12.シーザー・J・エマール

  ○   ○   ○

「見事にはめられたものだネ」
「他人事のように……! ベルゼ、貴様がついていながらこの体たらくとはな!」

 はじめはなんの冗談なのかと、マーカスは思った。
 父であるシーザー・J・エマールが、直属騎士たちに抱えられてエマール城に姿を見せたのは、一時間ほど前のことである。
 王都に進撃する父の背中を見送ったのが、一週間ほど前。その二日後には、ブラックを通じて王都陥落との情報が舞い込んできた。

 しかし……。
 三日ほど前からブラックの定期的な報告がパタリと途絶えてしまった。
 何かあったのか、王都へ向けて使いを向けるべきなのか……そう悩んでいたところ、勝利は愚か、”預かり傭兵”も帝国の兵力も何もかもを失い、父とベルゼが二人だけで戻ってきたのである。
 突如もたらされた完璧なる敗北に、マーカスは今もなお混乱していた。

「ブラックはどうした! ロキも! 奴ら帝国の手綱を握っていると言ったよな、貴様は!」
「まずは落ち着いて、座りたまえ。そうカッカしていると、お父上の身体に障るヨ。人の怒鳴り声というのは良い睡眠を妨げるものダ……」
 なおも飄々と受け流すベルゼを殴りたかったが、マーカスはぐっとこらえた。
 細長く息をついてから、ちらりと後ろを振り向く。自慢の愛用ベッドにようやくありつけたからか、父は騒音にも負けずにすやすやと眠っていた。
 その平和な姿にホッとしたマーカスは、音を立てないようゆっくりと椅子に腰掛けた。

 そうして、表情を引き締めて、丸テーブルを挟んで対面するベルゼをにらみつける。
「正直、どうしてそこまであの丸い父親の肩を持つのか理解しかねるヨ……」
「俺が聞きたいのは貴様の疑問じゃない。答えだ」
「食えない男だ……まあいい。別に手綱を握りそこねたわけじゃないサ。言ってみれば、帝国の落ち度……お粗末にも、足元を掬われたということだネ」
「……どういうことだ」
「ブラックとロキ。帝国の二枚看板とも言える戦力だが、逆を言えばそれだけということダ。むしろ、これほどの貧弱な戦力で、よくもまあ王国に噛み付いたものだと感心してしまうほどだヨ」

「つまりは、帝国には元々期待できるほどの軍力はなかったということか」
「考えてもみなヨ。七年前、帝国は先手を取りながら王都を落としきれなかった……竜ノ騎士団の厄介な師団長が六人も不在で、”王国一の剣士”を仕留めて士気も上がっていただろうに。結局はたった一人の女騎士に追い返されたんダ。どれだけ無様か」
「チッ……なら、帝国軍部の考えは……」
「エマール公爵という立場を利用することにあった、といえるだろうネ。帝国からの派兵が想像以上に少なかったのも、そういうことダ。省エネルギーで最大の成果を上げる……負けてもそう痛くない。そして、ブラックもロキも、負けて死ぬようなヤワな人材じゃない」

「現に、今回の王都進行作戦は我らがエマール軍が先陣を切った……」
「単純ではあるが、効果的な手サ。王国を支配するとなった場合にも、裏切り者であるエマールにも悪感情が向けられる。ま、所詮は『王国を支配する』という前提に成り立った机上の空論だったわけダガ」
「やってくれる……!」
 マーカスは喉の奥でうめき、いらいらと組んだ足を揺らした。

「しかしそれ以上にしたたかだったのが、あのラザラスという国王ダ……。これについては、キミのお父上がうかつだったとしか言えないがネ?」
「なんだと……!」
「普通ならば、帝国軍に襲撃を仕掛けられるかもしれないというタイミングで、”非武装地帯”へ向けての進軍などありえない。にもかかわらずラザラスはこれを認め、キミの父はただただそれを喜んだ。……掛かってくれるだろうと分かりやすい罠を仕掛けられ、それにまんまと嵌ったのサ。阿呆極まりない」
「言わせておけば――」
「キミもキミだ。結局戦線に立つことはなく、この城に引きこもってばかり。あろうことか、実力ある傭兵までもリモンにとどまらせるときた。発言と行動の乖離が激しすぎて、キミも何か企みがあるのではないかと疑ってしまうヨ」
「……調子に乗るなよ、ベルゼ。貴様、ここにいることの意味をわかって挑発してんだろうな」
「ふん……なるほど。では、余計なことは言わないでおこうカナ」

 優雅に紅茶に口をつけるベルゼに、マーカスは再度舌打ちをした。
 ベルゼという男は、謎の多い人物だった。
 各地で非人道的な実験を繰り返す国際的な犯罪者であることはわかっている。七年前から帝国を主な拠点として活動していることも聞いた。その性根がすこぶる腐っていることも肌に染みている。
 実際に対面したからこそ……ベルゼがどんな人間なのか、ますます解らなくなった。
 はじめは、ただイカれたマッドサイエンティストなのかと思っていた。

 しかし……。
 ”預かり傭兵”に執着しながらも、今や完全に興味を失ってしまい。少し前までは敵視していたガイアを、どういうわけか味方として抱え込んでいる。さらには、かつては手を組んだはずの帝国をけなし、エマール側の人間として振る舞っている。
 まるで子どものような意見の変わりっぷりである。まさしくイカれた男であるのだが……マーカスには、どうにもベルゼが己の望むままに動いているのではないと思えてならなかった。
 何か、目的があるように感じたのだ。
 何故そう思ってしまうのか。それが一体何なのか。一つとして判然としないが……。 

「まあ、いい。今考えるべきは、今後ふりかかるであろう窮地にどう対応するかだ」
「ふム……前から気にはなっていたのだが、キミたちはそもそもなぜ王家に反旗を翻したのかネ? 公爵のくせに国盗りとは、随分と貪欲じゃないカ」
「決まっている。我らエマールの宿願を果たすためだ。……とはいっても、今やそれも遠のいてしまったがな。これでは、当初予定していた行程を大幅に削除せねばならん――もはや王国には居られまい」

 マーカスがベルゼを睨むと、彼はまるで気にした風もなく視線を外した。
 その様子に眉をひそめ……はっとして背後を振り向いた。
 先程まで眠っていたはずの父シーザーが、上半身をけだるげに起こしていた。マーカスは反射的に立ち上がり、父のそばに寄り添う。

「おお……感謝するぞ、我が愛しの息子よ」
「はい……。ご無事で何よりです、父上」
 丸まった背中をさすり、ふとマーカスは父の背中が小さくなった気がした。掌から伝わる肉付きの良い感触も、どこか衰えを感じる。
 ぎゅっと唇を噛み締めていると、憎たらしいまでに空気を読まないベルゼの声が聞こえた。

「ま、このまま行けば亡命の他ないんだろうがネ。行く宛があるのは知っているが、問題はどうやってたどり着くかダ」
「また他人事のように……。少しは貴様も案を出したらどうだ。研究とやらにかかりきりで、王都進軍の際の作戦はすべて俺の立案だったよな」
「その代わりに護衛についたんじゃないカ」
「どうだか……。あのガイアとかいう”授かりし者”を取り込むので精一杯だったんじゃないのか」
「言っておくが、アレはキミたちのためにもなる」
「ぬけぬけと……! 一体貴様は――」
 カッと頭に血が上り、マーカスが噛みつこうとしたところ、シーザーが太い腕を上げた。
 そのけだるげな姿に口を閉じ、父がしゃべるのをじっと待つ。

「なにか勘違いしているようだが……。王国を離れるつもりは、一切ない」

 ベルゼはもちろん、マーカスも思わず絶句した。数秒が経ってから思い出したように呼吸をして、息せき切ってその意図を問いただす。
「お、お待ちを、父上。いったい、なにゆえ……。状況が状況ですぞ、エグバート国王の座は諦める他にございません」
「ならん……。いくら息子の進言だからとて、聞き入れることはできん」
「なぜ……!」
「王国の……あの世界一と名高い軍力を手に入れねば、我らが悲願は達成できん。なにせ、向かうべき”ガリア大陸”は混沌渦巻く様相……生半可にはいくまいて」

 シーザーの言葉を、ベルゼは興味深そうに聞いていた。一つとして瞬きもせず、それでいて口を挟むこともない。
 ベルゼも”宿願”の正体を知りたいようだったが……マーカスはそれどころではなかった。眉をひそめて、動揺も隠せずに、困惑を口に出す。

「父上、一体何を……? 我らの目的は、”ガリア大陸”ではなく、”ランダム海域”。約千年前より受け継がれた”日誌”にそう綴られていたではありませんか」
「私もそう思っていたが……どうやら違うようだ」
「この俺が意図を読み間違えたと? しかし、”日誌”には”ガリア大陸”という名は出ておりません」
「では、聞くが息子よ……我々の敵はなんだ?」
「”授かりし者”……という答えで良いでしょうか」
「そう。そうだ、奴ら”悪魔”が我々の宿敵……! あのガイアとかいういけ好かん小僧も、我らの側についたとはいえ、もとは憎むべき敵!」

 マーカスはその真意を問いただそうとして……脳裏にひらめくものがあった。
 褐色の肌を持ち、”炎の神力”を操る”流浪の民”ガイア。彼が傭兵として現れたのにはマーカスも驚いたが……今となっては腑に落ちている。

「そういえば……ガイアは”赤い本を持つ何者か”と接触していましたね」
 ベルゼのわがままによりガイアの行動を探っていた際のことである。
 ガイアが”赤い本を持つ何者か”と路地裏で何やらやりとりしているところを、陰に隠れつつその様子をうかがう人影があった。
 ガイアもそれに気づいていたようだが、特に反応することはなかった。この謎の会合は、明らかに予定されたものだったのだ。

「父上にも報告したとおり、あのときの会話の内容をチラと耳にしました。察するに、ガイアは”流浪の民”として”ミクラー教”と何やら密約を交わしたようです。この際に、確か忠告として……」
 そこまで言ったところで、ベルゼが余計な口出しをしてきた。
「ホウ……? マーカス、キミは私に報告した際にはそんな事はひとつたりとも口にしなかったのダガ? わざわざガイアに直接聞いた私が馬鹿みたいではナイカ」
「そんな事は知らん。それ以上に情報を求めなかった貴様が悪い。もっとも、”血”を盗られたとかで余裕もなかったろうがな」
「ふン……マ、イイだろう」

 素直に引き下がるベルゼを薄気味悪く思いつつ、口を開いた父の声に耳を傾ける。
「”聖地”には手を出すな……容赦はない、だったか。あの小僧が口にしたのは」
「ええ。父上が引っかかったのはこの言葉の意味なのでしょう?」
「うむ、まさしく。やつら”悪魔”としても、おいそれと近づいてほしくはないのだ。これが意味するところは――」
 確信を持っていう父を、マーカスは静かに見守っていた。

「我らが”神”が、やつらによって封印されていることにほかならない」

 ベルゼが唖然としたのち、興味深そうに顔を輝かせたところ、部屋中に響き渡るかのような力強いノックの音がした。
 返事もしないうちに扉が開かれ、マーカスは舌打ちをした。

「なんの用だ、スプーナー。ここを誰の部屋と心得ている」
「は、申し訳ありませぬ。しかし――返事を頂戴するのも惜しい火急の事態となりまして」
 手の先まで鎧を着込み、肩に黄色いマントを羽織る男は、深々と頭を下げていた。ロマンスグレーな頭髪は相応の年齢を感じさせ、敬虔な態度をより真摯なものへと昇華させる。
 父シーザーは、スプーナーの姿に満足そうに吐息を漏らし、ゆったりと告げた。

「おもてをあげよ。何事か、発言しなさい」
「はい。まず一つ、ジャックとヴォルフ――力ある傭兵であるこの両名が、何人かの仲間とともに、負傷して戻ってまいりました。エマール領内各地で発生している傭兵の失踪および殺害事件の調査に際して、会敵の後に敗北したものかと思われます」
「由々しきことよ……。くしくも、我が息子マーカスの読みがあたってしまった」
「はい……。こればかりは、マーカス様の忠告を軽んじてしまった罰とでもいえましょう。傭兵の失踪は、世界トップクラスの軍力との戦争に尻尾を巻いて逃げたものと思っていましたが……まさか、本当にエマール領内で我々に歯向かう者たちがいるとは」

 マーカスは鼻を鳴らしつつ、ベルゼをみやった。
「貴様は、どうやら自分のことしか見えていないようだがな。この俺は違う――エマール領全てを見渡しているのさ。数々の傭兵の失踪が、エマール軍が王都へ進軍するというタイミングで都合よく起こるわけがなかろう」
「ホウ? では、実力者たちをリモンにとどまらせたのも、キミ自身がエマール城に居残っていたのも、全ては防衛のため……と?」
「当たり前だ」

 なおも続けようと口を開くベルゼから視線をはずし、マーカスはスプーナーに続きを促した。
「で、まだ何かあるのか。緊急事態とやらが」
「は。実は、勝手ながら反逆者探しを進めておりました。私としては、〝労働街〟で市長を名乗っているシェイクという人物が怪しいのだと睨んでおりましたが……すでに遅かったようです」
「……どういうことだ?」
「シェイクなる人物は、すでに”労働街”から姿を消していました。部下からの報告ですと、私共が雇った傭兵のクロスもそばにいた模様。さらには、”労働街”の住民たちが移動をはじめました。とりわけ、”境界門”付近はもぬけの殻となっております。これが意味するところは――」
「裏切り者が……! いや、そっちはどうでもいい――問題は、このリモンで武装蜂起が行われようとしているということか」

 マーカスは、ほんの一瞬だけ、父シーザーの様子を盗み見た。
 部下の前ということもあり、ベッドの上であっても気丈に背筋を伸ばしている。
 しかし、そのまんまるな背中がわずかながらに震えていることを、息子であるマーカスが見逃すはずもなかった。
「父上。このままでは……この負けが込んでいる状況の中では、足元を掬われかねません。まっとうなご決断を」
 息をつまらせる姿を見れば、その心中は火を見るよりも明らかだった。

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