○ ○ ○
ラザラスが、この時を待っていたとばかりに、朗々として声を上げる。
その後姿を、ガイアは王城の執務室のバルコニーから眺めていた。
「……あの爺さんも、結構な強者だなァ。だが――」
ガイアの獰猛な瞳は、広場の隅の方で沸き立つ人々に紛れていた『白馬とその連れ』に向いていた。
思い返すのは、”流浪の民”として”ミクラー教”代表と盟約を交わした直後のこと。リモン”貴族街”で、何やら混沌として楽しそうな事態に首を突っ込んだときのことだ。
最初はキラの姿を目にし、頬に傷を入れたその訳を探ろうとしただけだった。
が、突如として白馬が猛烈な勢いで突進し、あろうことか”硬い肌”を物ともせず砕いてきた。
ガイアにとっては、衝撃的な出来事だった。
酷似していたのだ。数多いる”流浪の民”の中でも特異な存在、”使徒”に格の違いを教えられたその時と。
培ってきた力と自信が脆くも崩れ去り……しかし、なんとかそこで踏みとどまった。
心が折られれば立ち直れないことを、ガイアは知っていた。しっかりと自分の足で地面を踏みしめることがどれほど難しいか、よくよく身にしみていた。
立ち直らなければ、死よりも恐ろしい、生き地獄が待っている。
立ち向かわなければ、地獄の底から伸びてくる手に引っ張り込まれる。
「ハッ……。いいなァ、この緊張感……!」
ガイアは牙をむき出しにして、バルコニーの手すりに手をかけた。
全身の筋肉を膨らませ、跳躍する……その直前、男の声が水を差した。
「――私の話を無視しないでいただきたいのだガ? ガイア」
ベルゼが執務室の机に腰を掛け、神経質そうに鼻を鳴らした。
木の枝が白衣を着ているかのような男の言葉など、無視しようと思えば無視できた。三歩も足を踏み出せば届くような距離にいる魔法使いなど、相手ではない。
が……。
ガイアはバルコニーに背を向け、腕を組んでベルゼと向き合った。
「ひょろっひょろした声で何言ってたかわかんねェなァ」
「君のその不遜な態度、”力”に免じて許してやるヨ。が、次はない――言ってる意味は分かるネ?」
「随分と上からくるなァ、オイ。こそこそと監視をつけるくらいしかできねェ癖によォ。しかも、いざ戦いが始まると飛んで逃げていく腰抜けときた」
「あれはエマールの手のものサ。ンま、私の指示ではあるが。――で、ブラックはどうだったかネ?」
「……羨ましい限りだ。出来損ないがあがいてやっと掴めるものを、最初から持ってんだからなァ。あんなクソみてェな泥仕合、生まれて初めてだ」
「ふム……成長してはいるが、想定の範囲内ということか」
「ンなことよか、アイツは一体何なんだ」
「アイツ?」
「エマールの……丸いほうじゃないヤツだ。あの不気味さはどこから来る? つけてきたところをとっ捕まえようとしても、姿さえ見せやしねェ」
「尾行していたんダ、そう簡単に捕まりたくないだろうヨ。――そうだ、思い出した。”赤い本を持つ何者か”とは一体誰だネ?」
「ンなことまで気になるのか」
「私は、ただキミを信頼したいのだヨ。だから、こうしてエマールとも帝国とも話をつけて、”波動”の感じる場所へ向かいたいという、キミの願いを叶えた。それに……私の研究の行く末が気になるんだろう?」
「……フン。”流浪の民”として”ミクラー教”のヤツと会っていただけだ」
「ホウ? 色々と気にはなるが……ンま、今回はこのくらいでよいだろう。キミの機嫌を損ねて手を払われては、私としても困ったことになるからネ」
「だったら最初から謙虚にしてることだ」
そこで、ガイアはパッとバルコニーの方へ振り向いた。
”正門前広場”では、事態が急変していた。”紅の炎”が空をかけてエマールを焦がし、風の魔法が帝国兵士を押さえつけている。
更には、守られる側にいるはずのラザラスが焦げたエマールをぶっ飛ばし、その上で自ら帝国兵へ仕掛けていった。拳一つで、一人を撃ち鎮める。
「混沌……こうじゃなきゃ来た意味がねェ。もう話は済んだな、ヒョロガリ」
「ベルゼだ。――む?」
ちらりと振り向いたガイアの目には、ベルゼが帝国兵と何やらコソコソと話しているのが映った。
その様子に鼻を鳴らし、手すりに足をかけたところ、
「帝都が落ちた?」
そんな話がベルゼの口から漏れるのが聞こえた。
「たかが海賊に翻弄され……。しかも――たった一人の少年に国が落とされたとは、なんと滑稽か」
理屈も道理もなく。
ガイアはすぐにキラの姿を思い浮かべた。
「ハッ! テンション上がるなァ、オイ!」
○ ○ ○
リリィの目の前で、ラザラスが暴れていた。
先程まではただの老人にしか見えなかったというのに、”秘密の告白”を終えた途端、元気がみなぎり若返ったようだった。
エマールが丸焦げになったのを待っていたかのように、処刑台から飛び降りて早速一人を沈めてしまう。
リリィは帝国兵の動揺と混乱に付け込み、”紅の炎”で空を踏み、距離を詰めた。ラザラスの脇に着地し、襲いかかろうとしていた三人をまとめて焼き切る。
「ラザラス様、ご無事ですかッ」
「わっはっは! わしゃあ、まだまだ若いもんに負けんぞ!」
心配を笑い飛ばすラザラスに頬を緩めつつ、リリィはざっと状況を見極めた。
広場に集まった人々は、セレナの風の魔法によって、うまく身をかがめている。
抗おうと踏ん張っているのは帝国兵士のみ。その数六人。
セレナならばなんともない人数ではあるが、戦場たる”正門前広場”は戦いとは無関係の人々で埋まっている。
被害を出さないためにも加勢したいところだったが、まだリリィの目の前には二人の兵士が残っていた。二人ともすでに魔力を練り終わり、放とうとしている。
考えている暇はない――リリィがすぐさま”紅の炎”を剣に宿したところで、
「おいおい――邪魔だなァ!」
飛来してきた何かに、兵士たちは押しつぶされてしまった。
予想外な出来事にリリィは目を見開き……しかし、すぐに鋭く引き絞った。
「ガイア……!」
「さあ――相手をしてくれや。テンション上がっちまって、どうしようもねェんだ!」
話し合いの余地すらない。
ガイアが大きく踏み込み、溜め込んだ拳を放ってくる。
リリィは一歩間合いを取りつつ、全身に”身体強化”を巡らせ、剣を掲げる。
「ン、ウ……ッ! 何という……!」
ギンッ、と。今まで聞いたこともないような硬い音が響き渡る。
剣から腕へ衝撃が伝わり、ぎちぎちと肘がうなりだす。”紅の炎”も練れないほどに”身体強化”で肘を強化し、うなりつつも背後へ声をかける。
「ラザラス様――ここはお任せくださいな!」
「うむ! では一発くれてから、敵共をなぎ倒してみせよう!」
「え、そういうことでは――」
ラザラスにも、もはや言葉が届かなかったようだ。
筋肉質な巨体で、不思議なほどするりと身軽に隣を通り抜けると、すれ違いざまにガイアの腹めがけて拳をめり込ませた。
が、鈍い音がするばかりで、褐色の男には効かない――はずだった。
余裕の笑みを浮かべていたガイアが、苦悶の表情に変わっていた。
見れば、ラザラスの拳が真っ赤になっている。そのままでは溶岩になってどろどろになってしまいそうなほどに。
「ふふん、その”硬い肌”を過信したな、若者よ。”授かりし者”とはいえ所詮は人……対処法くらい、いくらでもある」
ガイアが一歩退いて唸り声を上げ、そのうちにラザラスは広場の加勢へ向かう。
リリィは呆気にとられてその背中を見送り……獣のような雄叫びを上げたガイアにはっとして我に返った。
「おもしれェ……! だったら――なおのこと、押し通すのみよ!」
吠えるガイアの身体から立ち上るそれは、”青い炎”。
猛獣の雄叫びに呼応するがごとく、ゆらりと揺らめく炎はたちまち燃え盛った。
青く、昏く、昼間を飲み込む。肌をジリジリと焦がす感覚が伝うというのに、炎の苛烈さが増すたびに冷ややかな感触が胸をひたす。
リリィは唇を噛み締め、練り上げた魔力を”紅の炎”へと昇華させた。
「キラから聞きましたが――あなたのその”硬い肌”が”神力”ではないのですかッ」
「そうか――テメェ、”竜殺し”! 通りで”異色”なわけだ!」
「質問に応えなさい!」
昏い炎に飲み込まれぬように、リリィも自身を炎で包み、剣を構えて突進した。
対するガイアは、どっしりと待ち構え、拳をためていた。
撃ち放たれる大砲を、切り落とそうと軌跡を描く。
が、剣も拳も、互いをとらえることはなかった。その直前で炎と炎がぶつかり、押し付け合い、拮抗する。
「そらァこっちが聞きてェもんだ! その”波動”――どうやって身につけた!」
「わけのわからないことを……ッ」
炎は互角。むしろ、”紅”が”青”を押し込んでさえいる。
だが問題は、ガイアの無限にも思えるパワーだった。
抑え込まれているはずの”青い炎”を、強引にねじ込もうと踏み込んでくる。
リリィは焦りを”紅の炎”に変えつつ、打開策を探り――ふいに、キラの顔を思い浮かべた。
初めて手合わせしたときのことを目の前に重ね、身体を動かす。
全身から力を抜き、押し込んでいた炎も一瞬緩め……ガイアがわずかに体勢を崩したところを捉える。
一気に”紅の炎”を剣に収束させ、一歩踏み込み、振り抜く。
”青い炎”もろとも。”硬い肌”を切り裂く。
「グッ……!」
まるで、それに怯えたかのように。
ガイアはシュッと炎を引っ込め、一歩大きく後退した。その脇腹には一条の傷が斬り込まれ、たらりと赤い血を流している。
「そうかよ……まだ足りねェってことか……!」
「硬いと言う割には、先の一撃よりも柔らかいですわね。どのみち、その傷では満足に動けないでしょう。投降しなさい」
「いやなこった。オレぁ、あいにく諦めが悪いんでな――次会う時は、あの馬もろとも沈めてやらァ」
その言葉の意味を図りかねているうちに、ガイアは背を向けた。
ボンッ、と”青い炎”の爆風でユニィ並みの跳躍を実現し、そのまま空中を跳ねて姿を消してしまった。
「まったく……誰も彼も、身勝手が過ぎますわよ」
リリィは脱力してつぶやき、身体にろくに力が入らないことに気がついた。
魔力を使いすぎたのだ。あのまま”青い炎”を押し切ろうとしていたら、逆に飲み込まれていた。
地面へ向けて倒れゆくのにピクリとも動くこともできず……そこを、いつの間にやら近くに駆け寄っていたセレナが支えてくれる。
「うぅ……ありがと」
「これでは、無茶をしすぎとキラ様を叱れませんね」
「……言わないで」
「リリィ様の態度次第ですね」
冗談めかして言うセレナに頬を緩め、リリィは広場に目を通した。
ラザラスと上手く連携したのか、すでに住民は一人としていなかった。ラザラスが最後の帝国兵士を打ち沈めているそのそばには、五人の兵士が転がり悶絶している。
一息ついて満足そうにうなずくラザラスの背中を、白馬のユニィが鼻先でつついていた。
老人は、まるで旧知の仲の友を迎え入れるように、豪快に笑ってその首元をバンバン叩く。そのがさつさにユニィがしっぽをブンブン振り回しながら息巻き……。
「アイツは逝ったか……」
疲れていたリリィには、その言葉の意味がいまいちピンと来なかったが。
白馬の首元を撫でるラザラスのしょぼくれた姿に、胸を締め付けられる思いがした。
「もしかして、ランディ様は……」
セレナのそのつぶやきが聞こえたかのように。
ラザラスは老いぼれた雰囲気を一蹴し、快活な笑みとともに振り向いた。
「そら、こっからが大変だ! 城内から防壁の方面から、帝国兵士が押し寄せてくるぞ!」
リリィはセレナから離れてなんとか踏ん張りつつ、頷いた。
「ええ、そうですわね。ここはわたくしたちが対応しますから、ラザラス様はユニィとともに……」
「はっは! 面白い冗談だ! そんなフラッフラで何を言う。安心しろ――わしが守ってやる」
「先程言いかけましたが、それは……!」
「王の務めだ。弱き王は、このエグバート王国の頂点の座につけやしない。――その点で言えば、さすがはわしの娘といったところ!」
ラザラスが視線を向けた先には、王都の防壁がある。
その外側で、花火が打ち上がっていた。ひゅるりと真っ青な空に登っていく真っ白な線が、頂点に到達するや、ぱっと二手に分かれて弾ける。
円状に鮮やかに散った火の粉は、『バラとリンドウの二輪の花』を形作っていた。
それは、王国軍の到着を意味していた。予定では、三方向からの同時多発的に襲撃の合図を打ち上げるはずだったが……北西と南東で遅れて花火が咲くのを見る限り、どうやらローラ率いる本隊が先走ったようだった。
「うむ、わし考案の”花火の魔法”……本家と比べればちぃと劣ってしまうが、それでもやはり良き光景! ふっふ、やる気が出てきたなあ!」
「ですから、それはわたくしたちの――」
「さては、”英雄の右腕”とも謳われたわしの実力を知らんな? むう……アイツばかり唄になるからこうなる! 若者よ、いまこそしっかとその脳裏に刻み込むときだ!」
王城を巣食っていた敵国兵士を、元国王が出てきた端からなぎ倒す。
おそらくは歴史上類を見ないであろう珍事が、”王都奪還戦線”の中、ひっそりと繰り広げられることになった。