すでに、帝都は混乱の渦中にあった。
夜闇の中、警笛や警鐘が絶えずどこからか響き渡り、悲鳴や怒声がさざ波のごとくあちらこちらから聞こえてくる。時折、空気を裂くような砲撃とそれに対する迎撃の音とが重なり、市民たちの恐怖に拍車をかける。
一方で、勇ましく正門へ向かった兵士たちは、立ち上る”雷”とともにその衝撃を目の当たりにし……もうもうと立ち込める土煙から飛び出したキラに対して、敵意を剥き出しにした。
「敵は一人!」
「門を消したやつだ――隊列を組め!」
「魔法隊、中級魔法の準備にかかれ!」
「戦士隊、ゆくぞォ!」
正門からまっすぐに伸びる石畳の大通り。
”八角地区”から”六角地区”、”六角地区”から”四角地区”へ上がるそれぞれの階段が見え、その先に帝国の城がそびえ立つ。
雄大で荘厳な通り道を、帝国兵たちが隊をなして塞いでいた。
”八角階段”に魔法使いたちが並び立ち、その脇を剣士たちが駆け下りる。
数はざっと百人。それ以外にも、なんとかして大通りへ辿り着こうと、四方八方の脇道から兵士たちの掛け声が聞こえる。
あまり時間はかけてられない――キラは唇を噛み締め、抜刀した。
襲いかかる剣士たちの脇をかいくぐりつつ、一太刀いれていく。手首を狙い、膝裏を裂き、時には兵士の身体を盾にしてそのままともに脇腹を貫く。
だが、”八角階段”で構える魔法使いたちには、到底及ばず。
「一斉に――ってェ!」
それぞれの杖が、ひときわ強く輝き――そこへ降りかかるものがあった。
一瞬の出来事で、暗さも相まって分かりづらかったが……それは、たしかに馬車だった。馬車の車体が宙を飛び、今に魔法を放とうとした帝国兵士たちを邪魔したのだ。
「ったく……ハァ、ハァ……あとで覚えてやがれよ!」
対峙していた剣士の腹を切り裂き、キラはその野太い声に振り向いた。
ぐずぐずに崩れた正門の瓦礫を乗り越えて、バザロフたち海賊が帝都に侵入したところだった。
リヴォルがホッとした様子で杖をおろしているのを見ると、彼が馬車を浮かし、バザロフが自慢の怪力で投げ飛ばしたらしかった。
「ぶっつけ本番、上手くいってよかった……!」
「くそ、リヴォルくそっ! ちょっと魔法使えるからってよぉ……!」
「わぁ、ゲオの汚い嫉妬だ」
「きたな〜」
けたけたと笑うキリールとサガノフに、勢いよく噛み付くゲオルグ。場違いなほどに緊張感のないやり取りを見て、キラは安堵した。
「ここは俺らが引きつけたらァ! 先へ行けェ!」
躊躇したのは、一瞬だけだった。
手近な剣士をなるべく戦闘不能にまで追い込み、キラは海賊たちに背中を向けた。
階段で横出しになる馬車を乗り越え、”六角地区”まで駆け上がる。魔法使いたちは、馬車に下敷きにされたせいで、思うように身動きが取れていない。
「くそ、いてえ! 腕がぁ……!」
「積荷が、重い……何積んでたんだよっ」
「むちゃくちゃしやがって……!」
「くそ――そっち、抜けたぞ、”英雄”!」
”六角地区”も駆け抜けるチャンスではあったが、敵もそうやすやすと通してくれるはずもなく。円状の広場にたどり着いたところで、立ちふさがるものが一人いた。
キラは短く深呼吸をして、刀を握り直した。
「”英雄”……?」
「そう、この俺こそが”赤髪の英雄”! 黒髪の少年よ、この英雄がキミの目の前に立つ限り! 好き勝手などできやしないのだ!」
肩幅ほどにまで足を広げ、両手を腰に当てて堂々と胸を張る男。
その立ち姿は、まさしく英雄にふさわしかった。これまで相手にした黒塗りの鎧を着る一般兵とは違い、輝かんばかりの白銀の鎧に身を包んでいる。肩には夜空を思わす濃い青色のマントを羽織り、腰には美麗な剣を携えている。
そんなきらびやかな格好に負けず劣らず、彼は偉丈夫だった。
リヴォルの透明感のある美しさとは真逆の、確固たる自分を持つ性格が精悍さとして現れている。自信たっぷりに快活に笑う姿は、突き抜ける格好良さがあった。
「”五傑”の一人、ネゲロ・ヤーコフ」
レオナルドから教えられた四人のうちの一人。
ロキ、ブラックに次ぐ、帝国の強者の一人である。
正直に言えば、派手なネゲロの見た目は胡散臭いにもほどがあったが……キラは油断抱く刀を握りしめた。
なぜなら。
「”英雄殺し”……!」
七年前。
”王都防衛戦”において。
”王国一の剣士”、すなわちリリィの母マリアの命を奪った剣士なのだ。
ネゲロは、一瞬だけ眉をピクリと歪め、次にはやれやれと言った具合に首を振った。
「まったく、間違えないでほしいものだ。俺はただの”英雄”! 単なる人殺しのように言ってもらっては、こちらとしても困ってしまうのだよ」
「そうじゃない人を知ってる」
「ほう……? だから?」
「別に、何も。だけど――通させてもらう。その人のためにも」
「くくっ! この”英雄”を前にして一歩も引かないとは! いいな、少年!」
愉快そうに笑うネゲロにキラは眉をひそめ――しかし考える間もなく飛び出した。
両手で握りしめた刀をたらりと下げて、刀身を身体で隠す。
ネゲロも剣を解き放ち――キンッ、と甲高い音で切り結ぶ。
「……?」
キラは刀から伝わる手ごたえに再度眉をひそめ、一旦距離をとった。
すると、ネゲロが大柄な体を生かして、一歩大きく踏み込んでくる。美麗な剣が、暗闇の中でひときわ美しく輝き、頭上から降りかかる。
その強撃を”センゴの刀”で真正面から受け止め、鍔迫り合いに持ち込んだ。
そこで、三度眉を動かし、今度は首も傾げた。
「さっきから……! 何に首を傾げてる!」
自らの体格と上背であることを生かして、ぐいぐいと剣を押し込んでくる。
歯を食いしばっていうネゲロに向かって、キラはボソリとつぶやいた。
「思ったほどじゃない」
「……は?」
「本当に”王国一の剣士”を……マリア・エルトリアを殺したの?」
ネゲロは、目に見えて動揺していた。
彼の顔つきに、キラは開きかけた口を閉じた。
帝国中にその名を轟かす”五傑”……力の結晶とも言えるその名誉は、戦士ならば誰もが欲するものだろう。
その名誉欲しさに、どうやってか”英雄殺し”と嘘をついているのだと思った。
だが、彼が見せた顔つきには、嘘がバレた時に見せる後ろめたさや恥ずかしさや焦燥感がまるでない。
あるのは、ただ、傷をえぐられたような痛みだった。
「彼女の命を奪ったのだとしたら……その時に一体何が起こったの?」
「黙れ……! 俺は……!」
軽く聞き出せる様子ではないのは確かだった。
第三者にしか過ぎない人間には、踏み込める領域ではないのかもしれなかった。
それでも……。なぜだかキラは、その事実を知っておかなければならない気がした。
「俺は……”英雄”なんだ! 帝都の、帝国の……!」
「そんなことを聞きたいんじゃ――」
「聞いたところで分かってたまるか! お前みたいに恵まれたやつが、俺達を追い込む――自覚する気もないくせに、ずかずか踏み込んでくるなよ!」
聞く耳も取り付く島もない。
しかし、それだけに、剣を押し込む力が増している。
キラは目を細めて舌打ちをし――立ち位置を変えた。
ほんの少し、力のかかるポイントが変わったことで、ネゲロはたたらを踏んだ。
だが、流石に”五傑”と呼ばれているだけはある。たったそれだけでは隙を見せてくれず、それどころか強引に剣をねじ込んでくる。
押し込んでくる力には柔軟に。キラの身体には、気味が悪いほどにその考え方が染み込んでいた。
幾度か退いて、鍔迫り合いに集中させ。
その攻防の一手一手で探りを入れていきながら。
体格と筋力差では勝っていると、ネゲロに錯覚させる。
そう――彼は決して弱くはないのだ。”王国一の剣士”には遠く及ばないだけで……そのことを、彼自身がよくわかっていた。
だからこそ。
一旦鍔迫り合いから距離を取れば、まず間違いなく踏み込んでくるのだ。
「――フッ!」
わかっていれば、これほど容易いことはない。
金属音を伴う踏み込みの音が聞こえる前に、キラは動いた。
ネゲロは目をわずかに見開き、剣の軌道を変えようとする――が、もう遅い。
横薙ぎに払われようとする剣をするりと受け流し。同時に懐へ踏み込んで、鎧の腰の切れ目へと向けて腕を振り払う。
「ああ、”英雄”が……ッ!」
呻きながらヨロリと態勢を崩すネゲロ。
ぱっ、と鮮血が石畳を覆う雪に散ると、息を吹き返したかのように広場に喧騒が戻ってきた。
「”五傑”が倒されたぁ!」
動揺が兵士たちの間で駆け巡り……しかしキラは、油断せずに振り向いた。
青いマントと白銀の鎧を血で染める赤髪の男は、膝をついたままピクリともしなかった。
荒い吐息や、それを噛みしめるような歯ぎしり、落とした剣のそばで握られる拳……彼の中で何やら激情が駆け巡っているものの、戦う意志はみられなかった。
「俺は……っ!」
ぽつりとつぶやかれた言葉は、おそらくはキラの耳にしか届かないほど小さかった。
「俺がなりたかった”英雄”はこんなのじゃない……ッ。けど仕方ないじゃないか――あんな命がけで懇願されたら……応えてやるしかないじゃないか……!」
なぜだか。
キラには言葉の真意が。
瞬間的に脳裏に浮かび上がってきた。
マリア・エルトリアは、七年前、自ら死を望んだのだ。
真相が分かるまでは、リリィたちには伝えてはならない。それまでは、ネゲロの言葉は聞かなかったことにしなければ。
反射的にキラはそう判断し、冷たい広場にうずくまるネゲロに背を向けた。
そのまま広場を突き抜け、”六角地区”から”四角地区”につながる階段を登ろうとしたところ……またも立ちふさがる人物がいた。
「英雄の敗北ッ! しからば、この私の出番ではないかなっ?」
とうッ、と。夜闇も寒さも振り払うほどの掛け声とともに、その男は階段から飛び降りた。空中でくるりと一回転し、極度の空気の読めなさを披露しつつ、着地する。
「そう、この私っ! グローザ・ロマノヴナが相手をいたそうではないか!」
名乗られずとも、キラにはその男の正体が”五傑”の一人であると分かっていた。
馬鹿で阿呆で命知らず。唯一の取り柄はその真っ直ぐさ。レオナルドから聞いた印象そのままな男だった。
ネゲロとは、何もかもが対照的だった。
ネゲロが頼れる熱血漢となり、言葉で鼓舞するならば。
グローザは天然なムードメーカで、図らずも行動で明るさを取り戻す。
「さあ、決闘だ!」
陽気に、しかし、鋭く刺すように。グローザは前のめりに走り出し、叫んだ。
構える武器は、細くとがるレイピア。黒染めの鎧に裏地の赤い真っ黒なマントを羽織り、なびくロングな銀髪がより映える。
爆発的なスピードで、ほとんど一瞬で目の前に迫りくる。
キラは”センゴの刀”を構えつつ、一歩下がり――放たれるレイピアの先端を捉えた。
「なに……っ!」
グローザが驚いたのは、数ミリしかない剣の切っ先を止められたからだけではない。
彼は、全身に雷を纏っていたのだ。だからこその超スピードであり、剣に巻き付くさまは脅威だった。
「悪いね、”雷”は効かないんだ……!」
キラはニヤリと笑いつつも、内心では焦っていた。
あらゆる”雷の魔法”が無効化できることは、レオナルドとの修行で体験済みだ。
だが、だからといって、雷によって増大したパワーとスピードがなくなるわけではない。
実際、グローザの襲撃に反応が遅れ、レイピアを受け止めたものの、その衝撃で刀を握りそこねそうになる。
しかも、刹那の瞬間に流された雷の量も、かなりのものだった。
”お守り”もある。耐えられないはずはない。そう自分に言い聞かせた矢先、
「う、ぐ……!」
心臓が、唸りを上げ始めた。
どんどん、と内側から叩くような音がする。
”女の声”が喉からひとりでに出てきたときと同じだった。
レオナルドがついに最後までその正体について明かしてくれなかった”女”が、今にも表に出てきそうだった。
キラは、それに対抗した。
その気持ち悪さにでも、不気味さからくる恐怖に対してでもない。
言い表しにくいが――苛立っていたのだ。今にも身体を動かそうとしてくるその厚かましさが、やたらと鬱陶しかった。
まるで……。
「ふむん! しかしどうやら、全くの無駄というわけではないようだっ」
グローザは雷光を残しながら高速の勢いで後退した。
キラはヨロリと体勢を崩しつつ、その姿を目だけで追った。
黒鎧には雷がまとっている――グローザが前のめりになって力を込めた――先程よりも数段速くて強い攻撃が来る。
黒鎧の銀髪騎士の行動に対して……キラは”センゴの刀”を手放した。
一瞬にして迫りくるグローザの顔が、驚きに歪むのが分かった。
「きかないって――」
”女”が表に出てくる前に、自らの意思で自らの身体を操る。
「言っただろう!」
高速の刺突の軌道を読んで、身体を沈め。
右肩をかすってえぐるその威力には一切臆さずに。
心臓の悲鳴には耳を貸さないまま、グローザの腕を掴み、背負投をした。
「ガ、ハッ……!」
おそらくは、自分で地面に突っ込んだ感覚すらしただろう。
視界の急激な回転に、いきなり全身を貫く衝撃……それらに混乱し、地面に突っ伏し身動きできなくなってもおかしくはなかった。
が、グローザは即座に立ち上がった。
「タフだな……!」
キラは息も切れ切れに、目の前の相手に集中した。
内側から叩いてくる心臓を手で押さえつけ、ちらりと目を走らせる。
手放した刀はすぐ足元に転がっている。だが、グローザの速さを目にした後では、拾うことさえも命取りだった。
ふらふらとするグローザの動きに細心の注意をはらい、
「皇帝陛下は、この”王の道”の先にいらっしゃる」
剣ではなく手を上げて”四角階段”を示した姿に、キラは目を丸くした。
「……へ?」
「この国は変わらねばならんと……馬鹿な私でも知っていることさ」
「それが、なんで……」
「力によって歪められてはならんという話だ。だがキミは……この国に住むどんな人間とも違うようだ。だから――陛下を任せた」
タフではあったが、グローザも限界だったらしい。
いろんな言葉を一緒くたに一言におさめ、その直後にパタリと気絶した。
キラは溜まった息を白さへと変えて、肩の力を抜いた。
「この国は……帝国は、ほんと、闇が深い」