52.動く

 黒髪の可愛らしい少女は、「お母さんに言ってくる!」と嵐のように去っていった。
 家の中から少女の甲高い声と、母親の落ち着いた優しい声とが交互に響いてくる。
「さて……。スープ作りは意外と時間がかかるようだからね。部屋に戻ってもいいが、どうする?」

 キラは老人の優しげな視線を受け止め、ちらりと目をそらした。
「……その斧は?」
 見たのは、地面に横たわる斧だった。
 こぶりな刃を持つそれは年季が入っているようで、持ち手が摩耗していた。

「ああ、これかい。薪割りに使ったものだが……興味あるかね?」
「うん……」
「よし、では見ていなさい」
 老人はすっくと立ち上がり、斧を拾い上げた。納屋から手頃な薪を持ってきて、それまで座っていた切り株に縦にして置く。
 年を感じさせない立ち姿で斧を振り上げ――思い切りよく薪に刃を突き立てる。
 すこんっ、と心地の良い音を響かせ、円柱の薪は真っ二つに割れた。

「これがなかなかに運動になってね。年寄となった今では、村の皆のぶんも……うん? やってみたいかね?」
 キラは、自分でも驚くほど、自然と立ち上がっていた。ふらつく身体をゆっくりと動かし、切り株のそばに立つ。
 突き刺さったままになった斧を、じっと見下ろした。
 そうしていると、なにやら思慮深気なため息を付いた老人が、再び納屋から薪を持ってきた。

「ちょっと意地悪だが、試させてほしい。君が斧に興味を持ったのか、それとも薪割りに興味を持ったのか……知っておきたいのでね」
 そういって、ランディは突き刺さっていた斧をぐっと引き抜き、代わりに薪を置いた。直立するそれは、先程のものとは違い、すぐに倒れそうなくらいに細いものだった。

「くれぐれも、無茶はしないようにね」
 キラはゆっくりと頷いて、ランディから斧を受け取った。
 老人が少し離れたのを見て、斧を構える。体重が落ち筋力も抜けてしまった身体では、ちょっと動かしただけで斧の重さに振り回される。

 だが。
 振り上げた刹那。
 キラは、ざわりと肌を撫でる何かを感じた。
 それは、自然に、不自然に。身体を、腕を、手を――動かす。
 トンッ、と。斧は薪の中心を裂き、二つに分かたれた木片が宙を舞っていた。

「ほう……! これは想像以上……!」
 驚きで言葉をなくすランディとは対称的に、キラはだんまりとしていた。
 突き刺さった斧を離し、両の手のひらに目を落とす。
 一瞬だけ、豆だらけの手のひらを連想し……しかし、実際には剣を握ったこともないような柔らかな少年の手だった。
 回転し始めた頭の中に、ぼんやりと言葉が浮かび上がる。

「僕は……?」
 言葉の続きが、かすれた喉で押しつぶされる。
 呆然としていると、ドンッ、となにかに背後から押された。なすすべもなく地面に突っ伏すところで、老人に救われる。
「おっ……?」
「とと、危ない――こら、ユニィ! 病人を後ろから突くやつがあるか!」

 いつの間にやら、白馬が背後に忍び寄っていたのだ。
 奇妙な鼻息とともに、頭を何度も上下させている。その様子は、怒鳴り返しているようでも、老人に何かを訴えかけているようでもあった。
「はあ……わかっているさ」
 老人も、その意図を正確に汲み取ったかのように、ため息を付いていた。

「キラくん。君がこれから何をするか、何をしたいかに関わらず……体を動かしておいたほうが良いと思うんだ。寝込んでいるだけというのも、なかなかつらいだろうしね」
「……?」
「そこで、だ。今、村の外で畑を作っていてね……『はずれの畑』とでも言おうかな。それを手伝ってはくれないかい?」

 キラは少しの間だまり……老人に向かって頷いた。
 何か考えたわけではなかった。何かを思いついたわけでもなかった。
 ただ、どうしようもなく湧き上がる『体を動かしていたい』欲求に、突き動かされたのだ。

「よし。それじゃあ――」
「不穏な会話が聞こえると思ったら――お父さん!」
 ランディが肩をビクつかせ、ぎこちなく声のした方へ顔を向けた。
 見れば、肩を怒らせたエーコが近づいてきているところだった。その後ろの方で、ユースが扉に隠れるようにして怯えている。

「この子は……キラくんは、安静にしてなきゃ駄目でしょ!」
「い、いや、しかし。さっきは、それは見事な太刀筋で薪をだね……!」
「さっきの薪割りの音……キラくんに斧握らせたのっ?」
「あ……! 彼が自分から希望したんだ。だから、なにか分かるかと……!」
「今はそれどころじゃないでしょ! ご飯食べてしっかり栄養つけないと――お父さんがいつも口酸っぱく言ってるんじゃないの!」
「おぉ……。だけど、ほら、キラくんも畑に行きたそうにしてるし、ユニィもこんなに張り切ってるんだし」
「こんなときだけユニィちゃんをつかわない! だいたいね――」

 ここぞとばかりに父親に説教を始めるエーコと、完全に萎縮して頷くだけになったランディ。そして、どこか楽しそうに二人の周りをぐるぐると歩き始めるユース。
 そんな三者三様の様子を目の当たりにして、キラはほんの僅かに頬を緩めた。

 どうやら、エーコは厳しくも甘い人のようだった。
 翌日。キラが握り飯を食べるようになると、ランディがここぞとばかりに「はずれの畑へ……」と話を切り出し。キラも言葉少なに同行の意思を示すと、エーコは簡単に折れたのだ。
 そうして、キラはランディとユースとともに村の外へ繰り出したのだが……。

「キラくん。やはり、ユニィに乗ったほうが良いんじゃないかい?」
 森の中は魔境だった。
 密集した木々が地面に太い根を下ろし、土の中にまで細かく這わせている。少しでも油断すれば足を取られる。それだけでなく、頭上にだらりと垂れ下がる鋭い枝にも注意を払わねばならない。

 森の中で一歩足を踏み出すたびに、体力がガリガリと削られ、いつの間にか二人と一匹と距離が離れてしまっていた。
 ランディとユースが心配そうに足を止めて振り向き、そこでようやくキラも追いつくことができた。木の幹に手を当てて、なんとか体を支える。

「ユニィに……乗る……?」
 息を切らしながらつぶやくと、少女が元気よく答えた。
「そうだよ! ユニィってば、めちゃ速いんだから! ピュン、ってひとっ飛びなんだよ!」
「……落とされない?」
 キラがそう聞くと、それまで上機嫌だった白馬が「なんだとっ?」とでもいうように、地団駄を踏んだ。頭を左右に振って、いらだちを顕にする。

 その様子に、ランディがここぞとばかりに笑い声を上げた。
「ふっふ! 確かに、キラくんは目が覚めた直後から散々な目に合わされたからなあ。第一印象は大事だ」
 すると白馬のユニィが、文字通り老人に噛み付いた。
 ギラッと目を細め、歯茎をむき出しにして、老人の肩に噛み付く。

「しかし、安心すると良いよ。人を背に乗せて落とすような馬鹿な真似は、いくらユニィもしないさ。――本気噛みはやめなさい、馬鹿者!」
 老人がなんとか白馬の鼻面を引きはがしたものの、ユニィも負けじと歯茎をむき出しにしてかみつこうとする。
 人と馬の奇妙な喧嘩に、さすがのユースも半笑いで呆れていた。

「そうだ、お兄ちゃん」
「……お兄ちゃん?」
「うん。何も覚えてなくても、絶対に私よりも年上だから。……いや?」
 恥ずかしさと緊張とでこわばった顔つきで、ユースが見上げてきていた。
 その純粋な視線を受け止め、キラが頷いてみせると、少女の顔つきはぱっと晴れやかなものとなった。

「じゃあさ、お兄ちゃん。一緒にユニィに乗ろう?」
「うん……わかった。……ありがとう」
 お礼を言うと少女ははにかんだ。照れたように視線がそれ、頬も口元も緩む。
 すると、不思議なもので……。キラも釣られて頬が緩んだ。
「あ! お兄ちゃん、初めて笑った!」

 喧嘩していたはずの老人と白馬が、パッと振り向き。同じように目を細めて中止し、そして、また同じように目をまんまるにする。
 キラは二人と一匹の視線に気圧され、そろりと目をそらして呟いた。
「……わからない」
「ふふ! それで結構。我々が分かっていれば十分さ。――さ、ユース、手を貸そう。キラくんはその後ろだ」

 老人を先頭に、白馬がゆっくりと歩き、その背でキラはユースとともに揺られる。
 腕の中にすっぽりと入ってしまった少女は、これまで以上にるんるん気分で、上機嫌にいろんな事を話してくれた。
 グエストの村のことや、森のこと。最近はどれだけの種類の山菜を取れるかに挑戦しているだとか、きのこの栽培もやってみたいだとか。
 ただ、大半は剣の訓練についてだった。

「ユースは……なんで、剣士に?」
「もちろん、魔獣をやっつけるためだよ!」
「まじゅー……って?」
「悪い動物だよ。見かけたら絶対に襲いかかってくるし。みんなもそれで怪我したりして……だから、私も追っ払いたいの!」

 それまで静かに耳を傾けていたランディが、笑いながら話に割って入った。
「それには、まず魔法を学ばねばね。ここの魔獣は、剣の腕だけでなんとかなるほど甘くはないぞ?」
「でもおじいちゃんは、スパッ、て!」
「じいちゃんは戦い慣れているのさ。真似するものじゃないよ。……それとも、ションののところのキャシーに置いていかれてもいいのかい?」
「うう……! お、お兄ちゃんが、一緒に勉強してくれるなら!」

 腕の中でグルンっと振り向く少女に、キラはビクリとした。
 そのあまりにも真剣な眼差しに、二つ返事で答えようとして……視界の隅に入ったランディの表情が気になった。なぜだか、気まずそうな顔つきをしている。
 だが、視線を向けると、何事もなかったかのように朗らかな笑顔を浮かべていた。

「お兄ちゃん……だめ?」
「……いいよ。僕も……まほー、知りたい」
「ふむ。これは、じいちゃんものんびりしていたら追い越されるかも知れないな。――さて、『はずれの畑』に到着だ」
 老人が指し示した先は、ぽっかりと円状に拓けていた。
 ただ、『はずれの畑』とはいっても、畑ではなかった。土が耕されているどころか、小石や木の根や雑草などで荒れ放題で、切り株すら点在している。

「まあ、見ての通り、まだ開拓中でね」
「私もいっぱい手伝ったんだよ! えっと……薪割りとか!」
「ふふ、ユースは主に開拓の後片付けを頑張ってくれててね。夏に向かっていくこの時期、薪割りをしていたのはそういう理由もあるんだよ」
 キラは、先にぴょんと降りたユースに手伝われつつ、白馬から降りる。

「僕は……これから、何を?」
 ユニィは「やっと降りやがった」とでも言いたげに鼻を鳴らし、しっぽを振りながら歩いていく。荒れ放題の開拓地を、まるで我が庭のように歩き回る。
 その後姿をユースが追いかけ、一緒になって畑を散策する。

「とりあえずは、ユースと一緒に草抜きやら石拾いやらかな。エーコに釘刺された手前、いきなり切り株を引っこ抜いたりはさせられないからね」
「切り株……」
「といっても、どうしてももっと男手が必要になるんだが……どう思う?」
「どう、って……」
「村にいる皆の力を借りねばならないんだ。ただ――君と彼らとの出会い方が、ちょっとまずかったみたいだから」

 キラは口をつぐみ、だんまりとした。
 目の前の開けた森が、先の光景と重なった。
 距離以上の距離感を、あの場にいた皆から感じ取れた。目つき、眉の動き、口元の緊張感、身体の微妙な動き……。
 空間という大きな壁を盾にして、誰もが踏み込むことさえ許していなかった。

「おいおい、といったところだね。まあ、実際問題、あまり大人数をこの畑に連れてくることもできないんだが」
「……どういうこと?」
「ユースも言っていたが、この森は危険でね。村の周りやここらあたりはそうじゃないんだが、森の中は魔獣に狙われやすいんだ」
「じゃあ、僕たちは……?」
「私もユニィもいるんだ。大丈夫さ」

 すると老人は、ぴくりと空の方へ顔を向けた。
 キラもその視線を追ってみる。発展途上の『はずれの畑』だが、開拓されたおかげで、空がよく見えた。
 昨日とは打って変わり、青い空も眩しい太陽も、白い雲に遮られていた。

「……何が見えるの?」
「む? ああ……なんでもない……」
 老人はなおも歯切れ悪く曖昧に言い……キラの視線に気づくや、ニコリと微笑んだ。
「さて、作業にかかろうか。キラくん、ユースの手伝いをしてくれないかい」

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