単なる雄叫びではない。
天を突き、大気を震わせ、地を唸らせるほどの大音響だった。
「この声は、まさか……っ」
エヴァルトは思わず膝をついて耳を塞ぎ、しかしそれでもなお、野太い声が貫いてくる。
「我らが仇敵が目の前にいる――逃がすことはあってはならないッ!」
息も絶え絶えではあったが、間違いなくクロスの声だった。
何やら焦りのみえる言葉尻が鼓膜をついてくるのと同時に、エヴァルトの頭の中で駆け巡るものがあった。
”教国”出身のクロス――”労働街”のぼろぼろな”聖母教”教会――地下通路で見つけた”隠し聖堂〟――最後の”聖母教”信者が『協力者』であるというエマール領リモンの宗教事情。
「追い詰めろ! 囲い込め! 奴を地獄の底へ叩き込むのだ!」
エヴァルトの覚えている限りでは……今この瞬間、あらんばかりの恨みを声に乗せるクロスは、エマール領での”聖母教”の扱いに言及したことがなかった。
その不自然さが、違和感のもとだったのだ。
宗教云々にさほど興味がないエヴァルトですら、”労働街”の”聖母教”教会の惨状には胸を痛めた。気にしないようにしていても、信仰者であるならば、何か一つは言及するというのに……。
「なるほどな……! これではっきりした……!」
何もかもが腑に落ちた。
どんな経緯があったか推し量ることも出来ないが――少なくとも”教国”出身のクロスは、エマールが”聖母教”をあだなす存在であると知っていたのだ。
だから傭兵として近づき、だから反乱軍の作戦に加わり、だから別行動をとった。
全ては、エマールを抹殺するため。もとより反乱軍に与するつもりは一切なく、己の目的のために利用するつもりでいたのである。
「同胞とか言うとったな。あいつの仲間も反乱軍に紛れとんのか――随分図太いこっちゃ」
すでに、事切れたかのようにクロスの声は消えている。
それでもなお耳の奥をキンキンとした音がついて離れず……エヴァルトは、その鬱陶しさに苛つきながらも、行動を起こした。
「んなことよりも――こっちの作戦がバレたかもしれん。かなりマズイな……!」
屋根を走り、あるいは飛び移り、”境界門”へ急ぐ。
「エマール側から見れば、クロスは反乱軍に寝返った裏切り者。それが”貴族街”からあんな大声を出せば、少し頭の回るやつやったら何が狙いかすぐ分かってしまう……。おまけに『囲い込め』なんぞ言い回ししよって……モロバレやないか!」
喧騒が近くなったところで姿勢を低め、眼下をのぞく。
思ったとおり、エマール軍と反乱軍に加えて、クロス一派とでも言うべき第三勢力が戦場をかき乱していた。
「切羽詰まっとるな……ってことは、クロスに何かあったってことか。いや、それよりも――反乱軍には悪いが、こうなった以上、作戦は中止させてもらうで」
エヴァルトは再度”身体強化の魔法”を身体に回しつつ、顔を上げた。
視線を向けるのは北東。”貴族街”を通り越し、”労働街”も抜けた先。
「戦局を見渡し二手も三手も先を打てるようなやつがおるとすれば。エマール領から逃げるにしろどうするにしろ、”出口”の安全を優先するはず――キラが危ない」
今、あの少年を失うわけにはいかない。
自分に言い聞かせるように続けて、エヴァルトは再び屋根を疾走した。
○ ○ ○
ほぼ、同時刻。
”先回り組”としてすでに配置についていたシスは、黒マントのフードを目深に押し下げた。
「先程の声は、間違いなくクロスのもの。なにか切羽詰まったような声色でしたが、このような助けの求め方は反乱軍の作戦会議では出ていませんでした――となれば、クロスの言う”同胞”とは反乱軍のことではないのは明らかです」
ぶつぶつと呟く声を収めて、さっとあたりを見回す。
”先回り組”の持ち場は、シェイク市長との打ち合わせの末、エマール領リモンの北側となった。
エマール領リモンは、エマール城を取り巻くように”貴族街”が広がり、その外側に”労働街”がある。まさに、三重の円を描いたような構造となっている。
その中心点であるエマール城は、やや北寄りに建っているのだという。
さらに、”貴族街”の北側には”労働街”に切込みを入れるような形で”正門通り”が敷かれ、”貴族街”に住む者たちは”労働街”に足を踏み入れることなく街の外へ出ることが出来る。
こういったことから、”貴族街”の”正門通り”の地下に、エマールたちの使用する抜け道があるのではないかという推測だった。
「果たしてここで待機するのは正解なのかと、疑問に思う猶予はありませんね――打って出なければ、先を越されてしまいます」
シスが配置していたのは、”労働街”の北端……”正門”付近を一望できる位置だった。
”貴族街”に締め出される形で広がる”労働街”は、街の外と内の境界線が曖昧となっている。
それ故に、”労働街”の端っこでは、街の外に広がる草原がよく見渡せるのである。
シェイクの推測どおりならば、十分に間に合う距離にエマールたちが現れる。そうでなくとも、不思議馬に乗ったキラがいる。
作戦などないに等しいが、それでもエマールの身柄確保には十分――そう思っていた。
「クロスの目的は、十中八九、エマールの殺害。排除という意味では反乱軍とさほど相違はありませんが――あいにく、僕たち竜ノ騎士団にとっては違いますからね」
エマール領にキラとリリィが現れて、闘技場での戦いの後に二人を逃し……シスは、トレーズの助言もあってエマール領リモンを離れることにした。
この際、念の為、騎士団本部に一旦王都へ戻るべきか否かの判断を仰いだ。
結果として、王都に戻ることになったのはトレーズのみであり、シスはエマールの監視を再開出来るよう指示されたのであるが……この際に、第九師団師団長の”鬼才のエマ”から興味深い考えを聞いた。
エマ曰く、『七年前の”王都防衛戦”についてすべてを正しく把握する人間はいない』。
これは、シスも薄々感じていたことではあった。
第一に、シーザー・J・エマールほど頭の悪い人物をシスは見たことがなかった。少なくとも、帝国と示し合わせて王都を陥れることが出来るようなタマではない。
第二に、七年前の王都防衛戦に際して、重要な人物が二人死亡している。
国内での反エマールの感情を煽り、王国騎士軍を動かしたとされる人物。もう一人は、そもそもその人物に王国騎士軍を動かすよう唆したという。
どちらが帝国を手引したかは定かではないが、数々の証拠により、エマールへと疑いの目が向けられ……。
「なんにせよ、エマールを一刻も早く捕らえなければ。何が起きたか、何が起きていないか、早急に把握しなければ――マズイ気がしますからね」
シスの言葉が風と一緒になって消えると、黒マントはまたたく間に白色に染まった。
「さア、手始メに……”正門”を壊スとしよう」
どうやら、”正門通り”の下に秘密の地下通路があるというシェイクの推測は、正しいようだった。
警戒態勢をとる門番ごと”不可視の魔法”で吹き飛ばしたところ、ぼこりとした穴の中に人工的に整備された道が現れたのである。
「クロスはクロスで怪シイものだったが……シェイクも相当ダナ」
迷いなく穴の下へ飛び降り、シスは不健康なほどに青白い腕をつきだし”灯りの魔法”を放つ。
手のひらからぽわりと光の玉が漏れ出たところで……シスは喉を鳴らして笑った。
「ホウ……。いきなり大将を出迎エルことになるとは……何という偶然カ」
狭い道には先客がいたのだ。
シーザー・J・エマールとその息子のマーカス・エマール、ならびにベルゼ。三者三様に、突如として地下通路天井の崩落とともに現れたシスに驚いていた。
「な、な……! なぜ――なぜっ!」
丸々としたシーザーは、全身の肉を震わせて動揺し。
「父上、落ち着いてください。――ベルゼ、迂回路へ」
鎧を着込んだマーカスは、一瞬硬直しながらも、素早く槍を構え。
「アァ、反乱軍にも知恵が回る者がいるようだネ」
白衣を着た枝のようなベルゼは、奇妙に顔をひきつらせていた。キヒキヒと咳込みをするように笑いつつ、問答無用にシーザーを引っ張っていく。
「オレが逃がすと――ムッ」
シスが姿勢を低めて身構えると、それを見計らったかのようにマーカスが飛び込んできた。
巨大化したかのように急接近し、その陰にシーザーとベルゼが隠れてしまう。
絶妙なタイミングにシスは舌打ちをし、シーザーに向けようとしていた手をとっさにマーカスに振り向けた。
迫りくる槍を、”不可視の魔法”で掴んで止める。
「チィッ……! やはり厄介だな、その魔法!」
「貴様こソ――なんだその判断力」
マーカスの理解力と対応力の高さに、シスは場違いにも感心していた。
”不可視の魔法”は、魔素に干渉する魔法である。これはつまるところ、空気に触れているありとあらゆるものを、近づきもせずに触れられるということである。
この特性ゆえに非常に扱いが難しく、視界に映らないものを操ることは困難となる。
マーカスは、この事を考慮して、半ば強引に突っ込んできたのだ。疑いもなく真正面から接近してきたのが良い証拠だった。
「ハッ、一度見れば馬鹿でも理解する!」
「そうか――それは悪カッタ」
右手で徐々に”不可視の魔法”を槍に侵食させ、マーカスの動きを止め。その意図に気づかれたのを察知した瞬間に、左手を振るう。
左手を覆うように展開した”不可視の魔法”で横殴りに壁へ叩きつける――そのつもりだったが、
「”光よ、視界を埋め尽くせ”!」
マーカスの”ことだま”が邪魔をした。
カッ、と眼の前が急激に真っ白になり、”不可視の魔法”の感触がするりと両手から抜け落ちてしまう。
シスはひやりと背筋を震わせ、大きく後退した。
野性的な判断は正しかったらしく、視界が光で埋め尽くされる中であっても、ざくりと槍が地面を突き刺す音がよく聞こえた。
「……貴様ホドの男が、ヨク帝国ニ従っていたモノだ」
「天井裏をコソコソ嗅ぎ回っているようなやつに褒められても、何ら嬉しくはないな」
ようやくもとに戻った視界に、油断なく構えるマーカスの姿が映る。
竜ノ騎士団でも滅多に見られない隙のなさに鼻を鳴らし……そこで、ふと降って湧いた疑問を口にした。
「なぜ貴様のマントは青い?」
鎧の右肩から垂れるマントが、目に飛び込んできたのだ。
エマール直属の騎士は、皆が黄色のマントを羽織っているのだが……。
「色などどうでもいいだろう。そんなことよりも――反乱軍ごときが、なぜここにいる」
マーカスの問いかけ方に、シスはでかけた言葉を引っ込めた。逡巡し、少しして、ブツブツとつぶやくように言い放つ。
「……サアな」
「ふん、まあいい。あくまで立ちふさがると言うならば、この”モルドレッドの槍”にかけて、貴様を貫いてやろう」
「やってミロ」
○ ○ ○