2.紅の炎

 森の中の不安定な足場でも、白馬はさっそうと駆けた。キラの体のことをも考慮に入れ、木々の合間を走り抜け、地面から飛び出す太い根や倒木を飛び越える。
 ぐんぐんと周りの景色が置き去りにされていき――姿勢を低めていたキラの視界に、飛び込む影があった。

「ン――わっ」
 狼だ。魔獣だ。そんな言葉で頭の中が一杯になったものの、キラは反応すらできなかった。一緒くたに落馬して、地面にたたきつけられる。
 運悪く”魔狼”ウルフェンにのしかかられ、幸運にもその牙を剣の鞘で阻む。

 魔狼は、剣ごと噛み砕こうとしているようだった。牙をむき出しにした恐ろしい形相で、地響きのような唸り声を押し付けてくる。
 その力は凄まじく、よだれの垂れる牙が迫ってきた。

「こ、ンの……邪魔ッ!」
 キラは皺の寄る鼻面に、思いっきり噛み付いた。
 さしもの魔狼も驚きで力が抜け、そこへ腹を蹴り上げる。
 一発、二発、三発……。五発目で、ようやく飛び退く。キラもすぐさま起き上がり、鞘と柄を握った。

 が。

「あ、あれ……?」
 カクン、と。
 身体から力が抜けていく。
「ハ……またッ……!」
 膝を付き、うずくまり、地面に額を押し付ける。血管が怒張し、どくどくと唸る。
 まるで別の生き物のように、心臓が荒れていた。

「――クソっ……!」
 立ち上がろうにも力が入らず、力もうにも唸る心臓が邪魔をする。
 そうしている間に、地面を踏みしめる音が聞こえた。同時に、獣の飢えた唸り声も耳に届く。

 魔狼が、見下ろしていた。大きく口を開けて牙をむき出しにし……憎たらしくも、それが笑っているように見えた。

 狼の唸り声は一層高まり、そして、
「……え?」
 狼がふっとばされた。

 何が起こったかと目を白黒させているうちに、それまで暴れていた心臓が徐々に収まっていく。
 よろよろと体を起こすと、魔獣のいた場所に立つ白馬と目があう。
「ユニィ……が?」
 その問いかけに、ユニィは得意げに鼻を鳴らした。

 魔獣の方を見ると、すでに事切れていた。
 それもそのはず。身体から頭が消え去っていたのだ。どれだけの勢いで蹴りつけられたのか、あたりにはそれらしい欠片もない。

「強いんだね?」
 白馬は自慢そうに首を振り――すると次には、ブルルンッ、と鼻を鳴らす。
 低く、鋭く。注意を促す鼻息に、まるでそうするのが当たり前であるかのように、キラは”ペンドラゴンの剣”を引き抜いた。

「今度は鬼……」
 キラの振り向いた先には、”大鬼”オーガがいた。
 腰布を巻いただけの赤い体つきは規格外だった。三メートルはあろうという巨漢であるが、それより目を見張るのが、全身の筋肉だった。足や腕はもちろん、首までもが盛り上がり、木に手を添えただけでもその幹を砕いてしまう。
 手にはその巨体と同じほどの大きさの剣を持ち、軽々と振り回しては鬱陶しい木を伐採する。

 木々をかき分け近づく大鬼の足元では、”小鬼”ゴブリンが三匹ほどうろちょろしていた。
 真っ裸の緑色をしたソレらは、各々指をさして汚い奇声を上げるや、駆け出した。
 各々、白馬のユニィめがけて鋭い爪を突き立てようと飛びつく。

「ユニィ! あぶ――なくないのかな」
 三匹の小鬼は、いとも簡単にあしらわれていた。
 よけられ、小突かれ、しりもちをつかされ……。三匹ともが白馬にもてあそばれていたが、何かの間違えのように、一匹の頭が蹄に踏み抜かれる。
 びしゃっ、と緑色の液体が噴出し、その白い毛並みを汚してしまう。

「ユニィ! でっかい鬼が近づいてるから……ユニィ?」
 白馬は、固まったまま動かなくなった。残りの二匹の小鬼が身体に取り付いても、びくともしない。
 小鬼の決死の攻撃は全く効いていないようだったが、キラは焦りに突き動かされた。
 膨らんだ筋肉で巨大な剣を担ぐ大鬼が、白馬めがけて大股にかけたのだ。

 周囲の木々を大きな手で薙ぎ払いつつ迫り――。
「――こっちだ!」
 キラは巨体の突進に割って入った。

 大鬼が雄たけびを上げながら、巨大な剣の斬撃を放つ。
 それを、
「――フッ、ン!」
 ”ペンドラゴンの剣”を掲げて、猛烈な攻撃を受ける。

「お、も……!」
 瞬間的に体を突き抜ける衝撃に、膝をついてしまいそうだった。
 だがギリギリのところで持ちこたえ、全身の力を流動させて、鬼の剣を受け流す。

 オーガは腕を振り切り――その背後で、何本もの樹木が地面ごとえぐり取られた。
 圧倒的な力を前にして。
 キラは、少しの迷いもなく、前のめりに突っ込んだ。

「好きにはさせないぞ……!」
 その有り余るパワーと剣の重さで、大鬼はバランスを崩している。
 大きな隙だった。

 不格好な体勢に潜り込み、キラは”ペンドラゴンの剣”で斬撃を繰り出した。
 足首を切り裂いて、その巨体を跪かせ。目の前にまで降りてきた太い首を、一気にたたき切ろうと試みる。

 が、あと少しというところで、
「ンッ……!」
 再び心臓が暴れだした。しびれるような感覚も全身に回る。
 手元が狂い、狙いが外れる。大鬼の首は落ちることなく、右目をえぐるにとどまる。

 もう一度、と思いはするが。力が抜けて膝をついては、剣を握ることもできなかった。
 そうしているうちに、オーガは重い体を起こして、立ち上がった。
 顔面から大量の血を垂れ流し、激痛からくる怒りを森中に轟く咆哮へ変える。
 その勢いに任せて全身の筋肉を膨らませ、巨大な剣を持ち上げた。

 キラは歯を食いしばってにらみつけ、
「……へ?」
 視界を覆いつくす紅に、唖然とした。
 直後、美麗な声が耳に突き刺さる。

「そのまま動かないでくださいな!」

 揺らめく紅色は、炎だった。燃え盛る炎が、剣ごとオーガを飲み込んだのだ。
 大鬼はたまらず一歩引いた。不器用に、不細工に、身体にまとわりつく炎を払う。

 その合間に、きらめく白銀の鎧をまとった女騎士が走りこんだ。
「あ……!」
 オーガは燃えながらも、残った左目でぎらりと敵をにらみつけ、剣を振り上げた。
 ゴウッと空気を引き裂きながら、剣が女騎士へと迫る。

 が。
「すごい……!」

 キラは、その光景の一つ一つを目に焼き付けた。
 〝紅の炎〟を纏った剣。
 鋭く繰り出される太刀筋。
 巨剣もろとも大鬼を焼き裂く様。

 そして何より。
 オーガを一撃に伏した騎士の背中に、目が釘付けになった。

「間一髪でしたわね。お怪我は?」

 剣を収める姿も、白銀の軽鎧に身を包んだ姿も。
 鎧を着こんだ女騎士には、一部の隙も見当たらない。
 豊かな膨らみのある胸当てに、両手両脚を包む甲冑。紅のインナーが継ぎをするかのように、肌を外気から守っている。

 軽量ではあるが、武骨な騎士の格好だった。
 だというのに、ニコリとほほ笑み近づいてくるその所作は、さながらきらびやかなドレスを着た淑女のごとく、優雅でゆとりがあり……。
「ない、です……」
 キラは呆然として、つぶやくように答えた。

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