91.食の理念

「少年……彼はキラというんだが、さっきも言ったとおり、戦う気はない」
「何やら経緯があるということですかな?」
「ああ。ま、単純な話、巻き込まれたってーだけだ。なんでそう言えるかって? そりゃあ、俺が使いとして出したからよ」
「ほう……。では、ミテリア・カンパニーの一員であると?」
 皇帝は、頷くロジャーにというよりは、キラに問いかけた。

 キラは聞き覚えのない話に、緊張しながらもさも当然であるかのように頷く。
 すると、しばらくの後に、老人は微笑んだ。深いシワと真っ白なひげで判別しにくかったが……すべてを読み取ったかのように、朗らかに。
「……ばれた」
「早いぞぉ……」
「ふふ……。して、話の続きを聞かせてもらえんかの」

 ロジャーは、何度目かのわざとらしい咳払いをして、よく通る声で言った。
「端的に言えば、少年は巻き込まれただけ。海賊と勘違いされりゃー、誰だって戦うだろ? しかも俺の命令で、彼は律儀だ……”五傑”も倒すさ。そんなとこ」
 口上の割にずいぶんと雑だった。その証拠に、先程の”軍部”のアバルキンを含め、何人かの軍服の男が口を出そうとしていた。

 が、カツンっ、とひときわ響く杖の音によって、誰もが硬直した。
「みな……分かっておろうが、緊急事態ゆえ、法の名の下……このアレクサンドロ・ペトログラードが皇帝としてすべての決定権を有する。話を聞き、飲み込むのも、すべて……よいな?」
 誰も、何も言わなかった。
 ”軍部”所属の男たちも、その声の圧から逃れるかのように、少し身じろぎするだけにとどめていた。

「ロジャー殿とキラ殿、二人は海賊たちとは無関係と……そういうことでしょうかな」
「そのとおり。で、なぜ俺が少年を派遣したかってーと……いや、その前に。アバルキン、ちょっとだけ釘を差しておいてやろう。話のたびに邪魔されちゃ、たまったもんじゃない」
 ロジャーは、まるで自慢の一品を披露する画家のように、胸を張って続けた。

「港町ガヴァン。数日前に、海賊の襲撃に遭ったそうだな。嘆かわしいことに、かなりのダメージを負ったという。基地局長のリフォルマから連絡を受けたよ……今、わがミテリア・カンパニーが総力を上げて支援中さ。この意味を分かってくれるとありがたい」
「貴様……! それは脅しかッ」
「違うな、これは取引。こっちが手を差し伸ばしてる……この手を引っ込めんのは俺の気分次第だし、逆に突っぱねるのもオマエらしだい。そういう現状の確認だ……わかってくれたかね、軍部”地方総督”アバルキン殿」

 アバルキンの顔を真赤にしてこらえる姿に満足し、ロジャーは続けた。
「さ、本題に入ろう。なに、至極まっとーで簡単な話だ……。とある提案をするために、こうして少年を派遣したのさ。ま、最終的には俺がこうしてでしゃばる羽目になったが……まあまあ、そりゃどっちでもいい」
「提案、とな?」
 皇帝ペトログラードが口を挟む。
「貴殿らミテリア・カンパニーは、どの国にも属さぬ完全中立組織。末端のものならばともかく、その頭領である貴殿が話を持ち出すとなると、なかなかに無視できぬ事態となるやも知れぬが?」

「さすが皇帝。――時に。帝国という国に関わって、ほんとに不思議に思ってることがある。なぜ、二百年もの間、世界でも屈指の軍力を有するエグバート王国に仕掛けるのか?」
 この問いかけには、皇帝は応えることはなかった。
 静かに鼻から息を抜いて、深く玉座に掛け直す。しわくちゃのまぶたで瞳を覆い隠すさまは、零れそうな涙を抑えているようだった。
 そんな姿に気づいていないのか、アバルキンが息巻いて反論した。

「簡単なことだろう! 我らが帝国は、貧しい土地の上に成り立っている! 貧相な土では食物は育たない、だから食べられない――だからより良き土壌がほしい! 引くに引けないのだ。貴様も十分に知っていることだろう!」
「知ってるとも。戦争を続け、戦力たる兵士の数が減り、ついには――地方の村々の青年を強制的に招集する始末。だというのに、その村々に金や食糧をせびりつづけ、どんどんどんどん潰していく!」
 身振り手振りで言葉をつなげるごとに。口調は荒く、語気は強くなっていく。
「――知っているさ、すべて! うちにどれだけの帝国出身がいると思ってる! どれだけの嘆きを聞いたと思ってる!」

 ロジャーの憤りは、演技などではなかった。凶悪な悪人面からはにこやかさなどは消え去り、血管が浮かび上がる。
 その迫力と恐ろしさに、アバルキンやその他の面々はおろか、キラも皇帝も気圧されていた。

「これで戦争にうんざりしないとは、どれほどの阿呆か! ミテリア・カンパニーの食糧支援を、こともあろうに戦争のために費やすとはなんたることか! 我らの理念は『食で世界をつなげる』ことにあり、中立性はこれを保つためのものでしかない! すなわち、”理念”の通用しない場所に、中立性もくそもない! 乱入介入上等だね!」
 確かに、と。
 世界を股にかける大商会のリーダーにふさわしい、と。
 言い切るロジャーの姿を見て、キラは強くそう思った。

「まったく、大声をだすと喉が痛くなる……」
 ロジャーは張っていた肩を落として、一旦息を抜いた。
 それから恐ろしい雰囲気を引っ込めて、常のニタリ顔でしんと静まる”玉座の間”を見渡した。
 誰も彼も、何かと反応していたアバルキンでさえ、反論もなくロジャーの言葉を待っていた。

「提案ってーのは、だ。我らが一員のもつコネクションを、フルに活用してみないかという話を持ちかけにきたのだ」
「ほう。コネクションとな?」
 皇帝ペトログラードは、ゆっくりと瞼を開けて、深緑の目を向けた。
 キラは、今度は緊張することなく、老人の目線に頷いて見せた。

「この少年は、エグバート王国と深い関係がある。あのエルトリア家のご令嬢、リリィ・エルトリアととんでもなく親しい間柄だそうだ」
「え、そこまでは……」
「だまってぇ……!」
 静まり返っているために、ロジャーの掠れた怒鳴り声は、奇妙に”玉座の間”に反響した。
 すると、緊張の糸がほぐれたのか、誰かがくすりと笑みをもらした。その緩みは風がゆるりと渡り歩くかのように伝染し、和やかな雰囲気をもたらした。

 キラは恥ずかしさのあまりロジャーをにらみ、ロジャーもまた締まりのなさを押し付けるように睨んできていた。
「そんなわけで、だ! ――ほらほら注目! ったく、俺は教師かよ」
 ロジャーのボヤキに、今度は皇帝が思わずと言ったふうに噴き出した。
 国のトップが笑ってしまったのだ。緩んだ空気は戻らず……ロジャーは大きくため息をついたものの、少しばかり嬉しそうに微笑んでいた。

「まー、いい。さっきの続き、多分聞かなくても分かるだろーが、俺と少年が王国との架け橋になろうって話だ。ただ一つ注意してほしいのは――」
「その懸念は杞憂となるだろう」
 ひとしきり笑った後、皇帝は静かに遮った。
 はっきりと断言したのを意外に思ったのか、ロジャーは片眉を上げて老人の言葉の続きを待った。

「ラザラス・エゼルバルド・エグバート……彼のことは先代からよく聞いておる。五十以上も年の離れた異国の王に『まぶだち』と言ってのける豪胆さと素直さ……。聞き及ぶ奇抜さは、そうかわるものでもなかろうて」
「だろうな。俺も一度顔を合わせたことがあるが、ありゃ相当な変人だ。真面目さと厳格さで取り繕ってるがな。貿易取引くらい、軽く受けてくれるはずさ。それでも敵国同士だったわけだし、いろいろと揉めるだろうが……ま、そこは外交力の見せ所ってやつだ」
「むろん。民のために、帝国の未来のために……皇帝アレクサンドロ・ペトログラードの名において、即時軍の撤退と、現段階あるいは今後の侵略作戦の撤廃を決定づける。帝都の警戒態勢も、もう十分じゃろうて」

 皇帝の面前に集った高官たちの反応は様々だった。
 安堵で胸をなでおろす者もいれば、ついつい手放しに喜ぶ者、慌ただしく”玉座の間”を離れていく者もいる。
 そんな大半の反応と対照的だったのが、”軍部”の者たちだった。
 アバルキンを始めとして、誰もがうつむいて顔を見せない。
 悲壮感の漂う姿に、ある種の危機感を覚えたキラは、”センゴの刀”に左手を添えた。が、それを察知した皇帝がゆるりと首を振るった。

「少年。これ以上、踏み込んではならん。君は中立の人間……いずれ国という枠組みを越えていく人間となるだろう。ゆえに……いまは、少しばかりの口添えだけに済ませてほしい」
 キラは、自然と踏み出そうと溜めていた力を緩めた。その深緑の瞳に逆らってはならないと思う何かが、老人にはあった。
 刀から手を離し……パンッ、と手を打つロジャーに目を向ける。
「さてさて、忙しくなるぞ。少年、オマエもだ。船を出そう、今すぐに――」

 そこまで聞いたところで、ロジャーの声がどこか遠く消え去った気がした。
 一気に。肌がざわつく感覚が、身体中を包んだのだ。

 ”闇の神力”だ――キラは駆け出した。

「おい――」
「ブラックが来た! この力――かなり大きい! 戦いになるから避難を!」
 叫ぶ間にも”玉座の間”の扉を蹴飛ばす。ロビーに転がり出て、階段を三段飛ばしで飛び降り、再び玄関扉を蹴りつける。
 そうしてすでに真っ暗になった外へ飛び出て――身体がふわりと浮いた。

「——ッドラゴン!」

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