53.手紙

 ぼとりぼとりと土の塊がおちていき……それとともに、ずんぐりとした黒い虫も一緒に落ちる。
 もぞもぞと雑草の抜けた穴でもがく姿を見て、
「ひょ」
 と、キラは口をすぼめた。
 ぴしりと固まり、手から力が抜けて雑草を取り落とす。

「ぷ、ふふ……っ。お兄ちゃん、虫苦手なの?」
「……そうみたい」
「意外――でもないかな。アレックスのおじちゃんも、大人なのに女の子みたいな悲鳴上げるし」
「じゃあ……普通?」
「そうかも。私も、実はあんまり好きじゃないの。――だから、こうやって、なんにも考えないで次々やってくのが良いよ」

 ざくっ、ざくっ、と。ユースは拙いながらも小さな手でスコップを巧みにあやつり、土を掘り起こしていく。
 そうして雑草を引き抜き……ピタリと止まってしまった。
 キラが見つめていると、黒髪の少女は伏し目がちにおずおずと尋ねてきた。

「えっと。何も、覚えてないんだよね?」
「……うん」
「お母さんとかも?」
「うん……」
「恐くないの? だって……」
 少女がためらい飲み込んだ言葉を、キラはなんとなく理解できた。

「……恐い」
「そう、なの?」
「なんだか……寒気がする。それがイヤだ」
「寒気……。じゃあさ、私が一緒にいたら、寒くなくなるかな」
「さあ……。そうだと、いい」

 キラが頷くと、ためらいがちで怯えているようでもあった少女から、またたく間に震えが消え去った。
 ジリジリとにじり寄り、さっきよりもより近い場所でスコップを手に草刈りを再開する。
 隣の家のお姉ちゃんがどうとか、村一番の剣士は誰だとか。ユースの他愛もない話を聞き、キラは時折相槌を打つ。
「あ! みんなに自己紹介、してなかったよね」
「……うん」

 そんなことを繰り返していると、周辺の木の根や雑草はあらかた取り除かれ、一つのこんもりとした山が出来上がっていた。
「これね、あとで持って帰るんだよ。薬とか肥料にするの。お茶になるのもあるんだよ」
「……おいしいの?」
「フツー。やっぱり王都から届いたお茶のほうが美味しいもん」
「王都……?」
「おじいちゃんが昔住んでたとこ。すっごく大きな街なんだって! 色んな人がいて、色んなものがあって……私、いつか絶対に行くの!」

 ぴょん、と立ち上がったユースにならい、キラも膝をついていた地面から腰を浮かす。
 固まった腰をぐっぐっとそらしつつ、あたりを見回す。
「あれ……?」
「おじいちゃん、いないね。どこいっちゃったんだろ」

 発展途上の畑には、白馬のユニィが外周をなぞるように歩いているだけで、ランディの姿がなかった。
 ユースは不思議そうにつぶやき、ぱっぱと手や膝についた土を払う。それからキラの身の回りを確認しつつ、同じように汚れを取り払ってやる。
 そうして白馬に駆け寄り、鞍に取り付けていた革の鞄を外す。

「……?」
 かばんを手に戻ってくる少女を横目に、キラは森の方へ目を向けた。
 何かを感じたのだ。ぴりぴりと肌のちりつく何かが、木々の奥から波のように押し寄せた。
 だが、視線の先にあるのは壁のようにそびえる木々のみ。生ぬるい風でざわついているだけで、他になにもないように思えた。

「お兄ちゃん、どうしたの?」
「……いや」
「そ? 喉乾いてない? 水筒あるよ」
「もらう……。……!」
 キラは首を振り……ユースの方を向いて、ぎょっとした。
 白馬のユニィが少女にピッタリ追従していたのだ。まんまるな黒目で真っ直ぐに見つめ、目があうやいなや、森の方へ視線をそらす。

 ユースも背後にのっそり立つ白馬に気づいたらしく、小さな悲鳴を上げた。
「ユニィ、どうしたんだろ。いつもはそこらへんを勝手に歩き回ってるのに。今日に限って、こんなそばに寄って……草抜きがやりにくいよ」
「ねえ……。ほかに、畑は?」
「村の中にはあるけど、この畑みたいなのはないはず。だから……。ほんと、おじいちゃん、どこ行ったんだろ?」

 するとその時、白馬が鋭くいなないた。
 空気を叩くような甲高い声に、ユースとともにキラも硬直した。
「もう、ユニィ! なんで急に――」
 白馬を睨むユースとは違い、キラは白馬が顔を向ける方角へ目を向けた。

「ユース。あれは……?」
「え――ウ、ウルフェン! 魔獣!」

 五匹の獣が、森の奥から木々の間を抜け、畑へ飛び出てきた。
 迫ってくる獣たちが一体なんなのか。いち早く理解したユースは、恐怖で体をこわばらせ、動けなくなっていた。
 それを視界の端に捉えていたキラは――なにかに釣られるように動いた。
 素早く少女を抱えて、その場を飛び退る。
 間一髪、唸り声とともに襲いかかる魔獣の攻撃を回避。その直後、ドンッ、という音が聞こえ、震える少女を下ろして背後を振り向く。

「……? 四匹、だった?」
 震える少女を下ろし、キラは振り返って目にした光景に首を傾げた。
 襲いかかってきた狼がいたはずだが、その場所には白馬のユニィが立っていた。ブルルンっ、と鼻息を響かせ、頭を振りつつ近寄ってくる。
 何事もなかったかのような白馬を凝視し……キラは無意識に体を動かしていた。

 薪割りをしたときと同じだった。誰かに体を乗っ取られているように、意図せず足と手が動く。
 そうして勝手に四匹の魔獣の前に立たされ――しかし、そこから逃げる気はなかった。
 気分も気持ちもすこぶる悪いが、妙なことに、キラは動く身体に同意していた。

「お兄ちゃん! 何してるの、逃げなきゃ!」
「嫌だ」
 きっぱりと言って、キラは続けた。
「ユニィに乗って……村へ」
「なに言って――え、ユニィ!」

 小さな悲鳴に、ちらりと振り向く。
 ユニィが腰の抜けたユースの服を咥え、さも当然のように背中に乗せたのだ。それから、フンと鼻を鳴らし――束の間、目を合わせたかと思うと、くいと顎をそらした。
 まるで「こっちだ」とでも言うかのように。先程肌のちらついた方向へ走っていく。

「へんな馬……」
 キラはつぶやき、視線をもとに戻した。
 残った魔獣は四匹とも、気を取り直したようだった。それまで白馬の存在にしっぽすら巻いていたというのに、いなくなったのを確認するや毛を逆立てる。
 血走る目に、覗く鋭い牙、顎から垂れるねとりとしたよだれ。

「……来る」
 持っていたスコップを瞬時に逆手に持ち替え――真っ先に飛びかかってきた一匹に向けて、鋭く振るった。
 牙と爪が届く前に腕を振り切り、獣の口端から頭を真っ二つにえぐる。
 どさりと亡骸が地面に衝突すると同時に、スコップの柄が折れる。

 キラは目を細め、勝手に動く身体に従った。
 すでに動き出し、空中へ飛び出そうとしている二匹目に対し、突っ込んだ。
「んッ……!」
 空中から躍りかかろうとするその下をくぐり抜け、残りの二匹の元へ。

 すでに魔獣は身構えている。一匹は姿勢を低くして唸り、一匹は前のめりになって吠えている。
 キラは駆ける勢いそのままに、小さな石を蹴飛ばした。
 ピュン、と鋭く礫が飛んでいき、姿勢を低くしていた方の鼻っ面に刺さる。ぎゃん、と喚く狼。その鳴き声に、隣にいたウルフェンがわずかに動揺を見せる。

 その一瞬の隙をつき、猛進する。
 だが魔獣も、呆然としているほど間抜けではなかった。
 すぐに、臨戦態勢に入る。だけではなく、地面に足を食い込ませて、突進してくる。

「ふ……っ!」

 全ては、予想し得たことだった。
 だからこそ。前方から迫りくる魔獣と、背後から猛追する二匹目をぶつけることにした。
 前後からの攻撃が届く直前で、パッ、と横っ飛びに避ける。
 急な方向転換に、魔獣二頭はろくな対処もできず、絡まるようにして衝突した。
「よし……っ」
 二匹の悲鳴を背に、キラはそのままユニィの走り去った方向へ急ぐ。

 残った魔獣三匹とも、ダメージを与えただけ。
 できれば相手をして排除したいところだったが、身体は限界を迎えていた。走る足は重く、息をする度に肩や横腹がひきつる。
 森の中へ逃げ込むことができれば……。
 だが、そう思ったところで、キラは走る足を緩めていた。
 なぜなら――。

「よくやった」

 凄まじい勢いで、ランディが隣を駆け抜けたのだ。
 背後を振り向いたときには、すでにすべてが終わっていた。魔獣たちは、その場から動くことも許されず、首を切って落とされていた。
 凄惨な光景にキラは肩の力を抜き、へたりと地面に腰を落とした。

   ○   ○   ○

 『はずれの畑』にウルフェンが現れる少し前。
 木々に囲まれ、ランディは”大鬼”オーガと対峙していた。
「はあ、まったく……! 私も老いたな」
 木をも軽々ともぎ取る”大鬼”は大柄で、それに相対する老人はその腰元にも及ばない。ただ、力量の差はその逆であり、天と地ほどの差がある。
 だからこそ”不死身の英雄”とランディは讃えられていた。

 が。
 血を流していたのは、老いた英雄だった。
「想定外の気配をたどれば、想定外の会敵……。こんなことは、昔はしょっちゅうあったというのに。――油断では済まされない”衰え”だ」
 大鬼は、己の有利な立場にニタニタとし……うつむきがちだった老人の顔が上がった瞬間、びくりとした。
 怯えて、震えて、足腰も立たなくなる。

「君はどこから来たか……なぜここにいるのか。色々と聞きたいが、答えてはくれないんだろう? なにせ魔獣で、非知的種族で、人類の敵だ。だから――」
 縮こまる”大鬼”はランディの背丈よりも低くなり……老人は、迷わずその首を落とした。
 ヒュン、と唸る刀の切っ先から、ぽたりと紅い雫が垂れる。

「ああ……嫌な気分だ。なんの因果だろうか、こういうものを感じるときは、たいてい君ら帝国が関わっているものだ」
 ランディは物言わぬ肉塊から、いっときも視線をそらさなかった。

 胴体から離れた”大鬼”の頭は、死してなお怯えるかのごとく、小さく震え……どろりと形を失っていく。そうして黒い液体となって、地面へと吸収される。
 巨大な身体も同じだった。ニチニチと、筋骨隆々な身体が崩れていき、ランディの目の前から跡形もなく消え去る。
 ”地喰い現象”。命を落とした魔獣は、例外なく、大地に飲み込まれるのである。

「レオナルドが言っていたか。『呪われた獣は、魂を洗われ輪廻転生することなく、地に還る』……ゆえに『空を飛ぶことも、その場所を離れることも、ましてや自由な生をまっとうすることなど、できやしない』。どういうことだろうね?」
 老人が投げかけた言葉は、姿なき骸に届くはずもなく、宙で脆く崩れていく。
「オーガは、本来この森にはいないはず。ということは、どこからか連れてこられたということであり、その目的はほぼ間違いなく……私だろう」

 ランディは、つかの間、目を閉じた。
 雪と寒風がよく似合う、石造りの都が思い浮かぶ。
「魔獣を操る力に、それを瞬時に移動させる力。どちらも魔法ではなし得ない力だ。――あの帝国に、”授かりし者”が二人もいるということだ」

 もう一度刀を払い、慣れた手付きで鞘に収める。
 チンッ、と甲高い音が響いたところで、ランディは再び目を開けた。
「私の時以上に、あの都で、厄介なことが起きる気がする。いや……すでに起きているのか。だとしたら――」
 そこで、老人は言葉を切った。
 一瞬だが、微弱な”力”の波動が肌を伝ったのだ。
 素早く意識を傾けてみたが、すでに消え去った跡だった。

「私ももう一度冒険をしなければ。久々に、手紙でも出しておこうか」
 老いた身体には見合わない俊敏な動きで、ランディは駆け出す。
 その口元は、少しばかり、緩んでいた。

 ウルフェンに襲われかけたキラを助け、ユニィとともに姿を表し泣きじゃくってやまないユースをあやし。畑の整地を後回しにして家へ帰って、エーコにあらましを説明し……。
 驚いたことに、全てが終わったときには夜も更けていた。

「説教と言い負けん気と言い、エーコも誰に似たのやら……。まあ、私が悪いんだが」
 老人は疲れたように呟き、部屋に入った。
 月明かりも雲に隠れていては、もはや足元も見えないくらいに暗かった。手に持つ蝋燭を掲げればボンヤリと照らしてはくれるが、魔法で作られた明かりほどではない。

「念の為、キラくんにはユースと同じ部屋で寝てもらっているが……。気がかりなのは”治癒の魔法”が効かなかったことだ。十中八九、”授かりし者”なんだろう……因果なことだ」
 少年が真っ裸で倒れているのを発見し、家へ連れ帰った時。身体に外傷は見当たらなかったものの、念の為にエーコが”治癒の魔法”をかけた。
 傍目には、外傷がなかったために魔法が霧散したように見えた。実際、エーコもユースも、ホッとした様子でそう思い込んでいた。

 が、ランディの目には、全く別の現象として映っていた。
 魔法が単に効果を発揮しなかった時、魔法の光はしばらく停滞した後にしぼむようにして消えていく。
 ただ、今回の場合、魔法をかけた直後に魔法の光が弾かれていた。吸い込まれることも停滞することもなく、まるで磁石が反発したかのように、身体から離れていったのだ。
 似て非なるもの……どころの話ではなかった。

「”神力”は”魔力”も”魔素”も、ほとんど弾いてしまう。実際は、人が人として生きている時点で、”魔力”も”魔素”もなければならないものであるからして、すべてを拒絶しているわけではないのは明らかであり……。だったかな」
 ランディは昔を懐かしみ、薄暗い部屋の中を歩く。
「レオナルドに手紙を出したいところだが……送ったところで届くかどうか。最近は音沙汰ないし、その上……帝国を拠点としている。住んで食えればどこでも良いとは言っていたが……愛国心が隠せていないんだよ」
 語りかけるように、つぶやく。そのままベッドに向かうことはなく、隅にある本棚をガサゴソと探していく。

「となれば、先にラザラスだ。仮にも現国王……ちょっとはマシな便箋を使わんと、私が恥をかく」
 その昔、『英雄から手紙をもらったとみんなに自慢したい!』というくだらない理由から、当時まだ第三王子だったラザラスからもらった便箋や封蝋や羽ペン……。本棚の天井近くに木箱にしまっておいたそれを、そっと引っ張り出す。

「さて……。どう書いたものかな」
 便箋一式をテーブルに置き、椅子に座って腕を組む。
 しばらく目をつむり考えてから、羽ペンを手にとった。
『君のことだから、この手紙を受け取った時点で差出人に察しが付くだろう。だから、あえて名を記さないことにするよ――”英雄からもらった手紙だ!”などと騒がれては、少々困ってしまうのでね』

 そこで再びインクにペン先を満たし……手紙を見返して苦笑した。
「我ながら、なんと下手くそな字だ。その点で言えば、ラザラスはさすが王族だったな」
 せめて読めるようにしなければ、と少しばかり気合を入れて続きを綴る。
『早速本題に入ろう。私のもとに、おそらくは帝国から刺客を送られた。それも魔獣――この異常性を、私とともに多くの冒険を重ねた君なら、理解できると思う』
 ランディはふと手を止めて、顔を上げた。
 静かな夜だった。村の中も外も、何も異常はない。

『君の言い方を借りるならば、”ということで村を出ることにした”。そうはいっても、一筋縄では行かないだろう……なにせ、”ねちっこい連中”だ。私の行動を逐一監視しているに違いない』
 かりかりと、ペン先が羊皮紙を引っかく音が室内を支配する。
『村に何かあっては一大事だ。だから、彼らの視線を私に向けておきたい』

 しばらく、目をつむって考える。
 帝国が動き出した理由と、その目的を推察する。
『竜ノ騎士団から使者を送ってくれたら、それが一番だろう。来る戦争に備えて、”不死身の英雄”の力を借りたいだとか、そういう理由を作って』

 そして今度は、スラスラとペンが動き出す。
『ただ、すぐにではない。一週間後を目処に、村に使者が到着するようにしてほしい。私にも少しばかり時間が必要な理由があるのでね』
 徐々に、徐々に。小さな火を灯すろうそくが、短くなっていく。

『というのも、とある少年を保護したのだ。記憶喪失の少年だ。どういうわけか”授かりし者”であり……おそらくは、私の同郷の人間だ。放ってはおけない。帝国が動いている――君たちの方も状況が切迫しつつあるだろう。だが、一週間、私に時間を分けてほしい。少しでも、導かねば……一秒を生きるのにも迷う彼を』
 ランディは、ふう、とため息を付き、しわがれた手をみつめた。

 目を細め、それからそっとつむり……目を開けて、締めくくりを綴っていく。
『もし彼に会うことがあったら、融通を利かしてやってほしい。彼も私とともに旅に出て、王都に着くことになるだろうから。一生のお願いだ。――追伸。君の”一生”はものすごい数だったな』
 そこまで書ききってから、もう一度全文をチェックする。

 どう頑張っても汚いままだった己の字に苦笑しつつ、便箋を封筒に入れる。封蝋をろうそくで溶かし、印璽を押し付ける。
 少しばかり高級な封筒に、王家の意匠の施された封蝋があるだけで、ずいぶんと厳かな雰囲気が出ていた。

「明日にでもロットの村に行かねばね」
 蝋燭の火をつまんで消そうとして……ランディは、ふと腰にかかる重さが気になった。
 立ち上がったところで、己の存在を主張するかのように、ベルトにつけていたこぶりなポーチがぶら下がったのだ。

「”旧世界の遺物”……」
 それは、ここ何十年と、お守りとして肌身離さず持っていたものだった。
 歳を重ね、見聞を広め、あらゆることを経験したが……改めて手にとって見ても、やはり不可思議な代物だった。
 蝋燭の明かりに照らし、まじまじと見つめる。
「”聖地”に眠る”石版”と似た”何か”をもつもの……。私には必要がなかったが、それでも”授かりし者”として助けられていた感覚はあった。……まさか、ね」

 束の間。小さな”旧世界の遺物”を譲り渡してくれた青年を思い出していた。

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