90.皇帝

 キラはロジャーがそそくさと移動するのに従い、前庭を突っ切る。
 そのまま城内へ向かうかと思いきや、ロジャーはくるりと方向を変えて、玄関そばの柱の陰に隠れた。

「聞きたいことのもう一つ、当ててやろう。あの海賊たちは、俺の配下で、俺の指示で動いていたんじゃないかって。だろう?」
「うん」
「まあ、身内の恥を晒すようであまり言いたくはないんだが。あえて一言でまとめるなら、やんちゃ坊主共が勝手やったてとこだ。しょーじき、巻き込んですまんかったと思ってる」
 謝りもしなければ頭も下げない姿に、キラはとたんに疲れを感じた気がした。

「まあ、僕も危ないところを助けられたから、文句は言わないけど……。ミテリア・カンパニーの内部で分裂が起きてるかもって、本当のことだったんだ」
「ほ〜? 起源のことと言い、内部分裂と言い……誰かに聞いたようだが?」
「レオナルドからだけど……。あれ、そういえば創設に立ち会ったとかって……」
「こりゃ大物……! ラザラス派もいいが、やっぱりレオナルド派なんだよ、俺は」
「え?」
「うん? ――ぅ、ぉほんっ。そうだ、隠密行動が必須だ。忘れない内に……魔法が使えなくても心配するなよ」

 大げさに咳払いをしてから、ロジャーはパチンッと指を鳴らした。
 すると、ふと何かが肩に降り掛かった気がした。何か変わったのかと身体を確認してみるも、とくに異常なところはなかった。
「……ほんとに成功したの?」
「なんだ、その疑い深い顔はっ。ちゃんと成功した。だが、人の目は欺くが、声はこの通り他人にも聞こえてしまう。――で、俺としても聞いておきたいことができた」

 飄々とした雰囲気はそのままに、ロジャーの顔つきがガラリと変わった。
 それまでニコニコとしていたのが一転して、もともとの凶悪な顔つきを際立たせるように鋭い目つきとなった。
「王都を救いたいと、オマエは言ったな。俺の思い違いでなければ、王都は帝国軍に占領されている。およそ一週間前のことだ。……どんな方法を使って帝都まで来た?」
「”転移の魔法”だよ。絡繰りはしらないけど、レオナルドが自分の元へ飛ぶように色々と画策したみたい」
「ほう……なるほどな、あの”奇才”が。俺の知る限りじゃ、突如として帝国の外部顧問を辞退した後、どこへともなく姿を消したという話だ。今や物語上の人物として扱われるくらい――そんな伝説が、どうやってオマエとつながった?」

「そんなすごい人には思えなかったけど……。ずっと袋かぶってたし」
「袋。……袋?」
 凄んでいたロジャーが途端に目を丸くして、凶悪さが一気に間抜けさに取って代わった。
 あまりの変わりように噴き出しそうになり、そんな様子に気づいたロジャーは恥ずかしそうに背筋を伸ばして、おほんと咳払いをした。
「で、どんな繋がりが? かの天才レオナルドといえば、かつて”不死身の英雄”とともに旅をしていたことでも有名だが……まさか、その”英雄”とお友達なんてことは――」
「友達……っていうよりも、師匠というか、恩人というか。そんな感じ」
「おぉ〜う、まじ?」

 キラは軽く頷くだけで、深くは言及しなかった。
 偉大な恩人は、もうこの世にはいないのだ。その名前を聞き、そして口にするだけでも、胸をぐずりと何かが引き裂く。
 それに耐えられそうもなく……否、耐えて平気なふりをするだけで精一杯で、それ以上は何も言うことができなかった。

「ってことは、なんだ、ひょっとしてオマエ、人脈おばけ?」
「おばけ……?」
「ニュアンスと流れを汲めよ。オマエ、『王都を助けたい人を救けたい』って言ってたけど……。よくよく考えれば、この状況で王都を救おうとするなんざ、なかなかのチャレンジャーだ。……竜ノ騎士団? 王国騎士軍?」
「竜ノ騎士団の……元帥って言ってたよ、リリィは」
「そりゃ……帝都を落としに動くわけだ。非常識集団に囲まれてりゃーな」
「……? リリィもセレナも恩人だから、助けたいのは普通でしょ」
「思いついても一人じゃやりゃしねーんだよっ!」

 ロジャーはそう叫び、はっとして口を抑えた。
 キラも言い返したいところをぐっとこらえ、耳をそばだてる。
 王城の扉が開き、金属の鎧独特の足音とともに、見回りをしていたらしい兵士が飛び出したのだ。

「いまの声は……ッ?」
 兵士は聞こえた場所に確信があるのか、ゆっくりと大股で近寄ってきた。
 逃げる暇もなく、キラは隠れている柱にビタッと背中を引っ付け……ばくばくと心臓をうならせながら、すぐそばを通り過ぎる兵士に見つからないように願った。
 すると、兵士の顔がこちらを向いて目が合い……しかし、何事もなかったかのように別の方へ視線をやった。
 目が合ったと思いヒヤリとしたが、ロジャーの魔法が効いたらしい。兵士は首をかしげながら遠ざかっていく。。

 その隙にキラはロジャーとともに静かに城内へと潜入した。
「こっから”玉座の間”までは一直線だ。階段をのぼったすぐそこ」
 ぼそぼそとロジャーが指し示す先に注目する。
 帝国城のロビーは、国の玄関口とだけあって、豪華絢爛な内装をしていた。
 入り口から赤い絨毯が真っ直ぐに伸び、幅広な階段も深紅色で染めている。つるつるに磨かれた大理石の床が広がり、等間隔に石柱が床から生えて天井を支えている。
 その一つ一つ、あるいは升目ごとに幾何学的な模様が施され、まるでロビーそのものが一つの芸術作品となっていた。

「海からの砲撃音もやんだし、街中も静かになりつつある。バザロフたちは、オマエがなんとかすると思って撤退を始めたってところだろう」
「その”玉座の間”に皇帝が?」
「なかなかの緊急事態だ 、とろとろ議会を招集してる暇なんてない。うろ覚えだが、帝国はこういうとき皇帝に全権限と発言権が与えられたはずだ。厄介な”軍部”もその指揮下に入る……はず!」
「ってことは、今乗り込めば……」
「ああ。皇帝の鶴の一声があれば、まるっと全部解決する。だが――くれぐれも、さっきみたいに間抜けな反応はよしてくれ。俺にも計画ってーもんがあるんでな」
「分かった。でも、一体どうやって……」
「そこは腕の見せ所ってやつだ。何より詳しく話すと長くなる。ってーことで……」

 階段を登りきったところで、ロジャーは指をぱちんとならした。
 それは魔法を解除した仕草であり――実際に、ばんっ、と勢いよく開け放った。”玉座の間”に集う人間すべての目が一挙に集中する。

「これは……! ロジャー殿ではありませんか。急なご来訪、驚きましたぞ」
 ”玉座の間”には、その名の通り、皇帝の腰掛ける玉座しかなかった。随所に職人の技が光る豪奢な空間は、寂しいくらいに空っぽのようではあったが……皇帝の前で整列してひざまずく面々により、むしろ圧迫感すら感じられた。
 一様に振り向く彼らの表情は、もちろん険しい。激高して立ち上がる中年男もいれば、真っ先に皇帝の顔色をうかがう壮齢の男性もいる。

 中でも機敏に動いたのは、隅の方で待機していた兵士たちだった。
 皇帝が先んじて話しかけたのにも関わらず、一人の剣士が一直線に向かってくる。
「無礼者ッ!」
 フルフェイスヘルメットでくぐもる声を出す男に対し、キラも一歩踏み出した。
 両肩の痛みや体にかかる重さで思ったようには動けず、抜き放ったひと振りで降りかかる剣を受け止めるにとどまる。

「王様を無視して……どっちが無礼なんだかっ」
「なにを…ッ!」
 一瞬の鍔迫り合いの後、キラは一歩大きく退きつつ”センゴの刀”を振り切った。
 兵士の手の甲を切り裂き、すると、うめき声と一緒に剣が床に落ちる。
 キラが懐へ踏み込もうとしたところ、
「おっと、そりゃーやりすぎだ」
 コートのフードをロジャーが掴んできた。

 おかげで首が絞まり、妙に潰れた声が喉から漏れ出る。
 咳をしつつ涙目で睨むと、彼はオールバックの髪の毛をなでつけながらスルリと視線をそらした。
「さすがだ、少年。”五傑”二人を見事打ち破っただけはある」
 取り繕うように。ロジャーは声を張って言い、ゆっくりと拍手を響かせた。
 パン、パン、パン、と。一つ音がなるたびに音がざわめき、襲いかかった兵士の戦意が抜け落ち、そうして静かになっていく。

「見ての通り、無傷とはいかないが……彼は強者二人を倒した。俺としちゃー、逆らうのはあまりお勧めしない」
 誰も何も言わないのを見て、ロジャーは満足そうに頷いた。
「ああ、勘違いしないでほしい……こっちにゃ戦う意志はないんでな。ま、外では結果的には暴れてしまったが……そこは一つ、俺の顔に免じて許してほしい」
 どうやら、帝国にとってロジャーという男の存在はかなりのものらしかった。
 兵士が襲いかかったと同時に、それ見たことかと立ち上がったものが数人いたのだが……その勢いが嘘だったかのように、今や皆と同じように膝をついている。

 ロジャーはフンと鼻を鳴らし、堂々とまっすぐに歩きだした。
 整列している中を突っ切り、キラもその後を追う。
 そうして、玉座の前にひざまずく素振りすら見せず、皇帝と皇帝の命により招集された人々を見渡せる場所を陣取った。

「何事かと、伺ってもよろしいかな」

 低くしわがれた声で、ゆったりと問いかけたのは皇帝だった。
 椅子に腰掛けている姿は老人そのものだ。背中を丸めて座り、しわがれた細い手で杖を握り、前のめりに折れそうな体を支えている。
 手の様子から見ても、木の枝のように細いのは明らかだったが、それを感じさせないゆったりとした衣装で身を隠している。
 長い髪の毛も、顔の下半分を覆う長いひげも、見事に真っ白。顔中のシワが目元と鼻梁へ向けて収束され、その深い溝により顔中のたるみが強調されている。

 身体の老いと衰えに押されつつある、貧弱な老人だった。
 だが、その名を知らずとも、彼が皇帝であることはひと目で分かる。
 なにせ、深く輝く緑色の瞳は、どこまでも鋭く、どこまでも迫力があるのだ。
 キラは自然と居住まいを正し……対するロジャーは飄々とした態度を崩すことなく、肯定の問いかけに答えた。

「何事かってーのは、たぶん、この少年を連れてきたことに対してだな? 海賊共を率いて現れた少年を、なぜこの俺が手を引いてやってきたのかって」
 皇帝は深く頷いて口を開こうとして……それを大きな声で遮る者がいた。
「言葉を慎め、よそ者ッ! 誰に対して口を利いている――商売人風情が、つけあがるんじゃない!」
 勢いよく立ち上がった中年男が”軍部”の人間であることは、キラにもすぐに分かった。
 詰め襟の軍服に、肥えた体つきを象徴するでっぷりとした腹。港町ガヴァンで出会ったリフォルマとよく似てはいたものの、その顔つきは比べるべくもなく醜く歪んでいる。

 一瞬にして頭が沸騰し、
「陛下の御前でしょ。軍人風情が、なにその言葉を遮ってるの」
 キラは怒りを抑えつけながらそう言い……奇妙な気分に陥った。

 腹が立って仕方がなかったのは、単に”軍部”の中年男が帝国の内情も知らないような体つきをしていたからだった。
 ゲオルグは、幼少期から食べられない時期が続いたために体の線が細くなり、そのうえで少食となった。グリューンと同い年くらいのキリールは、村の壊滅を体験している。
 彼らを知っているからこそ湧いてきた怒りだった……だが、口をついてでてきたのは、全く別のこと。

 キラが唖然とし、中年男がまた声を荒らげようとしたところ、ロジャーが強い口調で静止した。
「ほらほら、んなガキみてーな喧嘩するんじゃない。少年も、それと、アバルキンも。話がちっとも前に進まないぞ!」
 ロジャーに続き、今度こそ皇帝がしわがれた声を出す。
「さよう……。少年、余への気遣いは心温まるが……今は、貴殿の所在を問いたいのだ。いまいちど、心を鎮められるようお願いいたしたい」

 老人の目つきも口調も、さきほどとはまるで違っていた。荒くれていた心をそのまま表したような様だったのが、爽やかに吹き付ける凪のごとく穏やかになっている。
 キラは頭を下げて一歩下がり……ロジャーはホッとした様子で話を続けた。

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