44.到着

 グエストの森から遠く離れた空は、全く違ったものに見えた。
 青空に浮かぶ雲はどこか遠く感じ、降り注ぐ太陽は眩しくも柔らかい。常にじんわりと焦がすような熱も、開放的な空の下で凪いでいく風でさらわれる。

「さあ、キラ。あの場所こそ、わたくしたちの目指した場所ですわ」

 キラは、ともにユニィにまたがったリリィの指差す方を見て、思わず歓声を上げた。
 王都エルオフティ。豊かな草原に円状に拓かれた都は、余すことなく人の手が入っていた。
 レンガ調の屋根が街中を覆い尽くしているかのように思えたが、道が敷かれて川も通り、所々に豊かな緑もある。
 とりわけ目を引かれたのが……。
「あれ、お城?」
「ええ。王国の象徴、エグバート城ですわ!」
「大きいね……! リモンで見かけたのよりも、もっと」
「約千年。それほどの年月を歴代の国王が過ごす場所ですもの。他と比べるまでもなく、偉大で荘厳で、それでいて優美なお城なのです」

 エグバート城は街の中心にどっしりと根ざしていた。少しばかり小高い場所に立てられたのか、その巨大さも相まって、王城の影で街をすっぽり覆いそうなほどだ。
 絶妙に配置された尖塔は、その厳格さを鋭く際立たせるとともに、姿形の洗練された美しさを強調している。それでいて、横に広がりを見せる様は、器の大きさも兼ね備えているようだった。

「ちなみに、王城の西側にはわたくしの家……エルトリア家がありますわ」
「え……でも、なんか、森っぽいよ?」
「ええ。ちょっとした領地ですのよ、あれでも」
「街の中にちょっとした森があって、それが所有地……? よくわからないな」
「ふふ……。さあ、一日かけてようやくついたのです。――本番はこれからですわよ」
 キラは、目の前のリリィの声と、彼女がぎゅっと手綱を握るのを見て、表情を引き締めた。

 一昨日の深夜。帝国軍の奇襲を受け、キラもリリィも各自に撃退した。
 そののち、リンク・イヤリングを介して情報交換を行ったセレナによれば、帝国軍の侵略日時まではっきりと判明したという。
 二日後――つまり今日、帝国が侵略を仕掛けてくるのだ。
 だからこそ、のんびりとはしていられなかった。通常の馬では早く着いても三日はかかる道のり……それを二十四時間休憩無しで走破し、一日で王都近郊にまでたどり着いたのである。

 ――ンだよ、この体力お化け娘……あのクソジジイなみに扱い荒いじゃねえか
 ときおり漏れる白馬のユニィに苦笑し、キラはこっそりとあくびを噛み殺しながらリリィに言った。
「もう王都はすぐそこだからさ。少しはユニィを休憩させながらでも大丈夫なんじゃない?」
「え……ああ、そうですわね。あまりにも喜々として走り続けるものですから、すっかり失念していましたわ。ユニィ、馬ですものね」
「まあ、その気持はわかるけど。リリィもここからは気を休めておかないと……いざというときに疲れ切っちゃうよ」
「わかりましたわ。――キラも、わたくしに寄りかかって寝てもいいですわよ?」
「あ……あはは、ばれちゃったか」

 痛いところを疲れてリリィと笑い合うキラだったが、眠るつもりは毛頭なかった。
 今日、帝国軍が攻め入ってくる。そう考えたら……。
 リリィも同じ気持ちなのか、それ以上は何も言わず、ただ近づく王都を見据えていた。

「グレータの人達、大丈夫かな……。みんな、『気にしないで王都へ』って言って快く見送ってくれたけど。ゴーレムの被害、そんな小さなものじゃなかったでしょ」
「しかし、それでもわたくしたちは行かねばなりません。騎士団には連絡を入れましたし、大丈夫ですわよ。……それにしても」
「ん?」
「エマール領のときとは逆ですわね。今度はキラが後ろ髪を引かれる思いをしているだなんて」
「いや、だって、それは……。うーん……なんでなんだろ?」
「ふふ……。それだけ、気を張ってくれていたということでしょう」

 かもね、とキラは笑いながら同意したが……本当は、なぜこれほどに後ろを向きたくなるのかは、自分でもわかっていた。
 恐いのだ。だがそれは戦争に対してでも、命の奪い合いでも、死への恐怖ゆえではない。
 ずっと――村で”大鬼”オーガと戦ってから、ずっと疑問に思っていた。
 なぜこれほどに体が動くのか? なぜこれほどに剣を操れるのか?
 戦えば戦うほどに、謎は深まるばかりだった。

 そうして、同時に。
 ぼんやりとしていた何かが、徐々に形を整えていく気配があった。
 ランディやリリィや、色んな人達に出会い、その度に『才能』や『センス』という言葉を聞き……そうではないのだと、キラの中で叫ぶ何かがあった。
 考えるまでもなく、それは……。

「……キラ?」
「ん……大丈夫」
 体の隅々にまで広がるような澄み渡る声に、キラは息を入れ替えた。
 戦って、戦って、戦い続けて。その先に待つもの……それが何であれ、歩みを止めるようなことがあってはならない。
 立ち止まっていては、一歩も踏み出せなくなる。
 真に”臆病者”になってしまう。それを知っているからこそ、キラは逃げることはできなかった。

 王都に近づけば近づくほど、戦争前の物々しさが空気に入り混じるようになっていた。
 街をぐるりと囲う防壁の上には、見張りらしき騎士たちが等間隔に並んでいる。全員、今すぐにでも戦えそうなほどの雰囲気を背負い、武器を手にしていた。
 降ろされた鉄の門は、リリィがいくらか時間をかけて交渉しなければならないほど、外界からの干渉をひどく嫌っていた。

「――リリィ・エルトリア様と、たしかに確認いたしました。急な旅路の変更など、ご苦労さまでした」
「……クロエさん、ですわよね? 近衛騎士総隊長のあなたが、なぜここに?」
 リリィは白馬から降り、キラもそれに習って地面に足をつけた。
 色んな方向から視線を感じ……キラは白馬の額を撫でることで、何も気づいていない風を装う。
 ――顔さわんじゃねえ!
 ぶつくさと文句を幻聴にかえつつも、意外と素直に撫でさせてくれる白馬に頬を緩める。
 そうしながら、耳はリリィたちの会話に傾ける。

「先日、解任されました」
「……は?」
「現在無職です」
「はあ……」
「そこで、王国騎士軍の隊長の『防衛準備に人手が足らない』という嘆きを聞いたもので、少しの間手伝いをしていたのです」
「それで、みな浮足立っていると言うか……。近衛騎士といえば、王国騎士軍にとって騎士の象徴ですからね……。その総隊長となれば、なおさら……」
「ありがとうございます」
「色々……込み入った事情があると、察すればよろしいのでしょうか?」
「はい。なにせ、ラザラス五世その人の命令ですので」

 真っ直ぐによどみのないクロエの言葉に、リリィは現状を受け止めきれないようだった。腕を組んで、思案顔でウンウンと唸っている。
 ――ハッ、あの生意気王子のやりそうなこった
 顔をブルブルと振りながら嘶く白馬に、キラはこっそりと聞いた。

「やっぱり、ランディさんの言ってたとおり、突拍子もない人なんだ?」
 ――昔、”聖地巡礼”なんていう厄介極まりない任務を率先して引き受けたやつだぞ。しかも、そりゃ当時竜ノ騎士団に対して発した密命だ……どこで聞きつけたか今でも謎だ
「ランディさんが言ってたな……。確か、王子と一緒に”授かりし者”に会いに行ったとか、なんとか……」
 キラはぶつぶつと呟き、ハッとした顔を上げた。
 とりわけ強烈な視線を感じたと思ったら、元近衛騎士クロエが穴が空くほど見つめてきていたのだ。

「その言葉はあまり口にしないでいただきたい。”不死身の英雄”ランディの後継者殿」
 ざわりと。門の近くで防衛準備に励みつつ、聞き耳を立てていた騎士たちの間で、空気がざわついた。
 それと同時に、突き刺すような視線が多くなり……キラは蛇睨まれたカエルのごとく、つかつかと歩み寄ってくるクロエから逃げられなくなった。

「あ、あの……?」
 クロエは、リリィとよく似た雰囲気を放っていた。
 美しく凛々しく麗しく……研ぎ澄まされたそれらは、厳格さをも錯覚させる。
 だからこそ、美しさの際立つ顔立ちに目が引き寄せられる。
 切れ長の青い瞳に、釣り上がり気味のキリリとした眉。鼻梁の高さは彫りの深さを際立たせ、同時に、その下にある唇の形の良さをも引き立てる。
 金色の髪の毛は顔の半分を隠すほどに長く……片目を若干隠すその様が、異様なほど綺麗で、そして威圧感があった。

「英雄の後継者は、後継者たる実力はもちろんのこと、機密性の高い情報を瞬時に嗅ぎ分ける先見の明を兼ね備えねばならないと、私は考えています」
「は、はあ、すみませ――」
「しかし私個人としては。それらを身につける以前に、もっと自信を持っていただきたいと存じます。人目を避けようとするなど言語道断。かの英雄が王都を離れる以前にそのお姿を拝見したことがありますが、それはそれは、屹然としていました」
「は、はあ……」

 より、一層。ずい、と近寄られ、キラは思わず後ずさりし……しかし、あろうことか白馬に退路を断たれた。幻聴は聞こえないものの、楽しそうに鼻を鳴らすのが聞こえる。
 隙のない甲冑姿からか、その眼力からか、クロエのなんとも言えない圧迫感に押しつぶされそうになった時、

「ちょっと! キラになんてことを申しますの――それに、近寄りすぎですわよ!」
 ぐい、と身体が横にずれた。
 いつの間にやら隣に移動していたリリィが、物凄まじい勢いで引っ張ったのだ。首が取れるのかと思うほどに。
「む。これは失礼いたしました。崇拝するかの英雄……その後継者を目の前にして、つい」
「いいですか。この場にいる者たちもよくお聞きなさい。キラは、後継者と認められずとも、自ら英雄となりうるお方ですわ」
「根拠をお聞きしても?」
「剣の腕では、わたくしもクロエさんも、この場にいる皆も遠く及ばないでしょう。――きっと、此度の戦争で思い知ることになりますわ」

 エグバート王国の公爵家令嬢にして、竜ノ騎士団”元帥”リリィ・エルトリア――彼女の言葉は、キラが思う以上に影響力があるらしかった。
 空気が固まったかのようにしんとして静まり返り、クロエでさえも、冷酷なまでの美しさからトゲが抜けていた。
 リリィはそんな光景に、子どものように胸を張って満足そうにしていた。
 そして、一つうなずき、
「さ、行きましょう、キラ。わたくしの家に案内いたしますわ」
 どこか楽しげに歩きだす彼女に、キラは手を引っ張られながら後についていった。

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