょんと跳ねる白馬をなんとか押さえつけ、やっとこさ地面を踏みしめたランディは息切れをしていた。
「まったく……! 君のことだから周囲の気配を感じ取っていただろうが……私の”再生の神力”ももはや万能ではないんだ。枝が刺されば痛い!」
 ブツクサと文句を垂れるも、白馬は聞く耳を持たず。それどころか、小馬鹿にしたように頭を前後に振りつつ、カタカタと歯を鳴らす始末。

 老人は、はぁ、とわかりやすくため息を付き、
「君の奔放さにキラくんが振り回されなければいいが。ああ……ったく、雨が降りそうだ。さっさと帰らないと――んん?」
 それまで上機嫌にステップを踏んでいたユニィも、急に湿気を感じ始めて苛立ちを隠せなくなったランディも、一緒になって歩みを止めた。

「妙な感覚だ……。村の方向から”神力”の波動――キラくんだろうか。だが、それ以外にも……何かが入り混じっているような……。これはなんだろうね?」
 白馬に問いかけて、老人は少なからず驚いた。
 何年生きたかも想像のつかない摩訶不思議生物も、幾度も首を傾げているのだ。次第にそのもどかしさに腹が立ってきたらしく、鼻息を荒くし、しっぽをブンブン振り始めた。

「ふむ……。何かが起こりそうなほど強い波動ではないが――とりあえず、急ごうか」
 地面をグリグリとえぐって気を紛らす白馬の脚を叩き、ともに急ぐ。
 グエストの村の小さな門に近づいたところで、村で何やら騒ぎが起こっていることが分かった。門番をしている青年が、森に背を向けてしきりに広場の方を覗こうとしている。

「マテオ。何があった?」
「あ、おかえりなさい、村長……」
 ランディが声をかけている間にも、ユニィがするりと通り過ぎ、騒ぎの中心地へ向かっていく。
 マテオはどう説明したものかわからないようで、白馬の行き先をチラチラと視線を向けていた。
「その……あれ……」
 ようやく口を開いたかと思うと、どこか嫌悪の感情が混ざった様子で、重々しく腕を上げて指差した。

 その先には、案の定、ランディ自身の家があった。ユースのために作った訓練場で、少年が一人でうずくまっている。少しすると家の中から小柄な少女が飛び出てきて、母親を急かす。
 二人で介抱をはじめ……その光景を、村のみなは遠巻きに見つめていた。一人の少年が苦しそうにし、親子がその苦しみをなんとか取り除こうとしているにも関わらず。誰も彼もが、卑しいものを見たというように、ひそひそとささやきあっていた。

 村というものは、余所者という一点で強烈に厄介なものになる。
 それをわかりやすく絵にして見せられた気がして、ランディは深くため息を付いた。
「森の外の人間になれないのはわかるが。人を指でさして『あれ』呼ばわりとは、感心しない」
 自分でも意外なほど、冷徹な声だった。
 しまった、と思ったときには、マテオはかわいそうなくらいに萎縮していた。顔を真っ青にしてうつむき、「すみません、すみません」と繰り返している。

 静かな村の中では、地を這うような叱責はよく響いたらしい。広場でひそひそとしていた村人たちが、一斉に背筋を正していた。
 そんな様子に、ランディは村長として複雑な思いをした。
 当然、皆をよく知っている。顔や名前だけでなく、どんな人柄で、何が好きで、何が嫌なのかも、全て……。マテオやまだ小さな子どもたちに至っては、彼らが生まれる前から知っている……名付け親となった子もいるくらいだ。

 本来、これほど不親切な人間ではない。むしろ、誰かが地面に額を付けてうずくまっていたら、まっさきに手を差し出す。
 ただ、ただ。知らない人間の訳のわからない事態に、恐怖しているだけなのだ。

「……やはり、旅につれていくべきだ」
 いずれ、キラと村の皆との間にあるわだかまりも、時間が解決してくれる。
 だが、”神力”を有しているとなれば、そう悠長な事も言っていられない。この先、何が起こるかも分からず、場合によっては大災害を引き起こす。
 その度に、皆は恐れ……目の前の残酷な光景が繰り返されるかもしれない。
「このタイミングでこの頼りは、幸いだった……」
 懐に忍ばせた手紙を意識しつつ、さあっと開けた道をわたる。

 旧友ラザラスへの手紙を竜ノ騎士団の騎士に託した時。騎士からもまた、手紙を渡された。簡易的な封蝋のされた、真っ白な封筒だった。
 差出人が”奇才のレオナルド”だとわかるのに、少しばかり時間を要した。ここ何年も音信不通で、一つとして手紙をよこしたことはなかったのだ。
 だからか。その内容は、空いた年月を埋めるだけの衝撃的なものだった。

「私が知らないだけで……何もかもが動いてる。ならば私も、腰を上げるしかあるまい」
 うずくまる少年のそばに、膝をつく。いくら声をかけても無駄なのだと、泣きそうになる孫娘の頭をなで、そっと少年に手を伸ばす。
 それと同時に、そばをウロウロとしていたユニィも、首を伸ばして鼻先を近づけていた。
 ともに、少年の体に触れ……。
 ランディは、自らに宿る”覇”を以て、少年の内側で暴走する”神力”を鎮めた。

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