14.転移の魔法

 日が完全に落ち、不気味な暗さがあたりを取り巻いていた。
 ふいに吹き付ける風で木々がさざめき、木々の合間から獣の唸り声が聞こえる。川のせせらぎさえ、闇夜の中では不協和音にすら思える。
 正気を失いそうな閉ざされた雰囲気の中、旅路を支えるのはセレナの魔法だった。
 馬たちの周りを囲うように漂ういくつかの光の玉を見ながら、キラはメイドに問いかけた。

「これ、ずっと出してるけど疲れないの?」
「この魔法は使い切りです。使った時に込めた分だけ、役目を果たしてくれます。ですから、このように夜間の移動の際には便利なのです」
 セレナが細長い指を立てると、その指先から白い煙のような靄が浮き出た。
 それは空中の一所にとどまり、渦巻き……やがて、光の玉を形成する。
 新しく魔法の光の輪の中に入ったそれは、他のものよりも輝いていた。

「そういや、王都を目指すんだよな。帝国との戦争に備えるために――こんな山、わざわざ超える意味なんかねえだろ」
「む? 言っていなかったか。王都までは”転移の魔法”を使うんだよ」
 先頭のランディと続くグリューンの声が風にのって聞こえ、キラはポツリと呟いた。

「”転移の魔法”……”神の魔法”」
「よくご存知ですね。その由来は知っていますか?」
「えっと……人類がつくった魔法じゃないから、だったかな。発掘した〝石板〟に書かれてたんでしょ? ランディさんが教えてくれたんだけど、今思えば、〝旧世界の遺物〟のことをいってたんだよね?」
「……キラ様。”転移の魔法”の出どころについては、王国の機密情報です。安易に口にせぬように、お願いします」
「え……あれ?」
「本当に、キラ様はランディ様に後継者として様々受け継いだのですね」
「よくわかんないけど……そう、なのかな?」
「でしたら、もう少し自覚をなさってください。ランディ様は英雄ですから、他の者にとって重要なことでも、些末なことに感じるのかもしれません」

 キラは一瞬ぼうっとしてしまい、セレナの鋭くも小さな声にハッとした。
「……なにか、納得していないことでも?」
「い、いや、違うよ。その、教えてくれたとき、ランディさんが……あんまり良い顔をしてなかったんだ。『どこぞの神かは知らないがね』って。好きじゃないから、話したのかなって」
「確かに、ランディ様が特定の宗教を信仰しているという話は、どんな逸話でも聞いたことがありません」
「僕も……っていうか、宗教の話自体聞いたことないや」
「珍しいことです。異端ではないものの、そう非難する過激な方たちもいますから、あまり多くは語らなかったのでしょう」

 びゅう、と一段と冷え込むような風が吹き込み、キラは思わず腕の中のセレナを抱きしめた。彼女が寒くないように、より外套で隠せるように覆いかぶさる。
 と――。
「セレナ。人のことを節操のないとかいっておいて、なぜそんなに嬉しそうにひっついてるの」
 リリィが馬を横に並べ、じっとりとした声をかけてきた。彼女はつまらなそうな顔をして、目が合うやぷいとそっぽを向く。

「別に。”転移の魔法”について話していただけですが」
「ちがう。わたくしが言ってるのは、いま風が吹き込んで――」
「それはあくまで、お母様……的なキラ様の優しさです。気にすることもないでしょう」
「むう……。じゃあ、何話してたのよ」
「”転移の魔法”の危険性についてです。万一にも失敗した場合、何かがなくなると。荷物や防具、果ては体の一部など……。私がいるので、絶対にそんな事はありませんが」

 セレナは念を押すように付け加えたものの、キラは驚きで目を見開いた。それでもなんとか、彼女がついた小さな嘘を押し通すべく、表情を崩さずにいる。
 ――カカッ、必死だな、おい
 愉快そうに笑う白馬にも、皆の目がある以上言い返すことが出来ず、ぐっと我慢する。

「あ、あのさ……」
 キラは荒ぶる呼吸を整えるように、慎重に会話に入っていった。
「”神の魔法”なんでしょ? 難しくないの?」
 腕の中のセレナが、コクリと頷く。
「難しくはあります。しかし、ちょっとした裏技を使えば、私一人でも十分発動できます」

「とんでもねえバケモンだな」
 そう甲高い声で口を挟んだのはグリューンだった。
 すると、なにやらリリィがムッとしたまま言った。
「あら、冒険者もこの凄さがわかりますのね」
「情報が命なんでな。”転移の魔法”に関しちゃ、大人数で行使するもんだってことしか耳に入らなかったが」

 ピリピリとした空気で衝突する二人の間に、キラは恐る恐る割り込んだ。
「どう、難しいの?」
 これには、リリィが素早く応えてくれる。
「”公式”を一度に全部使わなければなりませんので、普通ならば一人で使えるようなものではありませんの」
「……”公式”?」
「簡単に言えば、文字に置き換えた定型的な呪文のことですわね。魔法は”形成”と”指定”で出来ていますから、高度な魔法であればあるほど、複雑化しますの――それこそ、話し言葉のように。それを文字に置き換えようとすると、数学のように法則に則った定型文が必要になります」
「へー……」

「”公式”はまさしく呪文であり、それぞれ意味を持っていますから……”転移の魔法”の場合、いくつもある”公式”に均等に魔力を流さねばなりませんから、一人では手が足りなくなりますの。セレナ以外は」
「んあー……?」
「ふふ。まあ、魔法が使えないキラには縁遠い話ですが、知っておいて損はないですよ」
 リリィの長くも丁寧な説明に、グリューンも入る余地がなかったらしい。

「というわけですから、冒険者、あなたが”転移の魔法”を使って王都に向かうのは叶いませんわよ」
「言葉のつなげ方がおかしいだろ! どういうことだよ」
 キラも、グリューンと同じように、思ってもみない言葉にリリィを凝視した。
「なぜって、分かるでしょう? ”転移の魔法陣”は国内の物流をスムーズにするための、いわば血液のような重要な存在。竜ノ騎士団が管理していますのよ。おいそれと他人が使えるようなものではありませんわ」

「でも」
 キラは、思わず前のめりになって割って入った。
「僕やランディさんは? なんで、グリューンだけ……」
「キラはわたくしたちが許可をいたしましたから平気ですわ。ランディ殿に至っても大丈夫――なぜなら、竜ノ騎士団の現総帥はランディ殿ですもの」

 当然のような言葉に、
「え?」
 誰あろう、ランディ本人がぽかんとして振り向いた。
「え?」
 同時に、キラも驚きでランディとリリィを見比べ、
「……あら?」
 リリィも、別の意味で驚き老人をみやった。セレナも、英雄の反応が意外だったらしい。

「食い違ってんじゃねえかよ」
 グリューンがそう言い捨てると、少しの間止まっていた時間が動き出した。
「王都を去る際に除籍したと思っていたのだが……?」
「でも、父から聞きましたわよ。『陛下から”相談もなしに除籍とはけしからん”と言われた』と。ですから、父は今も総帥”代理”ですし」
「あいつめ……」
 言葉少なに、ランディはため息を付いた。前を振り向く際にちらりと見えた横顔は、少しばかり頬が緩み……そして涙を抑えるように目を閉じていた。

「じゃ、じゃあさ。グリューンも連れて行くってことは、大丈夫なんじゃないの? ランディさんは総帥だし、リリィにだって決定権があるんでしょ?」
「それはそうですが」
 リリィは不服そうな顔をした。セレナが、そのあまりの露骨さに、無表情さを崩して笑いを抑えている。
「この冒険者とは道すがら会った縁。王都に一緒に向かう理由もなければ、そもそも彼の目的を知りません。なのに、なぜ?」

 そう言われてキラは、様々な言葉や光景が脳裏を駆け巡った。
 ゴブリンに襲われていたグリューンを助けたこと――怒涛の勢いで怒られたこと――ロットの村での出来事。
 その一つ一つを探り……。

「と、友達だから! ――じゃ、だめかな?」
 キラの言葉に誰よりも反応したのは、グリューンだった。
 少年は、いつもの仮面をつけるのを忘れたようだった。生意気な目つきや皮肉げに釣り上げられる口元が、ものの見事に緩んでいる。
 そんな少年と対象的な表情をしたのが、リリィだった。
 顔中のいたる所が不快感でぴくぴくとし、そのせいでいつもの綺麗な作り笑顔がひきつれを起こしている。

「友達……! わたくしたちは……?」
「え……。わからない」
「……!」
「い、いや、だって! 友達って言いたいけど、助けられてばっかりだから! 家族っていっても、よくわかんないし……。リリィたちが決めてよ」
「!」
 青色から赤色へと変わるように。リリィの顔つきはまたたく間に変化し、痙攣でどうにかなりそうだった口元や頬も、わかりやすく緩んだ。

「話がまとまりそうでまとまらないね。私としては、グリューンくんも連れて行くべきと思うが……どうかな?」
 心ここにあらずと言った状態のグリューンとリリィに変わり、ランディが話を続けた。
 穏やかに自分の意見も述べる老人に、赤毛のメイドが冷静な声で聞いた。

「べき、とは?」
「キラくんも、これから先の戦争に参加する……そうはいっても簡単じゃない。戦いが始まれば、私もリリィくんもセレナくんも、キラくんの体調の変化に気をつけてやれなくなる。そんなとき、友が一緒にいれば平気だろう?」
 からかい口調となった老人に、グリューンがまんまと反応した。
「俺は別に……!」
「ふふ、そうかな。ロットの村で見た限りでは、君は否定したがりの子供のように思えるが?」
 少年は甲高い声を喉の奥に押し込み、くぐもった声を絞り出した。
「セレナくん。君はどう思う?」
「……ランディ様の意見に賛成です。ロットの村での行動を見る限り、キラ様はどうやら無茶をしがち――ひゃっ」

 キラはセレナの言葉を遮って、彼女に覆いかぶさった。
 白馬が、興奮したように嘶いたのだ。
 ――この気配……! 薄汚えゴブリンの親玉! 撲滅してやらぁ!
 幻聴でそう叫んだかと思うと、ユニィは思い切りよく地面を蹴った。
 キラがセレナと一緒に白馬の首にしがみついたところで、ぐん、と体に負荷がかかる。高速の勢いで馬蹄が地面を掘り返していく。

「ユニィ――ちょ――!」
「これほどのスピードはまだ私も――っ」

 猛然と疾走する白馬の行く手は、真っ暗だった。うめきながらもセレナが”明かりの魔法”を放ったおかげで、夜闇がぱっと開ける。
 行き先には、”大鬼”オーガがいた。
 誰かと戦い――追い詰められているらしかった。腕を切り落とされた直後で、悲痛なうなり声が尾を引く。

 その悲鳴もパタリと途中で途絶え、ユニィが興奮したように叫んだ。
 ――テメエ! 邪魔してんじゃねえよ!
「まさか、ユニィ――!」
 白馬は急制動をかけつつ、大鬼を真っ二つにした男めがけて前足を振り上げた。
「あ? ――おいおい、マジかよ!」
 男は驚きながらも、俊敏に動いた。振り下ろされる馬蹄を身軽に避ける。
 ドン! と。何かが爆発したような破裂音が響き、更には突風が吹き荒れる。

「馬ぁっ? オーガより凶暴じゃねえか!」
 ――避けんじゃねえよ、生意気な!
 興奮冷めやらぬまま、再び半身を高く持ち上げる白馬。
 必死になって手綱を引っ張るも、その行動を御することもできない。
 キラはセレナとともに振り落とされそうになり、そして、

「いいかげんにしろ、ユニィ!」

 しゃにむに叫ぶ。
 すると不思議なことに、白馬はそれだけで大人しくなった。
 前足を地面にそっとおろし、わずかばかりに膝を曲げる。
 そのすきに、キラはセレナとともにユニィから降りた。
「本当にやんちゃな子ですね」
「やんちゃどころじゃないよ、まったく……。会ったばかりの頃はこんな感じじゃ……いや、変わらないか」

 セレナは、無表情ながらも鼻から息を抜いて苦笑し、指を振るった。リリィたちのもとから一つだけ離れてついてきた”明かりの魔法”に、いくつかの仲間を増やす。
 明るくなったあたりは、さながら凄惨な殺人現場だった。
 ”大鬼”オーガが、見事に惨殺されている。左腕が切り飛ばされ、右肩から胸に向かって亀裂が走っている。気味悪く膨れ上がった筋肉が、何の役にも立たなかったのだ。

「よお、メイド元帥。一体何事か聞いていいか?」
 オーガを殺した男は、なおも白馬を警戒しつつ、気さくに話しかけた。
「ヴァン……。見て分かりませんか。おバカですね」
「無茶苦茶か! 分かるわけねえだろ!」
「というと?」
「俺ァ、いましがた、お前さんの乗っていた馬に! 蹴り殺されるところだったんだぞっ」
「騎士団の師団長たるもの、あれくらいの奇襲で文句を言うようでは、これから苦労しますよ」
「新米か! もう十年務めてる中堅だよ!」

 セレナがどこか活き活きとからかっている男は、野太く響く声に似合うような体つきをしていた。
 鎧を一切身につけていないその姿は、筋肉がその代わりをしているとでも言っているかのようだった。盛り上がる筋肉が、軍服の上からでも分かる。特に袖まくりをして顕になっている腕は、見たこともないほどゴツゴツとしていた。
 そんな太い腕が担ぐ剣も、規格外なほどに大きかった。顔が隠れてしまうほどに幅広な刀身を持つ大剣は、目の前の大男の背丈ほどもある。
 ヴァンはずっしりと重い大剣を軽々と扱い、背中の鞘に収めた。

「……セレナの恋人?」
「地獄か? 少年、俺に地獄を見ろってかっ?」
 キラがボソリと呟く声にも、ヴァンは鋭く反応した。
 無精髭を生やしながらも、精悍で整った印象のある顔つきが、表情豊かに変化する。
 さっぱりと短く揃えられた金髪でさえ一斉に逆だっているようで……キラはその姿に笑いを抑えきれなくなった。

「失礼だな、おい!」
「キラ様も、なかなかお目が高いです。ヴァンはからかいがいのあるおバカですから。……しかし、先程の発言は、さすがにすぐに取り消してもらわねば。そんな目で見られてしまっては、心が折れます」 
「あ……ごめん、セレナ」
「俺に謝れ、俺に! 先に! ――馬鹿だとっ?」
 ヴァンのツッコミはとどまることを知らず。キラはその勢いに飲まれ、とうとう笑い転げてしまった。

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