46.友

 空は快晴。いつの間にやら雲は散り、ただただ、突き抜けるような青さが広がる。
 柔らかい日差しも降り注ぎ、穏やかに吹いていく風は心地が良い。
 気持ちのいいくらいの天気を、キラは気味悪く感じていた。
 肌をざわめかせる小さな”力”が、徐々にではあるが、強く大きくなっている。それと同時に、胸のうちにのしかかる不安が重くなっていく。
 まるで、天上を覆う青空すら飲み込まれそうで……。

 ”力”の行方を追って、ただひたすらに駆け抜ける。
 行き着いた先は、防衛準備に追われる王都の門だった。
 多くの騎士たちが縦横無尽に駆け回り、あるいは、地上と防壁の上とを行ったり来たりしている。
 その中で、唯一知っている顔を見つけ、ためらわずに駆け寄った。

「あの、クロエさん!」
「む……。後継者殿。いかがされましたか――最終確認に向けて、少しばかり忙しいのですが」
 金色の前髪に半分隠れた目が、その内心を表すように、すっと細くなる。
 つんとして引き締まった顔つきに、背筋をピンと張った佇まい、隙の見当たらない甲冑姿と、携帯している細剣。
 立ち居振る舞いだけで威圧されそうになったが、キラにはすでにその余裕すらなかった。

「あの……! えっと……」
「落ち着いてください。そのほうが、素早く要件を伝えられましょう」
 キラは膝に手をついて荒い呼吸を落ち着けようとして……逆に、膝をついた。
「どうかしましたか……?」
「なん、で……?」
 空は快晴。ランディから託された”お守り”もきちんとある。
 だというのに――心臓がひとりでに蠢き始めた。居もしない”誰か”に、勝手に体を動かされているような気味悪さがある。

「調子が悪いどころの話ではありませんね。救護班を――」
「敵が……帝国軍が……!」
 胸を手で押さえつけていると、今度は口が勝手に言葉を吐き出し始めた。
 体の中をかき混ぜられたかのような気持ち悪さに耐えられなくなり、キラはなんとか顔を上げつつクロエに手を伸ばした。
 すがるように、助けを求めるように……。

「大丈夫ですか。しっかりしてください――今、なんと?」
 彼女は、突然の事態にも動揺することもなく、手をしっかりと握ってきた。
 キラは安堵した――安堵してしまった。それと一緒に身体を乗っ取ろうとする”誰か”に、気を許してしまったのだ。
「帝国軍の襲撃が来る――空を!」
 クロエが、一瞬、まばたきも呼吸もせずにピタリと固まる。
 その瞬間、キラは彼女の瞳を通して、間違いなく見た――己の瞳が、血のような真っ赤に染まり始めたところを。

「迎撃の準備を……早く……!」
 さながら、意識が遠のくように。身体を縛っていた気持ち悪さがなくなっていく。
 クロエも、意識を取り戻したかのように、ハッとした。空を仰ぎ見る。
 蒼天は、太陽とともに、真っ黒ななにかに塗りつぶされようとしていた。

「――総員、戦闘準備! 明かりをともし、視界の確保を!」

 クロエの判断は素早かった。迷いもなく声を張り上げるや、手近にいた騎士を指示して、いくつかの言伝をもたせて伝令役として走らせる。
「後継者殿。体調を崩しておられるなら、すぐにお戻りになったほうがいい。どうぞ――」
「い、いや……!」
 キラは離れ行く手を再度掴み、今度こそ自分の言葉をつなげた。
「白馬がいなくなってて……それで、多分、友達が外に……! 王都の外に出なきゃいけないんです!」
「しかし……ッ」
「お願いします!」
 クロエは唇を食いしばり、ため息を付いてから声を張り上げた。

「門を開けなさい! 少年を通した後、すぐに閉門を!」
「あ、ありがとうございます」
「まったくです。あの方とおんなじ顔つきはずるいですよ……」
「え?」
「早く行きなさい! なるべくすぐにここに戻ることです――説教も何もかも、ひとまず後回しにしておきましょう」

 キラはクロエに引っ張られて立ち上がり、しっかり頷いてみせた。
 再度礼を言いつつ、開きつつある門をくぐって外へ。
 もはや、疑うまでもない。”力”が――”闇の神力”ともいうべき力が、辺り一帯を覆い、王都を飲み込もうとしている。

 何よりも、空に起きた異変がその強大さを物語っていた。
 広く澄み渡っていた青空が、どこからともなく侵食してきた漆黒に塗りつぶされている。大いなる輝きを持つ太陽ですら、その光は一片も地上に届くことなく遮られていた。
「こっちか……!」
 方角すらあやふやになる真っ暗闇の中、肌を伝うざわめきに従い走る。平らな草原から、勾配のある丘を、ただひたすらに。
 そして――キラはふと背後を振り返った。

 眼下にある王都は、急速に広がる闇に対して、明かりを持って対抗していた。松明であるいは魔法で、防壁を先頭にして光り始める。
 すると、王都の外側……防壁に沿うようにして、ぽつぽつとした明かりがついていく。
 帝国軍――ではなく、エマールの要する傭兵団なのだとキラは直感した。

 しかし。
「数が少ない……」
 大きな都を襲うにしては、集った明かりはあまりにも小さい。
 それだけに、違和感もあった。

「このピリピリする感じ。騎士団支部の時と同じだとしたら――魔獣も、来る」
 キラは、ほぼ反射的に剣を引き抜いた。
 音もなく。周りをゴブリンたちに囲まれた。空を覆う”闇”が運んだのだ。
「ともかく――切り抜けないと!」

 一匹の小鬼が、ギャッギャ! とわめきだし、それを合図に一斉に押しかかってきた。
 キラはその軍団を、剣一つで斬り伏せた。
 幸いにして、魔獣にも動揺という大きな隙がある。
 剣を振るって首を跳ね飛ばし、仲間の死に驚くその瞬間を狙い撃つ。剣を一回振るうごとに、二つ三つと死体を積み上げる。

 キラの剣さばきはいつになくキレていたが……いかんせん、数が多かった。
 さらに。
「――オーガかッ」
 足元のゴブリンたちを蹴散らしつつ、迫りくる大鬼がいた。
 その勢いに任せて、巨大な剣を投げつけるように振るってくる。
 技もなにも、あったものではない。

「フ、ンンっ……!」
 速く、それでいて、強烈な一撃を、キラは真正面から受け止めた。
 全身を突き抜ける衝撃に顔がゆがむ。心臓が、どくりと、蠢き出す。
 しかし――いや、だからこそ、動きを止めなかった。止まってしまったが最後、動けなくなってしまう。
 受け止めた剣を地面へと流し、”ペンドラゴンの剣”の柄を両手で握り、振り払う。

 ”大鬼”オーガの持つなまくらな大剣を真っ二つにし、
「そ、こ――ッ!」
 キラは、二度、剣を払った。
 一度目で、大鬼の手首を切り落とし。
 二度目で、その太い首を半分に切り裂く。

 どうっ、と巨体が倒れ――、
「ふう、ふゥ……!」
 胸を抑え、荒くなっていく呼吸をなんとか整えていく。
 そんな大きな隙を、小鬼たちが見逃すはずもなく。薄汚い奇声を上げて迫りくる。
 奥歯を噛み締めたその時――突風が吹いた。
 直後、轟音。とともに、地面が揺れる。突如発生した地割れに、小鬼たちの小柄な身体はいとも簡単に吹き飛んだ。

「なにが……?」
 ――じゃねえよ! 何ついてこようとしてんだ!
 すぐそばに、白馬のユニィが幻聴で悪態をつきながら着地した。
 ゴブリンの血でまみれた地面を、心底嫌そうに何度も足踏みをして踏み鳴らす。
 ――あァ、気持ち悪ィ……そら、乗れ。とっとと行くぞ
「ん、うん……」
 キラは一瞬呆け、その次にはなぜだか口元が緩んでしまった。
 敏い白馬に気取られないように引き締めつつ、その背中にまたがる。
 ユニィはそれを確認したかのように甲高く嘶き、思い切りよく地面を蹴った。

「――え?」
 しがみつこうとするゴブリンが、あっという間に遠ざかっていく。
 なんともおかしな話ではあるが――馬が飛んでいた。
 様々いる魔獣たちが豆粒になるほど、あるいは、広大な王都をすべて見渡せるほどの場所まで、ユニィは一気に飛び上がったのだ。

「お、おち、落ちる……!」
 ――アァ? 掴まっとけよ
「そんな……ッ! こんなに跳ぶなんて思わないじゃん!」
 ――ンン? そういや、覚えてないっつってたな、闘技場でのことは
 ユニィが幻聴で何かをブツブツと呟いていたが、もはやキラにはどこともしれない謎の言葉に聞こえた。

 ――まあいい。手近なところで下ろしてやるから、あの小娘のところにいけ。もう戦争は始まってんだ……人手は多いほうが良い
 縮み上がるような恐怖で一杯になっていたが、キラは白馬の首にしがみつつ、地上を見下ろしてみた。
 王都の防壁のあちこちで、火の手が上がっていた。
 傭兵団か、はたまた魔獣の軍団の仕業か。どちらにしろ、激しい攻防線が繰り広げられているのは確かだった。
 おそらく、リリィもセレナもその戦火にいる。
 それを思うだけで、キラは締め付けられるような思いがした。

 だが……。
「だめだ……グリューンが、この近くにいる」
 同じくらいに、冒険者と名乗る少年が心配だった。
 もう一度会って、彼の口から聞きたいことがあるのだ。
 そして、願わくば……。

 ――そりゃ後回しにしろ……と言いたいとこだが、見つけちまったなあ
「え……?」
 戦争の只中の王都防壁付近。その北東に、平らな草原を隔てて、暗闇の中でも鬱蒼としているのが分かる森が広がっている。
 キラの目は、森の手間に横たわる草原に釘付けになった。
 白馬の幻聴に頼るまでもなく、粒のような小さな人影を見て取る。
「……ユニィ」
 ――しかたねえ。覚悟決めろよ……薄々気づいてんだろ、お前も

 グリューンという少年は、あまりにも不自然すぎた。
 冒険者とは名乗ったものの、出会ったのは『グエストの村』と『ロットの村』の中間地点。だがここは、すでに開拓が済んでいる上に、竜ノ騎士団の手の届く範囲にある。
 なにより、”不死身の英雄”の隠居先でもある。
 はっきりといって、冒険者の出る幕はない。

 だからこそ、リリィも怪しいと踏み、最初から距離をとった態度で話していたのだろう。『冒険者とはなにか』という話題にも、何かと突っかかるような言い方をしていた。
 もっとも……。
 キラも、少年を怪しいと思わなかったわけではない。
 帝国との戦争の話を聞いた後だったのだ――むしろ、真っ先に違和感を覚えた。彼が帝国の手先なのではないかと。

 だが、だからといって、彼を『敵だ』と突き放すようなことはできなかった。
 なぜなら――。
「気に入らねぇな。田舎者が――わかってたみたいな面しやがって」
 翻るマントに、ちらりと見える簡素な革鎧。
 旅人に適したような格好は、どれ一つとして、最後に見た姿と変わらない。
 ただ、小柄な少年自身がガラリと変わっていた。仮面を剥ぎ取ったかのように顔つきを厳しくしかめ、甲高い声を低く抑えている。
 右手に杖を持ち、左手にナイフを逆手に持つ。その構え方は、冒険者として偽るよりも様になっていた。

「まあ、なんとなく、ね。だけど……どうでもよかった」
「どうでもいい、だ……?」
「君にとって僕が敵であろうと、君が敵として目の前に現れようと……どうでもいい」
「なめやがって……!」

 ――魔法だ!
 キラは幻聴とともに、大きく飛び退いた。
 直後、火球が地面へと直撃する。土塊や石の礫が飛び散り、煙がぶわりと舞う。
 炎が草原を黒く焦がしていく中、グリューンが突っ込んできた。
 煙も炎も振り払い――瞬間移動のごとく迫りくる。
 キラは寸前で剣を抜き放ち、凶刃を防いだ。

「君は――君も、僕と同じなんだろうっ?」
 刃と刃が交差する奥で、グリューンが目を細めたのが見えた。
 クッ、と奥歯を噛み締め、何も答えることなく身軽に宙返りする。
 ”身体強化の魔法”をかけているのか、宙に浮きつつも体を捻り、杖を向けてきた。
 キラはその動きに反応して横っ飛びに避け――しかし、間に合わずに振りかかる火球の勢いにふっとばされる。

「初めて会った時! 君は、ゴブリンの体液まみれになって怒ってたけど――」
 それでも、呼びかけを止めなかった。
 止められなかった。
「仮面かぶったみたいに、怒ったふりをしてる感じだった。どんな時も、君は――」
「うるせえよ……!」
 身軽に着地したグリューンは、一度グッと身体を沈み込ませ、弾かれたように走った。

「君自身が『毒にやられた』って言ったときでさえ、幽霊みたいな虚ろな顔つきをしてた!」
 キラは向かってくるグリューンに、横一線に剣を振り払う。
 が、避けられた。直前に動きを緩めたかと思うと、ふわりと空中へ逃げたのだ。

 真上で杖が振るわれ、
「ウゥ――ッ!」
 爆発が起きる。
 すんでのところで前に飛び込んではいたものの、ほとんど直撃した。
 地面に向かって殴りつけられ、幾度か跳ねて、何もできずに転がる。
 一瞬意識が飛びかけ……しかしキラは地面から飛び起き、無理やり覚醒する。

 そこへ、
「わかったような口聞いてんじゃねえよ!」
 グリューンが懐へもぐりこんできた。
 小さな体を目いっぱいに操り、ナイフを振り切る。
 キラは目を細め――その凶刃を細い腕を掴んで止めた。
 ぎりぎりのところで、刃が止まる。その柄を握る少年の手の甲は、赤く腫れ上がったままだった。

「分かるさ……解らないわけがない……!」
「離せよ……ッ!」
「死んでも生きてもいない――何もなかったんだろう?」
 少年は掴まれた腕をぱっと払い、大きく飛び退いた。

「俺は! 俺は、帝国”軍部”暗殺部隊所属の上等兵――お前の敵だ!」
 暗闇の中でも、グリューンの表情がはっきりと見える。
 ちらちらと草原を焦がす炎が、彼を照らし出していたのだ。キラはその姿を見て、ふと口元を緩めた。

「ロットの村でも、騎士団支部でも……君は真っ先に行動していた。支部に至っては、君自身、毒をもられて――今も痛そうに腫れ上がってる。君が敵だっていうなら、だいぶ矛盾しているよ」
「これは……っ」
「ランディさんが言ってた。躊躇なく手を差し伸べ、差し伸べられる――そういう関係こそ、この世で最も大切にするものだって」
「勘違いしてんじゃねえよ……!」
「うん。だけど、僕は君を友達と思ってる――だから、先に謝っておく。手加減はしない」

   ○   ○   ○

 リューリク帝国の片田舎で、かつてグリューンは雑草を食うような生活をしていた。
 それが八歳のときのことである。両親の顔も知らず、友達もおらず……ただ本能の赴くまま、生きるために生きていた。
 そこに、記憶に入れておくようなものはなにもない。
 食えそうなものを探し、探しては食って、また次へ。疲れたらそのへんで寝っ転がり、眠くなったらそのまま寝る。

 悲惨といえば悲惨であり、怠惰といえば怠惰だった。
 するとある時、地方の村々に向けて、国からの徴兵が発せられた。
 それが、いわゆる人生の転機でもあった。グリューンは、勘違いで他の子供達と一緒に馬車に詰め込まれ、流されるままに帝国”軍部”直属の兵士となったのである。

 兵士という肩書と”グリューン”という名前を得て、すでに五年がたった。
 だが、何も変わらなかった。
 帝国”軍部”は、年端も行かぬ子どもに多少の訓練をさせてから、実戦に投入する。『ただ生き残ればいい』とだけ言って。

 だから、変わらなかった。
 本能に従い、死なぬように生きる。仮面をかぶってでも。
 暗殺部隊”黒影”に配属されてからも、幾度の任務をこなしても。
 ずっと変わらず、変わらないままで一生を終える――そう思っていた。

 確かに、キラに言われたとおり、グリューンも自覚していた。
 親、友、居場所、記憶、感情……ありとあらゆるものが、欠如していた。冷徹非道な”軍部”上層部でさえ、友がいて居場所があり、感情もあらわにする。
 それらは、グリューンにはない――正確には、『なかった』のだ。

「手加減しないだと――上から言いやがって!」
 言いつつ、魔力を込め、杖を差し向ける。
 キラは避ける素振りさえなく、突進してきた。
 速くはない。身体強化もないのだ――が、その無駄と躊躇のなさに、反応が遅れた。
 あらぬところに炎を放ち、その隙に、懐に潜り込まれる。

「お前なんて、さっさと帰ってれば……!」
 力強くも、憎しみも怒りもない、真っ直ぐな視線を持つ黒い目。
 その瞳が、一瞬、赤く変色したように見えた。

「そしたらずっとひとりだった! 僕も、君も!」

 キラと出会い……。
 彼が記憶喪失だと知り、『村に居場所はなかった』と聞いて……感じるものがないといえば嘘だった。
 むしろ、逆である。寂しそうにうつむきながらも、なんとか前をむこうとする姿は……見ていて、胸を締め付けられた。

 同情なのか共感なのかは、わからない。何しろ、初めて『感情のようなもの』を自覚した瞬間だったのだ。
 ただ……。助けてやりたいと思った。
支えになってやらなければと。
 そう思えばこそ。
 抵抗など、出来ようはずもなかった。

 『友はいるのか』と何度か聞かれたことがある。
 聞かれる度に、だんまりを決め込んでいた。
 もしかしたら、すでに答えは出ていたのかもしれない。

   ○   ○   ○

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