40.先に、先へ

 顔中に汗を滴らせて、馬を止めるや否や、地面へ転がり落ちる。そうしながらも焦りに突き動かされ、宴会の輪に入っていた一人の女性の元へ駆けつける。
「村を……村を離れたりした人はっ?」
 青年の恋人であろう女性は、顔をこわばらせてぽつりと言った。
「まさか……エマール軍が?」
「ああ……! もうすぐ近くにまで! シェイク市長の推測は正しかったんだ!」

 動揺がパニックへ変わるのは、早かった。
 何しろ、”隠された村”に戦力はない。戦える者は、皆反乱軍として出払ってしまっている。
 大人が絶望に打ちひしがれた悲鳴と喚き声と、これらに感化された子どもたちの泣き声が、渦を巻いて広がっていく。
 ミレーヌも、今にも泣きそうになって地面へ腰を落としてしまい……キラは平常心を保とうとしながらも、焦燥感に焦がされつつあった。

「ニコラさんたちはリモンに向かって最短距離で進軍したはず……なのに……」
 悪い予感にきゅっと締められたような気がして……しかし、ふと湧いた考えが、押しつぶされそうなところを救った。
「そうか、ロキがいるんだ……!」

 駆け抜けるようにして脳裏に浮かんだのは、帝都での戦いだった。
 一度だけ。ロキはドラゴンでもゴーレムでもなく、地面を操った瞬間があった。”五傑”のマキシマへ仕掛けようとしたところを、地面から生やした土の柱で妨害したのである。

 それはつまり、地面をも操ることができるということであり……地下にトンネルを作ってエマール軍を送り込むのも可能ということだった。
 ニコラたちは無事。その結論にほっと一息はつくものの、現状が何か変わることもなく……”隠された村”を飲み込む不安と絶望に、キラも侵食されそうになっていた。

 そこへ。
「大丈夫!」
 ”平和の味方”ローランが、声を張り上げた。
 一度では皆に言葉は行き届かなかったが、何度も何度も、喉が張り裂けるほどに声を押し出す。

 ようやく全ての視線が集まったのを感じ取って、ローランは胸を張って続けた。
「大丈夫! だから、皆、落ち着き冷静になるのだ! ”結界”とやらが何かは知らんが、私がいるから大丈夫――”結界”が何かは知らんが!」

 ローランのその含みのある言い方で、皆、自分たちが何に守られているか思い出したようだった。
 いくらか落ち着きを取り戻し、あっという間にパニック状態が解除される。
 キラは目の前で起こる急激な変化に目を瞬かせ……そこで、ローランと目があった。
 その表情に、思わず苦笑してしまう。何しろ、「後のことを何も考えてなかった……」とでもいうように、にこりとした顔つきでこわばっているのである。

「実際、ここで村の外に出た方が危ないんだとは思うよ。僕も」
 ほっとした空気が漂い、外から駆けつけた青年も安堵で腰を抜かす。朗らかな笑い声がちらほらと聞こえだし……しかしキラは、その空気をあえて破った。
「だけど、ガイアがいる。”青い炎”を使う”授かりし者”……きっと、この”結界”もどうにかしてくる」
「む、まさか……」
「さっきも言ったように、迎え撃つしかない」

 そこでキラは、目を丸くした。
 それまで沈むばかりだった空気が、今度はやる気で燃え上がっているのだ。気骨のある中年女性たちが、腕まくりをして今にも出ていきそうだった。

「あたしも戦うよ! 怯えて死ぬぐらいなら、戦って死んでやるさ! もともと覚悟は決めてたんだから!」
「そうさっ。兵士でもなんでも相手にしてやろうじゃないか!」
 全員が全員、というわけではない。子供たちは不安げな表情のままで、彼らの母親は子どもの安全と村の未来とで葛藤している。
 だからこそ、キラは首を振って見せた。

「戦うのは、戦える人間だけでいい……と僕は思います」
「何を――」
「なにか勘違いされてるけど。どんなに無茶でも、死ぬつもりなんて毛頭ないので」
 まだ続けようとする女性に背中を向けて、キラはミレーヌに歩み寄った。

「ミレーヌさん。たぶん、今は何も言わない方がいいと思います」
「え……?」
「何か隠していることがあるんでしょう? 皆が不安や不満に思うことを」
「あ……それは……」
「全部片付けてから。それから、誰かに打ち明けた方がいいです――今は、僕がなんとかします」
 深く俯く様は、謝っているようでもあって。さながら、息子のために頭を下げているように思えた。

 治療のためにあてがわれたテントに戻ると、すぐさまローランが後を追って姿を表した。
「なぜ皆の手を借りなかった。戦ったことのない女子供とはいえ、戦意を持てば立派な戦士。鍬も鎌も武器となる……なぜ、彼らが振り上げた手を下げさせた」

 今までにないほど、テントの中に低く声が響いた。
 ローランが、腕を組んで出入り口で立ちふさがっていた。納得しない限りがんとしてそこを動こうとしない、固い意志を感じる。
 キラは剣帯と”センゴの刀”を一緒くたに腰に巻きつけつつ、答えた。

「死ぬ覚悟なんて、なんの役にも立たないよ。そんな受け身な人を連れて行けるわけがない」
「そうはいうが。貴殿が出たところで何ができる。どれだけの戦いが、どれだけの時間続くともしれぬというのに……なぜ戦う」
「……まあ、確かに。ユニィに竜ノ騎士団に応援要請を出しに行かせたし、早ければもう戻ってきていい頃合いだとは思う」
「だったら……」
「僕には、記憶がない」

 なんの脈絡もなく応えたせいか、ローランは元来の顔つきに戻った。鋭さがどこかへ抜けてしまい、ケツアゴでぽかんとする間抜けな表情となる。

「こういう時、決まって体が動くんだ。別に逃げるつもりはないけど、僕が判断するより早く、僕の体が動く」
「つまり……どうしようにも逃れられない、と?」
「そうかもしれないけど、そうじゃなくって……。別に違う人格じゃないのに命令してくるみたいで……嫌なんだよ。勝手に記憶すっ飛ばしたくせにシャシャリ出て……だから、僕が先に動いて黙らすんだ」

 ローランの表情の間抜けさは加速し――極まったところで、彼は笑い出した。
 キラはその思い切りと遠慮のなさにムッとし、ぶつぶつと続けた。

「笑い事じゃないんだけど」
「ふ、しかしそうはいうが――ふはっ! 『なぜ戦う』という問いに対する答えになってないではないか!」
「だから、言ったじゃん。僕が先に動く、って。どんな逆境も、どんな理不尽も、全部先に弾き飛ばす。それに、僕の理想に”妥協”は存在しないから」
「ふっふ! それがおかしいというのだ。まあよい――曲げられないし、曲がらないというのが解った」

 にやりとするケツアゴ紳士は、大仰に頷いたのちに、高らかに言い放った。
「よし! なれば、吾輩も同行しよう! ともにピンチを打ち砕くのだ!」
「ともにって……。君、戦いは嫌いなんじゃないの?」
「うむ! 吾輩は依然として”平和の味方”――だからこそ、貴殿の理想を守り抜こう。言っておくが、この体は世界一頑丈なのだ」
「確かに凄いのは見たけど……大丈夫なの?」
「ふっふ! 包帯だらけの貴殿には言われたくないものだ――さあ、いくぞっ」
「……曲がらないのは君もじゃん、”平和の味方”」

 意気揚々とテントを出ていくローランの背中を追いかける。
 当然のように”隠された村”の皆に出発の旨を伝えようとするケツアゴ紳士の服を引っ張り、ともに静かに村を出る。
「ぬう、なぜ……!」
「ちょ! こっから静かにいかないと! 気づかれる!」
「貴殿の方が声がでかい……!」

 キラはハッとして口をつぐみ、あたりを見渡した。
 まだ昼間で晴天だというのに、森の中はひどく不気味だった。乱雑に並んだ木々に絡みつくようにして霧がただよい、寒気とはまた違う悪寒すら感じる。

 ”隠された村”は”結界”によって守られているのだと、思わざるを得なかった。
 たとえ”青い炎”で木々が焼き払われたとしても、この不気味さは変わらず”隠された村”を隠してくれるだろう。
 ただ、それでも、キラは打って出なければならないと感じていた。

「先手を打たなきゃ。村のみんなを説得してる暇はない。僕は包帯だらけだし、君は戦わない”平和の味方”……納得する要素がなさすぎる」
「しかし、ここまで急がずとも……。”結界”とやらが何かは知らんが、あそこまでのパニックを鎮めるのだ。強力なものなのだろう?」
「敵にガイアがいるからだよ」
「その名は……”青い炎”の野蛮人の名だったか」

「あの執着心は、放ってはおけない」
「執着心? なんの?」
「わからない。ユニィの居場所を知りたがってたし……何より、”結界”を張った”授かりし者”と面識があるみたいだった」
「ほう……?」
「で、『いけ好かねえ野郎』って恨んでもいるみたい。もしあの”青い炎”が、その人に対抗するために力をつけたものだとしたら……」
「”結界”を破ることもありうる、か。由々しきことよ」

 自然と、二人して森を歩く速さが上がっていった。
「して、作戦は? 吾輩、戦う性分にないゆえ、そういったことがとんとわからん」
「”貴族街”で戦った時……僕もやられたけど、ガイアも相当な痛手を負ったはず。僕もエヴァルトも、反乱軍もみんな無事だったのがいい証拠さ」
「はて……? では、ともすればあちらも、キラ殿と同じ状態であるというわけか?」
「かもね。だけどそれ以上に肝心なのが……怪我したら動きにくいってこと」
「……キラ殿は普通に動けるようだが?」
「……そこは僕に聞かないで。僕もよくわかんなくなる時あるから」

 言われて気づいて、キラはひどく微妙な気持ちになった。
 確かに巻いた包帯の量は少しもかわらず、全身のあらゆるところが同時多発的に痛くなる。包帯を変える時、風が少し肌を撫でただけで、ヒリヒリと痛むのだ。
 治りかけどころか、治り始めですらないのかもしれない。

 だが、不思議なことに、思うように身体は動いていた。どれだけ腕を振っても、どれだけ足を動かしても、肌がピリピリする感じはあるものの、芯を削るような痛みはない。
 それだけに不気味であり……キラは泥沼にハマってしまいそうな思考を、ふるふると頭を振って引き上げた。

「ともかく、ガイアは動きにくいはずなんだよ。だからストレスも疲れも溜まる。……少なくとも、他の人と同じように行動は取れない」
「お? となれば、エマールの軍団からは少し遅れた登場となるやも?」
「たぶん、そうなる。だから作戦としては――さっさとエマール軍を打ち破って、ガイアを迎え撃つ」
「しかし……それでは順番を決めただけでは? もっと、奇襲とかあるのでは?」
「……まあ、そんなこともあるよ」
「もしやそれほど考えはなかったな?」
「……倒せば全部一緒さ」
「ひどい脳筋だ」

 かくして。
 キラとローランは、ブラックがエマール領”リモン”に現れたその時に、エマール直属騎士団”イエロウ騎士団”と対敵することとなった。

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