34.「ヲン?」

 宿の前でキラと別れて、リリィはもんもんとした気持ちを抱えて歩いていた。
 ずっと……とくに、騎士団支部についてから、キラには無理させっぱなしだった。
 ドラゴンとの接触に始まり、偽物の夫婦を演じ、『リリィ・エルトリア』を匿ってくれている。さらには、疲労も傷も残る身体にむち打ち、戦いもした。
 すべては、王都へたどり着くために。
 ”隠された村”への憧れも押し殺し、『恩返しをしたいから』と力を貸してくれている。
 だからこそ、その思いを踏みにじることは許されなかった。エマールとの因縁など関係ない――怒りに囚われるわけにいかない。

 だが……。
 道を歩き、住民たちとすれ違い、家々の間を目にするたび……やるせなかった。
 エマール領リモン”労働街”は、『傷跡の残る街』だった。
 さながら、無茶を押して戦いに挑むキラのように……誰にも見えない部分で、無理を通している。

「平民だけの街……これでは、貴族の立場などありもしませんわね」
 モヤモヤとしたものが積もり、頭が熱くなる。かぶりを振って何度も熱を振り払い、ただ自分のなすべきことに集中する。
 もくもくと歩いて”にっこり防具店”に到着し。「あともう少しなんだ」と細部まで拘る親方をせかし。その場で胸当てを着用して、職人たちの腕に感心する。そうして、多少の色を付けて代金を支払い、ほとんど飛ぶようにして店を出た。
 全身に魔力を通わせ、足に力を込めて跳躍。誰も彼もが注目する中、屋根に着地し――人の目に止まらない速さで駆け抜ける。

 そうやって急いでも、エヴァルトと”境界門”で合流できたのは、時間ギリギリだった。
「おお、おお! あれや、俺の連れ!」
「……おまたせしました」
 息を整えつつ、前もって”境界門”門番に申請をしていたエヴァルトの隣に立つ。
「ほら、これでええやろ」
 何やら渋っている門番にこれでもかと言葉を浴びせかけ、うんざりとした様子で「入ってよし」と言わせた。

 満足した様子のエヴァルトともに”貴族街”に入り……背後で門が閉まっていくのをちらりと目にしながら、むすっとしてリリィは問いかけた。
「で。申し開きは?」
「お、おお? 俺、何も悪いことしてへん……」
「シスはわたくしの知り合いですから、そのあたりのことは何も問いませんが……しかし、ニコラ殿のご子息に会った時点で、何らかの解決策を見出しておくべきではありませんか?」
「仕方ないやん! ガキやしちょろいって思ったら、めちゃ強情なんやで。気絶させることも出来るけど、そないなことしたら俺袋叩きやし」

「……この街では、ニコラ殿は有名人のようですわ。耳にしましたか?」
「ああ……ちょいとなら。宿屋のおばはんが推してたなあ……」
「その知名度を利用して、ご子息を囲い込むように連れ戻すことも出来たのでは?」
「……おぉ」
「申し開きは?」
「気がつかんかった」

 リリィは大きなため息を隠さなかった。
 穏便に事が運べば、キラが傭兵の試験に向かうこともなかったのだ。
 しかし、文句を言って状況が好転するはずもなく。あっけらかんとするエヴァルトを人にらみして、駆け出す。

「せや、言わなアカンことがあんねん」
「……なんです?」
「俺はもうこの街の傭兵になってしもたからな。闘技場に着いたら他人同士――これ以上は自分たちでどうにかすることや」
「ご親切にどうも。しかしそれはもう承知していますので」
「……なんや、えらい冷たいやん。もうちょい、こう……」
「わたくしはキラの『妻』ですもの。そういうことは、他の女性に望んでくださいな」
「ぬう……言うやんけ」

 むうっとして端正な顔をひょうきんに歪めるエヴァルトを、ちらりと振り返る。
 口では『他人同士』と言ったが、それは彼の本心ではないような気がした。態度からか、表情からか、はたまたその訛った口ぶりからか……。
 出会ったときから、少しばかり感じていたことが、確信に近づいた気がした。

 彼は、おそらく味方だ。今後、何があろうとも……少なくとも、敵に回ることはない。
 何がそう感じさせるかははっきりとはしなかったが。
 そう考えるだけで締め付けるようだった心が楽になり、なにもかもがうまくいくような気がした。

「何をしている? 殺せ」
 闘技場の中心で、『夫』たるキラがぽつんと立ち尽くしていた。
 観客席にぐるりと囲まれ、罵倒と怒号と暴言を浴びせられ。まるで処刑寸前の大悪党のように、責められ続ける。

 そんな光景を目の当たりにして……。
 リリィの中で、何かがひび割れていく音がした。

「これは傭兵の素質があるかを見極める試験だ……傭兵が人を殺せなくてどうする?」
 その憎たらしい声を、リリィはよく知っていた。
 瞬きもせず、ゆらぎもせず。また、一切の迷いもなく、青い瞳に捉える。
 シーザー・J・エマール。リリィが立ち尽くす客席の真ん前に、最上段の特等席でゆったりと腰掛ける球状の男が居た。
「少しは我々を楽しませてくれなければ」

 そして、シーザーの隣りに座っていた男が大げさに跳んだ。きらびやかな青いマントをひらめかせ、すたりとキラの前に着地する。
 マーカス・エマール――婚約者として立候補とした弟の方だ。
 こしゃくにも華麗に三叉の槍をくるくると回し……その刃を、キラに向ける。

 もはや。
 我慢の限界だった。

「この……!」
 抑えねば。気を保たねば。そう思えば思うほど。
 どれだけキラが頑張ってくれていたかを思い出してしまう。
 闘技場が、シーザーが、マーカスが。そんな彼に容赦のない悪意を押し付けているのだと、はっきりと感じ取ってしまう。

 ”紅の炎”が漏れて、じりじりとマントが焦げ、そして――。
「裏切り者がいい御身分ですわね」
 リリィは、荒れ狂う炎とともに、怒りを爆発させた。

   ○   ○   ○

 剣を構えていたキラは、はっとして振り向いた。
「わたくしも、ぜひともこの下らぬ余興に参加したいですわね」
 客席から跳躍したリリィが、とん、と闘技場に着地するところだった。はらりとマントのフードが外れ、美しい髪色と美貌とがあらわになる。

 同時に、マントの裾がぼっと燃える。”紅の炎”が、あっというまに燃やし尽くしてしまった。
「リリィ・エルトリア……」
 誰あろう、マーカスがつぶやいたのを、キラは確かに耳にした。
 その声色は、彼の傲慢な口ぶりからは考えられないほど、恐れおののき……それでいて、敬っていた。

 反射的にぱっと顔を向けるも、マーカスは相変わらず大胆不敵に口端を歪めている。
「やあ、リリィ! 顔を合わせるのは久しぶりだね? こうして会いに来てくれるとは、なんと運命的なことか!」
 馴れ馴れしく、そして、仰々しく。鳥肌の立つほどねっとりとした声音で、マーカスは言った。

 それに続くように、
「これは、これは。我が領地にいらしたとは思いもよりませんでしたぞ」
 マーカスの背後から球状のシーザーが現れた。
 そのそばには、ブラックもいる。
 ”神力”で影を伝って移動したのだと、キラは肌で感じとった。

 リリィも、白髪の男が何者か理解したようだった。唇を噛み締め、うめき声を漏らし、目つきを鋭くする。
 黄金色の髪の毛がふわりと浮き上がり、その一本一本に”紅の炎”がまとわりつく。

「我が息子の婚約者はこれほどまでに美しいのかと、感服せざるを得ませんなあ。公爵家同士の婚儀となれば、それはもう派手やかに望まねば」
 しかし、シーザー・エマールはなんとも豪胆な男だった。それとも、よほど頭の回らない男なのか。
 リリィから溢れ出る怒りに一つも動じることはない。
 そして、その息子のマーカスもまた、怯えた様子などついぞ見せなかった。それどころか、にやにやとした笑みを浮かべ、リリィをじっとりと眺めつつ続ける。

「ええ、父上。しかし、少しは躾をするべきでしょう。婚約者なれど、一報もなしに訪れるとは……おてんばもいいところです」
「ああ……たしかに。かつて”王国一の剣士”と謳われたマリア・エルトリアにそっくりだ。――あなたの母親もまた、誰もが手を焼くおてんば娘でした。どうやら貴族社会のなんたるかについて、なにも教えなかったようですな?」

 キラもカチンと来た言葉は、リリィの怒りを頂点にまで引き上げた。
「豚風情が――つけあがるのもいい加減にしなさい」
 リリィを中心として熱気がうずまき――一気に破裂した。

 砂利を溶かし、地面を焦がし、空気を燃やす。辺り一帯を紅色に染め上げ、闘技場を飲み込んでいく。あまりの熱さに誰もがうめき、もがき……気絶していく。
 間近にいたキラも、その脅威を全身で感じていた。
 マントが剥がれ落ちるように溶け、服や包帯がじりじりと焦げていく。強靭な体のおかげでなんとか耐えていたものの、今にも膝から崩れ落ちそうだった。

「リリィ……!」
 息苦しさに目を細めつつ、彼女に向かって足をすすめる。
 どう考えても、”紅の炎”による波はコントロールされたものではなかった。なにせ、リリィの手の甲ですら焼き尽くそうとしているのだ。
 これでは、まるで――。
〈ドラゴンのよう〉 
 まさに、そのとおりだった。
 騎士団支部を一瞬にして火の海にした災厄の魔獣の如く。彼女は荒れ狂い、そして苦しんでいた。

 轟々と猛る熱気の中で、キラは誰かの足音を耳にした。
 不規則に、地面をこする音。足を引きずりながらも、誰かがリリィに向かっている。
「くそ……ッ」
 見れば、なにか黒い靄に包まれて炎の奔流から逃れているシーザー・エマールが、肉で膨らんだ顔をにやりと歪ませている。
 ”預かり傭兵”に命令したのだ。

 ものいわぬ操り人形は、肌が焼けただれていくのも構わず突進する。
 キラも、力が抜けそうな身体で踏ん張り――リリィの前に躍り出た。剣を振り抜いて”預かり傭兵”の凶刃をしのぎ、その足を引き裂く。
 男は受け身も取らずに倒れ込み、キラも反動でふらりとよろめいた。

 とん、と背中に居るリリィによりかかり、
「キラ……!」
 はたと正気に戻った彼女に、力強く抱きとめられた。
 すると、途端に息苦しさが消えた。”紅の炎”がふと引っ込み、振りまかれていた熱気があっという間に散り散りになったのだ。

「すみません、すみません……!」
「大丈夫、平気だから」
 おそらくは無意識だろう。彼女は抱きつきつつ、治癒魔法を掛けていた。
 そんなリリィにキラは苦笑し――ハッとして、突き飛ばした。

「きゃっ」
 可愛らしい悲鳴に頬を緩めつつ、立ち上がりながら剣を掲げる。
 ガツン、と重い手応えが腕に響く。親の元から飛び出してきたマーカスが、”モルドレッドの槍”で突き下ろしてきていた。
 三叉に分かれた鋭い刃が、鼻先すれすれのところでとどまる。

「この……平民が! 俺様の婚約者に何をしている!」
「婚約者”候補”でしょう。間違っても、君が彼女の夫になるだなんて、考えられない」
「なに……ッ」

 ますます押し込んでくる槍に対し、キラは力を抜いた。
 剣を寝かせ、頭をそらし。頬スレスレを通り過ぎていく槍には見向きもしない。
 狙うは、マーカスの腹。前のめりに傾いだところへ、剣を薙ぎ払う。
 外すはずもない距離――だが、剣は空を切った。
 マーカスが消えたのだ。

「――ンっ」
 まるで、影に潜っていたかのように。ほぼ真横に現れ、槍を振り下ろしていた。

 キラは視界を動かすことなく、前に飛び込む。前転し、すぐに起き上がろうと下半身に力を入れる――が、思うように動かなかった。
 歯を食いしばりながら、それでも背後を振り向く。

 三度。三叉の槍がふりかかる。
 キラは、再度、寸前で受け止めた。
「虫けらがよくこうも……!」
「虫じゃあないからね……!」

 ぐいぐいと迫る槍。
 マーカスは、相当に鍛えている。槍特有の長い柄を見事にあやつり、正確無比な刺突を繰り出す。
 だからこそ、見極めやすかったが――純粋な筋肉量に、全身をジリジリと這うようなやけどもあって、キラは負けつつあった。
 歯を食いしばる合間から、吐息とともに力が抜けていく。
 負ける。そう悟り、次の一手を打とうとしたところで、槍の力が途端に弱まった。

「マーカス・エマール!」
 と、リリィの怒号。

 マーカスもはっとして振り返り――再び、消えた。
 今度こそ、キラはそのさまをしっかりと目に焼き付けた。マーカスから伸びる影が、怪しくうごめいたかと思うと、またたく間に主を飲み込んだのだ。

 その一瞬後、”紅の炎”が通り過ぎる。
 キラの黒髪をちらりとかすめつつ、そのままの勢いでエマールたちに襲いかかる。
 が、”紅の炎”は壁のような黒い靄に阻まれ、上空へ跳ね返った。

「キラ、大丈夫ですか?」
 キラはうなずき、ヨロヨロとしながらも立ち上がった。意識して身体に力を込め、剣を握って軽く構える。
 リリィが心配そうに表情を歪め、しかしギュッと口をつぐんだのが、視界のはしに映る。

 彼女もわかっているのだ。ブラックに少しでも気の抜けた姿を見せれば、すぐさまやられてしまうことを。
 それほどに、白髪血眼の男には得体のしれない存在感があった。

「そこな黒髪と……随分と親しい様子ですなあ」
 球状のエマールが、声を落としていった。先ほどとは打って変わり、何やら苛ついた様子で、せわしなくつま先を揺らしている。
「公爵家同士の結婚を、反故にするつもりですかな。そうなれば、王家への重大な背信となりますぞ」
「結婚? 粗野な男の伴侶になり、まんまるな義父をもてと? 御冗談を」

 リリィが少しばかり小馬鹿にしただけで、シーザーはひどく取り乱した。足だけでなく、ステッキでガツガツと地面を叩く。
 そのさまを見たリリィは、立て続けに言葉をつなげた。

「背信とはいいましたが、一体どこの国の話をしているのでしょうか? 公爵家同士の結婚は、推進されるどころか、あってはならないことと暗黙の了解があるはずですが」
「しかし、婚約者であることは事実! 我が息子以外の男と親しくするなど、言語道断!」
「……シーザー・エマールの頭は弱いと噂には聞いていましたが、これほどとは。候補であって、正式なものではございませんのよ。婚約者というのは……」

 リリィが、ピトッとくっついてくる。
 彼女のその思わぬ行動に、キラは「ヲン?」と妙な声を出してしまった。
「わたくしにとっての、キラのことを言います。こうして近くにいると……不思議と離れたくなくなるのです」
「なんという……!」
「信じられませんか? では、この場を借りて宣言いたしましょう。わたくしこと、リリィ・エルトリアは、正式に彼を婚約者として認め……そして、受け入れることを」

 シーザーの反応は見ものだった。忌々しそうに歯ぎしりをして、しかしどうにもならないのだと悟るや、癇癪を起こした子供のように言葉にならない声で呻く。
 そして……。
「なれば問答無用! 今、ここで――消し去ってくれよう!」
 地面が真っ黒に塗りつぶされた。ブラックの足元から、影が一気に広がったのだ。
 さながら、屍が地中からはいでてくるように。何人もの”預かり傭兵”たちが黒い靄とともに現れた。
「さあ、そこの無礼者二人をなぶり殺しにしてしまえ!」

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