”四角地区”に上る階段を、一歩ずつ慎重に上がっていく。
すでに、帝国の追手はない。広場に集まりつつあった兵士たちは、”五傑”であるネゲロとグローザが立て続けに敗北したのを目にしたからか、敵対しようとはしなかった。
それでも何人かは襲いかかってきたが、混乱と恐怖からくる衝動的なものであり、とくに苦労することはない。
それよりも問題なのは、キラ自身の身体だった。
グローザから受けた右肩の傷は、思った以上に響いた。連動するかのように、”人形”に貫かれた左肩もずきずきと疼きはじめている。
さらには、急激な”雷”の放出と蓄積が連続で続いたからか、どっとした重さがのしかかっている……もはや、心臓がうごめいているのかどうかさえもわからないほど、体の中の感覚はぐちゃぐちゃだった。
踏ん張りの効かなくなる体でなんとか階段を登りきり……キラは思わず舌打ちをした。
階段を上がってすぐに目に飛び込んできたのは、帝国城だった。寒さを物ともしない頑強な造りは、のしかかってきそうな迫力がある。
”四角広場”を歩ききれば、到着したも同然なのだ。
だが、広場の中央で誰かが待ち構えていた。
「おぉ〜う、やるねぇ、少年。一人突っ走ってここまでくるとは、大したもんだ。いや、まじで、感動したよ」
パチ、パチ、パチ、と。ひときわ響く拍車が一つなるごとに、光る球体が浮かび上がる。
まるで暗がりから姿を表すようにできた男は、飄々としていた。
帝国出身でないことは、その体つきから見て取れた。せいぜいキラと同じくらいの目線で、筋肉質というわけでもなく、いわゆる普通な体型ではあった。
身にまとうのは、足元まで覆い隠す真っ黒なロングコート。しかし、この寒い中、ボタンは開けっ放しで、真っ白なシャツも胸半ばまではだけている。
胸の肌や手の甲には、何やら刺青が入り……そういった見た目の軽さとは裏腹に、一切の隙がなかった。
キラは油断なく刀を構え、すると、男は降参とでも言うかのように両手を上げた。
「待て待て、俺は敵じゃあない。どっちかってーと、オマエの味方さ――大変だったんだぞ？ 色々と悩むこともあったしなぁ」
「もしかして、リヴォルの言ってた”強力な味方”……？」
「リヴォル？ ――あぁ、そっちじゃない。俺側の人間は、オマエのそばにはいなかったはずさ……というと、ちっとばかし語弊があるが、まあ、そんなとこさ」
要領を得ない言い方をする男を、キラは困惑しつつ見つめた。
飄々とした物言いや態度、魔法の光で照らされた表情とは裏腹に、随分と凶悪な顔つきをしていた。彫りの深い顔立ちで、眉や目つきがくっきりとしているのだ。
それだけに、少しばかりコケた頬や尖った鼻先、釣り上がり気味の口元が、強烈な印象を放っている。口元のひげやあごひげも、その悪人面を強調していた。
「信じられないか？ まあ〜、そりゃそうだわな。だが俺がこう言ったらどうだ？ 海賊船”コルベール号”は俺の船だ」
「けど……船では見かけなかった」
「そりゃあ〜そうだ！ 乗ってやしないんだからな！ なんなら、少年、オマエがここにいるのは俺にとっても想定外だった！」
「……どういうこと？」
「つまり。あの船は、ミテリア・カンパニーのボスであるこの俺、ロジャーの所有物だってことさ」
「ミテリア・カンパニー……！」
予想外の名前が出てきたことに、キラは絶句した。
その名前を最初に聞いたのは、エマール領リモンでのことだ。”貴族街”に虐げられていた”労働街”が、想像に反して賑わっていたのに驚いていたところ、ニコラから聞いたのである。
そして、そんな活気が巻き起こる理由を、レオナルドから教えてもらった。
ミテリア・カンパニーは『食で世界をつなげること』を理念にした大商会。その商会が、”食の王国”とも呼ばれる王国のエマール領で取引をしていたのだ。
そんな大商会のボスが、なぜ海賊船である”コルベール号”を所有しているのか……すぐに思い至ることができた。
「そうか……ミテリア・カンパニーは、もともと海賊。だから……」
「おぉ〜う？ 俺達の起源を知ってるってーのは、なかなか目の付け所が良いじゃないの。――で、意外と油断ならない感じだ」
「……それはお互い様でしょ。僕としちゃ、あなたが敵か味方か、わかりかねるんだけど」
「ふん……やっぱ油断ならない。良いだろう。何が聞きたい？」
「聞きたいことなんてないよ。一刻も早く皇帝を抑えたいんだ――そこをどいて」
「そうくるか……。しかし俺の記憶するところによると、オマエはよそ者だ。するってーと、だ――王国人にほかならない気もするわけだが？ 何より、俺と同じくらいの背丈だ」
探られているのだと、分かってはいた。だが、目の前に帝国城があるというのにすぐに踏み込めないもどかしさが、いらだちとともに素直な答えを吐き出させた。
「そういうわけじゃないけど。でも、王都を助けたい人の救けになりたい」
「なるほど、なるほど……。ふん――よし」
ぱんっ、とひときわ強く手をうち、ロジャーは背中を向けた。
「喜べ。この俺が直々に交渉を取り仕切ってやろう」
「交渉？」
「ああ、ついてくりゃあ、わかる。そら、早く。――刀はしまっとけ？ ふらっふらのオマエにやられるほど、弱くはないんだ」
キラはムッとしつつも、刀を納めてロジャーの後ろ姿を追った。
その足取りはフラフラとしており、酒でも一杯引っ掛けた酔っぱらいのような陽気さがあったが……。
「そういうわりに、あなたもかなりぎりぎりなんじゃ？」
改めて、魔法の光を頼りに注目してみると、ロジャーの服のところどころが破けていた。怪我は負っていないようだが、擦り切れたり裾がほつれたり、戦闘の激しさを物語っていた。
「ハッ、やっぱり油断ならない！ 互いにやせ我慢してんだ……仲良く行こーぜ」
「そうは言うけど……こんなに正直に真正面から、大丈夫なの？」
「おもしろい冗談だ！ オマエも同じようなことをしたんじゃないか？」
「そりゃあ、それしかないから」
「ふっ、言い切りやがる。しかしな、俺に対してその質問は愚問だ――なんてったって、天下のミテリア・カンパニーのボス！ 断られりゃ押し通すのみ！」
「同じじゃん」
「そんな必要はないからこそ効くジョークだ。おわかり？」
「はあ……」
「ミョーな奴だな。海賊って起源は知ってるってーのに。――なら、よく聞け。俺達が命よりも大事にしているもの、それが”食の理念”。この理念を貫くためには、どんな強国にも、どんな大国にもなびいちゃならない」
身振り手振りを使って、大演説を始めるロジャー。
未だにどこからともなく冷たい風に乗って戦いの音が聞こえる中で、その姿は眉をひそめてしまうほどに緊張感がなかったが……それもまた、フラフラとする足取りを隠すためのものと分かり、キラは黙って聞いていた。
「だがな。そりゃ関係を持たないってーことじゃない。だから、基本的にはどんな国とも手を結ぶのさ」
「”食の王国”以外は、じゃないの？」
「話の腰を折る上に、痛いところをつくとは……煽りスキルがなんと高いことか。ああ、そうさ、王国は例外。ちょいと前に協力はしてやったが……アレも例外だ、うん。決して……決して、伝説の創設者に会いたかったからじゃない、うん」
自分を納得させるように何度も頷くロジャーに、キラは疑いの眼差しを向けた。
すると、それを察したかのように大きな咳払いをして、話を強引に戻した。
「で、だ！ オマエが知ってるかはしらんが、帝国は世界一食糧難の国と言っていい。だったら、俺達の出番しかないと思わないか？」
「じゃあ……帝国には顔が利くってこと？」
「正解！ だから――ほら、そこの門番二人。そうかっかしないで、門をあけたまえ」
そういってひらひらと手を振るうロジャーに対し、城門で襲撃に備える門番たちが身構えないわけがなかった。
「ロジャー殿とお見受けするが……お断りいたす。黒髪に刀――隣の少年は、海賊たちを率いているという人物の特徴と合致している」
「と、通せと言われても、通すわけには参りません……！」
一人は屹然と、もうひとりは声を震わせながらもはっきりと断った。
ロジャーは面倒くさそうにため息を付き、オールバックになでつけた茶髪を片手で整えた。
「俺には関係ないな。この少年も。彼は運が悪かったのさ。なんてったって、海賊たちが帝都を襲撃する戦場に巻き込まれてしまったんだからな！ こりゃ仕方ない、ってーことで、泣く泣く――そう、泣く泣く、刀を手に戦場を駆けたわけだ」
「え、そんなこと――」
「おだまり！」
口を挟もうとすると、ロジャーがくわっと振り向き、目をむいて静かに怒鳴った。次の瞬間には、凶悪な顔つきでニコリと笑って向き直る。
「ところで諸君。俺はある程度帝国の情勢にも精通している――商売をする場所なんだからな。キミたち二人は、確か”穏健派”寄りだったと記憶しているのだが？」
核心を突かれたとでも言うように、門番二人は視線をそらした。
「あ〜、目は口ほどに物を言う。ではここで問題だ。このキラくんが、仮に――仮に！ 王国からの使者だとしたら、君たちはどうするべきか……。そして、このミテリア・カンパニーのボス、つまり俺が、王国との架け橋になろうとしていたら……」
門番の一人が、静かに杖を取り出す。ひゅっ、と一振りすると、鉄の壁のようだった城門が、ゆっくりと持ち上がる。
「なるほど。――キラくん、どうやらここからは隠密行動のようだ。魔法は？」
「使えないけど――」
「おっと、質問も文句もあと。さっさと門をくぐってしまおう」
ちらりと門番たちの様子をうかがうと、彼らは悔しそうに唇を噛み締めながらも、定位置で自分の役割を果たしていた。
つまるところ、彼らとしても『何も聞いてない、誰も通らなかった』ということらしい。
キラは微妙な気分になりながら、二人に頭を下げて、ロジャーと同じように身をかがめて城門をくぐった。
「さて……聞きたいことは？」
「色々できたよ」
「素直で結構。一つは手にとるように分かる――オマエは王国の使者ではない。そうだろう？」
「交渉とかなんとか言ってたけど、あんな嘘ついて……そんなことで国相手にどうにかなるとは思えない」
「仮にと言ったぞ、俺は。外れることもある」
「適当だ……」
「何を言う。この計算づくしの策略が読めないとは、まだ青い」
「策略ね……。でもあの海賊は――」
「おおっと、ちょっとばかり移動しようか。ここは目立つみたいだからな」
