キラは三人の話には混じらず、ぼうっと窓の外を眺めていた。
まだ昼食も済ませていないのに、外は薄暗かった。分厚い雲が集いに集い、陽の光を完全に断ち切っている。
今にも大粒の雨が降りそうであり……やがて、窓ガラスを雨粒が叩くようになった。
「――戦争のために英雄を、ねえ。にしても、元帥二人が動くとはな」
「英雄を出迎えるのに、部下に指図して『来てください』では筋が通りませんわよ」
意識を窓から室内へ戻せば、いい香りが充満していることに気づく。
部屋の中央を陣取る長方形のテーブルには、湯気の立つカップが四つ。それぞれ、メイドのセレナが淹れてくれたのだ。
ただし、その並び方は独特だった。
対面には一つしかないのに対し、手前側には三つ並んでいる。窓側のキラの隣にはリリィが座り、更にその隣をセレナが陣取ったのだ。
そして、カップの用意されていない空席――そこに座る老人が、ばたばたと外から駆け込んできた。
「いや、まいったね。こういうとき、魔法が使えればと思うんだが」
「大丈夫ですか。すぐに払います」
セレナは表情と口調の割に、少しばかり慌てているようだった。
かたりと椅子を鳴らして立ち上がり、老人の世話をする。
彼女が一回人差し指をふると、ランディの髪や服にまとわりついていた水滴が弾け飛んだ。あっというまに、綺麗サッパリだ。
その光景を見て、キラは唖然としてつぶやいた。
「魔法って、すごい」
「ふふ。セレナがクォーター・エルフだからというのもあるのですよ。普通は、あんなふうに”パッ”と出来ませんもの。例えば――」
リリィはニコニコとしながら、ちらと部屋中を見回し、
「”燃えよ、炎、明るく照らせ”」
手のひらに”紅の炎”を宿した。
ゆらりゆらりと揺れる火の玉は、ボッ、と膨張した。くるくると回転しながら宙に浮かび、分裂――それぞれ、壁掛けの燭台へと飛び込んだ。
火の灯ったろうそくは、普通のそれとは違い、部屋中を明かりで満たした。
「こうして言葉で唱えなければ、ろくに扱えませんのよ。まあ、わたくしは炎系統の魔法に限って言えば、ほとんど必要ありませんが」
「”形成”と”指示”だよね。『魔力を何に変えるか』と、『変えた魔力をどうするか』を指定する。まとめて……えっと……”ことだま”だっけ」
「よくご存知ですわね」
「ランディさんから教わったんだよ」
目の前に座り、メイドの用意した紅茶に口をつける老人を見やると、皺くちゃな顔で嬉しそうに微笑んだ。
キラは褒められたような気がして嬉しくなり――そこで、ふとその隣に座る少年の様子に気がついた。
少しばかり、楽しくなさそうだった。
その表情の歪み方がどうしても気になってしまい……何があったのかと問いかけようとした言葉は、ガタガタと椅子のなる音でかき消された。
「さきほどランディ殿もおっしゃってましたが……確かに、キラが体調を悪くするのは、曇り空のときが多いですわ。今もひどい天気ですが、大丈夫ですの?」
リリィが、椅子をよせてひっついてきたのだ。
「ま、まあね。今のところはなんともないよ……」
キラは、彼女の心地よい香りを感じて妙に緊張してしまった。額からジトリと汗がにじみ出て、どうにも動けなくなる。
すると、
「リリィ様、距離感! 恋人もいない淑女が、そのように殿方と近づくのは問題です!」
セレナが荒ぶった。
語気を強め、ばんっ、とテーブルに手をついて立ち上がる。
「こ、こいび……っ! それ、気にしてるんだから! 言わなくてもいいじゃない!」
「いいえ、ずっと言い続けます。もう十九ですよ! 貴族ならば婚約者……いえ、もう夫がいてもおかしくありません! なのに、ずっと難癖と苦言ばかり!」
「一生をともにする方なのよ! 簡単に選べるわけ無いでしょう! エルトリアの血筋を背負う人物でなければ……!」
「ならば、キラ殿がそうであると? 一生をともに過ごすことが出来、なおかつエルトリアを背負う方であると? そうお思いなのですか!」
問い詰めるセレナに対して、リリィは押し黙った。
段々と顔が赤くなり、黄金色の髪の毛の合間から覗く耳も真っ赤になる。
そうして、ボフッ、と彼女の顔が燃え上がった。瞬く間にポニーテールの先にまで延焼し、毛先に紅色の火の玉が出来上がる。
「え、うそ……そんなことになるの」
キラは自分の顔の間近で起きた発火現象に、ギョッと目を丸くした。
不思議なことに、密着するほどリリィの顔は近くにあるというのに、全く熱くない。彼女自身も、美しい髪の毛が焼けたり、白い肌がただれたりといったことはない。
「そ、その反応……!」
そして、セレナにも異変が起きた。
限界に達しては無表情も崩れるらしく、わずかばかりに口元が歪んでいた。それだけでなく、その興奮が魔法現象を呼び起こしていた。
テーブルについた手から、そよ風が流れ出す。かたりと五つのカップが震え――やがて、ガタガタと揺れ始める。
水面に波紋が立ち、ちゃぷりと水滴が跳ね出したところで、
「ふたりとも。落ち着きなさい」
ランディが、深く低い声を空気に染み込ませた。
それだけで、何もかもが収まった。セレナの無意識の魔法も、リリィの燃え上がる顔も。何事もなかったかのように、静まり返る。
その凄まじさは、天候をも左右したように思えた。窓を叩く雨粒の音が、やけに静かになっている。
「口喧嘩はうるさいくらいで留めておかないとね」
ニコリと微笑む老人に、リリィもセレナもしゅんとして平謝りした。
「クォーター・エルフ……って?」
キラは並べられた様々な種類のパンから、スライスされたバゲットを取った。バターを塗りつけ、半分をかじってから、もぐもぐと問い返す。
「エルフはご存知でしょうか?」
「うん。魔法族のことでしょ。尖った耳が特徴的な……。――何つけて食べてたの? 美味しそう」
リリィはトーストを綺麗に食べ終え、口元をハンカチで拭ってから言った。
「ハニーバターですわ。はい。――それで、セレナはそのエルフの血を受け継いでいますの。耳は尖っていませんが」
「じゃあ、お父さんかお母さんが……えっと、この場合、ハーフ?」
キラはバゲットを一口で飲み込み、続けてトーストを皿に移した。リリィから受け取ったハニーバターをつけて、再びもぐもぐ食べる。
「たぶん、そうですわね。エルフと言ってもクォーターですから、普通ならば私達と変わらないはずなのですが……セレナの場合、エルフと比較しても突出しているくらいの才能を持っているのです」
「それ、すごいね。だから騎士団の元帥なんだ。……で、元帥って、偉いんだよね?」
「ふふ」
リリィは楽しそうに笑い、紅茶に口をつけた。
「竜ノ騎士団の構成について簡単にまとめますと、一番下には見習いの騎士がいますの。その上に下級騎士、更にその上に上級騎士。わたくしたちは、精鋭メンバーといえば、たいてい上級騎士から選出することが多いですわね」
「じゃあ、グエストの村の護衛をしにいった人たちも、上級騎士?」
「ええ。そしてその上に、副師団長、師団長と続くのです。元帥はそのひとつ上。騎士団トップの総帥であるひとつ下ですわね」
「え……じゃ、二番目? リリィが?」
驚きでぽろりとトーストを落とすキラに反応したのは、セレナの方だった。
「私も、元帥です。――言っておきますが、私もリリィ様も、エルトリア家の恩恵を受けてこの立場にいるのではありません」
「もちろんわかって、ます。助けられましたから」
「……結構。では、リリィ様。そろそろ、なぜキラ殿と同行することになったのか。理由を聞かせてもらえませんか」
そのセレナの問いかけに応えたのは、リリィではなかった。
突然、ドアが勢いよく開いたのだ。何事かと皆の視線が集まる先には、ずぶ濡れの若者がいた。
「魔獣が……! オークの群れです! このあたりにはそんな”ポイント”なんてないのに……あんな……見たことなくて……!」
膝に手をつき、荒々しく呼吸をする。その合間にも言葉をつなぎ、それ故にひどく聞き取りにくかった。
すぐさまランディが立ち上がって近寄り、若者の背中に手を置いた。
すると、たったそれだけで息せき切るようだった様子が、見る見るうちに落着きを取り戻していった。
「大体の規模は? 方角は? 村に接近しているのかね」
「東から……まだ、距離はありますが……! 大きいのもたくさんいるんです! このままでは村が壊滅してしまいます!」
「ここは任せなさい。誰も村から出ないように。引き続き監視を続けるんだ。いいね――さあ!」
老人に背中を強く叩かれ、男は随分と勇気づけられたらしい。使命感に満ちた顔つきで頷いて、慌ただしく出ていく。
「リリィくん、セレナくん。少し手伝ってくれないかね」
リリィもセレナも、反射的に腰を浮かしてはいたが、お互いに顔を見合わせていた。
「しかし、わたくしたちが総出で出ていかなくとも大丈夫では?」
「君たちも薄々気づいているだろう。グエストの村近くで出没した何体ものオーガに、この村でのオークの群れ――まるで私達を足止めするかのようなタイミングだ。こうも帝国に都合のいい出来事がおきるものかね?」
「では、ある種帝国の奇襲でもあると?」
「戦争はすでに始まっているんだ。隙を見せたら村を人質に取られる。――やるならば、徹底せねばね」
一層低く響く老人の言葉に、リリィもセレナも感化されたらしい。
ぴりりと空気が引き締まる。彼女たちの顔つきに、一切の油断も怠慢もなかった。
「キラ。すぐに戻ってきますから、ここで待っていてくださいな。決して、一人になってはなりません。いいですわね」
リリィは最後にいくつかの注意事項を残して、ポニーテールを揺らして出ていく。そうしてキラは、グリューンと二人で残ることになった。
「食に困らねえのは、王国ならではって感じだな」
テーブルにたくさんあったパンを、独り占めするかのように食べつくした少年は、ひとり緊張感もなく息をつく。
「ほんと、他人事みたいだよね」
「あ? 実際そうだろ。てか、お前はどうなんだよ」
「何が?」
「お前みたいな田舎もんで病弱が、なんで”竜殺し”みたいなやつと一緒にいるんだよ。それこそ、一生関わりのなかった他人事だろうが」
「りゅ……なに?」
「”竜をも焼き尽くす紅蓮の炎”。何年か前の竜退治の事件からつけられたあだ名だ。そんなことも知らない世間知らずが、よくそんなやつと旅に出ようと思ったな」
キラがムスッとして眉を顰めると、グリューンはそれ以上に表情を歪めた。
「帰れ。ただでさえ世間知らずなのに、何が起こるかわかんねえ病弱が、村の外で生きていけるはずもないだろ」
「僕に、帰る場所なんてないさ。村に居場所なんてない」
「なに……?」
「記憶がないから……僕だって、僕が誰か知らないから。だったら、探しに旅に出るしかないじゃないか」
さながら、仮面が剥がれ落ちたかのように。少年の顔つきは、生意気で無愛想なものから、眉間にシワを寄せたしかめっ面となった。
キラはその様子を目にして、どこかホッとした気持ちになった。
少しだけ、気分が軽くなる。出会ったときから、グリューンの表面的な感情が目に付き、気味が悪くて仕方がなかったのだ。
「何ニヤついてんだよ」
「いや、別に。心配してくれてたんだな、って思って」
「は? 馬鹿言ってんじゃねえよ」
グリューンは、再び仮面をかぶってしまった。
だが、とっさの反応というのは彼もどうしようもないようだった。
声はいつもよりも甲高く、そしてそっぽを向く事であらわになる耳は赤くなっていた。
キラはクスクスと笑いつつ、紅茶に口をつける。カップを傾けて、緩む顔を覆い隠す。
ことりと受け皿に戻すと、どこからか鐘の音が鳴り響いた。
どこか不安を掻き立てるような鳴り方だった。鐘を揺らす本人の焦り方をそのまま映したかのように、せわしなく響き渡る。
「これは……?」
「まずいな。あの三人が対処しているのとは別の群れがやってきたんだ。こんなに焦ってるってことは、多分、真反対……!」
グリューンが椅子を蹴飛ばし立ち上がる。そして、ドアに手をかけ外に出ようとしたところで、
「お前はここに残ってろ」
そう言い残して、少年が出て行ってしまう。
そんな姿を見れば、考えるまもなく――キラは椅子の背もたれにかけていた剣を手にとった。
降りしきる雨は大粒で、少しも前が見えなかった。
地面を叩く音の中から、僅かな違いを聞き分け、グリューンを追いかける。
たった今、閉ざされていく門をギリギリのところで駆け抜ける。すると、ぬかるみと濡れた草原に足を取られ、前のめりに転げた。
すぐさま立ち上がり――かくりと膝が着く。
キラは歯を食いしばった。ぐっと胸をつかみ、立ち上がる。
誰かが何かを叫ぶ声、降りしきる雨粒、体の中の違和感……その全てを無視して、再び走り出した。
右も左も前も後ろも。何が何だか分からない中、直感に従い――少年を見つけた。
グリューンは、一人ゴブリンの群れと対峙していた。ナイフを逆手に持ち、素早い身のこなしで次々と屠っている。
が、土砂降りの中、少年は背後に忍び寄る小鬼に気づけていなかった。
キラは一も二もなく飛び出し――抜剣。その勢いのまま、ゴブリンを切り裂いた。
振り抜いた剣は雨をも引き裂き、小鬼のはらわたを抉る。
「な……お前っ」
グリューンは、驚きながらも動きを止めなかった。迫る小鬼の爪を躱しては腕を切り裂き、隙を見ては首元をかっさばく。
「お前! なんで来た!」
緑色の小鬼たちは、醜い叫び声を上げつつ、動きを変えた。それまでのように突っ込むことを止め、仲間と連携して囲い込みを始める。
キラはグリューンと背中合わせに立ち回り、雨の音に負けないように叫んだ。
「わかんない! 何となく!」
「はあっ?」
一匹の小鬼が飛び込んでくる。それを皮切りとして、次々と襲いかかってきた。
数は多い。しかも、素早い。
だがどれも、リリィと比べれば遅々たるものだった。オーガと比べれば、迫力も恐ろしさもなかった。
キラは迫りくる脅威全てに対処した。
剣の腹で小鬼を払い除け、別の小鬼を牽制する。振り切る切っ先で三体目の首元をかっきり、四体目は返す剣で。
倒れた一体目の頭を踏み、二体目を斬る。
とどめを刺そうとしたところで、また別の小鬼が飛び込んできた。
それをしゃがんで避けて、一歩下がる。
「なんだよ、何となくって!」
少年の甲高い叫び声を背中で聞き、キラも叫び返した。
「放っておけなかったんだよ!」
「ああっ? オレはそんなにやわじゃねえよ!」
○ ○ ○
グリューンは、ちらりと見たキラの動きに舌を巻いた。
すこし年上の少年は、まるで鬼神だった。すべての状況を瞬時に把握し、取捨選択し、捌き切っている。
その鋭い眼光は、何でもかんでも聞きたがる純朴な姿とは程遠い。
田舎者で、病弱で、守られるだけの弱いやつ。そんなものは、とんだ勘違いだった。
彼は天才なのだ。見るだけで、戦場の全てを自分のものにしてしまう。
恐ろしいやつだった。
だが。
「チッ――おい。オイッ! しっかりしろ!」
キラが、後ろでうめいていた。
膝を付き、肩で息をしている。
立ち上がろうとするも、力が入っていない。何度も足を滑らせ、やがて地面に倒れ込んでしまう。
胸を抑えようとする動きさえも、緩慢だった。
白馬で気絶仕掛けていたときよりもひどい。
すぐに助け起こしてやりたかった。だが、数の減らないゴブリンたちの相手で手一杯で、近づくことさえ出来ない。
「――ッ!」
声にならない叫び声とともに、キラの苦しみが頂点に達した。