81.コルベール号

 キラは、不思議な気分に陥っていた。
 徐々に意識がはっきりしていくのが、眠っている中でも分かる。その感覚は、覚えのあるものだった。

 約二日に渡るレオナルドの修行……。起きている間は”雷の神力”を引き出す訓練、眠っている間は幻影となったブラックとの模擬戦と、無茶を承知で詰め込んでいた。
 身体は眠っていても、意識は起きていた状態であり……『起きているのに、眠りから目覚める』という珍妙な体験も当たり前になっていた。

 それに似た感覚を、意識が浮上していく中、キラははっきりと感じていた。
 誰かと話していたような……説教されていたかのような……。
 妙に落ち込んだ気分で目を開き――その瞬間に、身体を縛る違和感に気がついた。

「なん……ッ!」

 簀巻きにされていたのである。
 分厚い布で全身を巻かれ、冷たい空気にさらされているのは顔だけ。少し動いたところ、手も足も縄で縛られているようだった。
 一瞬にしてパニックになり、ジタバタともがくと、ずきりと肩が響いた。
 骨にまで届く痛みが、皮肉なことに、記憶とともに冷静さを引きずり出してくれた。

「ッた……。そうだ、人形……!」
 フードで全く顔が見えることのなかった不気味な姿を、瞬時に思い浮かべる。
 水流に飲み込まれ死にかけていたこと。海流の塊を”雷の神力”で破壊したこと。着地の瞬間に首を跳ね飛ばしたこと。
 すべての記憶が刹那に脳裏で駆け巡り……キラははたとあたりを見回した。
 倒れたのは、雪の積もる森の中だ。正確には、”雷”でごっそりとえぐりとられたその中心だったが――簀巻き状態で寝っ転がっているのは、どこかの部屋だった。

 こぶりな部屋で、ベッドどころか椅子やテーブルもない。天井から心もとない明かりを灯すカンテラがぶら下がっているのみで、物置小屋と断言できるほどに粗末な部屋だった。気味の悪いことに、部屋全体が時々揺れているように感じる。
 どうにか身体だけでも起こせないかと、肩の痛みやら簀巻きやら手足の拘束やらと格闘していると、扉が勢いよく開いた。
 身をかがめて扉をくぐる人物を目にして、キラは緊張感を全身に走らせた。

「――オーガっ!」
「人間だ、アホンダラァ!」
 吠え声のような罵倒に、キラは喉を鳴らした。
「しゃべる……オーガ!」
「人間だっつってんだろ!」

 覆いかぶさるように言葉を重ねるその人物が一歩踏み出したところで、キラはようやく強張った身体から力を抜いた。
 確かに、人だった。カンテラの明かりに照らされた姿は、オーガじみた体格と凶悪な顔つきをしていたが、呆れたように息をつく姿は人間らしさがある。

「ッたく……。俺が言い出したことだが、この拾いもんはどうかと思うぞ」
「けど、ですよ、バザロフさん」
 オーガのような大男の背後から、ひょこりともう一人の男が顔を出す。
 がさつそうな男とは対称的に、直視するのも眩しいほどの美青年に、キラはまばたきを繰り返した。

「味方に引き入れれば、きっと百人力! いや、一騎当千! どっちにしろ、あのまま放置はないでしょう?」
「まァな。だが……リヴォル、ほんとについて来て大丈夫だったのか」
「裏切りよりも死に別れのほうが良いじゃないですか。オレもリフォルマさんたちも、気分的に」
「そうか……」

 リヴォルから視線を外し、鼻から息を抜くバザロフ。
 ざっくばらんな茶髪に、顔の半分を覆い尽くすモジャモジャのひげ。骨格から顔の皺まで、すべてがバザロフの凶悪な顔つきを形成している。
 鋭く力強い眼光は、一度目が合えば縮み上がりそうだったが……キラはそんな大男よりも、もうひとりの美青年のほうが気になった。

「リヴォル、って……」
「あ、干し肉ごちそうさま。久々の肉、美味しかったよ」
「やっぱり。じゃあ、ここ、帝国軍の基地……?」
「いいや。海賊船”コルベール号”の船室」
 キラは相槌を打とうとして……はて、と首を傾げた。ごつん、と床板に頭を打ってしまい、ごろごろと簀巻き状態で転がる。

「頭が……ああっ、肩も……ッ! 気持ち悪い!」
「おいおいよい。大変だな、大丈夫か。ぷっ」
「笑いながら聞くことじゃないよ……!」
「だってさ……ふふ、頭に肩に胃って! ぐっちゃぐちゃだなって」
 リヴォルがなおもクツクツと笑いながら、バザロフよりも先に部屋に入り込んだ。

 近づく青年は、見れば見るほど不可思議な存在だった。
 兵士をしていたとは思えないほどの華奢な体格に、穢れを知らないかのような美しい顔立ち。そうでありながらも、バザロフに倣ったかのような粗野な服装をしている。
 毛羽立ったコートに、ツギハギの目立つズボンと靴。唯一剣帯だけはピカピカに新しかったが、いかんせん、線の細さ故かまったく似合わない。

「リヴォル、君は……帝国兵じゃ……? それが海賊船って、どういうこと?」
「色々あるんだよ、事情が。そうだ、名前は? まだ聞いてなかったよね」
「キラ、だけど……」
「そう、よろしく。簀巻きにしたはいいけど寝心地が悪いんじゃ、って後から気づいてな。枕持ってきたんだ。ほら、使ってくれ」
「い、いや、それなら簀巻きにしないで……! 手足だって縛ってるでしょ」

 どこかずれた気遣いをするリヴォルにぶつぶつと言いながらも、差し入れられた枕に頭をのせ……その心地よさに思わずため息を付いた。
「ふ! なんだよ、その気の抜けた顔」
「うるさいな……。三日くらい、まともに寝てないんだよ」
「へえ! そりゃ、なんで?」
「ん……ちょっと、訓練というか、修行というか。――そんなことよりも。この布と縄、解いてほしいんだけど」
「そりゃあ、バザロフさんに聞いてからだな。オレはオレで色々とやることがあるから」
 リヴォルはそう言って身軽に部屋を出ていき、そのかわりにバザロフが一歩踏み出した。

「名は?」
「キラ。……寝るのはベッドが良い」
「贅沢いうんじゃねェよ。下っ端は地べたで雑魚寝。捕虜のテメェがそれ以上の待遇を受けられるわけがねェだろうが」
「捕虜……?」
「あァ、そうだ。リヴォルが言ったように、ここはオレたちのホーム”コルベール号”。海洋に浮かぶ海賊船の一室だ」
「海洋に、って……まさか、さっきから揺れて気持ち悪いのは……!」
「――だからテメェは選ばなきゃならねェ。オレたちの仲間になるか、それとも、この広大な海でひとりぼっちになるか」

 レオナルドのように、ある種のかまかけではない。
 ただ、ただ、事実を口にしているのだ。どれだけ抗っても、どれだけ暴れても、海の上にいる以上、逃げ場はない。彼らの仲間になるほか、海の上をゆくすべはないのだ。

 だが、その言葉すべてが本心ではないことも、バザロフの表情からは一目瞭然だった。
 そもそも、彼自身、海賊と言うには不相応な人物だった。確かにオーガに見間違えるほどの大柄で凶悪な顔つきをしているが、彼の態度そのものは攻撃的ではない。威嚇もしなければ、小突きもしない。
 言葉で脅してはいるものの、緊張でひくつく瞼は隠しもできていなかった。

「仲間になれって言うけど。僕は僕でやらなきゃいけないことがある」
「テメェ、帝国人じゃねェだろ。――何しにこんなとこまで来た?」
「王都を取り戻しに。そのために、帝都をかき回す」

 一か八かの賭けだった。
 帝国兵だったはずのリヴォルが、なぜか帝国基地を襲った海賊とともにいる。元から海賊だったという事も考えられるが……先程の『裏切りよりも死に別れ』という言い方から、色々と浮かんでくる。
 リヴォルは、帝国への反逆心から海賊に与したのではないだろうか。
 そして、もし、海賊がそういう者たちの集まりだとしたら……。

「おもしれェじゃねェの。きらいじゃねェぜ、そういう無茶言う奴ァよ」
「……それで、あなたたちは何しにどこまで行こうとしてるの?」
「おんなじさ、テメェと。だがちっとばかし規模が違う。――この機に乗じて、帝都を落とすつもりなのさ」

 目的も行き先も同じ、ということで簀巻き状態からは解放された。
 身体に異常はなかった。せいぜい肩に痛みが走ったり、腰やら太ももやらに鈍痛が居座ったりしているが、これまでにしてきた怪我と比べれば特に気にすることはない。

「うちにャ”治癒の魔法”を使える学があるやつはいねェんだ。悪いな」
「いや、普通に手当してくれただけでもありがたいよ」
「しかし頑丈なやつだ。リヴォルのやつなら、痛がって起き上がれねェだろうな」
「ま、まあ、こういうのは慣れてるから」
 キラは苦笑いしつつ、曖昧に答えた。

 ”授かりし者”だということはあまり明かさないほうが良い――そうレオナルドに釘をさされている。
 一昔前に比べて、”授かりし者”への迫害も偏見もほとんどなくなったという。が、こと帝国においては、まだまだ誤解が残っているらしい。

「服は返すが、まだ剣の方は預かっておく。万が一ってこともあるからなァ」
「べつに何もしないよ。……っていうか、真っ裸で転がされてるなんて、思ってもみなかった」
「鈍感か。手足を縛られた時点で気づけよ」
 バザロフの突っ込みにむくれつつ、キラは返された下着や服に袖を通した。

 海流を操る人形と戦いずぶ濡れになったというのに、コートもセーターもズボンも、レオナルドからもらったときと同じくらいふかふかの温かさを取り戻している。
 ”お守り”はコートのポケットに入っていた。ちゃんと返してくれたというよりも、誰も気づかなかったようだった。

「で……。僕はどこで気絶を……? というか、ほんと、どういう経緯で海賊船に?」
「森の中で俺の仲間が見つけてなァ。で、リヴォルがテメェの保護を頼んだのさ。ンで、俺も俺で、あの戦いを肌に感じた身としちゃァ、たしかに捨て置くにはもったいねェとおもったのさ」
「あの戦い……?」
「雷と水……。あんなド派手にかましといて、すっとぼける気じゃねェよなァ」
「そんなつもりじゃ……。でも、じゃあ、もうひとり……というか、もう一体は?」
「あン? 誰も居なかったが……逃したとかってんじゃねェのか」
「確かに、首を跳ね飛ばした、んだけど……」
「おいおい、物騒かよ」

 キラはちらりと、太い眉を吊り上げていぶかしそうにするバザロフを見た。
 そして、脳裏に相手取った姿を思い浮かべる。
 少し腰は引けたが、しばらくしてから口を開いた。

「僕が戦った相手っていうのが、しゃべる人形だったんだけど……」
「はァ? ンだ、そりゃ」
「……ってなるよね。そういう話って、やっぱり、聞いたことはない?」
「あァ、この広い海を長いこと冒険しちゃいるが、しらねェな。ほんとに人形が喋って戦ったのか……?」
「そう思うんだけど……」
「自分でもわからなくなってんじゃねェか。まァ、どちらにしろ、テメェ以外には倒れちゃいなかった。居なくなったやつに悩むほど、馬鹿らしいことはねェぞ」
「うん……。――ああ、それで。僕を見つけてからどれくらい経ったの?」
「二日間、テメェはぐうすか寝っぱなしだったよ。そういや、訓練がどうとか言っていたが――」

 ひやりとした手で心臓を握られた気分だった。
 レオナルドからは、『最低でも三日後には帝都で混乱を』という作戦を授かっている。
 二日前に、三日後。つまり、明日には帝都で事を運ばねばならないのだ。

「おいっ、聞いてんのかっ」
 ごちんっ、と。げんこつが振り下ろされ、そこでようやくキラは我に返った。
「二日って……! じゃあ、今日にはもう帝都についてなきゃ……!」
「あァ? 何の話だ」
「王都を帝国軍が占領して、もうすぐ一週間……直ぐに行動を起こさなきゃ。ともかく、時間がないんだよ!」
「いいから、落ち着け。言ったろう――俺らは帝都を落とすために動いている。疑うんならついてこい」

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