「治療はこれでおしまいです。しばらく安静にしていれば、傷が開くことはないでしょう。もっとも、魔法が効けばすぐに治るのですが……ま、贅沢はいえません」
シスに布団をかけられ、キラはベッドでじっとしていた。
久しぶりの柔らかな感触に身を包まれ、今にも意識が遠のきそうだった。が、ぐっと頭を持ち上げ、シスの背中を目で追う。
彼は部屋にいるにも関わらず、黒マントをすっぽりかぶったままだった。
音もなく窓際により、少しばかり傾いてきた太陽を取り込むかのように、ぱっと開け放つ。
「ここはエマール領と王都のちょうど中間地点に当たる町、グレータです。騎士団支部からは離れていますが、近隣同士で活発な地域ですし、王都に向けて再出発の準備をするには丁度いい場所といえるでしょう」
窓から心地のいい風が流れてきて、キラは思わずホッと息をついた。
「本当ならば王都まで送り届けたいのですが、そもそも僕では魔力が足りないので。そこはご了承ください」
「”無陣転移”だっけ……」
「ええ。簡易的で一直線にしか飛べませんが、それでも緊急時には何かと役に立つ魔法です」
「それって、みんなできるの……?」
「まさか。僕の場合は、少しばかり他の方と違うという話です」
シスは部屋の中を歩き回りながら、つぶやくように答えた。
窓から入り込む日差しに照らされた丸テーブルの位置を調整し、壁打ちのハンガーにかかった”ペンドラゴンの剣”を真っ直ぐにして整える。
「ふむ……。荷物は全部リモンにおいてきてしまいましたね」
「まあ……もともとそんなに持ち物はなかったし。それより……リリィは大丈夫かな。ニコラさんたちを届けるのはわけないだろうけど、ちゃんとこの町に来られるか……」
「それは心配ありませんよ。『この先へ行っている』とちゃんと言いましたからね。リリィ様ならば、僕の”無陣転移”も把握していますし、王都への直線上から外れることはないと分かるはずです」
「じゃあ、大丈夫かな」
「ええ。それよりも気になるのは、あなたが何者かということです。リリィ様が見知らぬ同行者と親しくしていたのも驚きましたが、闘技場でのあの宣言。驚くを通り越して、笑ってしまいましたよ。いやはや、これから忙しくなりますよ」
「う……。た、多分、冗談じゃないかな。あの場を切り抜けるための」
「はてさて。では、それをご本人に確認してみたください」
含みのある言い方をしながら、シスはクスクスと笑った。
部屋を歩き回り、最後にドアの鍵を確認してから、ベッド脇に膝をつく。
「――まあ、これはまた置いといて。実際、あなたは誰でしょうか? リリィ様はセレナ様とともに”不死身の英雄”を迎えに行ったものと承知しているのですが」
「僕は……」
キラは言葉を続けようとしたが、声を出せずに口を閉じた。
頭が真っ白となっていた。どうしても、答えが見つからない。
誰と聞かれて、名前を答えるのはわけもない。だが、シスはそんな回答を求めているのではなく……それ以外になにか言えることがあるかといえば、全く思いつかなかった。
するとシスは、目深にかぶったフードの奥で、優しげな笑みを見せた。
その目つきと口元は、どこか懐かしむように緩んでいた。
「失礼。聞き方を間違えてしまったようです。何があったかはあらかた聞いてはいますが……なぜ、あなたがリリィ様とともに? あの方が重要な任務中に、気まぐれで誰とも知らぬ人間を同行させるわけがありませんし」
「あ……それは……ちょっと、まあ、色々あって」
「ええ、なんとなく分かります」
「ランディさんは、僕がついていくって言わなくても、旅に同行させたって言ってた。”神力”を制御できないから、ランディさんの友人のところに連れて行くって」
「ふむ……なるほど、だいたい理解しました。”不死身の英雄”が目をかけていた、ということですね。――後継者であると聞きもしましたが?」
「それは――あんまり自覚がない。リリィに言ったのを初めて聞いたくらいだから」
「ますます興味深いですね。しかし、”授かりし者”であることといい、闘技場での戦いといい……英雄を後継する者といってもおかしくはありませんでした」
熱心に見つめてくる黒い目がむず痒くなり、キラは自然と視線をそらした。
「あー……。そういえば、僕が”授かりし者”だっていつから気づいてたの? 治癒魔法が効かなかったから?」
「ほぼ最初からですよ。教会近くでお会いしたとき……キラさん、僕の目の色が変わったことに気づいたでしょう?」
「うん。今は黒目だけど、途端に青くなったから。”無陣転移”を使ったときは、色が濃くなっていたような……」
「この色の変化――ヴァンパイアの”真眼”に気付くのは、”授かりし者”だけなんですよ。その理由も理屈も判明はしていませんがね」
キラは再びシスに目をやり、ふと思い出した。
”無陣転移”が発動する前、褐色の傭兵ガイアもシスの目の色の変化に気づいていた。
さらに言えば、ユニィも。白馬に関しては、”無陣転移”うんぬんの前に気づいているようだったが……。
「ヴァンパイア……って? エルフみたいに、ヒトじゃない人類ってこと?」
「ええ、大雑把に言えば。ただ、ヴァンパイアとは何者なのか……それは、実はよくわかっていないんです」
「え……?」
「僕たちが『ヴァンパイアだ!』と胸を張って言えるのは、この”真眼”が開眼するかどうか。魔力量も、実はヒトとそれほど変わらないんです」
「でも、”無陣転移”を……しかも詠唱なしに。どう考えても、普通のヒトじゃないよ。それに”白マント”も」
「ふふ。それらはすべて結果なんです。僕はもともと、目も青くならなければ、”無陣転移”を使える技量もありませんでした。”白マント”は……まあ、ちょくちょく顔を出していましたが」
「じゃあ……」
「ええ。子供の頃は、僕自身、ヒトと信じて疑わなかったですよ」
それが、ある日突然、『ヒトではない』と突きつけられたのだ。
言外にそう告げられ、キラは言葉をつまらせた。その時のシスの苦しみが、口の中に広がったような気がした。
『じゃあ、自分は誰なんだ』と思ってしまうほど、最悪なことはない。
「――少し話を変えましょうか。”無陣転移”は、エルフほどの魔力量がなければ扱えるものではありません。しかも、エルフでさえ、到底短時間では発動できません」
「けどシスは……」
「ヴァンパイアは、普通は魔力を十使わなければならないところを、一にまで減らすことができるんです。”白マント”がいるおかげで」
「目が変わるのは、その証?」
「おそらくは――という言い方しかできないくらい、ヴァンパイアは意外とややこしくて分からないことだらけなんですよ」
苦笑いしてそれ以上口を開かないシスに、キラもあえて問いただそうとはしなかった。
さらりと心地の良い風が頬をなで、開いた窓からちらりと見える青空に目をやり……それを見計らったかのように、シスは静かに立ち上がった。
「さて、そろそろ戻らねば。少しばかり、リリィ様に向けて書き置きをしておきましょうかね。あなたも今に眠ってしまいそうですし」
「まあ……起きてるよ、とは言えないね……」
「一応お聞きしておきたいのですが、あの親子はどこへ?」
「”ハイデンの村”の近くの……林。そこに、”隠されて村”があるんだよ」
「ほう、”隠された村”。万一の可能性を考えて、リリィ様がたどるであろう道順で待機していましょうかね」
シスは丸テーブルにうずくまるようにして書き置きをして、懐からまんまると膨らんだ小袋を取り出した。準銀貨を山積みにして重し代わりにする。
「そういえば……」
ぽそりとつぶやくシスの声が、風にのってわずかに聞こえてきた。
「初めてお会いしたとき、リリィ様も〝真眼〟を見抜きましたね」
それ以外にも何か聞こえたが。
うとうととしていたキラには、言葉かどうかも定かではなくなっていた。