54.剣

 それは強烈な目覚ましだった。
 体の中心が――心臓が――強く、大きく鼓動する。
 眠気が一気に吹き飛び、しかしキラは、まぶたを開くことができなかった。繰り返す鼓動は不気味なほど不安定で、自分のものではないようだった。
 別の何者かが、身体の内側をひたひたと這う感覚がする……。
「う……うぅ……」
 耐えきれそうで、耐えられない。
 苦しみで何もかもがぐちゃぐちゃになりそうだったところ、

「大丈夫? お兄ちゃん?」

 少女の声が、ギリギリのところでつなぎとめてくれた。
 続けて優しく背中をさすられ、徐々に身体中の感覚が戻っていく。足元にかかる布団や、蒸し暑さで少しばかり汗ばむ肌や、窓から降り注ぐジリジリと焦がすような朝日……。
 体の中を掬っていた凍えるような寒さも消えて、キラはほっと息をついた。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん?」
「……聞こえてる。大丈夫だから……ありがとう」
 キラはそう告げて、身体をゴソゴソと動かした。寝返りを打てば、一緒に寝ていたはずのユースがちょこんと座り、泣きそうな顔をしていた。
 今にも涙が零れ落ちそうなほど瞳が潤んでいるのを目にして、キラはさっと体を起こした。

「ほら……。この通り」
「でも……! おじいちゃん、呼んでくる!」
「え……あ……」
 止めるまもなく少女は飛び出していき、キラは呆然とした。
 上がりかけていた腕をたらりと下げ……ふと窓の外へ視線をやった。突き刺すような太陽の光が途絶えたのだ。
 空はどこからともなく流れてきた厚い雲に覆われ始めていた。隙間から覗いていた青さも、またたく間に塗りつぶされていく。
 どこか不安を掻き立てるような曇り空に、キラは無意識に胸を抑えていた。

「キラくん。なにやら体調が思わしくないようだが、大丈夫かね?」
 そう言いながら扉を開けたのは、ランディだった。
 キラが答えあぐねているうちにも、どんどんと部屋に入ってきて、触診を始める。額に手を当てたり、目を覗き込んだり、下のまぶたを伸ばしたり。

「ユースの話では、なにやら胸を抑えてうめいていたということだが?」
「そう、だけど……。もう収まった」
「そうか。しかし、昨日はエーコにも叱られたように、君に無茶をさせてしまった。その影響かもしれない。……すまないね」
「でも……昨日、たのしかった。と、思う」
 老人は、キラの目の前で表情を驚きで染め……それを隠すかのように距離をおいた。いつもの朗らかな微笑みをたたえ、そばにある椅子に腰を落とした。

「そう思えるようになっただけでも良かったよ」
「……?」
「いや、なに。今の君は、やはり本来の君ではないだろうと、確信を持ったというだけさ」
「本来の……」
「しかし、君は君だ。深くは考える必要はない。――さて、そうはいっても昨日はアレほどエーコに説教されたからね。今日は少しばかり趣を変えてみようと思う」
「畑にはいかない……?」
「ふふ、今日は、さ。どのみち、君の弱った身体は鍛え直さねばならん。体力づくりの意味でも畑仕事は最適なんだ。さあ、立てるかい。ユースとエーコが朝食を作ってくれているんだ」

 キラはうなずき……食卓の方から色んな音が聞こえてくるのに気がついた。
 トントン、と軽く木を叩くような音。じゅわっ、と弾けるような音。それから、ユースとエーコの楽しそうな声。
 香ばしい香りも漂ってきたところで、耳慣れぬ音が腹の底から響いた。

「はっはっ。お腹が空くようなら、体調不良も今のところ大丈夫だろう」
 楽しそうに笑うランディを、キラはにらみつけるように見つめた。
 なおも緩む頬を止められない老人にむっとし……しかしそれも、少しすれば馬鹿らしくなり、ベッドからもぞもぞと這い出ることにした。

 食卓は、ランディ家のまさに中心だった。
 五つの部屋で構成されるランディ家のなかでも、居間はすべての部屋につながる真ん中に配置されている。食卓はその居間の真ん中にどんと陣取り、この正方形のテーブルを皆で囲うのである。
 ユース、エーコ、ランディ。その一家団欒に入り込む形で、キラは食卓についていた。

「いただきます……」
 手を合わせてつぶやき、目の前に並ぶ三つの皿をじっと覗き込んだ。
 一つの皿には、目玉焼きとサラダが乗っている。もう一つには輪切りにされた丸パンが二切れとバターが少量。最後の一つは、コーンポタージュ。
 ふむ……とキラはつばを飲み、最初に丸パンに手を付けた。バターをたっぷり全面に塗り、かじりつく。

「どうだい、うまいだろう? ロットの村のパンなんだ」
「うん……おいしい」
 真正面にいる老人に頷きつつも、食べる手が止まらない。
 サックリとしつつも、中身は柔らかでもちもちとしている。腹を優しく満たすおかげで、あっという間に一つを平らげた。
 もう一つに手を伸ばしたところで、隣に座るユースと斜向いのエーコの様子に気がついた。

「……たべないなら、ほしい」
 そういうと、二人ともぎょっとして首を振った。
「だめだよ、お兄ちゃん! 私も好きなんだから!」
「ごめんね、キラくん。ただ……元気になったみたいで、良かったなって思っただけ。ね、ユース――って、またそんな食べ方して!」
 優しげな表情から一変して、キッと眉が釣り上がるエーコ。見れば、ユースはパンに目玉焼きをのせて、一緒にもぐもぐと食べていた。
 キラは、雰囲気を尖らせるエーコから視線をそらして、こっそり少女のマネをしてみる。目玉焼きを、パンの上へスライドさせる。

「ふっふ……」
 老人には気づかれたが、娘に気を取られていたエーコには最後まで気づかれなかった。
 娘を叱る母親と、母親に逆らい食べすすめる娘。次第に、ふたりともムキになって言い合いになり、やんやと騒ぎになりかけたところで、キラはふと呟いた。

「そういえば……。ユースのお父さんとおばあちゃんは?」
 それはまるで、忌み嫌われる呪いの言葉のように。空気が固まった。ユースもエーコも口を閉じて戸惑い、老人もコーンポタージュを掬うスプーンの手が止まる。
 あまりの雰囲気の変わりように、キラも口を閉じ……老人のしわがれた声にびくりとした。
「かつては神にすら祈ったが、まあ、所詮神は神だよ。いやしない」
「神……」

 ランディが吐き捨てるようにこぼした言葉を、キラは拾い上げた。口の中で幾度かつぶやき、
「僕も……。優しい神様は知らない」
 すると今度は、自分の知らないうちに知らない言葉が漏れ出た。
 はっとして顔を上げると、老人が驚いたように目を見開いていた。ユースもエーコも、なぜだか悲しそうに眉を歪め、今にも泣き出しそうになっていた。

「大丈夫だよ、お兄ちゃん! 神様が優しくなくても、私は……この村のみんなは優しいから! だから、ほら、パン一つあげる!」
 ぐっぐっと椅子を移動させたユースは、身体を寄せて、自分の皿から残っていたパンをよこしてきた。
 キラは、自分の目の前に置かれたパンに目を落とし、頬を緩めた。そっとユースの皿に戻し、その手で真っ黒な髪を撫でる。

「ありがとう……。僕も、変なこと聞いた」
 すると少女は、頬を紅潮させながら喜び、にこやかに頷いた。
 手を離そうとすると、驚くほど素早い動きでガシッと捕まえ、「そのまま!」とでも言うように見つめてくる。
 キラは再度頬を緩め、ユースの気の済むようにし……ランディやエーコの生暖かい視線に気がついた。

「……なに?」
「なんでもないわよ、キラくん。どうかユースと、仲良くしてあげてね」
「うん……」
「それはそうと、ユース。それとお父さんも。昨日のこと、キラくんにお礼言ってないでしょ」
 エーコの厳し目の口調は、なぜだか先程までの和やかな空気を呼び寄せた。
 それが、彼女が尖った言い方ながらも少しばかり冗談めかしたせいか。あるいは、ユースとランディが大げさなほど「あ!」という仕草を見せたからか。
 ともかくキラは、そんな一家の様子に安堵していた。

「そうだった……! お兄ちゃん、昨日はありがとう。かっこよかった!」
「……どういたしまして」
「私からも礼を言うよ、キラくん。昨日は君にとんだ負担をかけてしまった……すまなかった」
 とびきり可愛らしい笑顔を見せるユースとは対称的に、ランディは表情も見えないほど深く頭を下げた。

 その様子にキラは戸惑ってしまい、そこへ、たまらずといったふうにエーコが口を挟む。
「ちょっと、お父さん。キラくんが困るわよ、そんなことしたら」
「娘にこっぴどく叱られて顧みたのさ。――ところで、キラくん、ユース。早いところ食べ終えてくれるかね。キラくんに渡したいものがあるんだが、何分、食事中にはね」
「えっ、なんだろ。お兄ちゃん、早く食べよ!」
「こら、ユース! 落ち着いて食べないとこぼれるでしょ! お父さんも、なに急き立ててるの!」
「おぉ……父親の威厳がすり減る」

 キラはユースと一緒になってサラダをかきこみ、コーンポタージュを飲み干した。
 叱っても変わらない結果にエーコがため息を付き、しかしどこか嬉しそうに食卓をかたしていく。流し台の前で袖をまくり、人差し指を立てて、水の玉を浮かび上がらせる。
 目の前で巻き起こる魔法現象にキラがぎょっとしている間にも、エーコは機嫌良さそうに皿洗いを済ませていく。
「ユースは野菜嫌いでね。珍しく完食したくらいなんだよ」
「う〜! そんなこといわなくていいじゃん、意地悪!」
「ふふ、ごめんよ」
 ランディは謝りながらもクスクスと笑い、つと立ち上がった。

「ちょっと待っててくれ。今、渡したいものを持ってくるから」
 そうして老人が席を離れている間に、エーコも片付けを済ませ……居間に姿を表した彼が持っているものに、びっくりした声を上げた。
「お、お父さん……! それ……」
「うむ。”ペンドラゴンの剣”だ。キラくん、これを君に譲ろう」
 老人は椅子に腰を下ろして居住まいを正し、剣を渡してきた。
 ユースとエーコが息を呑む中、キラは彼女たちの様子を不思議に思いながらも、両手でそっと受け取る。
 ずしりと両手にかかる重さに、どこか心地よさを覚えた。

「ああ、やはり……」
「……?」
「薪割りといい、魔獣と対峙して逃げなかったことといい……君はどうやら、根っからの剣士らしいね。受け取り方も扱い方も、素人ではありえない丁寧さだ」
「そう、かな……」
 キラは複雑な気持ちで、手のひらに乗った剣に視線を移した。

「その剣の銘は”ペンドラゴン”。”不可能を可能にする男”を自称する一風変わった鍛冶師に打ってもらったものさ。彼曰く、彼の打った残り十二の武器以外では刃こぼれもしないそうだから、きっと君の力になってくれる」
「”ペンドラゴンの剣”……」
 キラには、ただの剣に見えた。
 剣を包み込む鞘は革製で、なにか際立った特徴があるわけではない。
 しかし、少し引き抜けばちらりと覗く剣は、鋭い光を放っていた。剣の腹の輝きはどこまでもまっすぐで、一切の歪みもたわみもない。刃も同じくらいに真っ直ぐ煌めき、触れただけでもすっぱりと切れそうだった。

「本当に、いいの……?」
「私には刀があるからね。それに、この家のお守りとして置いておくにはもったいない代物だ。それに……万一何かあった場合には恐ろしくもある。扱いには、くれぐれも気をつけるんだ――もしかしたら、君にいらない世話かもしれないが」
 冗談めかして笑う老人は、しかし、いやに鋭い目つきをしていた。
 キラは剣を鞘におさめ、しかと頷いた。

「ありがとう。――さて、私は少しでかけてくるよ。ロットの村まで、手紙を出しにね」
「おじいちゃん、お土産!」
「む? ――ああ、そうだね。何かとびきり美味しいものを買ってくるとしよう。ちょうど、王都との定期取引がある日だから」
 老人はにこやかに言うと立ち上がり、背もたれにかけていた外套を羽織った。それからエーコと一言二言言葉をかわし、ユースの黒髪をくしゃくしゃとなでてから出ていく。

 そこでキラは、黒髪の少女の表情に注目した。
 それまでワクワクとして楽しそうだったというのに、見る陰もなく沈んでいた。恨めしそうに剣を睨んだかと思うと、うつむいて表情すら見せなくなる。
「ユース、”ペンドラゴンの剣”をもらうんだ、って頑張ってたもんね」
 エーコが困ったようにほほえみ、娘の頭をなでた。少女はうつむいたままわずかに頷き……しかし、少ししてから首を振るう。
「でも……。私、まだまだだから。魔獣を前にしたら逃げたくなったから。たぶん、私が持ってても駄目。――一歩も引かなかったお兄ちゃんが、一番似合う」
 ユースはそう断言したものの、諦めきれていないのは明らかだった。

 だからこそキラは考え、即座に決めた。
「じゃあ……。ユースが、ちゃんと頂戴って言えるようになったら。あげるよ」
 少女の変わりようは劇的で、見ものだった。
 パッと反射的に上がった顔つきは呆けていて。言葉の意味を理解すると同時に、抜け落ちた感情が戻ったかのように、ぱっと晴れやかになり。
 感極まったように目を潤ませ――飛びついてきた。

「おっ……?」
「お兄ちゃん、ありがとう! 大好き!」
 そのいきなりの行動に、キラは受け止めることしかできず。一緒に椅子から転げ落ち、どどんっ、と派手な音を響かせた。
「ユース! 危ないでしょ!」
 黒髪の少女は母親の説教に構うことなく、すりすりと頭を擦り付けてくる。
 キラはじんじんと痛む背中を気にしつつも、彼女のやりたいようにやらせた。

「頑張るから。胸張って『ちょーだい!』って言うから」
 明るく、そして、悔しそうに。
 ユースは胸に顔をうずめたまま、くぐもった声で言った。

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