39.スピア

 ――王都にあるエルトリア邸にて。

 セレナは、自室のベッドで上半身を起こしてぼうっとしていた。
 赤毛はくしゃくしゃ。ライトブルーの瞳孔にブラウンの虹彩という、エルフの特徴を引き継いだ瞳は焦点が合わず、今にもまぶたが覆いかぶさりそうだった。
 しばらくすると完全にまぶたが閉じ……ぱちん、とひときわ大きく爆ぜる火の粉で目が覚める。
 音の発生源は、暖炉だった。組まれた薪に絡みつくようにして、炎が立ち上っている。

「リリィ様……」

 失敗した”転移”は、皮肉なことに、術者であるセレナのみをエルトリア邸に運んだ。
 第一師団支部でのあらましを報告し、力尽きて気絶……それが三日前の出来事。友人のアンが、寝起き直後にわんわんと泣きながらまくし立てたために、脳内にしっかりと焼き付いていた。

「エマール領……キラ様と。シスからの報告で……。おふたりとも無事」
 ぽそぽそと、言葉に出してアンの言葉を整理していく。
 二人は無事。その事実を確かめるように、何度も口にして噛みしめる。

 ”転移の魔法”で失敗した場合、実は術者が一番安全だ。魔法は術者を中心として展開され、見えない手のようなもので共に転移する人を固定する。
 その手が外れてしまうと”転移”を失敗してしまい……どれだけ魔法の維持を頑張っても、手の届かない場所ではもはや何が起こるかわからない。
 だからこそ、セレナはどきどきとする気持ちを言葉で抑えつけた。

「”手”を離してしまったのは、お二人が最初。ランディ様と小さな冒険者は、最後までほぼ一緒……。大丈夫、なはずです」
 それでも心配な気持ちは晴れることはなく。
 ついに、セレナは頭の中で”転移の魔法”の仕組みを位置から順に確認し……時間をかけて、全員無事なのだと確信に至った。

 頭がくたくたになり、もう一度ベッドに沈み込もうかと思ったとき、ドアから軽いノックの音が響いた。
「セレナさま、お水をご用意しました」
「アン……。いつも言っているはずですが。メイドがメイドに『さま』をつけるのはおかしいと」
「私は、人を立場ではなく、人としてみているんです。だから、『さま』付けで正解です。それに――セレナさまもシリウスさまのことを『シリウスさま』とお呼びしていますよ」
「まったく……。口の減らない友人です」

 上手く丸め込まれたと、セレナは口元を緩めた。
 静かにベッド脇まで移動し、使用人らしくコップを差し出してくるアン――にこにことした可愛らしい笑顔のなかにニタニタという音を見つけた気がして、セレナは表情を引き締めた。
 いつもの無表情に落ち着き……どこか残念そうにするアンを気にしつつ、コップの水を一気に飲み干した。

「――ありがとうございます。それで、私が眠っていたという三日の間、なにか変わったことは? 第一師団支部はどうなりましたか?」
「ヴァンさんからの報告だと、町は半壊。ただし、人的被害は皆無。だそうです。――その場に居合わせた少年が、数秒間引きつけてくれたおかげだと、報告にはありました。あと、よくはわかりませんが『馬すげえ』ともありました」
「そうですか……。それで、帝国軍の動きは? ドラゴンはどうなりましたか?」
「ドラゴンは突如として消えたそうです。多分、”神力”なんじゃないかと。それ以降、襲撃の『しゅ』の字もないそうで、復興に取り掛かってるみたいです」
「一安心、といったところですね。ならば、問題は……」

 セレナがつぶやくように言うと、アンがすぐに言葉の意味をくみ取った。
「今のところ、王都にも、王都近辺にも、特に妙な動きはありません。それどころか、国王陛下が見て回ってるくらいで」
「……ラザラス様が?」
「はい。なんでも、演説をして回ってるのだとか」
「はあ。なるほど……?」
「ただ、そんな中でも防衛準備は着々と進んでいます。シリウス様は、近く、王都中に避難勧告を出すとおっしゃっていました」
「そうですか。しかし、避難勧告とは……まるで襲撃を予想しているかのような動きですね。なにか情報が入ったのでしょうか?」

 セレナが問いかけると、アンは神妙にうなずいた。
 色素の薄いブロンドが特徴的な少女は、エルトリア家に使えるメイドの一人である。
 そうでありながらも、セレナと同じように、少しばかり妙な立ち位置にいる。竜ノ騎士団に集まる情報で、彼女の耳に届かないものはないのだ。

「とある情報が舞い込んできたんです。というのも、帝国軍の今後の動きを記された手紙でして……」
「情報、ですか。どなたからでしょう?」
「スピア、とだけ最後につづられていました」
「当たり前ですが、知らない名前ですね。どうせ偽名でしょうが……しかし、なんにせよ、そのようなものを信じるとは、なにか相当な裏付けがあったのでしょうか」
「それが……。帝国軍の密書がいくつか同封されていたんです」
「は……?」

 ちょっと意味がわかなかった。
 密書とは、その言葉通り、秘密の書類だ。例えば竜ノ騎士団でも、作戦内容などの重要な情報を秘密裏に共有するため、文書としてやり取りすることがある。
 騎士団、ともすれば国の存亡にも関わることもあり……騎士団内でも限られた人間しか存在をしらないことすらある。

 その密書が、裏付けとして、同封されていた……。
 しかも、帝国軍のもの。
 ちょっと意味がわからない。

「セレナさまのその表情……はじめて見ました。感激です……!」
「どんな表情だったかは、あえて聞かないでおきましょう。その密書というのは本物……なのでしょうね」
「はい。なにぶん、強固な”鍵の魔法陣”で封をされていたので。以前、私達が手に入れた帝国軍の文書を覚えていますでしょうか――あれと同系統のものでした。流石に、相手側もこれに気づいて仕組みを変えていましたが」
「”鬼才”エマにかかれば、どんな細工も無意味でしょう。魔法……とくに魔法陣は、使う人によって特徴があるという話ですから」
「ちなみにエマさまに説明されましたが、何のことだかさっぱりでした」
「その点に至っては、あの人は変態ですから。落ち込むことはないでしょう」
「いえ! 目からウロコのようなお話でした……!」

 なにやら顔を輝かせるアンに、セレナはこっそりとため息を付いた。
 彼女は、見た目こそ愛らしく、誰をも魅了するさわやかさがあるが……根本的には、エマと同類なのだ。
 だからこそ、釘を差しておかねばならないと思った。

「……アランが泣きますよ」
「うぅ。お父さまのお説教、怖いんですよ――『頼むから、俺に”そんなまさか彼氏か!”って落ち込ませてくれ』って。前も、『娘はやらん! っていいたい』って、意味のわからない怒られ方しました」
「シリウス様の友人なだけあります。……その怒り方は間違っていないようです、と伝えておきますね」
「ご勘弁を!」
 顔を真っ青にして叫ぶアンに、セレナは少しばかり笑みを漏らした。
 そうして、おほん、と咳払いをする――本題を忘れていた。

「さて。帝国軍の密書の内容は、あとで確認しておきましょう。問題は、帝国軍の今後の動きです……具体的には?」
「王都が侵略を受けるのは、二日後。エマール軍の進撃を合図に、帝国軍も攻め入る……そういった内容が記されていました」
「エマール……!」

 大恩あるエルトリア家。とりわけ、マリア・エルトリアには頭が上がらない。
 彼女が居なければ。リリィと出会うことはなく、セレナ・エルトリアという養女は存在し得なかったのだ。
 生涯をかけてその愛情に応え、そして恩を返さなければならなかった。
 その機会を永遠に奪った相手――名前を聞いただけで、セレナは無限に湧く怒りを抑えられなかった。

 ふわりと赤毛が浮き上がり、膝下の布団がめくり上がり……風が、徐々に吹き荒れる。
 すると、セレナは体の中を駆け巡る不快感に眉をひそめた。
 それと同時に、少しばかりホッとした。”拘束の魔法”により、体内を活発にめぐる魔力が鈍化し――無意識に発動していた風の魔法が無効化される。

「その様子だと、もうあらましは聞いちゃったみたいだねえ」
 その声の持ち主は、開け放った扉の近くで、腕を組んでにやにやしていた。
 第九師団師団長、エマ。”鬼才”その人が、”拘束の魔法”を仕掛けたのである。
「……勝手知ったる、とはいえ、ノックくらいはするべきでは?」
 ブカブカの白衣を着た子どものようなエマを、セレナはジトっとして見つめた。

「したら気づいた?」
「……分かりました、私が悪かったです」
「そ〜そ〜。気をつけてよ? タダでさえ”ユルイ”んだから」
「――と思いましたが、やはりエマのほうが悪いということで」
「え! ひどっ」
 言葉とは裏腹に、エマは小柄な身体を震わせて大いに笑う。
 それがある種の慰めであることを悟り、セレナは少しばかり微笑んだ。

「お、アンちゃんもいるねえ。一つ、頼み事――代理の部屋で紅茶三つ、お願いね〜」
 『セレナさまが笑った!』とばかりに感激で顔を輝かせていたアンは、すぐさまその環状を消し去った。きゅっと唇を引き絞り、
「かしこまりました」
 と和やかに頭を下げ、そそくさと部屋を出ていく。
 ぱたりと静かに扉が閉まられたのを見て、セレナは口を開いた。

「秘密会議ですか。そこに、私を呼びに来たと?」
「いぇあ」
「……はい?」
「……いいよ、気にしないで」
「そうですか。では、気にしません」
「口にしないでいいよ、真面目だなあ!」
 顔を真赤にして、エマは子供のように地団駄を踏み……セレナがじっと見つめていると、それも恥ずかしかったようで、しゅんとしながら暖炉のそばに立った。

「せっかく人が元気づけようとしたのに」
「それはわかっていましたが。しかしこういうときは、なぜだか私よりも圧倒的に頭の良いあなたが、簡単に手球に取れるので。取りました」
「やだなあ、見透かされてるみたいで」
「で……。わざわざ部屋にまで入っているのには、なにか理由が?」
「まあ、ね……。何から話すべきか迷っちゃうんだけど……何が聞きたい?」
「その聞き方はないでしょう」
「だよねー……」

 小柄なエマは、暖炉の前を行ったり来たりを繰り返した。
 頭のいい彼女は、どうにも他人に自分の考えを共有するのが苦手だった。重要な作戦会議の前には、こうして二人で話し合うことが多々あるが、決まってウロウロしながら黙りこくる時間が訪れる。
 セレナは振り子時計のようなエマの姿を眺めつつ、着々と身支度を整えた。
 魔法で水を出して顔を洗い。別の水の玉でタオルを濡らして体を拭き。炎と風でさっと乾かしてから、いつものメイド服に袖を通す。
 ベッドメイクも終えると、ようやくエマは考えをまとめたらしい。

「ま、秘密会議でのことは秘密会議で。君のお父さんの口から聞くと言いよ」
「シリウス様から?」
「まあ、超のつくほど思い切ったことだからねえ。っていうか、いい加減”お父さん”って呼んであげたら? 愚痴言われて困ってるんだよね〜」
「リリィ様と姉妹の約束を交わす前に、メイドとして忠誠を誓ったので」

 肩をすくめて苦笑いするエマを見て、ふとリリィのことを思い出した。
 彼女もまた、『姉さんと呼んでくれて構わないのよ?』といってやまないのだ。
 だが、セレナとしては。自分のほうが姉なのでは? と疑問に思うことがある。とりわけ、キラと出会ってからは、子供っぽさが際立ち始めている。

「それで。話すことは決まりましたか?」
「とりあえず、一つだけ。エマールのことなんだけどね」
「……」
「ん〜、おもらししなかったね。いい子いい子」

「……で?」
「七年前の防衛戦。あれ、たぶんとんでもない裏があるよ」
「裏、とは? エマールが国を売った裏切り者であること以上に、重要な事柄が隠れているとでも?」
「それも含めて、だね」
「もったいぶった言い方をしますね」
「あの防衛戦について正しくすべてを把握している人間はほとんど居ないんだ、ってことを言いたいんだよ」
「また妙な言い回しを……」
「仕方ないじゃん。私だって、まだ確信もってるわけじゃないんだし。色んな所がもやもやしてるんだよ」
「……あなたにしては珍しいですね。いつもは、少なくとも理屈をはっきりとさせてから話をすすめるでしょう」
「本音を言えば、誰かに話して整理をしておきたいんだよね。ほんと、もうぱんぱんで」

 肩をすくめるエマに、セレナは慎重になった。
 ”鬼才”と謳われるその人が、お手上げに近いと口にしたのだ。整理をしたい、というのは本当のことなのだろう。
 少しばかり考えてから、言葉をつづけた。
「先程の言い方。まるで、戦争を仕掛けた帝国側も知らないことがある、というようにも受け取れますが?」
「まさしく。王国か帝国、あるいはまったくの第三者が、あの防衛戦を引っ掻き回した……と思うんだよねえ。厄介な知恵者がエマールに絡んでいた、と見るべきだろうね」

「”知恵者”ですか……。しかし、なぜそのような疑いを持つことに?」
「単純。国王陛下と総帥代理がそう睨んでるからさ〜」
「はあ。陛下とシリウス様が……?」
「直接聞いたわけじゃないけどね。でも、十中八九あたってると思うよ」
 セレナが首を傾げていると、エマがニンマリとしながら続けた。
「セレナ元帥って、意外とこういうことには弱いよねえ」
「思い当たるふしぐらいあります。エマールの進言を聞き入れ”非武装地帯”へ王国騎士軍を進軍させたことや、”ノンブル”の一員であるシスをエマール領へ向かわせたこと……そうでしょう?」

「あと、リリィ元帥の婚約問題だね」
「リリィ様の……? 確かに、マーカス・エマールを〝婚約者候補〟としたことは意外でしたが……」
「その時なんだよねえ。シスが動いたのは」
 セレナはエマの言葉を受けて、はたとして頷いた。

 リリィが『婚約者などいらない』と豪語したのち、いつの間にやら『マーカス・エマールが未来の夫になりそうだ』という話が貴族内でもちきりになり……。
 強引に渦中に引き込まれた主と一緒になって憤慨していたところ、竜ノ騎士団隠密部隊”ノンブル”に所属するシキが動いたのである。
 そして、そののちに……。

「で、エマールの問題発言を陛下が受け入れたのが、そのわずか二日後。総帥代理どころか国王まで公爵家同士の婚約を認めたってことで色々と騒ぎになってるのに、そんな中でエマールの発言を強行採決! まあ、セレナ元帥は任務で王都を離れてたから、この辺のゴタゴタを知ったのはつい最近だろうけど」
「こうしてつないでみると、気づかなかったのが不思議なほど、陛下とシリウス様が連携してエマールを囲い込んでいるように思えますね。しかし……なぜ今になって?」
「さあ? なにか掴んだからじゃない?」
「ふむ。気になりますね」

 セレナはつぶやきながら、チラリとエマを見た。
 子どものように小さな彼女は、大人っぽく苦笑した。
「これ以上は私からは何も言えないよ。七年前、一体何があったか……私も、まだふんわりとした妄想の段階なんだ。――ただね」
「ただ?」
「君が眠っていた間、シスから色々と情報が送られてきてさ。中には”忌才”ベルゼの名前もあったんだよ。驚きだよね〜」
「ベルゼ……。禁忌に走る最低最悪の研究者、でしたか」

「他にも”預かり傭兵”やら何やらと物騒なことも書かれてあってさ。で、当然のように帝国軍の話もあったわけで」
「と、すると。エマールはやはり帝国と通じていたというわけですか」
「そ。で、そのうえで、”スピア”なる人物から帝国の密書が同封された”密告文”が届いたことを考えてみると、さ」

 エマの言わんとすることが、セレナにもわかった。
 ”密告文”は、帝国軍の動き、すなわち王都襲撃のタイミングを示していた。これと、エマールが帝国軍と通じていることを掛け合わせると……内通者”スピア”が、少なくともエマールの懐に潜り込んでいるのだと、想像することができる。

「やばくない?」
「はい?」
「だって、”忌才”に帝国軍に”内通者”。騎士団からも”ノンブル”が出張ってるし、そこに偶然居合わせるリリィ元帥と”不死身の英雄”の後継者。ちょーカオス!」
「何を楽しんでるのですか」
「ふっふ。おかしいなって思っただけだよ。七年前も今も……エマールの周りで、不思議なくらいに混沌が生まれていく。――誰かに仕組まれたにしろ、そういう星の下に生まれたにしろ、このカオスが爆発しないうちに事を進めないとね」
「秘密会議を行うと言っていましたね。では、早いところシリウス様の書斎へ」

 セレナは立ち上がり、自然と体を動かした。暖炉のそばに寄り、近くに立てかけてあった火かき棒を手にとって、燃え盛る炎を潰していく。
「……まあ、会議と言っても、セレナ元帥に頼み事をするぐらいだけどね」
「頼み事、ですか」
「そう。リリィ元帥を説得してもらいたいんだよ。なにせ――」

 不自然にふわりと頬を撫でる風が発生し、エマの小さな小さな呟きを運んだ。
 聞き間違いでも空耳でもなく。
 王都を放棄する、と。
 そう聞こえた。

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