23.隠された村

 村の朝は早い。陽の昇らないうちにどこからか炊事洗濯の生活音が漏れ、それを皮切りとして、村中が徐々ににぎやかになっていく。
 それに合わせて、キラもムクリと起きた。その顔つきは世にも不細工で、むくれていた。

「……眠い」

 結局の所、よく眠れなかったのだ。
 リリィによる治癒の魔法で身体中の痛みは取れていたが、それでも、継続しなければ意味がないようだった。痛みではない違和感がところどころに現れ……熟睡を妨げられてしまった。
 だと言うのに、半ば無理やりな転移や慣れない馬車での移動で、いまだに体の疲れは取れず……最悪な寝起きだった。

 だが、それでもスッキリとした気分なのは、隣で一緒に寝ていたリリィのおかげだった。
 身体中の違和感が痛みに変わるのを恐れ、キラは寝返りも打てなかったのだが……彼女の淡麗な顔が、ずっと間近にあったのだ。
 暗闇の中でもその整った顔つきがくっきりと分かるほどに近く、そして、それだけ近いにもかかわらず、リリィの美人さが色褪せることはなかった。
 しかも、むにゃむにゃと寝言を言う口元や緩む頬は愛らしく……。
 見とれているうちに違和感も忘れ、いつの間にか眠ることが出来ていた。

「……ありがと、リリィ」
 なおも深い眠りにつくリリィの頬をそっと撫で――ようとしたところで、ぎょっとして硬直した。
 白馬の生首が、にゅっと突き出てきたのだ。

「びっくりした……」
 ――てめえ、昨日俺の存在忘れてたろ
「え……? い、いや、そんなことはないよ」
 ――飯食わせろや、ボケェ!
「ご、ごめん、忘れてた。でもユニィなら、勝手に食べることも出来るんじゃ?」
 ――だから食べたんだよ! 今は朝飯の話だ!
「わかったから、そんなに鼻鳴らさないで。リリィが起きる」

 キラは馬車の隅の方にあった樽を、なんとか音を立てずに引きずり、外へ出す。
 ユニィは待ちきれないとばかりに顔をつっこみ、干し草をむしゃむしゃと食べ始めた。
「……勝手な想像だけど、ユニィは肉食のイメージがある」
 ――ああっ? 喧嘩売ってんのか、この野郎!
「それだけ馬だと思えないってことだよ。……なんで草だけ食べて、ドラゴン踏み落とすパワーが出るかな」
 ――ハッ、てめえが貧弱なだけだ
「それだけじゃない気が……まあ、いいや。ちょっと包帯変えてくるよ」

 キラは白馬の首元をなで、再び幌をくぐって荷台に乗り込んだ。
 寝ているリリィを起こさないように、静かに一つの木箱ににじり寄る。中には、きつい匂いを漂わせる酒、いくつもの包帯の束、傷薬や軟膏などの瓶が敷き詰められている。
 それらを前にして、頬を引きつらせた。

「どれをどの順番に使えば良いのか……とりあえず、服は脱ぐよね」
 キラの上半身は、ほとんど包帯で巻かれていた。肌が見えるところといえば、右肩くらいであり……キラは手当の範囲の広さに辟易とした。
「こんなので、よく生きてたもんだよ。リリィも大泣きするはずだね」

 試しに、右腕から包帯を解いてみる。
 傷口と癒着しているということはなく、すんなりと外れた。
 それもそのはずで、焼けただれたり無数の切り傷にまみれていた右腕は、ほぼ完治していた。カサブタがあったり皮膚の赤い場所はあるものの、血の出そうな箇所はない。
 明らかに治りが早い。それも、ひとえにリリィが昼夜問わずに”治癒の魔法”をかけ続けてくれていたおかげだった。

「本当に……ちゃんと恩返ししないと、バチが当たるよ」
 続けて左肩の包帯を取ろうとしたところで、幻聴が聞こえた。
 ――女が来るぞ。傷、見られちゃまずいだろ
 キラはその忠告に、慌てて服を着た。救急用の木箱をもとに戻し、さらに外套を羽織って完全に体を覆い隠す。
 ”ペンドラゴンの剣”の収まった鞘を腰に携え――ギリギリのタイミングで、幌が波打つようにポンポン揺れた。

「あ、あの。起きてらっしゃいますか」
 キラはちらりと寝入るリリィを見て、彼女を起こすことなく馬車の外に出た。
「おはようございます、キラさん。奥様はまだご就寝でしたか」
「ええ。やっぱり、長旅で疲れてたらしくて……。僕のほうが先に起きちゃいました」
「そうでしたか」
 ミレーヌはそう美しく微笑んだきり、なかなか言葉を続けようとしなかった。困ったように眉を下げながら、ちらちらと馬車の方を見つつ、口を開いては閉じる。

「あの……何かありましたか」
「え? ええ、まあ……何かというほどでもないのですが。その、不躾ではありますが、手伝ってほしいことがございまして……」
「僕でしたら、何でもお手伝いしますが……」
「ありがとうございます。実は、水を汲みに一緒に同行してほしいんです」
「水くみ、ですか」
「飲水には”ハイデンの村”の井戸水を使うんですが……これを汲みに行くには、多少人手が必要でして」

「ああ……。じゃあ、まあ、僕でよければ。一緒に行きます」
「本当ですか? でも……村の外は危ないんですよ。今までも何度も諍いがあって、最近なんかは時間を見計らわないといけないくらいで」
「そういうことなら、僕も一応は戦えるので」
キラは腰にある剣の柄を見せ、するとミレーヌはほっと胸をなでおろした。
「キラさんと近い年の子たちも一緒に行くので、ぜひ仲良くしてあげてください。エマール領の外からこの村へ来る人なんて、滅多にいないので……。エリックもいればよかったんですけど」

 再びシュンとしてしまうミレーヌの姿に、キラは少しだけその息子のエリックを羨ましく思った。
「リモンで会うと思いますから。そこらへんは大丈夫ですよ」
「……ありがとうございます」
 エリックの母親は、ぎこちなくも白い歯を見せてほほ笑んだ。

 ”ハイデンの村”には、日に何度か、水くみを目的として訪れるらしい。何が起きても、水だけは絶やさないようにしているという。
 だが、これには危険が伴う。
 エマールが集めた荒くれ者の傭兵たちが、領内を巡回しているのだ。領内の安寧を名目に、領民たちを監視しているのだという。

「まあ、我々のせいだろうな」

 キラは村の出口手前の小さな広場に案内され、ニコラとミレーヌに村の事情を聞いていた。
 水運びに四人、その護衛に六人。たかだか水汲みに大人数で向かうのだから、つい踏み入った話を聞いてしまっていた。

「我々のせい、とは?」
「このエマール領に住むには、お金がかかる……まあ、税金だな。畑を持つのにも、別途毎月のように金がいる。それに、ぼったくりのような教会税……」
「税金、ですか……? 僕がいた村では、そんなに悩んでいるようには……」
「エマール領も、昔はこれほどひどくはなかった。良心的とも言えなかったが、とりあえずは満足の行く生活は出来ていたんだ。それが……七年ほど前から負担が増していき、最近では税金で潰れる村が出てくるほどにひどくなったのだ」

 七年前といえば、”王都防衛戦”の勃発したときだ。
 リリィによれば、エマールが意図的に内乱を引き起こし、帝国軍を手引したらしいが……。
 ぼうっと考えているうちにニコラの話は進み、キラははっとして集中した。

「”流浪の民”が訪れ、”隠された村”が出来上がったのが去年。私達は村が潰れたように偽装して皆で移り住んだのだが……バレたんだろうな。少し前まではなんともなかったのを考えると、おそらく頭の回る者が何か吹き込んだんだろう。やたらとこのあたりで傭兵たちを見かけるようになったんだ」
「でも傭兵が見回りするって言っても、少人数なんじゃ……? 領内は広いわけですし」
「……まあ、あとになって説明する。遭遇しないのが一番だが、昨日も間一髪のところだった……人数が増えているんだ」
「傭兵の、ってことで――うわっ」

 後ろから尻を突き上げられ、キラはたたらを踏んだ。
 ミレーヌに突っ込みそうになるところをなんとかこらえる。
「ユニィ……ついてきたの? リ……リアのそばにいてあげてって言ったでしょ」
 振り向くとそこには、鼻を鳴らしぶんぶんとしっぽを振った白馬がいた。
 ――暇だ。テメエだけに楽しい思いはさせねえ
「仕方ないな……」

 キラはぐいぐいと迫ってくる白馬の顔を押しのけつつ、ニコラに確認した。
「う、馬は六頭で、それぞれ役割を持って乗るって言ってましたけど……。こら、ユニィ! 押してもだめならって、マント噛むな! 伸びる!」
「ふ……。少しでも守りやすいようにと考えていたんだ。だが……まあ、一頭くらい増えたところで大丈夫だろう」
 ニコラは厳格な顔を笑いで崩さないように保っていたものの、ミレーヌはすでにこらえきれずにコロコロと笑っていた。
 キラは恥ずかしさで顔が熱くなり、しかしユニィのいたずらはエスカレートするばかりで……。

 ギャアギャアわあわあと一人で騒いでいるうちに、一緒に水汲みに行く村人たちが揃ってしまった。
「ニコラおじさん! なんか、楽しそうですね」
「セドリック。それとドミニクも。おはよう。……楽しそうに見えたかね?」
「ミレーヌさん笑ってるし」
 ニコラに駆け寄るようにして近づいたのは、茶髪の少年だった。顔つきはキラと同年代くらいの幼さがあったが、それに似合わない立派な体つきをしていた。背丈はニコラよりも頭一つ分高く、その高身長を支えるかのようにしっかりとした筋肉がついている。
 恵体な少年のそばには、少女がいた。長躯に隠れるようにして立つ茶髪の彼女は、随分と小柄で、少年のお腹くらいまでしか身長がなかった。

「あれ、馬と少年が力比べしてる!」
「あらら、少年、力負けしちゃってるじゃん」
「どっちも見慣れない子だ……」
「黒髪と白毛、いい組み合わせだあ」
「白馬! きれいな毛並み〜」
 男二人と女三人。彼らがニコラの言う護衛であることは、ひと目で分かった。
「揃ったな。キラ殿に皆を紹介したいところだが……それはおいおいだな。とにかく、急ごう。傭兵たちの見回りも日を追うごとに見かけることが多くなっている――気を引き締めるように」

 和気あいあいとした雰囲気が、一気にぴりっと引き締まる。
 特に護衛の五人は、口元の緩みを少しも許さず、厳しい顔つきをしていた。ニコラは、彼らに向かってテキパキと指示を飛ばしていく。
「オーウェンは先頭を。メアリとベルは、それぞれ右翼と左翼。ルイーズ、エミリーは殿で頼む」
 それぞれがすでに分かっていたかのように馬にまたがり、隊列を作る。ルイーズとエミリーだけは相乗りで、なにやら険悪な雰囲気を互いにぶつけていた。

 何でも……。
「なんであんたなんかと……!」
「ベルくんとが良かった……!」
 二人にとって、小柄な体ながらも巨大な剣を背中に携える青年は特別なようだった。

「それで、私とミレーヌ、セドリックとドミニク、そしてキラ殿とで隊列に守られるようにして水汲みに行こうと思ったんだが……」
「ユニィのことなら心配ないですよ。この通り、元気なんで。それに、魔獣を見ると喧嘩を売るくらい気が強いんですよ」
 ――オォウ! 何が来ても踏み潰してやらあ!
「こら、暴れるな! 乗りにくい!」
「……確かに。やる気は十分みたいだ。できればミレーヌと一緒に乗って欲しいんだが。何かあれば、私は動き回らねばいかんのでね」
「大丈夫ですよ。ユニィに乗っていれば、たとえドラゴンが来てもへっちゃらですから」

 キラは馬上から手を伸ばし、ミレーヌを引っ張り上げた。
 慣れたように後ろにまたがる彼女は、遠慮がちに肩に手を添え……そこでキラは、ふんふんと鼻を鳴らす白馬の後頭部を見下ろした。
「あの、ミレーヌさん。できれば、手は肩じゃなくてお腹に回してもらったほうが……。ユニィ、考えなしに走り出すくせがあるので」
「あら。きれいな子だけどやんちゃさんなんですね」
「ええ、ほんとに。見た目だけはとびきりなんですけど」
 ――テメエ……覚えてろよ

 恨めしそうな幻聴を聞き流し、キラは戸惑うミレーヌの手を誘導した。
 彼女は、ニコラの妻なのだ。線の細い体格から考えても、戦いや力仕事とは縁遠いのは確実であり……そんな彼女が、白馬の突発的な疾走を体験しようものなら。
 リリィがやっていたように、しっかりと抱きしめてもらわねば、恐ろしくて仕方がなかった。

「キ、キラさん? こ、こんなに密着しなくても……。ちょっと、恥ずかしいです」
「や……これでも足りないくらいです。想像以上に、ユニィは無茶苦茶しますから。僕が何度振り落とされそうになったか……!」
 ンンッ、と。咳払いが聞こえて、キラはハッとした。
 ニコラが、非常に面白くなさそうにしている。

 言い訳をしようと試みたが、
 ――寝取りたぁ、とんだクズ野郎だな!
 あざ笑うかのような嘶きと一緒に幻聴が聞こえてきて、怒鳴る代わりに白馬のたてがみをブヅッと抜いた。
 しかし意外なことに、ぎゃんぎゃんと幻聴で文句を言いつつも、ユニィは暴れることはなかった。
 どうやら、背中に乗っている人に合わせられるくらいの気遣いはあるらしい。

 ニコラに弁明しようとしたところ、全くの別方面から火に油が注がれた。
「ニコラ先輩、嫉妬ですか? 嫉妬ですね? 少年もやるなあ!」
 先頭を任された金髪の精悍な男が、面白そうに声を弾ませた。
「まったく……オーウェン、そういうのではない」
 ニコラは小難しい顔付きながらもさらりと言いのけ、鼻から息を抜く。

「キラ殿は既婚者で、愛らしい奥さんがいるんだ。安全を思ってのことであることは明白で――」
「へえ! 少年、何歳?」
 キラはその場にいる誰からも視線を浴びていることを感じ、ボソボソと答えた。
「十六、です」
 たぶん。そう言いそうになったところを、必死に口をつぐんで押し殺す。
「セドミニと同じじゃん! それでいて人生の先輩かよ!」
「せ……?」
「セドリックとドミニク! そっちの栗毛に乗ってる凸凹カップルの事さ」

 キラが目をやると、ふたりとも緊張して背を伸ばしていた。セドリックが棒のようにぴしりと背を伸ばしているせいで、その背中にしがみつくドミニクがさらに小さくなる。
「さっさと結婚しろって何度も――」
「オーウェン。無駄話は道中でも出来るだろう。話を引き伸ばすな」
「え〜」
「それとも、なんだ? メアリにプロポーズできないのを隠そうとしているのか?」
「はっ……そ……っ」
「ほら、人をからかうからそうなるんだ。さあ、先導してくれ」

 オーウェンは顔を真っ赤にしてそっぽを向き、馬に合図を出した。
 すると、それに続いて浅黒い肌のメアリが黒髪をなびかせ、その隣に馬を寄せる。
 二人は何やら言葉をかわし……二人の後ろ姿が、ぴったりと重なり合った。

「こんなときに……」
「それはこっちのセリフよ、あなた。キラさんがそういう人じゃないっていうのは分かってるじゃない。なのに、かんたんに煽られて」
「ぐ……。わかった、わかった。さあ、出発だ!」
 やけくそ気味に声を張り上げるニコラの馬を、キラはミレーヌとともに追いかける。
 隣に並ぶ少年少女の視線をちらちらと感じながら……。

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