48.逃走劇

 四つ離れた長男と、三つ離れた次男。二人の兄は、競うようにして部屋を出ていった。
 ローラも、彼らと同じく、役目をまっとうしなければならないと分かってはいた。
 しかし、どうしても足が動かなかった。父王……否、元国王である父を一人にして行かねばならないことに、納得できない自分がいたのだ。

「んん? どうした、女王ローラ。ほれ、はよう行かんと」
「私も……。どうしても残っては駄目なのでしょうか? それ以外には手がないのでしょうか?」
「むう……。きちんと説明したはずだぞ。帝国が我が国を支配するには、権力の挿げ替え……つまり、王家と公爵家の処刑が最も効率的。退位したわしならともかく、王位継承権が確実にあるお前たち三人は、この王都に残っていたら確実に狙われる」
「それは百も承知です……! けど……!」
「まったく……。いざとなると尻込みしてしまうところまで似なくても良いんだが……。――いいか、ローラ」

 父の雰囲気が変わったことで、ローラは遮りたい気持ちをぐっと抑え込んだ。
「王に机上の空論はいらんのだ。常に実践あるのみ。――父の身が心配ならば、さくっとこなしてくれ」
「でも、私……」
「なに、自信がなければ周りに頼ればよい。クロエも、エルトリアの娘二人も、サーベラスも……おまえが頼れば、力になってくれる。良き仲間たちなのだ」
「仲間……。王に、ですか?」
「頭のかたいやつめ。孤独な王は王ではないぞ?」

 大きな手でぐりぐりと撫でられ、その手でくるりと身体を反転させられる。
 そうして、そっと押し出す手のひら……その瞬間、ローラは身体中を縛っていた恐怖がどこかへ消え去った気がした。
「父様。すぐに戻ってきますから」
「ぶわっはっは! 期待しているぞ! ――おまえも期待しておけ。こっちも特大のサプライズを用意してやる!」
 屈託のない笑顔を見せる父は、いつの間にやら年をとったように見えた。
 が。いつになく生き生きとして、少年のような輝きを宿していた。

 護衛につく近衛騎士の二人の話では、王都の防壁は破られていなかった。
 が、帝国軍はしたたかで狡猾だった。
 表で派手な戦闘をさせながら、おそらくは王族確保のため、手先を送り込んでいたのだ。

「ローラ様! お早く!」
「ここは我ら二人で十分ですゆえ!」

 想像しなかったわけではなかった。むしろ、そんな不安しかなかった。
 だが、王家が秘密裏に地下に通していた抜け穴に、実際に敵が現れたとあっては……女王らしい振る舞いなど出来るはずもなかった。

 ただただ、彼らの声に従い、暗い中を暗いままに走る。
 幾度か無様にべたりと転げ……幸か不幸か、それで肝が据わった。
 この日のために用意したシャツにズボンにマントに靴。都住まいの貧乏少年に見えなくもない格好で、それまでよりも足取り軽く、地下通路を駆け抜ける。

 平坦だった道は徐々に傾斜がきつくなり、最終的に急激な階段となる。
 息を切らしながら階段の終点へたどり着き、地下扉に手をかける。ぐっと力を込めて押し上げ……しかし、わずかにしか浮き上がらなかった。

 懐から杖を取り出そうと手を離す……と、扉がひとりでに空いた。
 思ってもみないことに「ひゃっ」と悲鳴を上げて驚き――身体が後ろへ傾いだところをさっと伸びる手に掴まれた。

「ご無事ですか、ローラ様」

 一気に引き上げてくれたのは、クロエだった。
 浮き上がる感覚に慌てつつ、ぴたっと彼女に抱きつく。
「震えておいでですよ」
「へ、へっちゃらです、このくらい」
「……ええ、そうですね。その心意気を忘れずにいてください」

 すべてを見透かしたかのように言うクロエがひどく大人に見えて……対して、自分がひどく子供っぽく感じてしまい、ローラは恥ずかしくなった。
 体を離し、姿勢だけでもぴしりと伸ばし、あたりを見回す。
 昼間だというのに空は真っ暗で、一つの光も漏れていない。いつもは心地よく感じる草原の風が、どこか不気味に思えた。
 萎縮してしまう気持ちを奮い立たせ、ローラは杖を手にとった。
 ぶつぶつと呪文を呟き、その切っ先に光を灯す。

「ひっ……」
「すみません、ローラ様。この辺り一帯の魔獣は狩り尽くしましたが……先に一言添えておくべきでした」

 術者の気持ちを反映するかのように不規則に明滅する魔法の球体は、周囲の惨状を映し出した。
 クロエの言う通り、危険はないようだった。
 しかし、その様と言ったら。元は”魔獣”だった肉の欠片が、豊かな草原の上にそこかしこに散らばり……においが立ち込めていた。
 思わず鼻元を手で抑えていると、みるみるうちに、肉片が地面へと吸収されていく。
 その様子にもまた、ローラは情けなくも小さな悲鳴を上げた。

「”地喰い現象”は初めてでしたか?」
「話には聞いていたのですが……。衝撃的な光景です……」
「人の遺体がこうなることはないので、そこは安心していただきたいのですが……確かに、気持ちの良い現象ではありませんね」
「でも……。これからも、いっぱいこういう事があるのでしょう? 父様の言う通り――王という立場は、常に体験と経験のそばにあるものなのですね」
「陛下……いえ、ラザラス様の言動すべてを真似されては、色々と困ってはしまいますが」
「ふふ。私だって、そのくらいの常識は……。あら?」
「いかがされましたか?」
「私の目がおかしいのでしょうか。雲が、なんだか……」

 ぐねり、ぐねり、と。真っ黒な表面がうごめいている気がした。
 それは気の所為ではないらしく、クロエも顔つきを険しくして警戒している。
「あまりいい兆候ではありませんね。そばに馬を待たせてあります、そちらへ――」

 ローラが彼女の言葉を聞けたのは、そこまでだった。
 胸の中にざわめくものが広がったかと思うと、それが一気に重たくなったのだ。地面に引きずり込まれるように膝を付き、底の知れぬ寒さに身震いする。
 クロエも、同じものを感じたらしかった。彼女にしては珍しく、恐怖に眉を歪めている。

「クロエさん、これは……!」
「魔力にしては膨大すぎます――こんな、王都どころか空を飲み込むなんて……! 先の”闇”をも覆す”神力”の波動……ローラ様、こちらへッ」
 目には見えず、肌にも触れていない。だというのに、”神力”に飲み込まれそうで……ローラはどうすることもできず、ただクロエにしがみついていた。

 そして。

 膨らむ黒雲が、ひときわ強く輝いた。
 耳をつんざく爆音に、悲鳴さえかき消される。
 それを皮切りに、雨あられのように、雷が地表を砕き始めた。
 空気がわれ、地面が飛び散り、ぼこりぼこりと穴ができていく。

 この世の終わりのような光景に、しかし、クロエは勇敢に立ちはだかった。頭上で怪しく光りだす雲を見るや、素早く魔法のバリアを張ったのだ。
 直後にまたたいたあまりの眩しさに、ローラはギュッと眼をつむった。
 突き抜ける轟音に、揺れる地面。

 そうして……。
「クロエさん……?」
「だい、じょーぶです……しょーげきで、すこし、くらりとするだけで……」
 クロエが地面に横たわった。すぐに起き上がろうとするも力が抜けるようで、ろれつもろくに回っていない。
 見れば、辺り一帯は焼け野原になっていた。
 無事なのは球状のバリアに守られていた内側だけであり……しかしそのバリアも、消え失せてしまう。

「し、しっかりしてください……! 今、治癒の魔法を――」
 だが、黒雲は待ってはくれなかった。
 再び、怪しく内側で雷の爆発を繰り返す。
 守らなければ。クロエは失ってはならない人なのだ。
 そうは思っても、魔法使いとしても一流のクロエと同等のバリアを張れるイメージが沸かず……ただ、瞬く雷を見ているだけしかできなかった。

 すると。
「……え?」
 馬が、視界を遮った。

 きれいな白い毛並みを持つ白馬が、まるで守るかのように立ちふさがったのだ。
 雷が迸り――その瞬間に合わせて、甲高く嘶く。
 ぱっ、と。稲光が消え散った。それだけではない。頭上の雷雲が、わずかにだが、厚みが少なくなった気がした

「何が……?」
 白馬は、フンッ、と鼻を鳴らすと、首をぐいと伸ばした。
 その鼻先をクロエの頬の近くにまで持っていき……すると、何が起きたのか、彼女がハッとして正気を取り戻した。

「魔力を使い果たしたと思いましたが……一体、これは……?」
「私にも、何がなんだか……。けれど、つい今しがた、このお馬さんが助けてくれたんです」
「う、馬?」
 クロエは即座に居住まいを正したものの、その格好の良さが台無しになるくらいのポカンとした顔つきとなった。
 ローラは思わず笑ってしまい、するともったいないことに、クロエは恥ずかしそうに表情を引き締めてしまう。
 そして、二人で改めて白馬に目を移した。

 見たこともないほど、美しい毛並みを持つ馬だった。それだけでなく、体格も筋肉のつき方も、どんな強靭な馬よりも優れている。
 そこでローラは、その背中に誰かが乗っているのに気づいた。鞍にうつ伏せになって載せられ、気を失っているのかピクリともしない。
 まだ少年であり、傷を負っている。たらりとぶら下がる手の甲でそれに気づき、慌ててクロエに知らせようとした。

 が。
「あ……!」
 彼女もまた、何かに気づいたようだった。
 じっと見つめて視線で問いかけると、クロエは興奮気味に頬を紅潮させていた。ローラと白馬を、交互に視線を移しつつ早口に言う。

「もしやすると、”不死身の英雄”の愛馬なのではないかと。美しい毛並みに、立派な体つき、それになにより、不思議な力を持つ――そう、ユニィではないかと!」
「クロエさんから散々聞かされてはいますけど……それって、もう何十年も前の話なのでは? お馬さんもそこそこ長生きですけど、さすがに……」
「けど――いえ、しかし! こんなに美しい毛並みの馬を、私は見たことがありません。体つきにしてもそうです。何より……ほら、この黒目! 知性と人間らしさを思わせる目つきをしております!」
「ええ……。そうでしょうか……?」

 おかしなタイミングで変にテンションが上ったものだと思いながらも、ローラもじっと白馬のまん丸とした黒目を見つめた。
 最初は普通の馬のように思えたが……確かに、ところどころ人っぽさを感じた。
 「見てくるんじゃねえ」とでもいうかのように首を振ってそっぽを向いたり。かと思えば、背中に乗っている少年にじっと視線を向けたり。
 そもそも、立ち止まっているその姿こそ、どこかローラたちの導き出す結論を待っているかのようだった。

「しかし、そうだとして……。なぜ、このような場所に? ”不死身の英雄”はそばにおられないようですが」
「白馬ユニィは、何でも脱走が得意だとか。行く先々で厩を壊しては騒動を巻き起こしていたそうですよ」
「それにしたって。悲しそうな眼をしています」
 すると、顔を見られたくないのか、首をぐっとそらして頭ごとあらぬ方向へ向けた。

「いかが致しますか、ローラ様。どうやら、少年を乗せている模様。何かあったと推察はできますが……我々には王都まで誘導する時間はありません。――英雄の愛馬ですから、どうにでもできましょうが」
「……。お馬さん。私達は南のサーベラス家へ向かわねばならないのですが――一緒に、どうでしょうか。お連れ様も、私達の方で保護いたしましょう」
 白馬のユニィは、その言葉を正確に理解したようで、再び顔を向けてきた。
 ふんふんと鼻を鳴らしつつ、わずかながらに頭を上下させる。そのさまは、本当に人間が頷いているようで……ローラは頬を緩めた。

「ふふ、旅は道連れ、と聞きますからね。クロエさんも、それでよろしいでしょうか?」
「はい。私は現在無職なので。ローラ様に危険が及ばぬ限り、何でも肯定いたしましょう」
「……なんだか色々と履き違えている気がしますが。とにかく――よろしくおねがいしますね、お馬さん」
 その時。
 ほんの僅かにだが。
 ローラには聞こえた気がした。
 ――おう。よろしくな
 少しだけ寂しそうに、しかし元気を取り戻したかのような幻聴が。

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