7.約束

 耳に激痛を感じて、キラは飛び起きた。
「いっ!」
 何事だ! 魔獣の奇襲かっ?
 寝ぼけ眼で立ち上がり警戒すると、とんと後ろから押され、たたらも踏めずに地面に顔を突っ込む。濃い草原の匂いが、ツンと鼻に突き刺さる。

「な、何していますの?」
 そばから、鈴を転がしたような笑い声が聞こえた。
 草と土を払い、顔を上げると、目の前でリリィがクスクスと笑っていた。
 肩にまでかかる黄金色の髪の毛をまとめようとして……お腹を抱えてしゃがみこんでしまう。笑い声を抑えようとするたびに、ツボにはまっているようだった。
「何がそんなに……?」

 ――お前だよ、ねぼすけ

 まだ夢うつつなのか。キラは前にも聞いたことのあるような声を耳にした。
 それは後頭部を叩かれたかのように脳内に響き、恐る恐る振り返ってみると、そこには白馬のユニィが歯をむき出しにして嘶いていた。

「へ……?」
「ふふ。全部ユニィの仕業ですわよ」
「あ……? 馬ってしゃべるっけ?」
「あらあら、まだ寝ぼけていますわね。さあ、さっぱりしましょうか」
 リリィが目の前で膝を曲げ、しゃがむ。すでに鎧を着込んでいた彼女には、白い肌を見せる隙間など一分もなく……突き出された指でさえも、革手袋に包まれていた。
 指先では徐々に水の玉が膨れ上がり……ばしゃっと、破裂する。

「ぶっ」
 柔らかな水の噴射を間近で浴び、キラは目をぎゅっとつむった。
 ぽたりぽたりと滴り、続けて布が優しく押し付けられる。
「む……顔ぐらい、自分で拭けるよ」
「あら、そうでしたか? ――さて、これで大丈夫ですわね」
「ありがと」

 顔がさっぱりとすると、それまで何に疑問をいだいていたのかさっぱりと忘れていた。
「キラくん、朝食だ。そして、その後にリリィくんとの決闘を開始する」
 老人の低い声で、キラは一気に目が覚めた気がした。

 キラは剣を構え、リリィと対峙した。
 彼女も、準備万端のようだった。動きやすさのために最低限にまで切り詰めた鎧が、太陽の光でキラリと光る。

「さて、確認だ。リリィくんが約一分、キラくんに全力で斬りかかる。キラくんは、これに耐えきったら、あるいは逆転したら勝利だ」
「……わかりました」

 先程までの和やかな雰囲気は、もうない。
 柔らかな笑い声と朗らかな微笑みをたたえていた絶世の美女は、目の前で騎士として屹然と立ちふさがっている。
 殺伐とさえする空気をまとう彼女は、別人だった。

「そしてリリィくん。君は――」
「魔法を使いませんわ。剣の腕で、勝負いたします」
「うむ、よろしい。さあ、構えて」
 キラはぎゅっと剣の柄を握り、逆にリリィは肩の力を抜いていた。

「――はじめ!」

 合図とともに、リリィが動いた。
 金色のポニーテールを揺らし。
 無駄なく、隙なく。彼女はほぼ一瞬で距離を詰めてきた。

「んッ――!」
 煌めく剣が、降りかかる。
 キラは息を止めつつ、腕を振り上げた。
 響く金属音に、飛び散る火花。

「グッ……!」
 速い剣は、重かった。
 体勢が崩れる。身体が後ろに傾ぐ。

 リリィは、すでに剣を脇に戻していた。
 突き技だ。それを見越したところで、間に合わない。

「これで……ッ!」
 パッ、と空気を裂いて放たれる切っ先。

 キラは息をのみつつ、身体を後ろへ傾けた。
 額すれすれに刃が通り過ぎ――しりもちをつき――後転して体勢を立て直す。
 すでにリリィは、動きに追随し、腕を真上に掲げている。

 キラも、立ち上がりながら”ペンドラゴンの剣”を振り上げた。
 再び、火花。
 同時に、身体に衝撃が突き抜けた。
 手に、腕に、心臓に、足先に、指先に。地面に足がめり込んだ気さえする。

「なぜ……ッ」
 かち合う剣と剣。その向こう側で、リリィの目に動揺が浮かんだ。
 垣間見えた決定的な隙。
 柄を握る力をわずかに緩める。

 リリィは、一瞬だけ、体を硬直させた。
 キラには、その一瞬こそが大きな機会に見え――するりと剣を抜いて、彼女の首に突きつけた。
「そこまで!」
 悔しそうに目を細めるリリィだったが、その唇はわずかに緩んで白い歯が覗いていた。

 
「ほら、ふたりとも。勝負はついているよ」
 キラは老人の声でハッとし、慌てて剣を引っ込める。
 そしてリリィも顕著に反応した。剣を放り投げて、飛び込んでくる。

「お怪我は? どこか異常はありませんでしたか?」
「だ、大丈夫だよ。リリィは? 首は大丈夫?」
「問題ありません。わたくしよりも、心臓は大丈夫ですか。どくどく苦しかったりしませんでしたか」
「大丈夫、平気だよ。や、ほんとに」

 それでもなおも、リリィはぐいぐいと体を押し付け、べたべた触れてくる。
 金属の鎧が至るところに食い込み、めり込み……涙が出そうになったところ、老人が慌てて割って入る。

「ところで、どうだね? キラくんの実力は」
「あんな動きをされては、負けを認めざるを得ませんわ。わたくしの完敗です。ただし――」
 リリィが体を離し、じっと見つめてくる。
 キラも思わず、その青い瞳を見返した。

「ともに戦うのなら、ずっとわたくしといることです。あるいは、ランディ殿と。決して、一人になってはいけません――わかりましたね?」
「うん。わかった、約束するよ」
「ふふ、よろしい。……それにしても、ランディ殿の言う通り、頑強な体ですわね。本当になんともなかったのですか? アレだけ不利な体勢でしたのに」
「まあ、うん。なんとも……」
 キラは改めて自分の体を確認してみたが、何も異常はなかった。

「さて、キラくんが戦争に関わるということで、改めて確認しておきたいんだが。王都はどういう状況に陥っているんだい?」
「村でもお話したとおり、状況は七年前の”王都防衛戦”直前と酷似しております」

 そこで、キラも思い切って話に割り込んでみた。
「あ、あのさ。七年前の状況って? ”王都防衛戦”ってなに?」
「キラは、騎士団のことはどこまで知っていますの?」
 そこでリリィは言葉を切り、はたと思い出したように身をひるがえした。
 黄金のポニーテールをゆらゆら揺らしながら、敷きっぱなしだったシートを移動させる。いそいそと整えつつ、腕を引っ張り座るように促してくる。
 キラは彼女に導かれるままに座り、ランディもまた対面に座した。

「本部と支部のことはお分かりになりますか?」
「あー……いや。世界トップクラスの騎士団だってことは聞いてるけど。あと、リリィの実家のエルトリア家がトップだってことも」
「では、ざっくりと説明しますと、騎士団の本部は王都に位置していますの。対して支部は、王国各地に十二か所、主要な街に配置されていましてね。それぞれ、騎士団の第一師団から第十二師団が管理することになっていますの」

「街ごと?」
「ええ。食料や武器、生活必需品などの流通から、街の警護に至るまで。管理下にある街のあれこれにたいして全般的に権限を持つのが、各師団の隊長である師団長となります」
「十二の支部に、十二人の師団長……」

「そうはいっても、七年前までは、師団長たちは国内外のあちこちに任務で赴くことが多くありましてね。実力のある面々ですから、長期間にわたって、同時に国外へ赴くことも少なからずありましたのよ。その間は、副師団長や上級騎士たちがサポートしているのですが……」
「七年前は、そこを狙われた?」

「……ええ。六人の師団長が国外にてとある合同任務に赴いていたところ、彼らの管理下にある支部がことごとく襲撃を受けましたの。手すきの師団長たちがそのフォローに回ったところ、本部の守りに隙ができてしまい……そこをつかれました」
 キラは腕に抱きついてくるリリィの身体が震えていることに気づきつつ、あえてその異変には触れずに話を勧めた。

「じゃあ、今回も同じように?」
 すると、リリィは張りつめていたものを緩めるかのようにゆっくり吐息をついて、コクリとうなずいて答えた。
「十二ある支部のうち、十の支部が突如とした襲撃を受けました。ただし、七年前のこともあり、師団長たちは全員本部ないしは支部にとどまっていたので、『壊滅的な』とまではいきませんでしたが」
「その襲撃の仕方が……”転移の魔法”みたいに唐突に、だっけ?」
「そう報告されていますわ。ですから、忌々しいことに、七年前の悪夢をたどっていますの」

 キラが首をかしげていると、それまで静かに話を聞いていたランディがぽつりと言った。
「つまりは……七年前の”王都防衛戦”と同じく、王都ががら空きだということだね」
 リリィは神妙にして頷いていた。
「当然、わたくしたち竜ノ騎士団も、あの日を繰り返さないようにと騎士共々鍛えていますわ。しかし、”転移の魔法”のような突如とした襲撃は想定できず……この未知の攻撃に対して、師団長全員を各支部へ送らざるを得なくなってしまったのです」

「なるほど……。師団長たちには王都を守ってほしかったのに、支部のある街を守るしかなくなった……ってことか」
「ええ。現在王都に残っているのは、総帥”代理”の父と、わたくしも含めた元帥三名。それと第九師団師団長。――ただ、今回の奇襲における最大の問題は、そこではないのです」
 リリィは一つ間を置いて、ランディにも向けて言葉を続けた。

「以前は単なる陽動だった奇襲に、帝国が新たな目的をもたらしたのです」
「もしや……”転移の魔法陣”か」
 キラはランディの言葉に首をかしげたが、すぐに理解した。
 竜ノ騎士団支部には、”転移の魔法陣”があるのだ。三か月もかかる旅路をなかったことにするそれを壊されれば、かなりの打撃となる。

「結果として、三つの支部で再構築の必要のある全壊、五つの支部で半壊となりました」
「支部が的確に襲撃を受けていることといい、”転移の魔法陣”が狙われていることといい……情報が漏れたか。しかも、奇襲をやってのけるだけの自信と確信……帝国には、私が相手していた時代にはいなかった優秀な人材が入ったようだね」
「現在、情報の出どころはわかっていません。どんな情報が帝国に渡ったかも」
「流れていったものには歯止めが効かない。そっちは今は無視していいだろう。それよりも……私が気になるのは、王国騎士軍の動向だよ。話には一切出てこないが?」

 王国騎士軍。老人が持ち出した話題に、キラは必死に記憶をおこした。
 王国エグバートには、竜ノ騎士団のほかに、王国騎士軍が存在する。
 竜ノ騎士団が王国の安寧維持を努めるのであれば、王国騎士軍は国外からの脅威との戦いを使命としている。
 王城の警護も王国騎士軍の役目ではあるが、今はもっぱら、帝国との戦争に力を割いているという。

「それが、王国騎士軍はエマール公爵の進言によって出払っています。残っているのは、王城を守衛する最低限の部隊のみ」
「この大変なときにかね? あのバカ――失礼、国王はなぜそんな進言を鵜呑みにした? それほどに大事なことだったのかね?」
「バカ……?」
 リリィはランディの暴言に唖然としていた。

「そういえばランディさん、昔、王子と一緒に旅してたって話してくれましたよね」
「うむ。思想や理想は立派だが、やることなすこと全てが突飛なやつでね。国王になったときには、私を宰相にするなどと言い出して……断るのが大変だった」
「でもランディさん、物知りだから大丈夫だったんじゃ? 王様を助ける仕事なんでしょう?」
「手伝いはしてやりたいが、あいつの言うことを一から十までとりあえず耳に入れておかねばならん立場など願い下げだよ。――すまない、話がそれたね」
「い、いえ……」
 はっと我に返ったリリィは、繰り返し首を振った。

「えっと……そうですわ、進言の内容でしたわね。少し前に、”非武装地帯”に隣接していた帝国軍がなぜだか撤退を始めたのですが……その好機を逃してはならない、と」
「それで、王都に少しでも戦力がほしいこの時期に、王国騎士軍を進軍させたのか。――聞くが、各師団長の支部への応援は、竜ノ騎士団が決断したのかね? 王都の防衛力が下がってしまうというのに?」
「はい。その直後に、陛下からの直々のお達しもありました」

「ふむ……。まあ、あいつも頭は回る。とくに毛嫌いしていたエマール公爵の進言を受け入れたくらいだ……なにか考えがあるに違いない。だから――リリィくん、それほど悲観することはない」
「そうでしょうか……そうですわね。ありがとうございます」
 リリィは老人の言葉で、懸念を振り払った。王都の状況を話すたびに沈んでいた表情を、気合を入れて持ち直す。
 キラはそんな彼女から目を離し、あ、とつぶやいた。

「……ねえ。君の愛馬、ユニィにナンパされてる」
「え……?」

 白馬のユニィが、青馬のお尻をつついて回っていた。青馬は嫌そうに首を振りながら歩いていたが、やがて堪忍袋の緒が切れ、後ろ足で思い切り白馬の顔面を蹴飛ばした。
 昏倒し、どっと倒れる白馬。しかし数秒後には、平気な様子で立ち上がる。
 ランディは呆れたように深くため息をつき、いつものように叱りつけた。

「こら、ユニィ! 年寄りが若い子を追い回すんじゃない!」
 いつものやり取りに、リリィはくつくつと笑っていた。こらえきれずに、キラの方に顔をおしつけ、必死に笑い声を抑える。
 キラはそんなリリィの様子にほほを緩めながらも、

 ――黙れクソジジィ!

 綺麗な白馬から汚い言葉が聞こえることに困惑していた。

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