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時は少し遡り……。
「――記憶がない、と」
重傷者テント列、通称”特別花火観覧席”のテントにて、キラはローランに己の秘密を告白してしまっていた。
なぜ彼に打ち明けてしまったのか。
キラ自身も、悩んでしまうほどに理由などなかった。
ことの発端を挙げれば、ローランが自ら監視役に名乗りを上げたことに起因している。
元々は、セドリックから監視役を引き継いだミレーヌに、火傷の治療や包帯の交換など、さまざま世話になっていたのだが……。
ローランが意気揚々とテントに姿を表すなり、
『ご婦人！ 貴女も色々とお疲れであろう――この”救世主”のお世話は我輩に任せてもらいたい！』
そんなことを言い出したのである。
表には出さないものの、エリックの件で相当堪えていたミレーヌは、戸惑いながらもテントを去っていき。キラも彼女の様子が気になっていたために、その後ろ姿を止めはせず。とりあえず、ローランを受け入れてみたのだが……。
ケツアゴ紳士は、したり顔で開口一番にこう言ったのだ。
『テントに閉じこもってばかりは鬱屈としよう。せめて！ 飯時ぐらいは皆で同じ窯を囲もうではないか！』
なんでも、彼はすでに”隠された村”の人々と顔見知りになったのだと言う。
さらには、”貴族街”での行動を『これこそ”救世主”たるお人の活躍！』と広めたらしく。布教活動にも似た喧伝で触れ周り……結果、皆が「話を聞きたい」「直接礼を言いたい」と口にするようになったのだとか。
これに対してキラは、ある種のトラウマを思い出してしまっていた。
”グエストの村”で目を覚ました直後。ユニィに強引に外へ引っ張り出されて、皆の前に立ったあの時。
あの瞬間に感じた距離という名の溝を、不意に思い起こしたのである。
そのために、キラはローランの誘いに乗ることに躊躇し……当然、この反応に対して追求され。なぜだか、素直に洗いざらいしゃべってしまったのである。
海岸で倒れていたところを拾われたことや、目が覚めたら記憶がなくなっていたこと。起きた直後の人形のような不気味さ加減に、”グエストの村”で拒絶されていたことなども、全て。
何やら少しの間深く考え込んでいたローランは、カッと目を見開くや、単語だけを喉から押し出した。
「ううむ……。杞憂！」
「へ？」
「少なくとも、今この瞬間における貴殿の恐怖は、ないにも等しい。皆が貴殿に感謝したいと言っている――グエストの村とやらとは、何もかもが違おう？」
「それはそうなんだけど……苦手意識が……」
「では、それをガラッと変えるまたとないチャンス！ ゆくぞ！」
「は――えっ？」
唐突に。抗う間もなく。キラはガッとローランに抱えられた。
「ちょ……！」
「いざ、皆の元へ！」
人一人を肩に抱えているというのに、ローランは凄まじい健脚を見せた。
”特別花火観覧席”を通り過ぎ、ミレーヌともすれ違って、村の中を駆け抜ける。
いまだに体から抜けきらないダメージや疲労感も相まって目がまわり、胸が気持ち悪くなったところで、ようやく下される。
ローランに文句を言うこともできず、足元がふらつき体が傾く。
あわや頭から転倒すると言うところで、誰かに支えられた。
「あ、ありがとう……。……だれ？」
安定しない体を支えてくれていたのは、見覚えのない中年女性だった。
顔つきと体つきが同じバランスでふっくらとし、それゆえににっこりとした笑顔が朗らかな印象となる。
「まあまあ。誰だっていいじゃないか――そんなことよりも、ほら」
太い手で面白いように体をぐるりと回転させられ……そこでキラは、体を硬直させて、眼前に広がる光景を受け止めた。
晴天の下で元気よく燃え盛る焚き火の前には、麻布の敷物が大きく広がり、これでもかとばかりに料理が敷き詰められていた。
その両隣には、ミレーヌの言っていた婦人会が、いくつもの大きな鍋から湯気を立たせて、今か今かと出番を待ち侘びている。
そして、豪勢な食事の場を老若男女が取り囲んでいた。興味津々ながらも一定の距離以上近づかない様は、まるで神聖な場所に足を踏み入れるのを恐れているかのようでもあった。
「こ、これは……」
「もちろん、”救世主”のための昼餐である！ といっても、貴殿の大怪我を鑑みてスープ中心ではあるが……どうだ？」
「どうだって……そりゃすごいけど……」
「違う！ 面をあげて、皆の顔を見てみよ！」
なぜだかムッとするケツアゴ紳士に首を傾げつつ、キラはそっと視線を巡らせた。
背の低い子どもから大人びた少年少女まで、目を輝かせて凝視し。若い婦人は、食事が口に合うのかと隣にいる友人と顔を見合わせ。彼女らとは正反対に、中年女性たちは「どうだ」と言わんばかりに腕組みをしている。
そうして再びローランへ視線を戻すと、彼は打って変わってにこやかに微笑んだ。
「どこでも、何にでも。己の物差しで計ろうとするのは浅慮である！ ――という証明にはならないか？」
その場にいる誰もがはてなマークを浮かべていたが、キラにはなんとなく理解できた。
確かに、”隠された村”の人々の顔つきや距離感は、”グエストの村”で体験したものとはまるで違っていた。
「まあ、参考にはなるよ……」
「む、強情なお人だ」
「……言われてもね」
「ふむん。まあ、よかろう……これからじっくりと味わってもらう」
ケツアゴ紳士のニヤリとした笑顔と含みのある言い方に疑問を持つ。と、背後にいる中年女性がとんと背中を叩いて押してきた。
「ちょ……？」
「ほらほら、腕によりをかけて作ったんだから。あったかいうちに食べてほしいねえ」
「こ、これ全部を……？ そういうの、レオナルドのとこで散々――」
「ともかく、ここに座って！ 怪我したばっかりだし、話でもしながらゆっくりと！」
なすがままに。キラは広げられた料理の前に座らされ……ローランも隣に座る。ケツアゴ紳士を睨むも、彼はまたも意地の悪い顔をして肩を叩くばかりだった。
逃げられないことをようやく悟ってしまい、キラは肩を落として食事に手をつけた。
最初の方こそ、皆静かだった。
注目されながら食事するのはなかなかに落ち着かないものだったが……それがまだある意味マシだったのは、後で気づくことになった。
というのも、食事が一区切りついたところで、ローランの誘導によって皆の質問タイムが始まったのだ。
どこの生まれだとか、何をしていたのだとか、どうして強いのだとか。要所要所で、記憶喪失のことを知っているローランがフォローをしてくれるものの、肝心なところで皆の熱気をブーストさせてしまう。
とりわけ……。
「そうだ、吾輩、聞いてしまったのだが。戦争を終わらせたという話は真か？」
イラッとするほどに軽く。余計なことを口にしたのである。
皆が……とくに顔を輝かせた少年少女たちが、これを聞き逃さないはずもなく。
「戦争っ？ って、帝国のっ？」
「どうしたの？ 何したの？」
「終わらせたって？ 一人で？」
ひっきりなしに疑問符が飛び交う事態となってしまった。
しかも悪いことに、大人たちまでこれに興味津々であり……ローランがそのケツアゴで「あ……」と口をあんぐりとさせたときには、もう取り返しが付かなくなっていた。
さらには、
「お、終わらせたって言うか……皇帝と話をしたのは事実だけど……」
しどろもどろに呟いたことで、自分でも火に油を注いでしまい。
もうどうしようもなく後に引けなくなってしまったその時。
ピリピリと肌を伝うような感覚に、キラは顔を青くした。
「……どうしたのだ？」
口々に我先にと質問を飛ばそうとしてくる”隠された村”の人々とは違い、ローランが真っ先に表情の変化に気づき問いかけてきた。
どうすべきかと一瞬口をつぐんだものの――キラは村の皆を見渡し、決意した。
「仕掛けてくるつもりだ――この”隠された村”に」
キラの言葉は不思議とあたりに響いた。
一言発するたびに雑然とした空気が抜けていき、しんと静まり返ったときに皆の元に染み込む。
「それは真か？」
「”神力”が、近づいてきてる。多分この感じ、ガイアだ。前にこの村の”結界”を知ってる風だったし、場所を知っててもおかしくはない」
ざわり、ざわり、と。
不安という空気が伝い始めた。それまでの楽しそうな雰囲気がしぼむ。
大人たちが口をつぐめば、子どもたちもその意味を無意識にも感じ取ってしまい、同じように眉を歪めて……キラは少しばかりの後悔を胸の中に押し込んで、つと立ち上がった。
「待て、キラ殿。……何をするつもりだ」
「迎え撃つ」
ケツアゴな紳士たるローランは、これまでに見せたことのないような険しい顔つきをした。いつもの冗談も悪ふざけも混じりようのない、真剣さが宿っていた。
「……そんな顔、するんだ」
「笑っている場合ではなかろう。貴殿、わかっているのか――自分の体を」
キラは応えようとして……不意に顔を背けた。
背後から草原を踏み締める音が聞こえたのである。
振り向いた先には、楽しげな宴会に混ざろうとしていたミレーヌがおり……にこやかに緩んでいた頬が、緊張で強ばる。目が合うや、何が起ころうとしているのか悟ったようだった。
途端に顔を真っ青にして――キラは首を傾げた。その表情の変化に疑問を感じ、口を開こうとしたところで、
「みんな！ みんな――無事かっ！」
尋常でない慌て方をした青年が、馬に乗って現れた。
