木々の間で圧倒的な存在感を放っているのは、人ではないナニカだった。
フードをかぶった誰かにも見えなくはなかったが、それにしては動き方がおかしい。さながら、上から糸で吊り下げられた人形のようだった。
カタリカタリと不規則で奇妙な動き方をして……実際に、木のきしむような音が、その体が揺れるたびに気味悪く響き渡っている。
”操りの神力”を持つという”五傑”のロキの仕業かとも思ったが、違うと言い切れた。
それほどに異質な雰囲気を、フード姿の何者かはまとっていた。
「オマヘは、チガフ」
「……喋った。君は――誰?」
「ケド、オマヘもヒョーテキ。コロして、ウバフ」
見た目通り、言葉が通じる相手ではなかった。
何者かは、マントの内側からたらりと腕を出した。やはりと言うべきか、その腕は人のものではなく、
「人形……?」
肘や手首、指に至るすべての関節に、切込みが入っていた。
マントを羽織った人形は、ぎこちなさの残る手でギュッと握りこぶしを作ってみせた。
その直後、キラは驚きに目を見張った。
「え――ッ」
人形のずっと後ろの方――断崖絶壁の向こう側にある海から、巨大な水の柱が浮かび上がっていた。
水しぶき上げながら空中へ留まったかと思うと、今度は球状に変化を始める。
さながら、海の出来上がるさまを目にしているようだった。水球の表面が勢いよく波立ち、猛々しく荒れ狂う。
「サア、カクゴはイイか」
人形が拳を振り下ろして合図すると同時に、水の塊の一部が飛び出してきた。
蛇のごとく、するりするりと木々を避けつつ、迫りくる。
鋭く迫る水流を間一髪で回避し――キラは目を見開いた。
人形が、目の前にまで迫っていたのだ。
「イタダキ」
その手に持つは、海流でできた槍。
キラは足を取る深い雪の上でなんとかステップを取りつつ、”センゴの刀”を掲げた。
水の槍が狙う位置も、そのタイミングも。きっちりと見極めたはずだった。
が。
「グッ……フ!」
当然ではあるが、無慈悲にも。
水を切るなんてことは、できやしなかった。
槍はその形を保ったまま刀の刃をぬるりと飲み込み、通り過ぎ――肩へ突き刺さる。
キラは鋭利で熱い感覚にうめき、
「こんの……ッ!」
歯を食いしばりながら、一歩、踏み込む。
水の槍に飲まれた刀を、そのまま強引に振り切る。
まるで海流そのものを相手にしているかのように、重い。
なんとか振り払ったときには、人形の腕がぽとりと落ちていた。
そのまま追撃したかったが、肩の痛みに耐えかねて、距離を取る。
「君は、何なんだ……。しゃべるし、戦えるし――でも人間じゃないんだろう?」
キラは息を切らしながら問いかけた。
切り離された腕は、雪に埋もれている。本来ならば真っ白な地面に真っ赤な血がしみるはずだったが、そんな様子は一つとしてない。
大怪我を負ったはずの人形にしても、呻く素振りすらない。
何もなかったかのように立ち尽くしている。
異質で、不気味で、気持ちが悪かった。
「モ、モモモ、も……」
たっぷりと時間を要し、人形は何事かをつぶやいた。
たらりと前傾姿勢になり、フードの影で隠された口から、絶えず同じ言葉が繰り返される。
尋常ではない狂い方に、キラはどうしようもない嫌悪感と薄気味悪さを覚えた。
刀を構え……そこで、人形が別の言葉を口にした。
「モノガタリは、タダビトのジンセーはエガカナイ」
「……は?」
あまりにも突拍子がなく、あまりにも無関係な話に、キラは目を丸くした。
「ナ、ナナナ、なぜなら……。ナゼなら……イジン、チョージン……ソレラのイキカタにこそシルベキ……ももも、ものがある」
聞き取りにくいその内容に、注意を払っている暇はなかった。
空に浮かぶ海流の塊が、再び波しぶきを上げたのだ。
「タダビトのイキカタに、ダレもキョーミはナヒ……」
今度は、三本の水流がくねりながら迫りくる。
「モノガタリにフンヌするは、タダビトのショーコ。タタタ――タダビトはタダビトのイキカタしかナヒのだと、シレ」
雪の上を転がり、あるいは木の陰に隠れ。
キラは必死になって三方向から襲いかかる海流を避け続けた。
だが相手は、しのいでさえいればチャンスをくれるような考えなしではなかった。
近づきもせず、未だに何事かをブツブツとつぶやきながら、海流の本数を増やしていく。
「タダビトとエーケツたちのチガヒ、それは――」
三本が五本へ。そうして一気に十本へ。
木をへし折り、雪を飲み込み。空中で波打っては、地面を削る。
海流が意思を持って陸上で暴れまわっているかのような光景に、キラは追い詰められた。
「こうなったら――ッ」
刹那、意識をそらしただけで。
意思を持った水流が、的確に死角をついてきた。
キラは身体をまるごと飲み込まれ、あまりの流れの強さに、ごぼりごぼりと息を漏らす。
全身を締め付けられると同時に、心臓が暴れだし――水圧に殺されそうになる寸前で、思い切り”神力”をぶちかます。
右腕から解き放たれた”雷”は、その力の赴くままに、水流を食い破った。
「――ッハァ、げほっ」
水攻めから開放されたキラは、受け身も取れずに地面に着地した。
揺れる頭と今もなお続く息苦しさに喘ぎ……はっとして顔を上げる。
周囲は、白い湯気でいっぱいになっていた。”雷”が、海流はおろか、降り積もった雪もろとも地面をえぐり取ったのだ。
あらわになった地肌は真っ黒に焦げ、ぼこりと凹んでいる。
爆心地の中心に立ち、キラは安堵よりもぞくりとした寒気を感じた。
「ちょっとだけのつもりだったけど……こんな……」
”雷の神力”のエネルギー。そんな言葉に置き換えられるものが、何十時間と続けた訓練のおかげで、身体の中にあると感知できるようになった。
身体に宿る違和感に集中して力むと、心臓発作が起き……緩めると、その反動でエネルギーが”雷”となってはじき出される。
ただ、すべてのエネルギーを放出するわけではない。”雷の神力”に耐えられないがゆえに、放出時に心臓発作として身体が悲鳴を上げるのだ。
レオナルドによれば、一度に五パーセント、連続では二割が限度だという。
そうはいっても、体が耐えられるギリギリを攻めて”雷”を放出することになる。”雷の神力”がどれほどの威力を持っているかは、身を持って知っている――そのはずだった。
だが。
またたく間に森の一部をごっそりと削り取ってしまったその光景は、胸がすく思いすら捻じ曲げるほどの恐ろしさがあった。
「イー、チカラだ」
ずぶ濡れの寒さすらも感じさせず。
人形が爆心地の縁から飛び降り、踊りかかってきた。
キラは息せき切りながら後退し、ぱっと状況を把握した。
なにはともあれ、”雷の神力”はいかんなくその力を発揮した。海流の塊から伸びる水流が、二本にまで減っている。
”雷”の濁流から逃れた二本の水流も、途中でちぎれてしまっている。
が。塊本体を崩さない限り、いくらでも水流は再生できるだろうことは、容易に想像できた。
「だったら、本人をたたく……!」
人形そのものを斬ってしまえば、決着する。
キラは瞬時に判断し、足が焦げた地面につくと同時に、前のめりに駆けた。
相対する人形は、残った左の腕を掲げ、その手に水の槍を生成する。
「そのチカラ、ヨコセ」
キラは柄をギュッと握り、応えた。
「やってみなよ!」
人形も、ぐっと身をかがめて、身体を前へとはじき出す。
その身のこなしは、気味の悪いぎこちなさがあるものの、速く無駄がなかった。
またたく間に目の前にまで迫り、不定形の槍を振り下ろしてくる。
真正面から受け止めれば二の舞だと、肩の痛みが主張する。
だからこそ、
「フ、ンッ……!」
再び、正面切って、水の槍と切り結んだ。
想像通り、刃は槍に吸い込まれていき――想定通りに、強引に水の中を押し切る。
勢いよく振り抜いた刀は鋭い弧を描き、過たず人形の残った腕を斬り飛ばした。
水の槍は、キラの頬をかすめるとともに、本来の姿へと戻っていく。
「よし……!」
水でかたどられたからこそ、その攻撃の筋を読みさえすれば、相手も無防備同然となる。
上手くことが運んだことにキラはニッと笑い――しかし次の瞬間、むっと口を閉じた。
両腕を失った人形をフォローするかのように、海流の塊から幾本もの水流が飛び出したのだ。
キラは、とっさに距離を取りつつ、刀を収める。
同時に身体に宿る違和感に集中し、
「う、ぅ……!」
心臓が暴れだしたところで、腕を突き出し放出。
指の先まで血管の浮かぶ右腕から、龍のような”雷”が飛び出す。
その反動で全身に倦怠感がのしかかり、キラは膝をついた。
そうしながらも、しっかりと”雷”の行方を見届け……。
「クソ……ッ」
思わず悪態をついた。
こと”神力”においては、相手の方が何枚も上手だった。
確かに”雷”は、いくつかの水流を喰らった。
が、所詮は放たれただけの力。
空中で軌道を変えるコントロールされた”力”を、捉えられるはずもなかった。
「――ッ!」
キラは動くこともできずに、水流に打ちのめされた。
一度、二度、三度……。飲み込まれては叩きつけられ、受け身を取ることも許されず、空中へと吐き出された。
ふわりとした浮遊感が、身体を包む。
普通ならば気絶しそうなところを、なんとか意識をつなぎとめていたのは、”強靭な身体”があったからこそだった。
心臓発作に振り回されていた時は、その頑丈さ故に苦しめられ、恨みもしたが……。
「まだ、まだ……ッ!」
キラは浮遊する身体を操り、海流の塊の方へ振り向いた。
ドグドグッと唸る心臓も、あらゆる方向から襲いかかる水流も、ことさら無視して右手に”力”を溜め込む。
そうして、発射。
縦横無尽に暴れ回る雷は、神速の勢いで海流の塊を貫いた。
ボンッ、と。爆発するかのように、球場に集まった水が蒸発する。
同時に周りをうようよと取り囲んでいた水流も弾け飛ぶ。
「これで――」
体に染み付いた感覚だけで動いていた。
意識のすべてを、真下にいる人形にのみ向ける。
落ち行く身体を回転させ、決して離さなかった刀を両手で握りしめ――着地するより先に、人形の頭を跳ね飛ばした。
そうして、ほぼ無意識に、猫のごとく着地をすませ……。
「最悪の船出だ……」
町へ向かおうと数歩歩いただけで、パタリと倒れて気絶してしまった。