闘技場で合流したエマール親子は、何やらともに観客たちに訴えかけていた。
国は不甲斐ないだとか。帝国に攻め入られるのも自業自得だとか。
まるで自分たちの行いこそが正しいというように……。
「これからは個々人が戦力を持つ時代! 紹介しよう――新しく進化した奴隷、”預かり傭兵”を!」
シーザーは、人が人を道具とすることを堂々と自慢したのだ。
歓声を上げる観客を片手でなだめつつ、握っていたステッキで鋭く”預かり傭兵”を叩きつける。
相当な殴打が脛に入ったはずだが、男は呻くこともない。ただ、ただ、背中を丸めて前のめり気味に立っているだけだった。
「特別な道具は必要ない。ただ、命令するだけ。例えば――ほら、踊れ」
それまで微動だにせず立っているだけだった”預かり傭兵”が、ぎこちなく動き始めた。
妙なステップに妙なテンポ。奇天烈な身振り手振りに、観客席はどっと笑った。
「しかし、すべての命令を聞き入れるわけではない。奴隷とはいえ、人なのだ――主人に値する者や攻撃する相手くらいは判別できる。例えば……我が息子マーカスを蹴れ」
すると、”預かり傭兵”はいきなりだんまりとした。妙なポーズで固まり、顔はマーカスの方を向くものの、ぴくりとも動かなくなる。
それがまた笑いを呼び……ガツンッ、という音でしんと静になる。
マーカスが、三叉の槍の石突で地面を強く突いたのだ。客席が静まり返ったのを見て、厳かに口を開く。
「では実際のところ、どのように使えるのか……気になる者も多かろう。そこで、ちょっとした余興を行おうと思う」
息子の言葉を合図代わりに、シーザーがステッキを掲げた。
握りに埋められた水晶がちらりと瞬き……次の瞬間、その場に太陽が現れたのかと思うほど、カッと光り輝いた。
キラは思わず腕で目を覆い――背筋を這いずり回る感覚にゾッとした。
「これは……!」
あまりに、身に覚えのある感覚だった。
忘れもしない。第一師団支部で感じた”神力”だ。
呼吸をするのも忘れて、まばゆい光の中、まぶたを必死にこじ開ける。
ステッキの握りがなおも輝く一方、その持ち主のまん丸とした体型をそのまま影にして映し出す。
地面に縫い付けられたその濃い影から、何やら黒い靄がにじみ出てきた。
魔法の光が弱まっていくのと同時に、靄は濃くはっきりと形を作り始め――光がなくなったときには、白髪血眼の男となっていた。
「昨日の……!」
「なかなか……愉快な偶然ですね」
影を介して現れた男は、その赤い瞳をちらりと向けてきた。
キラはとっさに視線を外し、外套のフードを目深に被り直す。見れば、シスも同じように陰に隠れるようにしてやり過ごしていた。
「では、僕はこれで。彼とは少しばかり縁があるようなので。健闘を祈りますよ」
礼を言う暇もなく。シスはまたたく間に消え去った。
闘技場の方を振り向くと、白髪の男はすでに興味をなくしたかのように視線を外していた。今度は、その血のような瞳で”預かり傭兵”を貫くように睨む。
感情というものを一切見せない冷淡な顔つきが、一瞬にして憎しみに染まり……不思議に思っていると、エマール親子が話を進めていた。
「”預かり傭兵”とは主人の剣! それを我が友ブラックが、一騎打ちで証明してくれることでしょう!」
白髪血眼のブラックはチラリとシーザーをみやり、再び”預かり傭兵”に視線を戻す。
そのときにはすでに冷淡さが戻り、興味という言葉をどこかに捨てていた。”預かり傭兵”に背中を向け、ゆっくりと歩く。
十分に距離をとってから向き直り、腰から剣を抜き去る。
「準備はいいようだ。さあ、”預かり傭兵”よ、戦うのだ!」
その言葉に、傭兵は驚くほど機敏に反応した。
血に飢えた獣のごとく。自らも剣を手に取り、走り出す。
対するブラックは冷静だった。感情なく、ただ淡々と。迫りくる剣を弾き、あるいは避け、突き放す。
芝居を見ているようだった。驚くほどド下手な戦い方をする素人に合わせ、そうすることで相手を立てている。
実際、キラの目にも”預かり傭兵”が押しているように見えていた。
だからこそ、観客がどよめき、興奮で色めき立つのが理解できた。
「強い……」
剣の振り方や、間合いの測り方、後退のタイミング。
一騎打ちが引き分けというなんとも面白みのない結果に終わるまで、キラはブラックの一挙手一投足に釘付けになっていた。
「さあ、お待ちかね! 傭兵を志す者たちの対決――醜き争いの様を、とくと楽しまれよ!」
あらゆる方向から狂気の歓声が届き、キラはむっとして眉をひそめた。
ちらりと、辺りをうかがう。”貴族街”に住む貴族たちは、みなが口々に汚い言葉を吐き出し、常軌を逸した目つきで見下してきている。
とりわけ、観客席の上部に移動したエマールたちの近くは、異常だった。
異様にシンとしているのだ。まるで神の御前であるとでも言わんばかりに、厳かな面持ちで口を閉ざしている。
一体、彼らにとってエマールとは何なのか……。
そう気を取られていると、ぶっきらぼうな声が突き刺すように聞こえてきた。
「おい。どこ見てんだよ」
キラはエマール親子とブラックから視線を外し、正面を見た。
エリックは、今まで出会った人たちの中でも、一番近しい少年だった。背丈や体つきや筋肉の付き方が似通っている。少年が握る剣まで、刀身の長さや幅がどこか似ていた。
しかし、やはりというか、キラとしてはニコラを目の前にしているような気分となった。
整ってはいるものの、鋭い目つきや眉間のシワで恐ろしく見える顔つき。ぶっきらぼうに放った声は幼さがあるが、ニコラと瓜二つだった。
「君、エリックだよね」
「あ? だからなんだよ」
少し言葉をかわしただけで、いかにエヴァルトが苦労したかがよく分かった。
キラはこっそりとため息を付き、少し間をおいてから、口を開いた。
「村に戻るつもりはないの? 君を心配している人達がいるのに」
「ああ? ……ちっ、そういうことかよ。あのバンダナ野郎とグルだな。アイツもお前も、俺には見覚えがねえんだけど?」
「……よそ者で、頼まれただけだからね」
その濁した言い方が気に入らなかったのか、エリックは片眉を釣り上げた。
唇を尖らせ、つまらなそうに口を開こうとしたとき、シーザーの声が轟いた。
「何をしている! 早く始めよ! 両名とも失格にするぞ!」
降りかかる声に、乗っかかる野次。
しつけられた犬のようだとキラは顔をしかめ――剣を抜き振り払った。
エリックが仕掛けてきたのだ。構えた剣を携え距離を詰め、腕を振るう。その動きには、一切の躊躇もない。
「村に戻るつもりはない、って?」
ヒヤリとしたものを感じつつ、鍔迫り合いに持ち込む。両手で柄を握り、立ち位置を変え、ぐいぐいと押し込んでくる剣を抑え込む。
ニコラは『エリックに剣の才能はない』と称していたが……。
その気迫に、迷いのなさ、勝利への執着。剣から伝わるそれらだけで、飲み込まれそうだった。
「――お前、剣に慣れてないだろ」
少年はぎりりと歯を食いしばり、喉の奥から言葉を絞り出した。
エリックの中で何かが膨れ上がるのを感じ……キラはとっさに後退した。
しかし、振り切れなかった。あたりを捻じ曲げてしまいそうなほど歪んだ雰囲気を身にまとい、ほとんどピッタリと追撃してくる。
キラは舌打ちをして姿勢を整えつつ、再度受け止めた。
強く、重く。苛烈な剣だった。
押し返そうにも、その勢いを殺し切ることができない。
じり、じり、と。数歩後退しつつ、ようやく拮抗できた。
「反吐が出る」
「え?」
「どうせお前は、望んでなくても誰をも圧倒できる。けど、俺は……!」
交差する剣の奥で、エリックの顔が醜く歪んだ。歯を食いしばって言葉を殺し、怨嗟の声で呻く。
「俺は、村には戻らない。俺に、村に居場所はない」
「居場所が……ない?」
エマール領へ反乱する計画。それは、一人の少年が無鉄砲にも飛び出したせいで中止せざるを得なくなった。
大きな計画のはずだ。数人でなんとか出来るような目的でもない。ましてや、誰か一人が『息子がいなくなった』からと止められるはずもない。
皆の総意で、計画は中断されたのだ。
少年の母親は、初めて会ったときから、苦しそうな顔をしていた。
少年の父親は、皆のためを思いつつも、息子のために決断をした。
少年の友人は、剣を握り、勝てないとわかりながらも挑んできた。
「それ、本気で言ってる……?」
キラは問いかけながらも、聞く耳を持たなかった。
なにか少年が言った気はするが、すべて意味のない文字の羅列に聞こえる。
「みんな君を気にかけていたんだ。ニコラさんもミレーヌさんも、セドリックにドミニクだって。君を心配していた」
「俺は戦えるし、そんで勝てる! 心配なんかいらねえよ!」
その途端にすべてが分かった気がして、頭が真っ白になった。
心臓が、トクンと跳ねる。
「君は、どれだけ恵まれてるか分かってない」
「恵まれてるだと? ろくに剣を握ってないくせに化け物みてえなお前が……冗談言ってんじゃねえよ」
ぐっ、と。唇を噛みしめる。
「君は、まったく周りを見てない。居場所がないなんて、簡単に……!」
「てめえこそ、俺に説教垂れてんじゃねえよ! 最初っから持ってる奴が、弱えやつの気持ちなんざ分かるわけねえだろ!」
もう、抑えられなかった。
「――君みたいな我儘なやつの気持ちなんて、分かりたくもない!」
何より。
こんなやつのために。
リリィが苦しみ、決断を下したのだ。
ギリギリの判断だった。決して目をそらさなかった。
騎士として貴族として、村と王都とを見比べ、それでも助けようとしたのだ。
「勝ちたいなら勝ちなよ! これで負けるようなら――君がここに居る意味はない!」
剣を握る両手に、押し込む体に、踏み込む足に。力を込める。
エリックも、負けじと押し返してくる。
力が、拮抗する――その瞬間に、キラは半歩身を引いた。くらりと、少年の身体が前のめりに崩れる。
だが、彼はその程度では諦めない。
なんとしてでも剣を振るってくる――そこを、キラは狙った。
あわせて”ペンドラゴンの剣”を振り払い――エリックの剣を真っ二つに斬り――手首を返してその腹に剣腹をめり込ませた。
「ぐ、ぅ……っ」
言葉もなく崩れ落ちる少年。あまりの衝撃に痙攣するその様を、キラは冷淡に見下ろしていた。
「強くても弱くても……あんな友だちがいるんだから、それでいいじゃん」
ポツリと呟いた言葉は虚しく宙を漂い……突如として降り注いだ憎たらしい声にかき消された。
「何をしている? 殺せ」
当然のようにのしかかる言葉に、キラはぽかんとした。
観客席に詰めかけた貴族たちは、それに呼応して口汚くコールする。
殺せと。続きを見せろと。野蛮人らしく。
「どうした。これは傭兵の素質があるかを見極める試験だ……傭兵が人を殺せなくてどうする。さあ、やれ」
シスの忠告どおりだった。
彼は、闘技場に着く前に言ったのだ。
本来ならば、キラもリリィもエリックも、誰もがエマール領リモン”貴族街”に立ち入るべきではなかったと。メチャクチャな基準を持つ街に関わっても、誰も得などしないと。
ようやく、キラも身に染みて分かった。
この”貴族街”では、人の命すら軽くなる。
「傭兵となりたいという願いを聞き届けてやろうと言うんだ。少しは我々を楽しませてくれなければ。従えないというのならば――」
「父上。ここはわたしが」
「よかろう。処刑せよ」
「御意」
マーカスはつと立ち上がるや、大きく跳躍し、観客席をまたぐように飛び降りた。
何事もなく目の前に着地する姿に、キラは僅かに目を見張った。
「平民が……。なおも抗うつもりか?」
「……邪魔なのはそっちだよ。僕は、約束を果たさなきゃならない」
「そうか。――ならば、この”モルドレッドの槍”で貴様もろとも串刺しにしてやろう」
マーカスは三叉の槍をくるくると回した上で構え。
大げさながらもこなれた動きに、キラは警戒しつつ剣を向けて。
前のめりになって今に踏み込もうとしたところで――どこからともなく、怒りに吹き荒れる”紅の炎”が押し寄せた。