6.面影

 ロットの村を含む開拓地帯は草原となったものの、地形としては山麓地帯だった。なだらかな丘が連続して続き、徐々に傾斜が目立つようになる。
 昼間に一回の食事の休憩をはさみ、日が暮れるようになって、ようやくロットの村の影が見えてきた。
 いくつかの丘の向こう側に、チラホラと松明の明かりがつきはじめる。

「ランディさん、前にロットの村まで行って帰ってきてましたよね。こんな距離を、半日くらいで……どうやって?」
「ふふ、意外と遠かったかな? だとしたら、ユニィが悪いね。あのとき、随分と調子に乗って飛ばしたから」
 キラのまたがる白馬が、心外だと言わんばかりに鼻を鳴らす。

「ランディ殿。そろそろ野宿の準備に入りませんか?」
 青毛の馬にまたがるリリィが、ポニーテールをゆらゆら揺らしながら提案した。
「この調子なら深夜には着きそうだが……やっぱり、暑さは堪えるかい? 騎士にはきつい季節だ」
「ええ、まあ、それもありますが……」
「道中の魔獣は君が殆どやってくれたんだ。見張りは私がやろう。ユニィも張り切って寝れないだろうし」
「いえ、そうではなく」
 先頭を行くリリィは、青馬を止めた。

「キラは、戦争に参加したいとお思いですか?」
「……うん」
「戦場には戦いが溢れています。誰が死ぬかわかりません――ここにいる三人とも、無事でいられる保証もありません」
「だからだよ。この先、恩を返せなくなるなんてことになったら……困るんだよ」
「わたくしたちと一緒にいたいと? ともに戦いたいと?」
「うん。力になりたい」

 リリィは、しばらくの間、黙っていた。
 キラリと銀色の鎧とポニーテールの金色が光る背中は、何かを決意したようだった。
 そしてひらりと馬を降り、キラに体を向けた。それまでにない厳しい顔つきと口調で、断固として告げる。

「キラ。決闘を申し込みますわ」
「……え?」
「わたくしに勝つことができたのならば、戦争の参加を認めましょう」
「――わかった。受けて立つよ」

 キラも白馬から降り、リリィと対峙する。
 ユニィは空気を読んだのか、頭を前後に振りつつ遠ざかる。その際に、青馬も追い立てるようにその場から離れさせた。
 リリィが剣の柄を握り、キラも身構え――そこで、老人が割って入った。

「若く猛々しいことは実に素晴らしいことだが、今日のところは止めなさい。今に日が暮れる。それに、キラくん、随分と足腰に来ているようだが? リリィくんも、そんな状態の彼に勝っても納得行かないだろう」
 まくしたてるのでも、怒鳴るのでもない。
 あくまでも、ゆっくりと、冷静に。深く低く響く声は、場を収めた。

「……そうですわね。配慮が足りませんでした、申し訳ありません」
「ふふ。しかし、少し思い出したよ。君は君のお母さんによく似ている。昔はシリウス……君のお父さんとよく揉めていたんだよ。それを止めるのが私やアランの役目でね」
「わたくしも、よく両親から聞かされていました。師匠は喧嘩の仲裁が上手だと」

 キラは和やかに話し出す二人に、肩の力を抜いた。
 すると、青馬とともに近づいてくるユニィに、鼻でこづかれる。
「なに、ユニィ」
 白馬は、今度はランディにも突っかかっていった。がじりと肩を噛む。
「どうやら、二人の戦いを見たかったらしいね。――ほら、ユニィ。噛むな、噛むな……ああ、服が伸びる!」
 白馬と戯れていた老人は、いつの間にやら喧嘩をしていた。馬面を掴んで押しやり、対して白馬は、力を込めてグイグイ体を押し込んでいく。

 そんな一人と一匹のやり取りに巻き込まれないよう、リリィは青馬と栗毛の馬を誘導して、キラの隣に立った。
「今更ですけど、ユニィは本当に馬なのでしょうか?」
 彼女は先程までの険しい雰囲気を消し去り、ピタリと密着してきた。キラはドキドキとしつつ、その問いかけに首を傾げる。

「さあ……。ランディさんは、僕を見つけたのはユニィだって言ってたよ」
「不思議で賢いお馬さん、ということでいいのでしょうか」
「うん……っていうか、あの、リリィ、近い。なんでいつも密着するの?」
「いつなんどき、キラが倒れても大丈夫なようにですわ。お嫌でしたか?」
「純粋に、疑問で……。僕が君のお母さんの姿と似ているって聞いたけど……それだけで、こんなに……?」
「むう。迷惑なら迷惑と――」
「や、そうじゃなくって! 嬉しいよ。嬉しいから、なんか、困惑するというか」

 リリィは可愛らしくむくれていたが、徐々に晴れやかな笑顔となっていた。さらに密着度を上げて、肩に頬を乗せる。
「実のところ、わたくしも不思議ですの。普段、殿方にはあまり近づきたくはないのですが……キラに限っては、最初から距離を感じないというか……。見えない壁、のようなものがない気がするのです」
「……誰に対してもじゃないんだ?」
「はい?」
「や、や! なんでもない。それより、野宿の準備をしようよ。……何するの?」
「まずは焚き火を組みましょう。お昼と同じですわ。明日にはロットの村に到着しますから、全て使い切ってしまいましょう」

 リリィはそう言いながら、青馬と栗毛の馬から全ての荷をおろした。
 旅のために用意したものは、意外と少ない。
 乾パンやチーズや干し肉などの三日分の食料と、革袋とくり抜きひょうたんに入れた飲料水。キラとランディの分の着替えと外套、替えの靴。緊急用の包帯と塗り薬と薬草、それに加えて焚き火用の薪など……。
 リリィが自身で用意してきた荷物と合わせて、四つ分のかばんにまとめられていた。

「ユニィ! もう寝る準備をしてるんだ! 邪魔をするんじゃない!」
 ――うるせえ、クソジジィ!
 白馬のユニィからそんな声が聞こえてきて、キラは思わず笑ってしまった。ユニィの馬面は、本当にそう言っていそうな顔つきをしていたのだ。

「まったく……。そうだ、リリィくん。明日のキラくんとの決闘のことだが」
「はい」
「キラくんは魔法が使えない上、あまり怪我をしたくない事情もある。ルールを決めた上で取り組むべきと思わないかい?」
「もちろんですわ。では、なにか提案でも?」
「一分間。リリィくんがキラくんを攻め立てる。キラくんがそれを防ぎきる、あるいは形勢逆転したらキラくんの勝利、そうでなかったら君の勝利。ただし、魔法を使わないこと。それでどうだね?」
「そのルールでお受けいたしますわ。ジャッジは、ランディ殿にお願いしても?」
「ああ、請け負うよ。――さて、とりあえず、飯にしよう。キラくん、やってみるかね?」
「はい、ぜひ」
 ランディとリリィの指導の元、キラはほぼ一人で野宿の支度を終えた。時折入るユニィの妨害をなんとかかわしながら。

「また、こんなことに……」
 敷物の上に横になったキラは、思わずボソボソとつぶやいた。
「お母様……」
 そんな寝言をつぶやくリリィに、キラは巻き付かれていた。右腕が、この二日間で体験した甲冑の硬さとは違う、ただただ柔らかく温かい感触に包まれている。

 幾度か起こさないように腕を外そうと試みたが、びくともしなかった。女性らしい柔らかさや温かさや匂いにも関わらず、ガッチガチに組み付かれて離れる気配もない。
 彼女が首の方へ腕を回していたのだとすると、嬉しさよりも恐怖がまさるところだった。

「ふふ。流石に寝れないかね」
 深く渋い老人の声が聞こえるものの、その姿は見えない。
 彼は、ぱちりぱちりとなる焚き火の向こうで、寝ずの番をしているのだ。
「騎士であり戦士である彼女が、それほどまでに安心して寝ていられるのは珍しいことだろう。こうして話していてもつい起きてしまうのが、騎士の性だ。そのままでいてくれたまえ」
「はあ。それは構わないんですけど……正直、困惑してて。リリィ自身、男の人を苦手としてるというか……なのに、昨日もこんなことになりましたし。なんで……?」
「さあね。だが……リリィくんの気持ちも、少し分かる気がするよ。君は、彼女のお母さんによく似ている」

「リリィにも言われました。それって、見た目が似ているってことでしょうか?」
「いいや、そういう意味では、似ても似つかない。リリィくんの美しい髪の毛は、母親譲りだ。それにもっと小柄で……ちょっとやんちゃだった」
「そうですか……。ランディさんはリリィの両親と知り合いなんですか?」
「そういえば、言ってなかったね。私は二人の師匠をしていた時期があるんだ」

「僕はどう似てました? リリィのお母さんに」
「見た目以外の全てさ。ポジティブで、すこし身体が弱くて、何より剣の腕がある。特に、君が剣をふるう姿は瓜二つ。君のほうが、ちょっとばかり豪胆な印象があるが」
「姿が重なるって、そういう……」
「だからこそ、君が余計に気になるんだろう。距離を感じないのも、君に母親の面影を求めているからかもしれない。あまり邪険にしないでやってくれ」
「リリィのお母さんは、亡くなったんですよね」
「……うむ」

 老人は、それ以上言葉を続けなかった。
 キラも、その話に深く踏み入ることはできなかった。
 もそもそと身じろぎして、腕に顔を埋めるリリィに目をやる。
 彼女の背中を撫でようとして……ドッ、と心臓が蠢き出した。ただ、それはいつもよりマシで、うめき声も漏らさず我慢する。

「リリィくんが心配するのは、キラくんのそういうところもあると思うよ。君は、彼女のお母さん以上に我慢強い」
「そう、言われても……」
「眠るまで、気晴らしに何か話でもしようか。……そうだな。王国と帝国の関係について、少し触れておこう」

 王国と帝国の因縁は、約二百年前に起因するらしい。
 世界で最も広大な大陸の大半をこの両国が占め、それ故に衝突するのも必然だった。
 発端は、両国の都の中間に位置するとある港町。ここをめぐる領土問題から、戦争に発展していったのだという。
 陸地で繰り広げられていた戦いは、やがて海戦へ。両国とも全く譲らないまま、海戦は百五十年もの間何度も行われた。
 戦の場がふたたび陸地に戻ると、件の港町にも甚大な被害が出てしまった。
 そこで両国は条約を結び、港町付近を”非武装地帯”に指定。ただし、両国とも考えることは同じで、”非武装地帯”外に騎士団駐屯地を構えた。
 長いにらみ合いが続くかと思った頃、七年前に”王都防衛戦”が勃発し……。
 抑揚のない老人の講義に、キラはいつの間にか眠りについていた。

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