27.一分間

 セドリックは虚勢を張っていた。
 本当は、キラに敵うはずもないことはわかりきっていた。剣を握ったのさえつい最近で、ろくに戦ったことすらないのだ。
 だがそれでも、セドリックは退かなかった。「セドリックには私の剣を貸そう」
 手のひらに浮かぶ汗をひたすら服で拭い、ニコラから剣を受け取る。
 ずしりと、重たい。
 丁寧に手入れされた剣の表面には、セドリック自身の顔が反射していた。その顔つきは引きつり、眉間や鼻にシワを寄せて……今にも泣き出しそうだった。

 そんな無様な自分に落胆し――セドリックはグッと唇を噛み締めた。
 エリックはこんな顔はしなかったと、心を奮い立たせる。
 一つ年下の幼馴染は、どんなに恐ろしい敵が立ちはだかっても、決まって笑って「大丈夫だ」と声をかけていた。
 そんな姿に、何度助けられたか……。

「セドリック。準備はいいか」
 決闘の仲立ちに入ったニコラが、声をかけてくる。
 セドリックはひきつる口を引き伸ばし、無理矢理に笑って顔を上げた。
「大丈夫っす」
 何百回という素振りのすえ、ようやく身についた構え方で剣を掲げる。
 腹の前に両手を揃え、鋭角に剣を持ち上げる。
 鋭い切っ先がちょうど目の前でチラリと光り……その向こう側に、キラがいた。
 黒髪の少年も、同じようにして構えていた。

「両者、良いな」

 コクリとうなずくキラから、凄まじい迫力が放たれた。
 同行を拒否するにも柔和な目をしていたのに、剣をギュッと握っただけで、まるで殺戮のすべてを知った戦士のような鋭い目つきに変わる。
 気迫で負けまいとセドリックも睨んだが、キラの黒い瞳の奥には恐怖以上のなにかがあり……耐えきれずに、視線をそらしてしまう。
 その目線の先には、恋人であるドミニクがいた。小柄な少女は、手をギュッと握りしめて緊張している。
 セドリックは、いつもするように彼女にほほえみ……集中した。

「では――はじめ!」

 合図とともに、駆ける。
 剣の腕はないが、幸い体格には恵まれている。身長はあるし、筋肉もつけている。
 対するキラは、それなりの筋力はあるが貧弱で、頭一つ分背が低い。
 この差を利用すれば、あるいは……。

 しかも、少年は一切動かなかった。
 開始と同時にたらりと剣を下げ、構えを解いてしまっていたのだ。
 何か考えているのかもしれない――セドリックがそう警戒したときには、遅かった。

 キラは、すでに攻撃に転じていたのだ。あまりにも自然な動きで、無駄なく距離を詰めてくる。
 あっ、と思う瞬間には、すでに懐に入り込まれ……剣が迫っていた。

 ”ハイデンの村”にいた頃。みんな生き抜くのに必死だった。
 畑を持つのでさえも金を取られ、金か収穫物を貢がねば、どこからともなく役人が用心棒を引き連れ荒らしていく。そんな嫌がらせに耐えきれずに畑を手放した人は、すぐに食えなくなって病にかかって死んでいった。

 みんな、そうはなりたくなかったのだ。悪環境は人間関係の悪化を招き、村にいるのに誰も彼もが他人となった。
 そんな状況に両親は飲み込まれ……セドリックはドミニクとともに立ち上がった。
 両親の悪知恵を皆と共有し、貧乏人だからと侮る役人たちを欺き……。そうしながら、徐々に秘密裏に食糧を蓄えていった。

 そんなとき、エリックが剣を手にした。
 体格に恵まれず、時には子どもだと押しのけられながらも、用心棒たちとの諍いに立ち向かっていた。拙い技術を気力と思いで支え、絶対にへこたれることなく前を向いていた。
 皆が千切れそうな手を取り合っていた。

 いつまでも続く地獄のような状況が好転したのは、去年、”流浪の民”が村を訪れてからだった。
 ニコラたちも手を焼いていた荒くれ者たちをたった一人で追い払い、たちどころに林の中に隠れ場所を用意してくれた。
 おそらくは、その頃からだろう。
 エリックがエマールという敵を討つのだと志したのは。

 ”流浪の民”の詩人を剣の師としてあおぎ、少しの間ではあるが、弟子入りしたのである。いつも炎のように熱いやつだったが、とりわけそのときに放った言葉は強烈だった。
『俺が! 全部ぶっ壊してやる!』
 幼馴染が唐突に姿を消した今となっては、その意味が理解できる。

 だからこそ、キラが現れたのは幸運だと思った。
 かつての”流浪の民”のように不思議な雰囲気をまとった少年は、セドリックの直感通り、卓越した剣の腕を持っていた。
 ニコラの言う不気味な”預かり傭兵”と対峙するや、その両手首をあっという間に切りつけ戦闘不能にし。底しれぬ褐色の傭兵を一人で食い止めてみせた。
 キラがいなければ、あの場の誰もが”隠された村”に帰ることなど出来なかった。
 キラが踏ん張ったからこそ、誰もが逆境に屈しなかったのだ。

 彼が村にとどまってくれればと、セドリックは願った。
 そうすれば、今度も状況が好転するかもしれない。
 そうなれば、エリックも無茶をせずにすむかもしれない。
 しかし。
 キラは身体中に包帯を巻くような大怪我をしているにもかかわらず、戦争という大きな渦に飛び込もうとしている。
 キラもエリックと同じく、無茶ばっかりする人間なのだ。

 思い切りよく踏み込んだところへ懐に入り込まれ、剣の腹で強打される。
 思ったほど、痛くはなかった。だが、セドリックは剣を手放しうずくまった。
「君自身、強くならないと。きっと、何も変わらない」
 剣を収めつつポツリと漏らすキラの言葉に、唇を噛み締めた。

 馬車へ戻っていくその後姿を、遠く感じる。 
 あまりにも、情けない。
 一分どころか、一太刀ともたなかった。
「くそ、クソ……っ」

 セドリックは、農家の子だった。
 だから、年下のエリックが村のために危険に立ち向かい、剣を振るう姿に憧れた。
 あんなふうに格好良くなれたらと、安寧が訪れた日々の中で、そう思ってしまったのだ。

 領分でもないのに。剣を握る覚悟も知らないのに。見様見真似で剣士になってつもりでいた。
 とんでもない勘違いだったのだ。
 握った剣は重く、敵対したキラは恐ろしかった。

「セドリック」

 鈴の鳴るような声がした。
 地面につきたてた握りこぶしが、小さな両手に包まれる。
 この温かい手は誰のものなのか、考えるまでもない。だがセドリックには向ける顔がなく、深くうつむいたままでいた。
 すると、視界に誰かが近くでひざまずくのが映り込み、低い声が耳に届いた。

「キラ殿は、いわゆる天才なのだろう。体格も筋力も平均かそれ以下。エリックといい勝負だが……並外れた戦闘センスがある」
「そんなこと、分かってますよ」
「だが、それだけではアレほど強い男にはならなかったはずだ」
 セドリックはその言い方に引っかかり、顔を上げた。
 ニコラは、朗らかに微笑んでいた。いつもの厳しい雰囲気は、どこにもない。

「キラ殿のあの大怪我……奥さんをかばった結果なんだろう?」
「そう、言ってました……」
「体を張って守り抜き、怪我をしてなお戦うというのは、誰にでも出来るものじゃない。才能は関係ない――根性なしの天才が、戦い続けることが出来ると思うか?」
 セドリックは首を振った。

「剣士には、たしかにセンスが必要だ。だが、それ以上に剣を握り続ける根性が不可欠だ。何があっても折れることのない不屈の精神が、戦い続ける原動力となる」
「そんなもの、俺には……」
「ないのか? 君に、戦う理由が。剣を握った思いが」

 セドリックは、ドミニクを見つめた。
 童顔な恋人は、何も言わずに見つめ返してくれる。いつものように、全てを包容するかのような大人びた微笑みを浮かべる。
 そんな彼女に元気を注入されたかのようで、どこからともなく気力が湧いてきた。
「俺は……ドミニクのためにも、剣を握りました。いい加減、守られてばっかりじゃ駄目だから――何もできずに見送るなんてことしたくないから」

 ”流浪の民”が訪れるまで、その日暮らしだった。
 今日は大丈夫でも、明日はいなくなっているかもしれない。
 もしかしたら自分が、もしかしたらドミニクが、もしかしたらエリックが。
 そう思っていたら、両親が呆気なく死んでしまった。ドミニクの家族も。
 嫌だ、駄目だ。そう叫ぶだけでは足りないのだ。

「俺はもう悔やみたくない。やれるだけ全部やってやる」
「その意気だ。剣士のセドリック」
 セドリックは勢いよく立ち上がり、ニッと笑った。
「よし! エリックのことはニコラおじさんに任せる! そんで俺は修行――ドミニク、あっという間に強くなって驚かせるぞ!」
「うん」
「そんでもって! キラに認めさせて、弟子にしてもらう!」

   ○   ○   ○

 崩れ落ちるようにして膝をつくセドリックを目にして、キラは激しく後悔した。
 わざと負けるつもりも、そうすることで連れて行くつもりも、毛頭なかった。
 だがセドリックは、エリックを助けたい一心で決闘を仕掛けてきたのだ。一太刀で終わらせる以外にも、もっとやり方があったはずだ。

 しかし下手に希望をもたせるわけにはいかなかった。
 村の外は思った以上に危険だ。エリックを連れて戻るまで一緒だったら良かったが……王都へ急いで向かうことを考えれば、それは出来ない。
 ぐるぐると同じことを考え続け、なにかイヤミのようなことを口走ってから、馬車の方へ向かう。
 幌に手をかけめくろうとして……キラはポツリと呟いた。
「リリィに謝らなきゃ」

 『一分間』。そのルールは、村を出た直後、リリィと決闘した際に用意されたものだ。
 あのとき、彼女も同じように葛藤したのだと、キラは半ば確信していた。
 村を出たいと願った気持ちに、リリィは応えてくれた。その上で戦争に参加することを認めるのが、どれほど苦しいものだったか……。
 今、同じような立場になって、ようやく分かった。
 村を出たことのない少年に、そんな無茶はさせられない。

「謝ることは何一つございませんわ」

 その美しい声に導かれるように、キラは馬車の中へ入った。
 リリィは外套のフードを外し、そのつややかな黄金色の髪の毛をさらしていた。ポニーテールを下し、真っすぐにきらめく姿はさながら女神だった。

「成り行きは全て聞いていました。一分間の勝負……わたくしがあなたに決闘を仕掛けたのは、嫉妬していたからですわ。その才能と戦いのセンスに……」
「別に……僕はそんなのあるわけじゃないし」
「ふふ。では、わたくしが勝手にそう思っていたということで」
「僕は。君に無理を言って村から出してもらったんだ。勝手なこと言って、君に責任を押し付けて……旅に同行した」

 リリィは、何も言わなかった。
 ただ、腕の触れる近い距離から離れることなく、隣に座り続けていた。
「キラは。村を出たことに後悔がありますか?」
 グエストの村でのことを聞かれているというのに、キラの頭の中に浮かぶのは、”隠された村”でのことばかりだった。

「わからない。だけど今になって……グエストの村で、僕はもっと何かが出来たんじゃないかって思う。後悔というより……未練?」
「では、今も村に居続けたら、どうなっていたと思いますか?」
「たぶん……何も変わらなかったと思う。こうして村の外に出て、やっと気づいたから」
 沢山の人に囲まれるニコラを見たから。友人のことを思うセドリックとドミニクの姿を見たから。
 ”グエストの村”を、そうやって思い起こしてしまう。

「わたくしは、あなたをあの村から引っ張り出したことに、少しばかりの反省をしています」
「反省? リリィが?」
「ええ。あなたは母の姿と重なると、幾度か言ってきましたが……そういうこともあって、”グエストの村”で孤立したあなたを見過ごすことは出来ませんでしたの」
「そう、だったんだ……」
「一度は、あなたの旅の同行を拒否することで、あなたと母を分けて考えようとしました。他にも色々ありましたが……。けどやはり、一緒に居たほうが良いのだと、思ってしまいました」

 リリィは体を傾け、ぴとりと寄り添おうとした。が、途中で思いとどまったように、背筋をピンと伸ばす。
「突き詰めれば、わたくしも勝手だったのです。母の姿と重ねたのも、あなたの剣に嫉妬したのも。あなたが戦争に参加することに反対したことでさえ……」
「それを言うんだったら……」
「ええ。ですから、お互いに謝る必要はありませんのよ。お互いの身勝手さを知ったのですから」

 にこりと微笑むリリィは、本当に美しかった。
 だからなのか。良くは分からなかったが。自然と鼻の奥がむず痒くなり……キラは口をつむり、目をぐっと閉じた。
「むしろ、あなたにそういう顔をさせた時点で、わたくしが謝るべきですのよ」
「泣いてなんかないよ」
「あらあら、わたくしはそういったつもりはありませんが?」
 意地悪く言うリリィにムッとし……キラはため息をついた。そっぽを向いて、腕でぐっと顔を拭う。

 すると、何やら馬車の外からセドリックの興奮した声が聞こえた。
「ふふ。弟子、ですって」
「そんな大げさな……」
「良いではありませんの。……わたくしも、弟子入り考えましょうか」
「それこそ、教えられることなんてないって。本当に。……真剣な表情ヤメテ」

 腹の底まで重くのしかかっていた何かが、ふわりと軽くなる。
 こわばっていた頬も口元も、力が抜けて緩む。
 その表情の変化にリリィはいち早く気づき、さながら姉のように美しく微笑む。
 全てを見られていた気がして、キラは顔を赤くしてそっぽを向いた。

「王都についたら、何をしましょう? わたくしとしては、食べ歩きをおすすめしますが」
「食べ歩きって……そんな暇あるの?」
「全てが片付いたら、ですわよ。さあ、何をします?」
「何って言われてもなあ……。――あ。ランディさんから、王都には世界一の図書館があるって。そこ、行ってみたいな。どんな魔法があるのか知りたい」
「……字、読めますの?」
「失礼な! ――って言いたいけど、ほとんど」
「ふふ。でしたら、わたくしがつきっきりで教えて差し上げますわ。なんでしたら、今からでも大丈夫ですが」
「……お、王都に着いてから、ゆっくり教えてよ」
「勉強、お嫌いですわね?」
「……。ところでさ。王都には他にどんなところがあるの?」
「露骨に話をそらしましたね」

 呆れたように笑い、それからリリィはよどみなくつらつらと観光名所を挙げていった。
 どのパン屋が良いとか、あの紅茶店がおすすめだとか。話の半分以上食べ物が占め、しかしそれ以外にも、王都の絶景のポイントや穴場のスポットを教えてくれた。
 次から次へと。思い出しては話が飛んでいく彼女はとても楽しそうで。
 やはりリリィは王都へ向かうべきなのだと、キラは密かに決意を新たにした。

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