何をどう繕っても、ブラックがランディの命を奪ったのは間違いがない。偶然でも不可抗力でもなく、明確な殺意を持っていた。
そこに疑問の余地はなく、戦うことに抵抗はない。どんな理由があったとしても――恩人に恩を返せなくなったことの理不尽さとやるせなさは、考えれば考えるほどに積り、怒りという炎に薪をくべる。
その一方で。
レオナルドの真意を図りかねていた。
確かに、「殺してくれ」と言われたほうがしっくりとくる。底冷えするくらいにやり場のない怒りを、思う存分にぶつけることも出来る。
だが、「止めてほしい」という言葉通りの願いが彼女の本心ではと……本当は、ブラックに生きていてほしいのではないかと思わずにはいられないのだ。
ただ、「殺してくれ」という言葉と口調には、本気でそう言っているのだと悟らざるを得ないほどの響きがあり……。
ぐるぐるぐる、と。答えの出ない疑問に頭を悩ませ。ああでもない、こうではなかろうかと、うんうん唸り。
”転移の魔法陣”のある部屋は、景色も太陽の光も望めないくらいに閉鎖された場所ではあったが、『回復風呂』で徐々に快復に向かう身体が時間の経過を告げていた。
「もう晩飯の時間だが……お前さん、うなり続けてずっと何考えてたんだ?」
「え……? いや……まあ……。レオナルドこそ、色々話を聞いた後どっか行ってたけど。今までどこに?」
「ちょいと町の方に、肉やら何やら、色々買い出しにな。あと、服と下着も買ってきてやったぞ。サイズはピッタリのはずだ……オレが元男で良かったな」
レオナルドは、いくつもの紙袋を浮かばせ連れてきていた。
キラがふよふよと漂う紙袋に気を取られていると、バサリと何かが視界を覆う。バラの香りがするバスタオルだった。
「そろそろ風呂から出てもいいだろう。体の隅々まで拭くんだぞ。まだ身体が動きにくいなら、代わりに拭いてやろうか?」
「いいよ。男だった姿を知らないから、僕にとっては女性なんだけど……」
「ほう? じゃあ、なおさら『乳をもんで良いぞ』とくだらんことは言えないな!」
「どっちにしろだよ……」
呆れるほど男な美女に苦笑いしつつ、キラは『回復風呂』から出た。
言われたとおりに隅々まで注意深くタオルで拭い、足元に降りてきた紙袋から下着やらシャツやら服やらを取り、順に着込んでいく。
ごわごわとした厚手のブラウンのズボンや、着ぶくれするほどにもこもことした紺色のセーター。そのうえで、まだ紙袋にはコートが残っていた。
「こんなに……?」
「外は寒いし、オレの研究室は全体的に冷え込むんだ。そのくらいが丁度いい」
「ありがとう……。でも、レオナルドはよくその姿で平気だね? 袋もまだかぶったままだし」
「ま、オレには魔法があるからな。袋は気にすんな。おまえさんのせいだ」
「ええ……」
「仕方ねえだろ! 元男でも引きつけられるって、どういうことだよ!」
「怒られても。っていうか、僕のせいって、一体どういう……」
「知らねえよ!」
キラは理不尽さを感じつつも、コートを羽織った。フード付きで、くるぶしまで届くほどのロングコートであり、少し動いただけでその違和感に眉をひそめた。
「慣れねえか? ま、寒冷地の洗礼だと思ってくれ。あとは、こいつだな」
「っと……。剣帯まで買ってくれたの?」
「ああ。お前さんがもともと持ってたのは、こいつにゃ合わなかったからな」
コートの上から剣帯を巻きつつ、キラはレオナルドの手に収まるものに釘付けになった。
「刀……。ランディさんの?」
「ああ。銘は……知らねえが、”センゴの刀”だとか言ってたな。竜人族の長老にもらったものらしい」
「”ペンドラゴンの剣”は……? ランディさんにもらったんだけど……」
「いや……おまえさんと一緒に来たのは、こいつだけだ。しかし、まあ、そうか……あれをお前さんに譲ったってことは、吹っ切れたってことか」
「吹っ切れた……? そういえば、リリィから国宝級の剣だって聞いたけど……」
「そりゃあ、伝説の鍛冶師アーサー・ペンドラゴンの逸品だからな。ただ、あいつにとっちゃ曰く付きの剣になっちまってなあ……。赤の他人が語れるほど軽いもんじゃないから、いつか血縁から聞いてくれ」
「はあ……」
「ま、この”センゴの刀”も色々あるみたいだが。もらっといてやれ」
胸に押し付けられた刀を、キラはおずおずと受け取った。
ずしりと手のひらに収まる刀は、何もかもが黒かった。柄も鍔も鞘も、天井付近に浮かぶ炎の玉をチラチラと黒く照り返す。その輝きたるや……少しでも気を抜いて扱えば、飲み込まれそうなほど禍々しく思えた。
鞘と柄を慎重に握り直し、鍔を親指で少しばかり押し出す。
ちらりと姿を表した刀身は、真っ黒な外観とは打って変わり、白銀にきらめいていた。波打つ波紋がその美しさに拍車をかけ、刃も峰もきれいな線を描いている。
「見惚れるのもそれくらいにして、早速修業に入るぞ。強くなりたいんだろう?」
息をするのも忘れていたキラは、レオナルドの美声にはっとした。チンッ、と甲高い音を響かせて刃を収め、鞘を剣帯に差し込む。
「なるべく早く、王都に戻りたい。だから……どうすれば?」
「お前さんが、おそらくは天才と呼べる剣の腕を持ってるのは分かってる」
「天才……?」
「おいおい、何機嫌悪くしてんだよ。天才は褒め言葉だろ」
「いや、別に……。それで、どうするの?」
「おかしなやつだ。――いいか、今からブラックとひたすら戦ってもらう」
「……はい?」
「聞くより見るほうが早い。そら、オレの指見てみろ」
キラは言われるがままに、目の前に突き出された人差し指を凝視した。
そのスラリと伸びた細い指が小さな円を描き……始点と終点が重なったところで、ぐらりとした感覚に襲われた。
目覚めた、という表現が正しいのか、キラには分からなかった。
ただ、再度目を開けたときには、無限の白さが広がる空間に立っていた。
足元に広がるのは石床でも草原でも砂利道でもなく、ただただ『白い』としか言いようのない無機質な地面。一方で上空は空とも言える白さで覆い尽くされ、なにか太陽のような光源がある。
「ここは……」
「意識が戻ったみたいだな」
「レオナルド?」
前後左右を見渡してもその姿はない。少しして頭の中に声が響く感覚に覚えがあることを思い出し、見慣れぬ光景にかき乱されそうだった心が落ち着いた。
「お? 頭に直接声をかけられることには慣れっこか? パニックになるかと思ったが」
「うん、まあ……」
「あの女の声か?」
「いや、そういうわけでもないんだけど……」
「ああ、じゃあ、ユニィか。ランディのやつも、なかなか苦労してたからなあ。聞く話だと、めちゃめちゃ口悪いらしいな! せっかくきれいな馬なのに!」
「なんだ、知ってたんだ……」
「まあな。で、体の調子はどうだ。なにかおかしいところはあるか」
「いや、特に……服もそのままだし」
グレーのコートに厚手のブラウンのズボン。腰にぶら下がる”センゴの刀”……レオナルドに用意してもらった服装のままだった。
キラは試しに足を踏み出し……少しの違和感があることに気がついた。
「身体が軽い……」
「ま、そりゃ夢の中だからな。その言い方だと、これまで随分と無茶してきたようだが……これを気に少しは体をいたわるこったな」
「うん……。で、ここはどこ?」
「今も言ったとおり、お前さんの夢の中だ。もうちっと厳密に言うと、お前さんの脳を魔法でチョチョイといじくり回した感じだ」
「……夢の中、ってことだけ知りたかった」
「あっはっは! でも、覚えておけよ。元来、”授かりし者”はこういった類の魔法が効きにくい体質だ。催眠系やら操作系やら、魔力が体内の魔素に干渉し、身体機能を奪うものはな。”神力”が弾いちまうから」
「あー……?」
「要するに、治癒の魔法と同じく効き目が薄い。が、人の脳みそを騙すような……例えば錯覚やら幻痛やらを介した魔法は、他と同様に効き目がある。数は少ないし、使える魔法使いはかなり限られてくるが、覚えておくと良い」
「例えば、”影縛り”とか?」
「お、ヴァンパイアと会ったことがあるのか。あれも〝幻覚の魔法〟と同じように……ンンッ、まあ、人の脳みそを騙す魔法だ。――しかし、羨ましいな。オレももう一度会いたいもんだ」
「羨ましい……? ユニィは嫌ってたけど」
「そりゃ初耳だ……。嫌う理由はないと思うんだがな。なんせ、オレと同類――引きこもって好き放題研究に没頭する連中だ。長い寿命を存分に生かしてな。顔を合わせれば、茶でも飲みながら、とか言う奴らだぞ」
「へえ……。そういえば、シスも物腰柔らかな感じだったけど……ユニィ、凄い憎たらしそうだったよ」
「珍しいこともあるもんだ。あんなに気のいい連中は――って、話し込んでる場合じゃないな。さあ、修行の開始だ。刀を取れ」
鞘に左手を添え、鯉口を切り、白銀の刀身をスラリと抜刀する。
「ほう……様になってる、ってレベルじゃないな。いい動きだ」
「あれ……見えてるの?」
「当たり前だろ。見えなきゃ、お前がブラックと戦う様子を観察できん」
レオナルドがそう言い終えると同時に、目の前で変化が起きた。
いきなりまばゆく光ったかと思うと、猛烈な風が吹き荒れ――キラが細めた目を開いたときには、ブラックが立っていた。