29.差

 エマール領リモン。その中央にあるのは、どんな角度からでも絵画のように美しく映える白亜の屋敷――通称”エマール城”。
 城を円状にぐるりと囲うのは”貴族街”である。屋根や窓や玄関の作りにこだわった家々が三重の輪となって連なり、その一番外側にひときわ高い”境界壁”がそびえ立つ。
 そして”境界壁”の外側には、”労働街”が広がる。

「あのエマールのことですから、格差はあるのだと分かってはいましたが……実際に目にすると、ひどい有様ですわね」
 キラはリリィのつぶやきに何も返せず、朝日に照らされる景色を目にしていた。
 ”貴族街”の外側で広がる”労働街”は、エマール領リモンでありながらも、そうではないような印象があった。

「グエストの村みたいな防壁がないんだ……」
 キラの小さな言葉にリリィはうなずき、そして馬車席のニコラも反応した。
「”貴族街”にとっては、”労働街”はエマール領リモンではない。”貴族街”のおこぼれに与ろうと勝手に人々が済み始めた……それくらいの認識だろう」
「街なのに……?」
「しかしそのくせ、しっかり税金は取っていく。義務だけ押し付け、責任は放棄する――この街は、エマールそのものと言っていいだろう」
 聞くだけでもひどい話に冷静になれたのは、リリィが静かに怒りを抑えているからだった。
 キラは鼻から息を抜きつつ、ニコラの話の続きを聞いた。

「どちらにせよ、君たち二人は”貴族街”を通り抜けることになる。大幅な時間短縮になるからな」
「”労働街”から迂回する形ではダメなんですか?」
「まあ、リモンが意外と広いというのもあるんだが……北の領門では、いろいろとチェックが入ってな。”貴族街”を通り抜けたなら、それなりに信頼があるとして、割とすんなりと領の外へ出られるんだ」
「ってことは、”労働街”から回った場合は……?」
「基本、後回しだ。最悪、いつになっても順番が回ってこないという事態になりかねない」

 こっそりと聞いておいたほうが良かったかもしれない、とキラは少しばかり後悔した。
 リリィが、ますます不機嫌になっている。美しく背筋を伸ばして座っているものの、深くうつむいたまま、膝に載せた両手を固く握りしめている。
 キラは無意識のうちに手を伸ばし、彼女の背中をなでた。
 ぴくりとリリィは反応したが、嫌がることはなく、むしろ体を寄せてくる。

「まあ、そういう背景もあって、”労働街”はたくましくなったんだがな」
「たくましく……というと?」
「いまにわかる」
 しばらくすると、”労働街”が目前にまで近づく。
 騎士団支部のあった街アリエスと比べると、随分と雑多としていた。
 木造家屋が、いたるところに乱立しているのだ。理路整然という言葉をどこかに押しやり、隙間を嫌うかのように家々が詰め込まれている。
 道はとにかく手狭で、どこを見ても裏路地にしか思えなかった。

「あの……馬車が通れるような道はあるんですか?」
「もちろん。びっくりするぞ」
 ニコラは含みのある言い方をしてから、詳しいことは言わなかった。
 黙々と手綱で白馬のユニィに指示を出し、街の外周をなぞるように馬車を動かす。
 ――ホォ。随分と想像が違うな
 何かを悟ったように幻聴がつぶやき……キラも、そしてリリィも、その意味を正確に知ることになった。

「へ……?」
「これは、また……」

 ”労働街”には、街を分断するかのような大通りがあった。文字通り”貴族街”を覆い隠す”境界壁”まで、幅広な道が一直線に貫いている。
 その見通しの良さも驚きだったが……何より、その活気の良さにあっけにとられた。

「さあ、さあ! 寄って頂戴見て頂戴!」
「新製品! 新しいものだよ! そういうの好きでしょ!」
「丈夫さと言ったら革! しなやかで艷やかで、それでいて安い!」

 大通りは人で賑わっていた。道の両側に立ち並ぶ店では店員が声を張り上げ、それに釣られた客がフラフラと吸い寄せられるように店内へ足を運ぶ。
 大人も子どもも。女性も男性も。若人も老人も。
 一人で。あるいは友達と。あるいは家族と。誰も彼もが、等しく人の波に流され、それでいてきらきらとした表情を隠せなかった。
 ニコラは慎重に白馬に合図を出しつつ、ゆっくり馬車を進めた。

「私も、初めて目にしたときは唖然としたものだ」
「そりゃ、もう……。あの村を見たときと同じくらいに衝撃というか……もう少し、暗い感じだと思っていたんで」
 リリィが思わずと言ったふうに馬車から顔を出そうとしたのを見て、キラは慌てて引き止めた。
 どうやら彼女にとっては、〝隠された村〟以上だったらしい。
 終始夢を見るかのような呆然とした顔つきだったが、次第に頬に血色の良さが戻っていく。そして、ぱあっと顔を輝かせ、子どものようにクイッと裾を引っ張ってくる。

 キラはハラハラとしつつも、馬車の後方でリリィと一緒になって、馬車の外で繰り広げられる商売合戦を覗き見た。
「だが、至極当然な結果なのだ、この風景は。我々がそうだったように、彼らもまた、よりよい環境を求めて奔走した。動けば、なにかが少し変わる……それが積み重なっただけだ」
「この街にも、”流浪の民”が立ち寄ったんですか?」
「いや。”労働街”の市長がとある商会にかけあった……という話だ。もっとも、就任当初から色々と街を良くするために動いていたそうだが」

 ニコラの言葉に、リリィは素早く反応した。
 ぱっと神速の勢いで振り返りつつも、一瞬の間を起き、口を開くことなくじっと見つめてくる。
 キラは彼女の様子にこっそり苦笑し、二コラに問いかけた。
「色々、とは?」
「勉強して文字を読めだとか、町中を清潔に保てだとか、経済を回せとか。当時は、ともかく混乱したらしい……そんな必要があるのか、と。だが、まあ――今の街の雰囲気を見れば、一目瞭然だ」
「素晴らしい市長がいて、”労働街”は幸運でしたね」
「ああ、まったくだ。まだ二十というのに、素晴らしい方だ」

 へえ、とキラはリリィとともに相槌を打ちつつ、その数字を頭に思いうかべた、
 そこで、おや、と首をかしげる。
「今、二十歳ですよね。じゃあ、市長就任当初は……?」
「確か、十五だ。――口にして気づいたが、本当にとんでもない人物だな。エリックと同い年のときにそんなことをするとは……」
「それ言ったら、僕の一つ年下ですよ……」
「君は戦いに関して素晴らしい才能があるから、そう落ち込むことはない」
「そうですかね……」

「問題はエリックだ。今どこで何をしているのやら……。宿についたら、一旦別行動をしよう。私も少し用事があるし、二人も”境界門”へ向かって申請をしておいたほうが良い」
「”境界門”……?」
「”労働街”から”貴族街”へ通じる唯一の道だ。この大通りの突き当りを左へ少し行けば、”境界壁”に門が構えられている。そこで、エマール領門で渡した通行証で申請すると、明日には”貴族街”へ入れるはずだ」
「明日……。もう少し早くならないんですか?」
「すまないが、こればっかりは私にも……」

 キラは浮かしかけた腰を落ち着け、鼻から息を抜く。
 リリィが、そっと手を握ってきたのだ。彼女は唇を弓なりにして、今までよりも美しく微笑んだ。
「リンク・イヤリングで王都と連絡を取ったところ、まだ帝国軍の侵攻は始まっていません。それに、セレナは無事に王都についたとのことですから、とりあえずは大丈夫でしょう」
「セレナが……! じゃあ、ランディさんやグリューンは?」
「二人は、今のところまだ……。けれど、”転移の魔法”発動者であるセレナが王都近くに落ちたのですから、両名ともすぐに再会できますわよ」
「そっか……よかった」
 そうつぶやいた途端、腹の底のほうがふっと軽くなった。頭の中を巣食っていたモヤモヤとしたなにかも、徐々に晴れていく。
「――よし。じゃあ、早いとこエヴァルトと合流して、エリックを探そう」
「ええ、そうですわね」

 ニコラが馬車を操り案内したのは、”まんぷく亭”だった。
 大通りを突き当たりに右へ曲がり、”境界壁”沿いに少し行った先に、屋敷にも見間違えるような大きな宿へ着いたのだ。
 馬車を白馬と一緒に馬丁に預け、ニコラが二部屋分確保し……リリィと一緒に部屋に入ったところで、キラははたと気づいた。

「ベッドが一つだけ……」
「ダブルベッドですわね……」

 豪快な建物の宿部屋のわりには、質素な内装だった。
 入り口の向かい側には窓があり、カーテンの隙間からは、一枚絵の絵画のように”労働街”の雰囲気が覗ける。右手には”境界壁”があり、直角に交わる道で人々が様々に行き交っている。
 壁の方には大人が二人一緒になってくつろげるベッドがあり、その正面には暖炉がある。
 目立った調度品といえばそれだけだった。クローゼットなどはなく、その代わりに入口の扉の近くにポールハンガーがある。

「ニコラさん、戦争のことは知ってたけど、リリィには気づいてないみたいだからね」
「わたくしたち、夫婦ですものね」
 キラはリリィの言葉にどきりとして、彼女の方を振り返った。
 『夫婦』に思わず反応したことに顔が熱くなったが……リリィもまた、色白な肌を赤く染めていた。やがて顔全体が、ボッ、と紅の炎に包まれる。

「リ、リリィ……?」
 何度目かの不思議な光景に目をまんまるとしていると、リリィはつかつかと部屋の奥の方へ歩いていった。
 頭をふるい、それにあわせて紅の炎と黄金色の髪の毛がきらびやかに踊る。
 パッ、と勢いよくカーテンを締め、背中を向けたままボソボソとつぶやくように言った。

「あの小さな冒険者を友だちと言っていましたわよね」
「へ……? あ、ああ、グリューンのこと?」
「その上で、わたくしたちの関係はよくわからないとも言っていましたわ」
「ん……うん、そうだったね」
「では、もういっそのこと家族で良いのではないでしょうか? 家族でしたら、一緒に寝ても問題はないはずです」
「そう、なのかな……?」
「ええ、ええ。そうですわよ。もちろん、常識ですわよ」

 リリィはまくしたてるように言うと、今度は踵を返して歩み寄ってきた。そしてそのまま隣を素通りして扉を開け……ようとドアノブを握り、ピタリと止まった。
「キラだって、分かっているはずですわよ。自分が誰かにとって何でもないと突きつけられる虚しさを……。あの冒険者が友達で、わたくしたちが友達かどうかもわからないだなんて……」
「……ごめん。けど、リリィには良くしてもらってばっかりで、何も返せてないから……」
「それを人は鈍感と呼ぶのです」
「え?」
「まあ、いいですわ。さ、行きますわよ――今はともかく、『夫婦』で家族なのですから」

 リリィに引っ張られ、キラは何やら準備をしているニコラのもとに寄ってから、ともに宿を出た。
 人通りでも彼女は腕を離すつもりはないらしく、むしろ体を密着させてくる。
 今にも火が出そうなほど恥ずかしかったが、”境界壁”沿いを歩く人々の中には、同じように連れ添っている男女もちらほらといて……堂々としている彼らを見て馬鹿らしくなり、キラは体から力を抜いた。
 その自然体が良かったのか、”境界門”を見張る門番に通行証を渡すと、あっけないほど簡単に受諾された。

「この札を持ち、明日の開門時間に来るように。通行証は北門で返す――偽りがない限り」
「はあ。わかりました」
 キラは何でもないように受け答えし、鼻を鳴らす門番から札を受け取る。ズボンのポケットに押し込みつつ、リリィを連れ添ってその場を離れる。

「なんか……派手だよね。ニコラさんは普通な感じだったのに」
 さり気なさを装い、”境界門”の定位置に戻る門番を振り返る。
 きらびやかに銀色に光る鎧は、至って普通に男の体を覆っている。胴体はもちろん、手の先からつま先にいたるまで、一分の隙もない。
 派手なのは、その右肩から垂れ下がるマントだった。
 金色に縁取られ、生地は眩いばかりの黄色。ひらりと揺れるその先端には、エマール公爵の意匠らしき文様が金糸で編み込まれている。

「確かに。気になりますわね」
「リリィも、どういうわけか知らないの?」
「正直に申しますと、気が狂いそうで目をそらしてばかりいましたから。エマール公爵の実態は、ほぼ知らないと言ってもいいですわ」
「そっか。……ニコラさんには悪いけど、同じ門番でもちょっと格が違う感じがする」
「やっぱりそう思いますか。普通、キラのような細身の少年を相手にすればつい油断してしまいますが……あの門番、馬鹿にするどころか警戒を強めていました」
「うん……うん? 僕はそんなにひ弱に見える?」
「――さあっ。わたくし、少しばかり寄りたいところがありますの」

 全く。一言も。まるで聞こえなかったかのように。リリィは声を張り上げた。
 道行く人々の注目を集めたことに気が付き、彼女は深く俯き、しかし間髪入れず言葉をつなげた。

「少しだけ、教会がどの様になっているのか気になりましてね」
「教会?」
「ランディ殿から教わりませんでしたか? その宗教の信仰者たちの……いわば、心の拠り所のようなところですわ。”聖母マリア様”を通じて神様の存在を感じ、日々の感謝をしたり、祈ったり……ときに懺悔をしたり。そういう場所です」
「へえ……?」
「そういえば、グエストの村には教会はありませんでしたわね。ロットの村にはありましたのに」
「セレナとも話したんだけど、ランディさん、あんまり宗教に興味がないみたいなんだ。というより……あんまり、好きじゃない?」
「……英雄ともなれば、様々なことを経験したのでしょうね」

 そうつぶやくように言うリリィの表情は、腕にピッタリひっついているのとフードをかぶっているのが相まって、まったく伺えない。
 ただ、その雰囲気はあまりにもランディのそれと似通っていて……キラは特に追求することなく、そっと手を握った。
 信仰深い商人を装い、道々人に教会の場所を尋ねる。誰も彼もが一様に微妙な顔つきで受け答えし、その様子に首を傾げながらも、迷うことなく教会に着くことが出来た。

「ぼろぼろだ……」
 ”境界壁”を背にして、”労働街”の隅にひっそりとたつ教会は、廃墟と化していた。
 古典的な作りをした石造りの建物は、窓が割れているどころか、壁の一部が崩れて近寄ることすら危うくなっている。
「これじゃあ、お祈りどころじゃないね……」
「ええ。……もっとも、立ち寄ったところで神様がいらっしゃるかどうかは分かりませんが」
「神様はいないの?」
「いらしても、応えてはくれませんわ」

 神妙にしてつぶやくリリイに、キラは思い起こした。
 英雄と呼ばれた老人、ランディ――彼もまた、”神様”を敬遠していた。
 明確なことは言わなかった。嫌味のようなことも聞いた覚えはない。
 ただ、ただ。老人の中には”神様”がいなかった。取り立てて言及することもなく、あるいは意識すらせず……しかし、一度だけ、”神様”をはっきりと否定したことがある。
 目覚めて間もない頃。ユースという少女に、なぜ父と祖母が居ないのか。迂闊にも、面と向かって聞いてしまったのだ。

「とりあえず、さ。もうちょっと近づいてみようよ」
 リリィの返事も待たず、キラはぐいぐいとその手を引っ張った。
 彼女の顔はフードで隠れたままで。前に進むのに後ろばかり気にして。
 だからか、

「ここは立入禁止だ。去れ」

 異様な存在感を放つ男が目の前にいるというのに、全く気づかなかった。
 ぶわりと、汗が吹き出る。
 キラは反射的に剣に手をのばし――寸前で、なんとか自制した。
 男も、剣の柄を握っていたのだ。今手を出していたら、確実に斬られていた。
「なぜ、と聞いても良いですか」
 細く長く息をつき、リリィを引き寄せ庇いつつ、いつもどおりを心がける。

「貴様の知ったことではない」
 そう言う長身の若い男は、一言でいえば不気味だった。
 その髪色が透き通るように白いからか、血に染まったような赤い瞳で見下ろしてくるからか。はたまた、仮面をかぶったような無感情な顔つきをしているからか。
 真っ黒な立ち姿も、威圧的だった。コートからズボンから手袋から、身につけるもの殆どが黒色に染められている。唯一、剣だけは白銀に輝いていた。

「それと、貴様も」

 血色の瞳だけが、わずかに動く。
 その目線は背後を捉えており、
「ああ、すみません。ちょっと通りがかったら教会を見つけたものでして」
 いつの間にか、黒マントの男が後ろに立っていた。大きめのフードをすっぽりとかぶり、優しげに微笑む口元だけが僅かに覗く。
 ハッとして振り返ったリリィは、わずかながらに目を見開いていた。
 驚きや戸惑い。さらには、なぜだか憤りも感じられた気がして、キラは下手に口を挟むのを止めた。
「余計なことはしないことだ」
 白髪赤目の男は淡々とそう吐き捨て、コートの裾を翻して立ち去った。

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