13.お守り

 ロットの村から第一師団支部へは、ほとんど一直線でつながっている。
 東西に広がるネビス山脈から流れてくる川をたどれば、中腹で待ち構える”鉱山の町”アリエスに到着するのである。

 そうはいっても、道程は険しいものだった。
 見晴らしのいい草原もすぐに終わりを告げ、徐々に足場の悪くなる山道に差し掛かり。傾斜がきつくなるにつれて、あたりを木々で囲まれ。視界の悪い森のような川沿いを行くたびに、魔獣で襲われる。
 ランディが事前に襲撃を察知し、リリィやセレナが魔法で撃退する。このため、魔獣による危険はほぼないに等しかったが……。

「もう夕方ですね……」
「この調子で行けば日暮れにつくだろうし、まだ早いほうだよ。普通の馬だとこうは行かないんだよ?」
「そうですわよ、キラ。旅慣れした馬でさえも、魔獣に襲われそうになったらパニックを起こすんですもの。そうなったら、先へ向かうどころではありませんわ」

 先頭をいくランディ、そして殿をつとめるリリィがそれぞれ教えてくれる。
 確かに、度重なる魔獣の襲撃にも、馬たちは勝手に走ったりはせず、じっと我慢していた。それだけにストレスがたまり、休憩が必要になるのも仕方がないと言える。

 そこでキラは、ぱっからぱっから歩く白馬のユニィの後頭部を見つめた。
「じゃあ……ユニィは?」
 キラのまたがる白馬だけは、他の馬たちとは違っていた。
 魔獣を見つけるや真っ先に駆け出して踏み潰そうとし、皆が休憩している合間もそこらじゅうを駆け回る。
 この場にいる誰よりも動き回っているのに、誰よりも元気なのだ。

「そいつが異常なんだって」
 すると、鹿毛の馬に乗るグリューンが隣に並んで呆れたように言った。
「ゴブリンの頭踏みつけたこともそうだし、厩ぶっ壊したのもそうだ。ってか、人乗せねえ馬ってなんなんだよ」
 最初、キラは少年とともに白馬に相乗りをしようと考えていた。
 が、ユニィはグリューンが乗った直後に暴れ馬と化し、器用にグリューンだけを振り落としたのだ。セレナが風の魔法で助けなければ、地面で頭を打っていたかもしれない。
 ――んだと、小僧! てめえに背中を預けた覚えはねえ! 馬舐めんな!
「ユニィは特別賢いんですもの。異常でもなんでもありませんわ」
「あ? どういう意味だよ、”竜殺し”」
「特に深い意味は。そんなに甲高い声で凄んでも、怖くありませんわよ」
「なんだと!」

 白馬の様子に関わらず、リリィとグリューンが何回目かの小競り合いに突入する。
 これまでの経験から、この幻聴が他の誰かに聞こえることはないとわかってはいたが、それでもキラはヒヤヒヤが止まらなかった。
 皆に聞こえない声で、なぜ焦らなければならないのか。
 キラはどうしようもなく理不尽を感じ、ぷつりと白馬の毛を抜いてみた。
 ――いってえ! このクソガキァ!

「何をされているのですか、キラ様」
 苛立たしげに嘶く白馬を見て、相乗りをしているセレナが平坦な声で驚く。
 彼女の愛馬である鹿毛の馬をグリューンに貸し、その代わりにキラの目の前にまたがることになったのだ。
 リリィよりも小柄なセレナは、腕の中にすっぽりと納まっている。身長差もあって赤毛の頭頂部がすぐ目の前にあり、何やら良い香りが鼻をくすぐってくる。

「いや、何となく……」
「お馬さん? をいじめてはいけませんよ」
「セレナだってユニィが馬なのか自信無くなってるじゃん」
「この半日で、私もキラ様と一緒に振り回されましたから」
 白馬という暴れ馬を通じて、キラはセレナとの距離感がぐっと縮まった気がした。
 だからか、彼女の全く変化のない表情や態度の微妙な変化を、さらに見て取ることが出来た。
 今も、彼女がユニィという特別すぎる馬の扱いに困っているのが分かる。

「それにしても……ちょっと肌寒いね。その、セレナがいるから、まだマシだけど」
「日も陰ってきましたし、アリエスは標高の高いところにありますから、もっと気温が下がります。念の為、マントを羽織っておきますか? 体の冷えは大敵です」
「自分で取るよ。セレナのは?」
「私は平気です。キラ様がおりますゆえ」

 きっぱりとした物言いに何も言い返すことが出来ず、キラは鞍に引っ掛けた外套を取った。ぱっと広げてから、セレナごと身体を包み込む。
「むう……」
「……セレナ?」
「少し、昔を思い出しました」
「昔?」
「冬になると、リリィ様のお母様にこうされるのが好きでした」
「リリィの……?」
「私は孤児ですから。あの方が、私の母でした」
「そっか」

 キラには、少しだけセレナの後ろ姿がより幼く見えた。
 手綱を握り直し、そうしつつも、セレナが落ちないようにお腹に手を添える。すると彼女も、それにすがるように身を寄せた。

「あのさ。セレナは、リリィから僕のことをどんなふうに聞かされたの?」
 わずかながらに体を丸め、キラは腕の中のセレナに問いかけた。前を行くランディやグリューン、そして何よりリリィに声が届かないように、かすれるような声で聞く。
「我慢強くて、強がりで。まるでお母様を見ているようだと。……それが、何か?」
 セレナもまた、唇をほとんど動かさず、最低限の声で言った。

「その……僕は、別に好かれるようなことは何もしてない。だから、リリィも君も、どうしてここまで良くしてくれるのかなって……ずっと疑問でさ」
「そのようなことが気になるのですか?」
「え? うん、まあ……」
「私もリリィ様も、騎士ですよ。人助けに理由を考えたことはありません。多少は、私情も入り混じってはいるでしょうが」
「そう、なの……?」
「はい。ですから、強いて挙げるならば……頼ってくれるから、でしょうね」
「頼る……」

 キラは、口の中で何度もその言葉をつぶやいた。幾度もぶつぶつと繰り返し、ふん、と少しばかりため息をつく。
「腑に落ちるような……落ちないような……」
 するとそこで、先頭を行くランディから笑い声が流れてきたような気がして。
「なぜそんなことをお聞きに?」
 セレナの純粋な質問に、
「知らなきゃいけない気がしたから……」
 それだけ答えた。

「キラくん、調子はどうだね。変わりはあるかい?」
「いえ、全く……不思議なくらいに」
 キラの中に眠る”雷の神力”は、不気味なくらいに鳴りを潜めていた。
 体の中に強大な力が潜んでいるというのに、それを引き出すきっかけや感覚というものがまるでないのだ。
 本当に皆の言う『雷を引き寄せた』現象があったのか、疑ってしまうほどだった。

「ふと思ったのですが……」
 キラの腕の中のセレナが、ポツリとつぶやく。
 静かな声は、木々の囲まれた暗い山の中で、意外にも響いた。リリィもグリューンも、幾度目かの喧嘩をやめて耳を澄ましていた。

「あれほどの力の暴走を、私は感じたことがありません。魔法にも暴走する場合がありますが、それは全て何らかの過程があってのことです。魔力の込め過ぎや”ことだま”の意味違いなど、わかりやすい道理がありますが……」
 セレナの疑問に真っ先に反応したのは、意外にもグリューンだった。

「天気じゃねえの? 曇りに限って体調が悪くなるとか言ってたじゃねえか」
「そんなことは承知していますわよ、冒険者。問題は、どのようにして暴走を抑えるか、ですのよ。曇りの日に体調が悪化して、それが昨日の”神力”の暴走につながっていたとしても、どうしろといいますの。人が天候を左右できるはずもないでしょう」
「いちいち突っかかってくんじゃねえよ、”竜殺し”! んなこた分かってんだよ!」
「なら言葉にしないでくださいまし! せっかくセレナが考えていますの、邪魔ですわ!」
「こンの……っ!」

 再び騒ぎ出した二人にキラは苦笑しつつ、腕の中のメイドがまだブツブツつぶやいているのにも耳を傾けた。
「――あの暴走が、”神力”が溜まりに溜まった故に発生したものだとしたら。キラ様は、雲から雷を吸収していると仮定でき、そうすると”神力”は魔法とよく似た法則を持つということに……。魔法は、空気中の魔素を取り込み、体内で魔力へ変換し、これを”ことだま”で発現するわけですから。しかしそうだとすれば――人が呼吸をするのと等しいために、キラ様も自らの意思で雷の吸収を止めることはできません。とすると……吸収率を抑える、あるいは、放出率を抑えることが必要になります。しかしどちらにしても――」

 そのまま聞いていると目が回りそうで、キラは老人の背中に視線を移した。
「ランディさんの場合は、どうだったんですか?」
「私の”再生の神力”は、とにかく熱がこもりやすくてね。どこか怪我をしたとか、病気にかかってしまったとか、そういうときは決まって熱中症のようになって倒れていたよ」
「それ、大丈夫だったんですか?」
「まあ、いっときは大変だったさ。ただ、運良く”神力”に耐えられる身体づくりができて、以降はなんともなかったがね」

「僕も同じことが……?」
「今の所、”流浪の民”を頼るのが一番確実だ」
「”流浪の民”……前言ってた”授かりし者”たちを保護して回ってるっていう」
「”授かりし者”たちの組織、それが”流浪の民”でね。彼らの目的は、”授かりし者”たちに安寧を約束すること。保護活動はその一環なのさ」

「はあ。でも……頼るって、具体的には?」
「彼らが”流浪の民”と名乗るのは、ひとところに拠点を置くことなく、世界中を旅するからなんだ。”聖地”を渡り歩く”聖地巡礼”を行い、”神力”に耐えられるようにするために」
「”聖地”に何があるんですか? 身体づくりの秘訣とか?」
「そんな抽象的なものじゃないさ。石版やら種類はいろいろなんだが……それらは総じて”旧世界の遺物”と呼ばれていてね。そこにいれば、不思議と”神力”に身体が耐えられるようになるのさ」

 するとそこで、キラは腕の中のセレナの変化に気がついた。
 ぶつぶつと呟きながらの思案をぱったりとやめ、じっと老人の背中を見つめている。その表情は変わらないものの、少しばかり頬が高揚していた。
「世界中に”聖地”はあるんだが……私も一つしか場所がわからない。しかも”流浪の民”の口添えがなければ”聖地”に近づくことさえ出来やしない。うかつに近づけば、そこを守る”使徒”に排除される――”神力”を完璧にものにしているんだ。戦うのはおすすめしないね」

「じゃあ、”流浪の民”を探すしか……」
「ところが、それも難しくてね。彼らは基本的に自由奔放だし、”聖地巡礼”にも特に順番を定められているようではないんだ。まさしく、雲を掴むような話さ」
「どうすれば……」
「そこで、我が古馴染み、”奇才のレオナルド”を頼りたいんだ。ただ、これからどうなるかはわからない。君の身も、今も変化し続けているかもしれない。だから――気休め程度だが、これを渡すよ」

 放られて、宙に舞うなにか。キラはそれを危なげなくキャッチし、手のひらの中に収まるものをみた。
 小ぶりな革のポーチだった。
 中に入っているものを手のひらに取り出し観察する。
「これは……石、ですか?」
「さあね。何で出来ているかは、私も知らないんだよ」
 それは、四角い石のようだった。それでいて薄い板のようでもあり、真っ黒でサラサラとした質感をしている。側面は丸みを帯び、所々に穴が空いていた。

「不思議な形してますね……。四角いのに、穴が開いてるなんて。海岸にある石のつぶつぶ穴とは違いますね。なんだか、意図して開けられた感じがします」
「観察すればするほど不思議な品さ。それも”旧世界の遺物”なんだ」
「小さいのもあるんですね――って、セレナ?」

 赤毛のメイドは、キラの手のひらの中を凝視していた。思わず手を遠ざけようとすると、がっちりと手首を掴んでくる。
 しかし、決して触れようとせず、前のめりになって顔だけを近づける。
 荒い鼻息を、手のひらに感じる。何やら、かなり興奮しているようだった。
「たくさんの文献を読んでまいりましたが……これほど小さなものを、こんな間近で見られるとは。光栄です……!」

 滅多にないセレナの感情的な姿に、リリィもグリューンも引き寄せられていた。
 ふたりとも馬を白馬の両側につけ、”旧世界の遺物”を覗き込む。
「薄っすらと文字も刻まれているような気がしますわ。一体、これをどこで?」
 リリィも目を丸くして、老人の背中に問いかけた。
「昔、とある青年にもらったんだよ。いつか絶対に必要になるからと……。お守り代わりとして持っていたが、まさか五十年以上も経った今がその時とは思わなかったよ」
「それをこいつにあげるのかよっ」
 グリューンが素っ頓狂な声で叫んだ。
「下手したら国宝じゃねえかっ!」
「きっと、それはキラくんが持っていてこそ真価を発揮するんだ。あのときの青年も……これを見越していたんだろうと思う」
「そいつもそいつだ、何考えてんだか。これ、国に収めたらそれだけでたらふく食えるだろ……」

 セレナと同じくらいの熱量でつぶやくグリューン。いとも簡単に仮面が外れてしまい、彼の素の表情が垣間見えている。
 セレナもリリィも、”旧世界の遺物”に気を取られてばかりで、少年の変化には気づいていない。
 キラはなんだか得したような気がして、クスクスと笑った。
 すると少年に睨まれてしまい、そのあまりの眼力に、キラはキョロキョロとしながら誰ともなく問いかけた。

「と、ところで、”旧世界の遺物”って……なに? ”聖地”にもあるのは分かったけど……」
 それにすぐさま反応したのは、セレナだった。
「時は遡ること千年前。かつてひと繋がりだった大陸が、〝天変地異〟により四つに分裂したとされています」
「へ? う、うん……」
「その”天変地異”以降、各地で不思議なものが出土したと記録が残っています。文字の掘られた石版だったり、ドーム状のなにかだったり、塔のように巨大なものだったり。一方で、その欠片とも思えるような小さなものも発掘されていますが、詳細は不明です。欠片にしては一個体として成立した例もあるようですから」
 赤毛のメイドは相槌も許さないほどの早口で続けた。

「そこでとある学者が、こんな仮説を立てたのです。”天変地異”により出土した様々な物品は、”旧世界”のものではないかと。そこから”旧世界の遺物”と名付けられ、これに神の意志を感じ取った人々が”流浪の民”だったわけです」
「へー……?」
 全然、頭に入ってこなかった。
 もっと噛み砕いた説明をしてほしかったものの、セレナはブツブツと自分の世界に入り込み、もはや声が届かない状態になっていた。

「セレナは”旧世界の遺物”に関して、相当のめり込んでいますから」
 リリィが苦笑しているのを見る限り、彼女も親友のこの一面に苦労しているらしかった。
「”旧世界”とは、とある宗教研究者が提唱した仮説でしてね。ざっくりと言ってしまえば、『神様が定期的に世界を壊してしまう』という考え方から生まれたものですの」
「壊す……神様が?」
「あくまでも、仮説ですわよ」

「じゃあ”旧世界”は壊される前の世界、ってこと?」
「そう。いまわたくしたちは壊されたあとの世界に文明を築いているのであり、壊される前の世界――”旧世界”にもまた文明が栄えていた、ということが大昔に提唱されたのです」
「”旧世界の遺物”は、今の文明じゃなくて、一つ前の文明が残したもの?」
「そういう考えのもとに定義をされたものですわ。本当かどうかは定かではありませんが……再現不可能なものが多く存在するのは間違いないですわね」

 キラは手のひらの中の”旧世界の遺物”をまじまじと見つめた。
 石とは思えない、しかし石としか言いようのない、石。
 常識でははかれないものがあると思うと、セレナの興奮する気持ちもよくわかった。

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