ぼさぼさの長い銀髪を掬い上げるように赤いバンダナを頭に巻いた男が、体格の良い青年とともにいた。他にもオーウェンやメアリ、ルイーズにエミリーと、”隠された村”で知り合った面々もいる。
遠目でわかりにくかったが、彼らは傭兵たちを縛っているようだった。
ユニィが馬蹄を響かせて近づくと、一様に顔を向けて、ぱっと顔つきを晴れやかにした。
「あれって……キラじゃん! おぉい!」
ほっとしたキラは、白馬にスピードを落とすように合図して、
――後ろから一人、誰か来るぞ! 距離をおいて、六人!
頭に響く幻聴に、緩みそうになった緊張の糸をピンと張った。徐々に近づくセドリックたちの歓声の声が聞こえたところで、キラは叫んだ。
「エヴァルト!」
「おお、なんや、少年。神がかったタイミングで――」
「エリック、頼む!」
ようやくおとなしくなった少年を放り投げ、セドリックと一緒になって慌てて受け止めるエヴァルトを目にして、キラは白馬に手綱で合図を送った。
ユニィは、合図の前に意図を汲み、地面を削って急制動をかけつつ反転した。
再び走り出す白馬の目の前には、一頭の栗毛の馬にまたがる傭兵が迫っていた。
「ヨォ、このジャック様に殺させてくれよ、なぁ!」
その男は、ひと目見ただけでもマトモではなかった。
服は軽装そのもの。革鎧なども着ず、その代わりとでも言うかのように、何本ものナイフを差したベルトを体に巻きつけていた。
そして極めつけは、その顔つきだった。
顎の尖った顔は傷だらけで、右半分がやけどで肌が変色している。やけどの跡は頭皮にまで達し、黒々とした髪の毛は左半分にしか生えていない。
口元から涎がたれ、目つきは喜びに満ち溢れ、頬がやけどでひきつる笑みをたたえている。
その狂気が、顔中の痛々しさを得体のしれない奇っ怪さへと変えていた。
「ケハハハハッ! ほら行くぞッ!」
ジャックのイカれっぷりは、彼のまたがる馬にも伝染していた。
一つとして躊躇なく、走る勢いのままに突っ込んでくる。
――ハッ、俺と勝負しようなんざ百年早ぇよ、じゃじゃ馬が!
だが、対する白馬はそれよりももっとイカれていた。
足を緩めることも軌道をそらすこともなく、ただ一直線に自らぶつかりに行く。
やがて、白馬の頭突きが栗毛の頭部へ炸裂し――どうっと愛馬が倒れる中、ジャックが物ともせず跳躍し――キラは”センゴの刀”を敵へ向けて対処した。
「イイなァ、おまえぇ!」
短剣を逆手に構えて、宙を舞って仕掛けてくるジャック。
捨て身ともいえる攻撃に一瞬躊躇したキラは、危ういところで刀で防いだ。
刃が刃で滑り、鼻先すれすれのところで止まる。
しかし、ホッとしている暇はない。
”センゴの刀”に組み付いたジャックは、にやりと不気味に唇を歪め――思い切りの良い蹴りを放ってきた。
あまりの強烈さに息をつまらせ、キラは白馬の背中から落ちてしまった。
「キラ!」
「少年! ――って、アカン!」
地面に叩きつけられるも、すぐさま立ち上がる。
目の前では、ジャックが暴れる白馬の背を蹴って跳躍し。背後では、エヴァルトたちに捕らえられていた傭兵が無理やり拘束から逃れたところだった。
逡巡し――ジャックに背中を向ける。
「んで逃げんだよ、なぁ。戦場だぞ――人殺してもイイんだぞ。もったいねえことすんじゃねえよ!」
狂った男の狂ったセリフを聞き流し、キラは”センゴの刀”を両手で握った。
駆けつつ、状況を把握する。
鎖から解き放たれた獣のように雄叫びを上げる傭兵。暴れるエリックを抑えているせいでエヴァルトは対処できず、セドリックやメアリたちは反応すらできていない。
唯一オーウェンがなんとかしようとしていたが、怪我で満足に動けないようだった。
暴れられればひとたまりもない状況に、キラは唇を噛み締め、
「我が名はヴォルフ! 人呼んで”古狼のヴォルフ”! 少年よ――君は強いかッ?」
意図の見えない問いかけに、わずかに駆ける足が緩む。
すると、そこへつけ込むかのように、傭兵ヴォルフはエヴァルトたちを無視して突っ込んできた。
”身体強化の魔法”をかけているのか、その動きは身軽で素早い。
長剣を携え突進してくるさまは、筋骨隆々の馬が駆けるがごとく、迫力があった。
「ンッ――!」
またたく間に迫りくる大男にキラは息を呑み、振り上げられた剣を睨んだ。
剣筋を見切り、”センゴの刀”を掲げて、受け流す。
刀身から腕へと伝わる衝撃に歯を食いしばっていると、ヴォルフの剣が地面を叩いた。直後、ドンッ、という空気を叩く音とともに土塊が舞う。
「ぬぅ……防ぐとは!」
「はっはァ! ナイスや、少年!」
抱えていたエリックをおろし、今に駆け寄ろうとするエヴァルトを、キラは見咎めた。
「来ちゃ駄目だ!」
言い放ちつつ、ヴォルフへ向かって一歩踏み出す。
魔法で身体のあらゆる機能を向上させたためか、すでに傭兵の体勢は整っている。
つけ入る隙がない。それどころか、ぐっと長剣を脇に引き、刺突を放とうとしていた。
キラは目を細めて、もう一歩踏み込みつつ、ヴォルフと同じようにして刀を引き寄せる。
そうして、刺突が放たれると同時に、刺突を撃つ。
「ぐ、ぁ……ッ!」
うめいたのは、ヴォルフだった。
キラは、文字通り、首の皮一枚のところで剣の突進をかわし。寝かせた”センゴの刀”の白銀の刃が、ヴォルフの手首を裂いたのである。
ぱっ、と血が舞い、ガランっ、と金属が地面で跳ねる音がする。
後退しようと思わず身体を傾けるヴォルフへ向けて、もう一太刀打ち込む。
今度は鎧の隙間を狙って、過たず足首を斬りつける。
大男はなすすべもなく尻餅をつこうとし――キラはそのさまを見届けることなく、背後へ振り向き――迫りくる狂気の男へ向けて対処した。
「ヘハッ、イイじゃん、楽しくなってきたじゃねえの!」
姿勢を低めて走りくるジャックは、右手で短剣を握りしめながらも、左手に持っていたナイフを投擲してきた。
”センゴの刀”でさばきつつ、キラは一歩下がりながら叫んだ。
「エヴァルト! まだあと六人来る!」
ナイフの影に隠れて、ジャックは一気にスピードを上げたらしかった。
カラン、と音がするよりも早く、懐に踏み込んでくる。
「離脱を!」
喉元を狙う短剣を、脇に寄せた刀で受け止める。
すると、ジャックはそのまま短剣を押し付けてきた。
体格差は殆どないというのに、キラはあまりの力強さにぐらりと体勢を崩した。
そこへ、ジャックの追撃。狂気の男は、体に巻き付けたベルトからナイフをとり、逆手に握り変えて突き刺そうとしてくる。
短剣を防いでいるせいで、”センゴの刀”では間に合わない。
そこでキラは、素早い足さばきでステップを踏み、パッと飛び退いた。
「ユニィ! エヴァルトたちの援護を!」
指示するまでもなく、隣を通り過ぎていく白馬。
――死んだら殺すからな!
「ふっ……!」
あまりの暴論に笑みを漏らし、キラはジャックに反撃を仕掛けた。
「ケハハッ! そのヨユー、ぶち壊したらぁ!」
またも突っ込んでくる男に対して、キラも踏み込んで対処する。
先んじて”センゴの刀”を振り向け、短剣で防がせる。
すると、ジャックの顔が醜く歪んだ。
意図に気づいたらしかったが――もうすでに遅い。
キラも、先程のジャックと同じ動きをした。刀を押し付け、短剣で防がせておきつつ、ぐっと距離を詰める。
前のめりになったジャックには、後退という選択肢が消えている。
あとはベルトからナイフを引き抜くしかない――キラがその絶好のチャンスに付け入ろうとしたところ、ぞくりとした何かが背筋を伝った。
足音が、背後で聞こえたのだ。
キラは舌打ちをして、ジャックに対する追撃を取りやめた。
刀を振り払って体勢を崩させるにとどまり、すぐさま復活したヴォルフへ身体を向ける。
右手と左足から血を流し、それでもなお立ち上がって剣を振り上げる姿は、鬼気迫るものがあった。
まさに、
「オオオオオォッ!」
死の淵に怯える、手負いの獣。
キラはギリッと奥歯を噛み、両手で握った”センゴの刀”で一撃を受け止める。
「ふ、ン……ッ!」
全身を衝撃が突き抜け、肺から空気が押し出される。
「オイオイオイオイ! それぁ、このジャック様のんだ、デカブツ!」
背後から飛びかかってくるジャック。
なおも渾身の一撃を押し付けてくるヴォルフ。
そこで――キラは、”センゴの刀”に込める力を緩めた。
またたく間に長剣の刃に押し込まれる。今に肩に届くというところで半歩引き、力の奔流から刀を引き抜く。
利き手ではなく、しかも足の怪我があっては、強烈な一撃も単調かつ一方向的だった。
剣は身体すれすれを通り過ぎ――キラはひやりとしつつも刀でヴォルフの腕を切りつけ――地面を揺るがす馬鹿力が、味方のはずのジャックの動きにも干渉した。
「チィッ!」
震動と衝撃を嫌がったジャックが、軌道を修正する。
その僅かな合間に、キラは体勢を整えた。
素早く納刀して、乱れた息を鎮める。
「イイじゃん、真っ向勝負、やってやらァ!」
真正面から、狂った男がつばを撒き散らしながら迫りくる。
構えているのは短剣。しかしもう片方の手も、常にベルトのナイフを引き抜ける位置で待機している。
狙うは――。
「足」
「――ってバレバレなんだよ、バァカ!」
鯉口を切り、抜刀。解き放たれた刃は、しかし、空を切る。
それもそのはず。空中へ逃げられたのだ。
だが、それこそが狙いだった。
やけどでひきつる醜い顔で笑っていたジャックも、その次の瞬間に気づいたようだった。
見せかけの攻撃を即座に中断したキラは、右手で強く”センゴの刀”の漆柄を握り直した。
頭上を飛び越える勢いで跳躍した男を、すれ違いざまに斬る。
「ほんと、魔法って厄介……!」
「あぁ、クソがッ! 釣られた!」
大方、キラの思惑通りではあった。
問題は、ジャックが”身体強化の魔法”を使っていたことだった。
想像以上の跳躍力で、横腹をさばくはずだった太刀筋が太ももを斬りつけるに終わってしまう。
だけでなく。
「――ッ!」
鮮血を滴らせながらも、ジャックは地面に落ちる寸前にナイフを投擲した。
ヒュンッ、と空気を裂く音にキラは反射的に反応できたものの、右腕に鋭い痛みが走る。
漆柄を握る力が弱まり、”センゴの刀”を落としてしまう。
「勝負あり、だなァッ!」
ニタリと笑うジャックは、隙を逃さず飛び込んできた。
その素早い行動に対してキラは、舌打ちをしつつも、刀を拾うことなく無手で構える。
飛来する二本のナイフを、前のめりに突っ込みながら、最小限の動きで避ける。
「ハッ、そう来たかよッ」
「そりゃあ――君の動きが鈍いからね!」
ジャックの動きは、明らかに精彩を欠いていた。今まで鋭く俊敏だったのが、傷を追った左足を踏み込むごとに、鈍くなっていく。
勝負を焦ったのは明白だった。
キラは一層強気に踏み込み、振り向けられる短剣に向かって突撃した。
手首を掴んで、ナイフを封殺し。蹴りを放って、左足の急所を突き。前のめりに崩れ行く頭を掴んで、地面へ叩きつける。