4.不死身の英雄

 いいお茶が手に入ったんだ。そういいながら、老人はかまどの前に立った。慣れた手つきで薪をくべて、鉄製の三脚にポットを乗せる。
 それから茶を求めて棚をごそごそ。その次には、上等なコップを求めて食器棚をごそごそ。

 いきなりの来客にせわしなく働く老人から視線を外し、キラはふと気になったことを隣に座るリリィへ問いかけた。
「貴族の家って、もっと広いの?」
 ランディの家は、村長という立場もあって、村にあるどの家よりも大きい。
 玄関から入ると食卓と台所を兼ねた居間があり、右側には空き部屋が、左側には一家の部屋が二つある。一方をランディが使い、もう一方を娘と孫が使っているのだ。

 現状、キラは空き部屋に居候している状態であり……これはなかなか贅沢な使い方だと、ランディから教わったことがあった。ほかの家は使える部屋は一つに限られ、あとは物置やらなんやらでつぶれているという。
 それを考えれば、ランディ家は村きっての広さを誇る家となるのだが……。

「んー……ほどほど、でしょうか」
 リリィは苦笑いしつつ、どこか答えにくそうに言った。
 すると、彼女のフォローをするように、ランディが続きを付け加えた。
「そもそも、村と都の居住環境を比べるべきではないんだよ。こんな貧相な家、貴族でなくとも普通なのさ」
「王都、そんなに広いんですか?」
「うむ。広い上に、密集している。そこがまた頭の抱えどころではあるが……面白いところでもある。粋な景色というやつは、意外と不便なところに現れたりするものなんだ」
「へえ……。ランディさんも、王都に住んでたんですよね」
「昔……といっても、まだ十年前だがね。君たちには十分な年月かな?」

 老人はニコニコとして言いながら、お盆を机の上に置いた。湯気の立つ湯呑を、三人分並べていく。
「緑茶、ですか。いい香りですわね」
「気に入ってくれたようで何より。土産に茶葉をいくつか持って帰るかい?」
「ぜひとも。皆と一緒にいただきますわ」
 リリィは整った顔立ちをほころばせ、そっと湯呑を持ち上げた。品よく美しく、緑茶に口をつける。

「ランディ殿」
 湯呑をテーブルに置いたリリィは、ガラリと顔つきが変わっていた。ほころびがちだった目元や頬がぴしりと引き締まり、元来の彼女の美しさを際立たせる。
 その目の鋭さなどは恐くもあり、キラは思わず持ち掛けていた湯呑を元に戻した。

「”不死身の英雄”であるあなたに、王都に戻ってもらいたいのです」
「ふむ……そうか。それは一向に構わないが――」
 老人は、わかっていたように目を閉じた。うつむき、腕を組み、鼻から息を抜く。
 キラはその姿を目にしつつも、全く別のことを考えていた。
 
 ”不死身の英雄”とはなんだろうか?
 王都に戻るとは?
 村を出るつもりなのだろうか?

 様々な疑問が不安と一緒になって駆け巡り、しかし、静かに引き締まった空気に、キラはじっと成り行きを見守った。
「わけを聞いてもいいかな?」
「ランディ殿は、七年前の”王都防衛戦”をご存知でしょうか」
「……うむ。何が起こったか、すべて、聞き及んでいる」
「話が早くて助かります。端的に言えば、七年前と同じことが繰り返されようとしています。王都に危機が差し迫っているのですわ――戦力を強化した帝国軍によって」
「戦力を強化? 七年前とは違うと、言い切る何かがあったのかね?」
「われわれ竜ノ騎士団の各支部が、どこからともなく現れた帝国軍によって襲撃を受けたのですわ」

 竜ノ騎士団とは、王国の要となる組織だ。
 そのトップはエルトリア家――つまり、リリィの家。
 王家と血を分けた”公爵”の地位にある彼らは、竜ノ騎士団を率いることで、王国の平穏を保っているのである。

 昨晩に聞いた話を念頭に置きつつ、キラは続きに耳を傾けた。
「七年前も同じような襲撃はありましたが、今回のはまた別格――本当に、気づかぬうちに包囲されたという話ですわ。それも、その狙いは前回の陽動とは違います」
「ふむ……。卓越した隠密部隊による奇襲、ということではないのかね」
「どの支部からの報告にも、『唐突に現れた』と記されていました。まさしく、”転移の魔法”のようであると」
「”転移”……しかし、それは王国特有の魔法だろう。帝国が保持しているとは考えられないが。なにせサー……」
「ランディ殿! それは機密事項でございます! いくらキラでも、なりませんわ」
「彼は私の後継者だ。知るべきことは山ほどある――今のうちに教えていても、損はなかろう?」
「後継者……?」

 リリィが目をまんまるにして、青い瞳を向けてきた。
 そんな彼女に対し、キラは固まってしまった。
 何の話か、さっぱりだったのだ。

「キラには、自覚がないようですが?」
「ふふ。今はじめて言ったからね。――少し前から、彼とともに旅に出ようとは思っていたのさ。それが少し早まっただけ……彼には、文字通り全てを託すつもりなんだよ」
「つまり、彼も連れて行く、と?」
「うむ。もちろん、キラくんさえよければ、だが」

 一も二もなく、キラは頷いた。
 老人は少しばかり安堵したようで、ホッと息をついて湯呑を手にとった。冷めつつあるお茶を、ゆっくりと飲み干す。

「リリィくん。君は納得のいっていないようだが、どうしてだね?」
「どうしても何も、危険すぎます。彼はどう見ても体調がいいように思えません。その上心臓に持病を抱えていますのよ。ついてこられるはずもないでしょう?」
「だが、君も彼の剣の腕を見ただろう」
「ええ……。確かに、目をみはる――」
「不自然とは思わなかったかね? 彼は記憶喪失だ」
 リリィはわずかに眉をひそめ、ハッとした。

「ああ、勘違いはしないでおくれ。彼が帝国の手のものでないことは、私が保証しよう。目覚めたあとの彼の様子は、どう考えても普通じゃなかった」
「はあ。それでしたら、どういう……」
「そのままの意味だよ。彼は剣士ではない。私が剣を教えたわけでもない」
「教えられてもいない……?」
 信じられない、というように。目を一杯に見開いて、リリィは凝視してきた。
 その表情はどこか鬼気迫るものがあり、キラは言葉も出せず頷いた。

「彼の剣さばきは、目覚めた直後から冴えていた。帝国の手先なら、この村は全滅していただろうね」
「そんなことって……」
「彼は、たしかに身体的な弱点を抱えている。が、”授かりし者”であること然り、その剣の才能しかり――秘めたる力を考えれば、彼の成長も見込んで、旅に同行させるべきとは思わないかね?」
 老人は言葉の間隔を狭め、騎士に反論の余地を残さなかった。

 しかし……。
「なりません。キラの旅の同行は、やはり許可できません」
 リリィはつとめて冷静に言いきった。

 直後、ユースとその母親が雨に降られて家の中に駆け込んできた。
 それを皮切りとしてキラのケガで一悶着があり……結局、夜になってキラがリリィと一緒に寝るまで、旅の同行について持ち出されることはなかった。

 ここ二、三日かは、夜が更けるまで様々なことをランディに教わり、途中乱入するユースからも様々なことを教えてもらうことが多かった。ユースとはそのまま一緒にベッドで寝たり、あるいは老人の話を子守唄にしつつ眠り込むこともあった。
 いつも頭を使ってくたくたになり、布団をかぶって意識がなくなるまで、そうかからなかった。
 が。今日は――今日ばかりは、いつになく目が冴えていた。

「あの……なんで……」
「治癒術が全く効かないわけではないと思うのです。傷は治せないものの、少しは辛さを和らげると思いまして」
「だからって……別に、一緒のベッドで寝ることないんじゃ……」

 なにせ。絶世の美女と、同じベッドで、同じ布団をかぶっているのだ。腕と腕が触れ合い、さらには手のひらはすべすべとした温もりに包まれている。
 真っ暗闇でほとんど何も見えないだけに、美女の手の温かさを感じ……それだけでなく、吐息やかすかないい香りも察知してしまう。
 全身が敏感になったようで、それゆえに、頭の中も色々な言葉が駆け巡っていた。
 そうして口をついて出た言葉は、少し前から抱えていた疑問だった。

「あ……あのさ。会ってからずっと……なんでそんなに良くしてくれるの?」
「……わたくしも、お聞きしたいことがありますわ」

 布団がもぞもぞと勝手に動く。そこでキラは、リリィが横になってじっと見つめてきていることを察した。
 キラも、僅かに顔を傾ける。彼女の青い瞳は、暗闇の中でも鋭く輝いていた。

「なぜ、わたくしたちの旅に同行したいと思ったのですか? 話は聞いていたでしょう――決して、遊びに行くわけではありません」
「わかってるよ、それは」
「ならば。村に残っている方が安全だと、わかるでしょう?」
「そうかも知れないけど……村に僕の居場所はない」

 言い切った言葉に、キラは何も付け足さなかった。
 思いが溢れ出そうだったのだ。
 村に対する、嫌な感情が。

 確かに、ランディやその娘であるエーコ、そしてユースには良くしてもらっている。記憶と一緒に何もかもを奪われたところに、居場所や希望を与えてくれた。
 だからこそ、一切関与してこない他の村人たちに対して、思いが募る。彼らは、唐突な心臓発作で苦しんでいても、手を貸すこともしなかった。

 それは仕方のないことなのだと、村長であるランディから教わった。村の外は危険で溢れ、そう教えられているからこそ、皆閉鎖的な考えに陥りがちなのだ。
 村の外から突如として担ぎ込まれ、村長の家で寝泊まりし、更には記憶喪失……キラも、その客観的な自分自身の薄気味悪さを理解していた。

 だが。それでも。どうしても。
 一番混乱しているのは自分なのだと、思ってしまうのだ。
 キラは必死に口をつぐみ、瞬きもせずにリリィの青い瞳を見つめた。
 彼女の目つきは、徐々に、徐々に……柔らかくなっていった。

「だから、かもしれませんわね」
「……え?」
「この村にあなたと入った瞬間から、あなたが村に馴染めていないのを何となくわかっていました。誰とも目を合わせようとしないあなたが、独りに見えたのです」
「そう、だったかな?」
「ええ。だから、せめて同じ部外者であるわたくしが、少しの間でも一緒にいようとおもいましたのよ。……今、言葉にして自覚しましたけどね」

 冗談めかして微笑むリリィが、とても眩しかった。
 キラはその眩しさに目を細め……そこで、彼女の親指がまなじりをなぞるのを感じた。

「できることなら、わたくしもこの村にとどまりたい……あなたを置いて行きたくありませんわ。あなたの姿が、亡き母と重なってしまいましたから」
 彼女は――彼女も、それ以上言葉を付け加えることはなかった。
 キラも何も言わず、頬に移動した彼女の手に手を重ねた。

 しばらく沈黙の中、滑らかな手の体温を感じ……ふと、思ったことをそのまま口にする。
「騎士で貴族で、それが誇らしいっていう君が、羨ましかったんだよ」
「……?」

 言葉の意図を汲み取ろうと思案げな顔つきをするリリィは、あまりにも愛らしかった。
 形の良い眉をわずかに寄せ、つややかな唇をむっつり閉じる。
 その表情になぜだか笑いがこみ上げてきて、キラはくつくつと喉を鳴らした。
「もう! 何がおかしいのですか」
「ごめん、ごめん。かわいいから、つい」
「……ならば、許しましょう」
 頬を膨らませながらも、どこか嬉しそうに見つめてくるリリィ。
 その青い瞳は、話の続きを待つように、じっと動くことはなかった。

「僕は、僕が誰なのかを知らない。記憶喪失だから」
 リリィの瞳は、揺らぐことなく、貫くように見つめてきていた。
「だから、君が羨ましかった……憧れたんだ。貴族で騎士で、それが誇りだって断言できることに。――僕も、そうなりたい」
「そうなりたい、とは?」

 彼女の問いかけに答えようとして、キラは口を閉じた。
 体のどこかに、違和感を覚えた。その違和感は、確固たる形として……心臓発作として現れた。
 ドン、ドン、と。内側から誰かが叩いているように、心臓が蠢き出す。
 その衝撃に耐えられず、キラは息をつまらせた。

「キラ、キラ? 大丈夫ですか? しっかりしてくださいな」
 頬にあったリリィの手が、背中に回る。
 幼子のように、背中を撫でられる。

 だがキラは、苦しさにうめきながらも、言葉を続けていた。
「僕も……君みたいに、自分が何なのかを……言い切りたい」
「わかりましたから。ね? だから――」
「君は……騎士だから、僕を助けた。騎士だから――剣を振り切った。僕も、誰かを救けるために剣を……! 君や、ランディさんのように……ちゃんと……!」
 キラは、リリィの体を少しばかり押し返し、その青い瞳を見つめた。

「僕も――連れて行ってほしい」

 リリィは、頷いた。顔つきを鋭くして、決して表情を崩さずに。
 それから、抱きしめてきた。もう絶対に離さないとばかりに、強く頭をかき抱き、背中をなぜる。
 すると、いきなり楽になった。
 キラはほっとして力を緩め、リリィに体を預ける。

「わたくしも、覚悟を決めましょう」

 彼女の美声が、耳元で囁いてくる。
「あなたが満足できるまで、わたくしがそばにいます。ですから、約束してください。決して――決して、無理はなさらないと」
「うん……わかった」
「発作を起こして『平気』も『大丈夫』も禁句です」
「わかった……!」
「では、あなたの同行を許可いたします。竜ノ騎士団元帥、及び、エルトリア家次期当主として……」
 リリィがニコリと笑い、キラもそれにつられた。
 心の底から微笑んだのは、キラにとってこれが初めてのことだった。

 翌日、早朝。
 村の門近くで、今に旅立とうとする老人に孫娘が抱きついて離れなかった。
 嫌な夢でも見たのか、ぐずぐずと鼻が止まらない。ひとしきり泣き、慰められ……祖父から離れたときには、少女は泣きながらも引き締まった顔をしていた。

「いい子だ、ユース」
 黒髪の少女はグシャグシャの顔を拭い、不器用に微笑んだ。
 そうして、今度はキラのお腹に突撃する。
「うっ……と。またね、ユース」
「お兄ちゃん。また、この村に帰ってきてくれるの?」
 じっと見上げてくる少女に、キラはすぐには返せなかった。

「……うん。ユースが恋しくなっちゃうからね」
 その微妙にあいた間に、少女も何かを感じ取ったようだった。だが彼女は、ぎゅうっと抱きつく力を強くするばかりだった。
 キラはその小さな体を抱きしめ、黒髪をなでつつ……エーコに目を向ける。
「部屋、そのままにしておくからね。いつでも、帰ってきて」
 ニコリと微笑むその柔らかな顔つきが、なぜだか目に染みたようで、キラは何も言えずにただ頭を下げた。

「リリィおねえちゃんもまた来てくれる?」
「ええ、もちろん!」
 リリィがユースと再会の約束をし、ランディがエーコに言葉をかけ、ユニィが母娘に撫でられる。
 そして老人と娘が抱擁をかわしたところで、村を発った。

「良かったんですか、ランディさん」
「何がだね?」
 先頭を行くランディが、栗毛の馬に揺られつつ、顔だけを振り向けた。
 多くのシワが刻まれたその横顔は、微笑んでいるようでもあり、泣いているようでもあった。
「村のみんなに何も言わなくて……」
「ああ、それなら大丈夫さ。言っただろう? もともと君を連れて旅に出るつもりだったと。こんなに急とは思わなかったが……皆もわかってくれている」

 そう言って前に向き直り、それきり振り返ることはなかった。
 キラはじっと老人の広い背中を見つめ――突き上げるような揺れに、体勢を崩した。
「わ……わっ」
 ユニィが、突き出た木の根を避けるために、わざとらしくジャンプしたのだ。
 慌てふためき、必死になって白馬の首にしがみつく。
 すると、後方からくすくすとした笑い声が聞こえた。
「ふふ。キラ、わたくしが相乗りいたしましょうか?」
「ぐ……だ、大丈夫さ! ほら、なんともない」

 キラは手綱を握り、ぴしりと背筋を伸ばしてみせた。
 すると、白馬がカタカタと歯を鳴らした。まるで懸命になって恐怖心を押し殺したのがバレているようで、ジトッとしてその後頭部を睨む。
「でも、いつ何があるかわかりません。ですから――頼みましたわよ、ユニィ」
「なんでユニィに……」
 キラは唇を尖らせ、ムスッとしたその時。
 気の所為だろうか……。

 ――任せろ

 ユニィが、そう快活に答えた気がした。

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