王都の色並みは、それまでキラが目にしたものとは違う鮮やかさがあった。
立ち並ぶ家屋は、白やベージュや黄土色など、実に多種多様な漆喰壁でできている。その上に乗っかるのは、突き抜けるように赤いレンガの屋根。
道行く道は石の畳、あるいはレンガの畳で覆われ、土や砂利など見かけもしない。
いくつか街角を曲がってを繰り返していると、それぞれ道幅が広く、その両端に種類の違う樹木が並んでいることに気付く。リリィによれば、それら街路樹は道によって種類が統一されており、”クスノキ通り”など道の名前の由来にもなっているという。
色んな所に目を向ければ、いろんな街の表情を伺える。家屋の連なりは王都という街の雄大さを感じさせ、街路樹による緑のトンネルは自然の豊かさを思い起こさせる……。
ただ、それを楽しむような人は、人っ子一人いなかった。
さながら感情が消えたかのように、街中ががらんどうとなっていた。王都の住人を、誰一人として見かけることはなかった。
「平時ならば、どこを歩いても人で一杯で、馬車だってたくさん走るものなのですが……。時期が時期ですので。――さあ、ここがわたくしの家ですわ」
エルトリア邸を前にして、キラはあまりにすごさに口をあんぐりと開けた。
「森感……!」
レンガの塀と鉄門の向こう側の敷地は、緑で埋め尽くされていた。そんな中を、砂色の道が伸び、噴水に突き当たる。
遠目ゆえにそれが何か把握するのに時間がかかったが……ドラゴンの石像が、水柱を噴き出していた。遠吠えをするかのように首を逸らし、空へ向けてその大きなアギトをがばっと開けている。
「おかえりなさいませ。リリィ様、キラ様」
『遠吠えドラゴンの石像』に気を取られて、キラはその平坦な声にびくりと肩を震わせた。鉄門に寄り添うようにして、メイド服姿のセレナが控えていたのだ。
風に揺らぐ森を背景にすると、彼女の特徴的な赤毛は真っ赤に燃えるようだった。端正な顔つきをピクリとも変えない無表情さが、ひどくギャップを生み出している。
冷徹な印象が浮き彫りになったようではあったが……キラは、なぜだか、彼女が心の底から安堵しているのが手にとるようにわかった。
しかし、何やらセレナは一瞬にして不機嫌そうな雰囲気を纏い、つかつか歩み寄ってきた。
「感動の再会と言いたいところですが――いつのまにやら、おふたりとも随分と距離が近くなったようですね」
キラはリリィと顔を見合わせた。確かに、距離が近かった――ほとんど肩はふれあい、手の甲も動くたびにぴたりと寄り添っている。
その状態を改めて認識して、キラは顔を熱くしながら遠ざかろうとし……リリィは、逆に、ぴとりとその隙間を埋めてきた。逃げるまもなく、腕を絡め取られる。
「もちろん。だって、色々あったもの。ねえ、キラ?」
「ま、まあ、それは……そうだけど」
リリィの豊満な胸が――正しくは、その胸当てがグリグリと腕を押す。
金属特有の圧迫感と、リリィに腕を抱かれているという恥ずかしさ……それに加えて、セレナが鼻の先まで迫ってきて、キラはどうにかなりそうだった。
「なるほど。いろいろ。それは後で聞くとして――私は、あの判断に納得していません」
一歩引こうにも、リリィがそれを許さず。その状況をいいことに、セレナはもう一歩近寄り、その不満を押し付けてきた。
「判断、って……?」
「ドラゴンと戦ったことです。それに、なにやらそれ以外の傷も負っているではありませんか。すでにリリィ様から”治癒の魔法”を施されたようですが……体中に倦怠感がのこっているのでは?」
「う……。なんでわかったの?」
「私の目を見てください」
キラはキョロキョロとさせていた目を、恐る恐るセレナに向けた。
一重まぶたの、青い瞳。その色合いは、リリィとは違って、少しばかり薄いように思える。
「ん、あれ……?」
瞳の色に気を取られていたが、キラはまじまじとその中心にある瞳孔を見つめた。
どんな色の瞳を持つ人でも、必ず瞳孔は黒い……が、セレナは、よく見れば紺色だったのだ。
もっとよく観察しようと顔を近づけ……すると、セレナの紺色の瞳孔が、するりとあらぬ方へ向いた。
「そこまでまじまじと見つめられますと……」
「うぅ、セレナ! 近づきすぎ!」
むっとした様子のリリィが、セレナに食って掛かった。キラの腕から離れて、ぐいぐいっとセレナを引きはがす。
赤毛のメイドははっと我に返り、抱え込んでくる主の腕からするりと逃れた。
「リリィ様に言われたくはありませんが」
「ロットの村では近づくなって言ったくせに」
「はて。一体何億年前の話をしているのでしょうか」
「――あなただって恋人なんていたことないくせに!」
「……いやに話が飛びましたね。それとこれとは別です――リリィ様と一緒にしないでください!」
「なに、好きな人でも居たのかしら? そんな話も素振りも、全く知らないのだけどっ」
「それをいったら、リリィ様だって。いつも剣の腕を磨いてばっかりで、ろくに殿方とお話したこともないでしょう。この剣バカ!」
「それこそお互い様よ、魔法オタク!」
徐々にヒートアップしていく二人の言い合いを、キラはあえて止めなかった。
いや、止められなかった。
あまりにも、二人が楽しそうだったのだ。顔つきも口調も身振りも……緊張感がなく柔らかで、穏やかだった。
そんな二人の仲が眩しく……羨まずには居られなかった。
「……キラ?」
「ん?」
「なんだか……。いえ、何でもありません。言葉では表しにくい表情をしていたものですから」
「そう?」
「気の所為のような気もしますが」
にこりと微笑むリリィを気にしつつ、キラはセレナへ問いかけた。
「それで、セレナのその目……。もしかして、クォーター・エルフだから?」
「正しくは、エルフの特徴的な目である〝魔瞳〟を引き継いでいるのです。魔力の流れやその残滓、集中すれば空気中に含まれる魔素も見て取ることができます」
「へえ……。へえ! それって、すごいことだよね。だって……!」
キラは興奮で言葉をつまらせ、その様子にセレナが常の無表情を少しばかり崩した。
「はい。――ですから、キラ様がどれだけの無茶をして治癒魔法を受け、そしてまた、リリィ様がどれだけの魔力を使ったのかも……はっきりとわかります」
ぴしり、と。キラもリリィも一緒になって固まった。
二人して視線を合わせ……言葉なく、頷く。
「そ、それはそれとして、さ」
キラは言い、続けてリリィが言葉をつなげた。
「もう今日中に戦いの火蓋が切って落とされるのよ。準備は万全でしょうね?」
「そうそう。門のところは、なんかもうすごい厳重だったよ」
勢いに任せて逸らそうとしたのを察してか、セレナはため息を付いていた。
しかし、それ以上先の内容を追求することなく、再び表情を無にして頷いた。
「準備という点では、抜かりなく進められています。近衛騎士総隊長……失礼。”元”総隊長のクロエさんが、その手腕を存分に振るった結果です」
「わたくしとしては、それがまだ驚きなんだけど……。あの総隊長が解任されてるだなんて……」
「私も驚きましたが……」
セレナはそこまで言って口をつぐんだ。
「もしかして、なにか知ってるのかしら?」
「ええ。しかし、このような場所で気軽に話せるものではありません……。とりあえず、屋敷に。シリウス様も、首を長くしてお待ちです」
何をどう伝えるべきか迷っているかのように。歯切れ悪く言い、セレナは門の奥へ続く道を先導した。
キラは三度リリィと顔を見合わせ、メイドの後ろ姿を追う。
「あのさ。クロエって人は、すごい人……なんだよね」
「ええ、何しろ、王家の身辺警護を任される人ですもの。実力で言えば、わたくしよりも勝りますわよ」
「え……!」
「あら、意外でしたか? けど事実ですわよ。炎の扱いに関しては負けるつもりはありませんが、あの人はありとあらゆる魔法に精通していますもの。剣の腕も一流。……七年前、倒れた母に代わって帝国軍を追い払ったのが、クロエさんでしたわ」
「本当にすごい人なんだ」
「ええ。時代が時代なら、英雄とも呼ばれていたでしょう。もっとも……本人にその気はないようですが。そういう肩書を狭苦しく思うような人ですから」
「そういえば……なんか、楽しそうだった。『無職』だって自分で言ったりして」
「もともと竜ノ騎士団に所属していましてね。七年前の戦争で活躍して、ラザラス陛下に引き抜かれてしまいましたの。『我が友ランディの数々の逸話を知りたくないか?』って……クロエさんなりの冗談かと、少し前までは勘違いしていましたけどね」
「お、王家に忠誠を誓って、とかじゃないんだ……」
「動機の一つではある、と本人からは聞きましたわ。ただ、苦労も絶えなかったようで……わたくしは、てっきり、王家や貴族社会のしがらみからくるものと思っていましたが。ランディ殿から陛下の話を聞いたことで、少しだけ同情してしまいましたわ」
「あはは……僕もランディさんから色々聞いたよ。『着の身着のまま、何も持たずに旅に出かけようとするバカがいた』って」
「そういう具合ですから、クロエさんもスッキリとした気持ちはあるのでしょう。ただ……同時に、近衛騎士という立場に誇りも持っていました。なにか、絶対に、わけがあるのだとは思うのですが……」
リリィはそう言いながら、前を歩くセレナの背中を見つめた。
「思惑ある解任であることは、今ここで認めましょう。ただし、そのはっきりとした理由を話すことはできません」
「あら、なぜかしら」
「キラ様がいるからです」
セレナがそう素早く答えたことに、リリィははじめはぽかんとしていた。しかし、徐々に顔つきが険しくなり、目がカッと見開かれる。
キラは何がなんだかわからなくなり、足音すら立てないようにただ黙っていた。
「まるでキラが邪魔者であるかのような言い方。冗談では済まされないわよ?」
「私もリリィ様も、キラ様の勇気ある行動で無事でいられ、そして合流できました。しかし……。私もこのような言い方はしたくありませんが――竜ノ騎士団にとって、キラ様は身元もはっきりとしない不審人物です」
「あなたね……!」
「ですから、『今は』すべてをお話することができないのです。ご理解ください」
セレナの冷淡なまでの無感情な口調に、リリィは何かを感じ取ったらしい。それ以上問い詰めることはなく、そして言葉を荒らげたことも謝ることなく……ただ、何も言わず、キラの隣を歩く。
微妙な空気が二人の間に漂い……それに耐えきれなくなったキラは、思うままに疑問を投げかけた。
「あのさ……。ランディさんは、もう着いてるの? グリューンは?」
セレナがわずかばかりに躊躇して答えたのを、キラは敏感に察知した。
「それが……お二方とも、まだ。音沙汰もない状況でして。捜索隊を出したいところですが……もはや戦争の只中ですので、人手をさくわけにも行かず……」
”不死身の英雄”と呼ばれるランディは、おそらく何があっても大丈夫だ。
だがグリューンは……。
「じゃあ僕が――」
その瞬間。
キラにはすべての時が止まって見えた。
セレナがわかっていたかのように振り返り、首をふろうとする様。リリィも、葛藤するように瞳を揺らしながらも、断固とした決意を秘めている。
木々のさざめきも噴水の水しぶきも、全てがピタリと固まった中……キラは、たしかに感じ取った。
闇くて、暗くて、昏い――すべての哀しみを喰らい尽くすような闇夜の”力”を。
「ユニィ……?」
そして、あの白馬がいなくなっていたことも。辺りが時間を取り戻し、動き出す中で悟った。
「キラ、どうかされましたか?」
キラは逡巡した。
第一師団支部アリエスで、リリィも”神力”を察知していた。
だが今回は、違和感すらも覚えていないようだった。
だからこそ、本当に”力”が――ブラックが直ぐ側にまで来ているのか、判断がつかなくなった。
もし間違いで、それを伝えてしまったら。取り返しもつかないことになる。
「あ……その、ユニィがさ。いないんだよね……」
何事もなければ、それが一番いい。
仮に何かあっても、おそらく、姿を消した白馬に頼ればどうとでもなる。
キラはほとんど考えることもなく判断し、内心の焦りを押し殺しつつ言った。
「あら。本当ですわね」
「ちょっと、探してくるよ」
「それでしたら、わたくしも一緒に――」
「いや……今はそんな時間も惜しいでしょ。僕一人で十分だよ」
”力”を感じたのは気のせいかもしれない。もしかしたら何事もないのかもしれない。
そんな希望を込めた考えが湧いてくるが、同時に、嫌な予感も増大していく……。
キラはなにか言いかけるリリィとセレナに背中を向け、走り出した。