63.キサイ

 レオナルド曰く”隠れ家的ラボ”は、確かにどこを歩いても冷え込んでいた。彼女の言うとおりにセーターやコートを着込んでいなければ、その寒さにどこまでも悪態をついていたほどに。
 キラは、あてがわれた寝室を出て、トンネルのような石造りの廊下を歩く。外の景色も太陽の明かりも拝むことのできない、閉鎖的で圧迫感のある造りに辟易としてしまうが、それでも退屈しなかったのは廊下の先に見えるとある物があるからだった。

「レオナルド。”転移の魔法陣”って、王国特有の魔法というか、独占してるというか……そういうイメージがあったんだけど」
 真っ直ぐに伸びる廊下は、枝分かれでもするかのように、右側に上階へつながる階段がある。
 一方で、真っ直ぐに行くことも出来るが、そこは行き止まり。他に部屋があるわけでもないその突き当りには、小さな”転移の魔法陣”があった。

 レオナルドが言うには、『地下に研究室を構築したのは良いが、建築家でもないオレが適当やった結果、なかなか廊下が複雑なことになった』らしい。そこで、”転移の魔法陣”を各所に置くことで、迷宮化しそうなところを回避したという。

「オレは自分で”転移の魔法陣”を造ったからな。王国のとは別物さ」
「造った、って……。確か、”天変地異”で出土した”石版”を、王国は何百年もかけて解読したんでしょ」
「おいおい、オレは神をも頷かせる天才だぞ。それに、別物って言ったろ。王国のは確かに”石版”由来だが、オレのはまた別だ」
「別?」
「ま、わかる時が来るさ……必ずな。ほら、乗った乗った」

 キラは追い立てられるようにして魔法陣に乗った。隣に麻袋をかぶったレオナルドがたち、ぎゅっと手を握ってくる。
 その滑らかで柔らかで暖かな感触は、彼女が元男であるということを忘れさせるものだ。キラは彼女の手を意識しつつ、ギュッと目をつむり……ぐらつく感覚に呻いた。

「さてはお前さん、乗り物は駄目だな? 船酔いするタイプだ。あの不思議馬に乗ったら最後じゃねえか?」
「うぅ……。ユニィは平気だよ。けど、たしかに……揺さぶられるのは嫌い」
「ほう。あの白馬がランディ以外に背中を許したか。そりゃ、ブラックと刀だけで渡り合うくらいだ……不思議でもなんでもないか」
「でも、とくに”転移の魔法陣”は……。失敗を最初に経験したからか、寒気が止まらなくなる……」
「んだよ、それならそうと最初に言ってくれ。良いハーブティーが手に入ったんだ。酔い止めにきくぞ」
「”転移の魔法陣”を使わないっていうのは……」
「ない」

 思わずため息を漏らすと、レオナルドが喉を鳴らして笑う。
 そうして歩き出す彼女に、キラはしがみつくようにしてなんとか足を動かす。
 ”転移の魔法陣”でつながった先にある廊下はすぐに途切れ、長方形に広がる食堂に直結していた。
 壁際で所狭しとひとりでに鍋やフライパンが働き、良いにおいが混じり合って空腹を掻き立ててくる。

「聞きそびれてたけど、なんでランディさんは最後に”転移の魔法”を? ”授かりし者”で魔法は使えないはずなのに。なにか知ってるんでしょう?」
「それも後々わかることさ。ほらほら、席につけ。飯の時間だ」
 まるで追及をかわすかのように。レオナルドはぽんと背中を叩いて離れていき、壁際でひとりでに踊る料理器具たちを監修しにいく。
 キラは鼻を鳴らし、部屋の真ん中に据えられた長テーブルにつく。
 ぐったりとしてテーブルに覆いかぶさり……じゅうじゅうと肉の脂が跳ねる音、テンポの良い包丁の音、それらに乗って漂ってくる香ばしい香りに、自然と顔を上げた。

「おいおい、食いしん坊。気分悪いってのに、腹減りは別ってか?」
 幅広な台所に立ちながらも、レオナルドは麻袋のかぶった頭だけをちらりと動かした。
「別に、そんなんじゃ……。いい匂いが気になっただけで」
「それで十分じゃねえか。ま、もう少し待ってくれ。お前さんの身体はまだ本調子じゃないからな。やっぱ食べ始めはスープからだ」
「肉じゃないんだ……」
「しっかり期待してんじゃねえか! ま、新聞の一面を読み終える頃には出来上がってるだろ。読むか?」
「いや……。文字読めない」
「文字ってのは、人類史上最も偉大な発明品だぞ? 修行の合間に教えてやるから、しっかり覚えておけ」
「……ん」
「返事が遅い上に曖昧とか! 勉強は嫌いなタイプだったか」
「……そんなことより、新聞って? 今、手元にないじゃん」
「露骨に話しそらしやがった」

 くつくつと喉を鳴らしつつ、レオナルドはざっと調理場を見渡して頷いた。幾度か指を振ってから、新たな鍋とお玉にスープ作りを任せ、カツカツとキラの目の前に着席する。

「魔法ってのは便利なものでな。一度使っちまったものは、自分に収めることはできねえ。吐いた言葉がもとに戻らないように」
「便利なふうには聞こえないけど……」
「ふっふ! ところがどっこい。魔力の”量”と”効率”をうまいことバランスを取ってやれば、半永久的に光り続ける”灯火の魔法”を使うことだって出来る」

「あ……。”転移の魔法陣”があった部屋には、今もずっと火の玉が浮かび続けてるよね」
「ありゃ三日もすりゃ消えちまう。残念ながら、オレは莫大な魔力量をもって生まれてくるエルフでもなけりゃ、びっくりするほど超効率的な体質 のヴァンパイアでもない。ただの人なんでな」
「え……!」
「んだよ、その意外そうな顔!」
「もっと違う種族かと思った……」
「違うも何も、あの二種族以外じゃ竜人族しかいねえよ。あいつらの住む島は鎖国状態だからな……こんなところで一人寂しく暮らすわけもないさ」
「それもある意味鎖国じゃ……」
「さっきから辛辣だな。こいつの秘密、教えてやんねえぞ」

 キラはレオナルドの言い方に首を傾げ……ぎょっとしてのけぞった。
 いつの間にか、犬がテーブルの上に乗っていたのだ。
 ただの犬ではなく、正確に言えば、
「石の犬……」
 いかつい毛並みや牙が特徴的な犬の彫刻だった。
 それが本物の犬のようにぶんぶんとしっぽを振り、息をするかのように胸を上下させ、丸まった新聞を口に加えていた。

「狛犬ってのを参考に作った”使い魔”さ。込めた魔力が消費されると……この通り、ただの彫刻に戻っちまう」
 レオナルドが狛犬の鼻先をなで、その口から新聞を受け取ると、ピクリとして動かなくなった。時間が経つごとに、先程までの躍動感が消え去っていき、動かぬ石像と化す。
「ゴーレムみたい……」
「……ふん。ま、似たようなもんだ。で、また魔力を込めて魔法を使ってやると、命令にしたがって動いてくれるっていう寸法だ。ほれ、元の場所に戻って寝とけ」
 再び動き出した狛犬は、ガヴっ、と元気よく吠え、テーブルから飛び降りた。とてとてと、尻を振りつつ部屋を去る。

「……あれ? この階って、この食堂だけじゃ? 狛犬も”転移の魔法”を使えるの?」
「言ったろう? オレの造った”転移の魔法”さ。それに見合った”使い魔”を造れなくてどうするよ」
「ホント、天才なんだ。袋かぶってるからわかりにくいけど……」
「お前も、お前の想定外さを自覚しろ。このオレが原因とその対処法を未だにつかめてないんだからな」

 フンッ、とへそを曲げて新聞を広げるレオナルド。しかし、麻袋をかぶっているせいで読みにくいのか、見ていておかしいほどに顔を近づける。
 キラが思わず吹き出しそうになったところで、レオナルドは低い唸り声を上げた。

「まさかなあ……。これは、ちょいと予想が外れた」
 その声にひどく厳しいしかめっ面が伴っている気がして、キラは眉をひそめた。
「どうしたの?」
「ん……。その前に聞いておきたいんだが、王国には切れ者がいたりするか?」
「え……? リリィは、エマって人を何度か褒めてたけど。”三人のキサイ”の」
「ありうるな。――王都が落ちた」

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