85.環境

 リヴォルからは単調な道のりと聞いていたが、とんでもなかった。
 確かに西へ向かってまっすぐ進めばいいだけで、道中に立てられた標識に従うだけなのは、簡単といえば簡単だった。
 が、何分、帝国は寒い。サガノフによれば、夏にならない限り、降り積もった雪がとけることはないそうだ。

 まだ六月。
 というわけで、車窓から見える景色は殆どが白色にそまっている。おかげで、なだらかな丘一つ越えるのも危険が伴い、なるべく迂回する形となる。
 少しでも油断するとつるりと車体が横滑りし……それが延々と続くとなると、乗り物酔いしやすい人間にとってはまさしく地獄だった。

「うぅ……。魔法でなんとかならないの……?」
「てめぇは乗ってるだけなんだから、まだいいじゃねぇか。オレらなんか、極寒の中ずっと交代で御者やってんだぞ。ンな便利な魔法がありゃ頼りてぇのはこっちだっての」
「そう……う」
「またか……。サガノフ!」
 もはや慣れたように止まる馬車から飛び出て、キラは道端にしゃがみこんだ。
 その様子を見かねてサガノフが背中を撫でる……ということが出発から何時間かおきに続いていたが、今回はため息を付きながらもゲオルグがさすってくれていた。

「ったく、こんな調子で大丈夫かよ」
「ごめん……。完全に置いてかれてる……」
「まあ、そりゃ、割といつものことだからいいんだがよ。オレら、まとまりはあるが半端者の集まりだからよ。いつも誰かが勝手やるんだ」
「そう……」
 キラは渡された水筒を傾け、口に残った不快感を綺麗サッパリに洗い落とす。ひやりとした冷気が代わりに入り込み、それも相まってか、気持ち悪さが身体の中から消え去った。

「けど、今回はそういうんじゃねぇんだ。親方も期待してる……こんなしょーもないことでくたばられちゃ、こっちが困るんだ」
「わかってるさ」
「ホントかよ? ってか、なんでこんなに馬車に弱いんだ」
 首をかしげるキラの代わりに、御者席で警戒をしているサガノフが白い息を漏らしながら言った。

「王国から来たんだろ? だからじゃないかな。帝国は基本的にいつも寒いし、だから道を選ばされる。陸路も海路もな。王国はそんなことないって聞くし」
 帝国の自然は、王国で体験した景色とは違い、その厳しさが顕著に出ていた。
 雪が積もっているのは当然だが、刺々しい山々が遠くに見える。その激しい隆起から続く大地は、波で荒立つ海面のごとく、でこぼことした歪な丘陵を形成している。

 キラはこれまでに見てきた王国の景色とを比べながら、ぶつぶつと呟いた。
「言われてみれば、たしかに……。平原とか丘とか、地形もこんなに隆起してなかった気がする」
「それにしたって弱いとは思うけど」
「う……。そ、それよりさ、今ってどのへんかな?」

 出発したのは、昨日の日の出。それからすでに一日が過ぎ、昼をすぎる頃合いである。
 ここに来るまで、目立った休憩は殆どとっていない。こうして道端でうずくまることが周期的に発生するものの、これが馬たちにとっては休憩時間となるのか、仮眠時間を除けば足を止めずに進んだことになる。
 レオナルドと組んだ予定では、もうそろそろ帝都に到着して、行動を開始しておきたいところなのだが……。

「この”丘の道”を行った先に帝都が見えるはずだ。だから、あと二時間とか、それくらいじゃないかな」
 ”丘の道”とは通称で、帝国中に張り巡らされている街道のことを指すという。全体的に隆起した地形であるため、雪事情も踏まえて、それを避ける形で砂利道が敷かれているのである。
 とはいっても、丘を越えるよりかはマシと言うだけである。街道も街道で雪が積もり、時折氷面が顔をのぞかせている。

 そのため、足元に注意しなければ……、
「だっさ! ゲオ、だっさ!」
 たった今、ゲオルグが転んだように、派手に尻餅をつくことになる。
 大笑いするサガノフにつられキラも笑みをこぼすと、ごすっ、と肘打ちをくらった。
「笑うんじゃねぇよ、この野郎! 休憩終わりだッ。サガノフ、御者交代してやるから、あとで覚えてろよ……!」
「おお、こわ」

 サガノフはケタケタと笑いながら御者席をおり、ゲオルグへとバトンタッチする。
 その間にキラは吹き荒ぶ寒風から車内へ駆け込み、ひと心地着く。サガノフも、同じように身を縮こまらせて座席につく。
 ポケットに手をツッコミ、カタカタと足を震わせる姿に、ふとした疑問を投げかけた。

「そういえばさ、サガノフもゲオルグも身長高いよね。海賊団のみんなも……。リヴォルくらいじゃない? 僕と同じくらいの背丈の人って」
「あ〜……言われてみれば、たしかに。あ、でも、むかし家庭教師に『寒い場所に住む人は総じて身体が大きくなる』って聞いた気がする」
「へえ。……なんで?」
「寒い場所で体温を維持するためだとかなんとか……だって。そう考えれば、お前もリヴォルも、ちょっと不憫だよな。俺達より寒さに弱いってことだし」
「ん……でも寒いってことには変わりないでしょ?」
「まあな。めちゃめちゃ寒い」

「それと、ゲオルグって……」
 キラがそう口にした途端に、
「あぁッ? オレが何だって?」
 御者席に座る銀髪坊主な執事が、機敏に反応した。
 なんでもない、と返しつつ、キラはコソコソと声を落として聞いた。
「ゲオルグって、かなり細身だよね。ひょろがり、っていったら悪口になるけど……。リヴォルも少食って言ってたし。さっき小突かれたけど、そんなに痛くなかった」
「ゲオは食えなかった時期が長いから。だから、それに慣れちゃってあんまり食えなくなって……あんなに性悪に。ほんとは素直なやつなんだ」
 サガノフが冗談めかして言うと、
「聞こえてっから! 声落とすならちゃんと落とせや! ってか、テメェに言われたくねぇんだよ、ひょろがり!」
 ゲオルグの荒れた声が轟く。
 サガノフが肩をすくめ、キラもその真似をする。

 そうやって他愛もない話で盛り上がり、たまに割り込んでくるゲオルグと言い合いになったり……時間を潰している内に、徐々に日が傾いていく丘陵と景色に変化が起きた。
「おっと! 二人共、前!」
 御者を代わったサガノフの喜びの声が、車内にも響いた。
 キラはゲオルグと顔を合わせ、一緒になって馬車の窓に身を乗り出す。
「いってぇ! なんでテメェもこっちなんだよ。あっちいけよ!」
「君が向こうなんじゃないのっ」
「ほら、言いあい止めて、前方に注目!」
 のしかかってくるゲオルグにキラはムッとしつつも、意識を前の方へ向けた。

 馬車のたどる”丘の道”は、もうすぐ途切れようとしていた。道の両側で隆起する丘が、徐々に静まり平になっていく。
 くねくねと曲がっていた街道も真っすぐになり……終着地点へとつながっていた。
「あれが……」
「あぁ、帝都だ」
 場違いにも……いや、作戦決行の前だからだろう。
 その景色は、ひどく美しく目に飛び込んできた。

 帝都は、地図で目にしたとおり、八角形の防壁に囲まれている。その内側で、六角形に土地が盛り上がり、更にその内側で四角形に段差ができている。
 地図で見るよりも、その形は独特で、整っているように見えた。
 特徴的な街の構造が際立って見えたのは、おそらくはその景色のおかげだった。
 帝都の背には海が広がり、水平線の向こう側へ太陽が飛び込もうとしている。
 日が落ちる前の、一瞬の輝きのようにも思える夕暮れ……それが、色濃く、鮮やかに、帝都を照らし出していたのだ。

「先に行った人たちは、みんなもう着いてるのかな」
「かもな――って、ん! あれ、親方たちの荷馬車だろ。ほら、道から外れたとこ!」
 ゲオルグが懸命に指摘したことで、キラもサガノフもようやくその場所を捉えた。
 道から少し外れた平らな雪の野原で、三台の馬車が止まっている。
「何してんだぁ、あんなとこで? さっさと帝都に入っちまえばいいのに」
「オレたちを待ってくれてた、とか? でも――うん?」

 ゲオルグとサガノフがそれぞれ疑問を口にしたところで、バザロフたちの馬車集団から一条の赤い閃光が放たれた。
 濃い青色に変わりゆく空で、それはひときわ強く輝き弾け……二人共、その光景に息を呑んだ。
「緊急合図……!」
 サガノフはそうつぶやき、馬車をひく二頭の馬にムチを入れた。

 大きく車体が揺れ、その衝撃にキラはゲオルグとともに車内へ引っ張り戻された。
 ”コルベール号”から持ち込んだ荷物がぶちまけられる中、窓の外へ振り下ろされないように、必死で座席にしがみつく。
「一体、何が……!」
「わかんねぇ! けど、やばいって合図だ! もし帝都潜入前にトラブルが起こったら合図出すって! 赤は海路組への攻撃の指示……ッ!」
「じゃあ、あんなところで三台とも止まってたのは……!」
「わかんねぇけど――ぜってぇ帝国軍が絡んでる!」

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