26.詩

 包帯を取り替え、治癒魔法とリリィの体温に包まれ続け……昼食を終えたときには、一通り体を動かせるようになっていた。

「やはり、出発は夜遅くにしたほうが良いですわね」
「うーん……でも、エヴァルトには早く来るようにって言われてるし、もう出たほうがいいんじゃ?」
「ガイアという傭兵がエマールに報告しないとも限りません。暗闇の中での移動は誰も好みませんから、少しでも目立たないようにするべきですわ」
「そう……そうだね。じゃあ、ニコラさんにそう伝えてくるよ」
「それでしたら、わたくしも。ガイアのことについても忠告しておかなければ」
「……リリィ。君は、今は”恥ずかしがり屋”なリアなんだから」
「あら。そうでしたわね」
 おかしそうにクスクスと笑うリリィに、キラもつられて微笑んだ。
 包帯を隠すように改めて外套を着込み、外へ出る。

 すると、
「……っと。どうしたの。セドリック、ドミニク」
 馬車を訪れ、なにやらまごまごとしていた二人に出会い、キラは一瞬ヒヤリとした。
 詳しい会話は聞かれていないはずだと自分に言い聞かせ、荷台の中身を隠すように、幌をぴっちりと閉じる。

「いや……その。どうだったかなって。村に帰ってすぐに、馬車から喧嘩の声が聞こえたから……ずっと気になってて」
「あー……何言ってたか、聞こえちゃった?」
「いや、そこまでは。だけど、その……俺たちが巻き込んだようなもんなのに、怒られてたっぽいから。ニコラおじさんにはそっとしておけって言われたけど、申し訳なくって」
 セドリックは上背を縮こまらせ、反対に、小さなドミニクは胸を張っていた。

「怪我。痛いなら、私が」
「ドミニクは治癒魔法も使えるから……ちょっと、いや、かなり詠唱が長くなるけど」
「……まだ練習中だから。でも、丁寧にやれば完璧」
 ムッとして小さな唇を尖らせるドミニクに、恋人の不機嫌っぷりにおどおどとするセドリック。

 キラは仲睦まじい様子に笑いながら、
「大丈夫だよ。もうそんなにひどくないし、それに”治癒の魔法”は効かないし」
 そういって、自分の言葉にはたと停止した。
 何かまずいことを漏らしたのではないだろうか。

「治癒魔法が……? 確か、魔法が得意じゃないって……そんなの、まるで……」
「ああ、いや、それは……」
「あの詩人が歌ってた『不死身の英雄』みたいじゃん!」
 それまでの態度はどこへやら。セドリックは目を輝かせ、興奮気味に言った。
「『不死身の英雄』……?」
 かの老人の異名を持ち出され、キラは逆に困惑してしまった。

 そこで、はっとした。
 村は、あらゆる意味で閉鎖的である。人との交流はかなり狭い範囲に限られ、そんな状況は得てして、世間一般に知られる話題からも遠ざかることとなる。
 外部からの干渉が殆どないと言っていいエマール領内の村は、特にその傾向が強いだろう。”授かりし者”のことすらも知らないのかもしれない。

「知らねえのか? まあ、俺もそんなに知らないけど!」
「王都の守り神な人」
「そうそう。ともかくすっげえ人なんだって。詩になるくらいにさ」
「”不死身の英雄”も、魔法を使えず、治癒も効かない」
「ま、すぐに再生するとかで痛みも感じないらしいんだけどな」

「そういう意味では、”予言の詩”のほうが近いのかも」
「あー、かもな! 詩の一節……なんだっけ。『癒やしを受けない者こそ後継者』……そんな感じか?」
「うん。『大いなる力、大いなる平和をもたらす』」
 セドリックとドミニクの間でどんどんと話が盛り上がって行く。
 口も挟めずぽかんとしていると、ふたりとも恥ずかしそうに口を閉じた。

「わ、悪い。あんまりにも似すぎててさ。……ともかく、元気みたいで良かった」
 キラは、真っ直ぐなセドリックの視線に、少しの間ぽかんとした。
「ん、どうした?」
「あ……いや、なんでも」
「そうか。……なあ」

 セドリックがなにか言おうと口を開いたところで、ニコラの声が遮った。
「キラ殿。大丈夫だったか?」
 三角テントから出てきたニコラは、いつものいかめしい顔を申し訳無さそうにしていた。
 何かを言いのがしてモヤモヤとするセドリックを気にしつつ、キラは答えた。

「体の方は、もう大丈夫です。リ……リアとは、ちょっと喧嘩しちゃいましたが」
「すまない。もっとよく考えて誘うべきだった。村の外からの訪問者は久しぶりで……セドリックたちと仲良くなってくれればと。申し訳ない」
「いえ、僕が決めたことですので」
「……ありがとう。これは、せめてものお詫びだ。行商の旅となると、着替えはいくらあっても損はないだろう? 君の服は、先の戦いでヨレヨレとなってしまったみたいだから。見たところ、君はエリックと似た体格をしているし、ちょうどいいと思う」

 キラは麻袋を受け取り、中身を覗いた。
 まだ使われていない服が何式か。それに加えて、明らかに女物のワンピースまである。
「妻は裁縫が得意でな。元々君の奥さんへのプレゼントとして用意したんだが……こういう形で渡すとは。すまない……それと、ありがとう」
「いえ……」

 そこでキラは、どうすればいいか当惑してしまった。
 思えば、グエストの村ではランディ一家以外とは言葉もかわさなかった。お礼をすることもされることも、お詫びをすることもされることも……一切の関わりがなかった。
 だからこそ、どんな顔をすれば良いのか分からなかった。

「キラ殿……?」
「ああ……その。そうだ、出発のことなんですが。色々あったので夜に出発しようかって、リアと話してて……」
「うむ、そうだな。私も同じように考えていたところだ」
 キラはズズッと鼻をすすり、馬車に戻ろうとしたところで、
「俺も――俺たちも、連れて行ってくれないか」
 セドリックが、決意を込めた声でそういった。
 ドミニクも、真剣な眼差しで見上げてきている。

「エリックのやつ、傭兵になりに行ったんだろ。最近、リモンの話ばっかりしてたから」
 二人の様子にキラはたじろぎ、反対にニコラは即座に反応した。
「申し出はありがたいが、連れてはいけない。今やリモンは荒くれの傭兵たちの巣窟と化しているんだ。村の外に出たこともない二人では、危険すぎる」
「けど、俺はエリックの幼馴染です」
「私も」
「キラが手を貸してくれるっていうのに、何もしなかったら……! 友達を人に任せる最低なやつになる。俺もドミニクも、そんな人でなしじゃない」

 二人は、すでに決心していた。
 何があっても、エリックを連れ帰るのだと。
 そう簡単に折れるつもりはないのだろう。
 だからこそ、ニコラも口をつぐんでいた。息子を思う親として……友達を助けたい一心の二人を、切って捨てられないでいる。

「セドリックとドミニクは……エリックを助けたいの?」
 キラは、無意識のうちに口を開いていた。
 自分でも驚いていると、セドリックが胸を張って応える。
「当たり前だろ! 俺たちの友達だし、村の恩人なんだ」
「恩人……?」

「アイツ、猪突猛進で……誰かのためならすぐに命捨てるようなやつなんだ。俺らがビビってるのに、アイツはずっと立ち向かってて……そんなやつが無茶してるんだ。今度は友達の俺たちが、って思うだろ」
「だけど、エリックは自分から望んで傭兵に志願しているんでしょ? そうやってエマールを排除しようとしてるんでしょ? ……簡単には連れ戻せないよ」
「そんなことで諦めやしないさ」

 そう言ってのけるセドリックが、眩しく思えた。
 キラは背高な少年の純粋な視線を受け止め……首を振った。
「僕とリアは、早く王都に向かわなきゃいけないんだ。連れて行ってはあげられるけど、一緒にこの村には戻れない」
「そ、そうなのか……。けどよ。一緒に行くだけなら別に……」
「エリックを連れて帰らなきゃいけないんだよ。その間、ニコラさんが君たち二人を守らなきゃいけない。もしかしたら、エリックのことも」
「……そうだ! オーウェンさんたちにも一緒に来てもらえば……」

 すると今度は、ニコラが苦笑しつつ言った。
「息子のことで村を守る彼らを動かすわけにはいかない。今朝方傭兵たちと遭遇したことを考えれば、最悪の場合に備えて、できるだけ人手は割きたくない」
「けど……!」
「君たち二人には、感謝している。しかしこれは私の息子の問題であり……何より、キラ殿の都合も考えなければ」

 首をかしげる少年少女と同じく、キラも不思議に思った。
 ニコラの厳格な顔つきがわずかばかり綻ぶ。
「キラ殿。君は、戦争に臨むつもりだろう?」
「戦争……?」
 ドミニクが愛らしい声で訝しげにつぶやく。

 キラは冷や汗が止まらなかった。
 すっかり忘れていたのだ。
 自分が行商人夫婦として村に立ち寄っていることを。そして、傭兵のガイアと大立ち回りしたことを。
 声も出せずに口をパクパクとし……ニコラは一層低い声でボソボソと続けた。

「王国と帝国の間で緊張が高まっていると耳にした。村の皆には知らせていないが、近く戦争が始まるのではないかと噂されているんだ」
「その戦争に、キラが……?」
「何しろ、あの腕前だ。私程度、赤子の手をひねるようなものだろう。そんな実力の持ち主が、急いで王都へ向かうとなれば……大体、想像はつく」

 背高な少年と小柄な少女の視線に、キラはきょろきょろと目を泳がせ……動揺で震える声を必死に抑えながら、二人に応えた。
「ま、まあ。当たっているというか、なんというか」
「そんな身体で……。戦ったら、また傷開くんじゃないのか」
「う……。大丈夫だよ。身体、頑丈だし。なんとかなる――と思う」

 セドリックは唇をかみしめて今にも泣きそうな顔をし、震える手で拳を作った。
「戦争中だけじゃない。リモンに行くまでだって、危険がつきまとうだろ。きっとお前は……お前も、ニコラおじさんに任せきりにはしないはずだ。そうだろ?」
「それは、ね。戦える限り戦うよ」
「そうやって平然と言うやつを、放っておけると思ってんのかよ。少しでも手伝いたいって思っちゃいけないのかよ」
 セドリックは、言葉をすすめるごとに早口になり、そして口調も強くなった。
 ドミニクがあわあわとその腕を掴んで引き留めようとするも、彼女自身、恋人の言葉には賛同しているらしい。その力は、ずいぶんと弱弱しかった。

 キラは二人の様子に押し黙りそうになりながらも、再び首を振った。
「君たちは戦えない。はっきり言えば……足手まといになる」
「じゃあ、俺が証明してやるよ」
「証明……?」
「俺が戦えるってことを――決闘だ」
 セドリックの意思は固い。
 だからこそ。キラも受けて立った。
「分かった。じゃあ、一分間。僕の剣を受けきったら、連れて行ってあげるよ」

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