21.理想

「なんとかなったね」
 門から十分に離れたのを確認して、キラはホッと安堵した。
 すると、エヴァルトが周囲を見渡しつつ、御者席に近寄り応える。

「気ぃぬいたらあかんで。門を抜けた直後、見たか?」
「え……何を?」
「防壁に沿うようにしてはられたテント……ちらっと中が見えたんやが、傭兵がぎょうさんおった。狭い中、立たされたまま、文句も言わずに」
「見てなかった……」
「わたくしも目にしましたわ。なにやら異様な気配があったものですから……。傭兵を募集しているというのに、すでに傭兵を起用しているとは、おかしな話ですわね」
「それもそやけど、あの不気味さよ。そら逃げたくもなるわな」

 エヴァルトもリリィも嫌悪したように言い、キラは少しだけラッキーだと思った。
 見聞の広い二人が、揃って顔をしかめているのだ……決して、気分のいいものではなかったのだろう。

「で、こっからどうすんねん」
「こっから、って?」
「”ハイデンの村”に行くか、王都へ向かうか。どっちにしても、リモンを経由せなあかんが」
「王都へって……じゃあ、あの人は?」
「見捨てることになる。”ハイデンの村”はリモンへの道のりから外れたところにある。急ぎやなかったら大した寄り道でもないが……今は違うやろ。ともかく、この地図を見てどう思うかや」

 キラは渡された地図を見て、眉をしかめた。
 東西に細長い土地を持つエマール領の南側から入ってきたらしい。領地の北側にリモンがあり、その近くに北門がある。
 ニコラという兵士が指定した”ハイデンの村”は、その一直線の行路から大きく外れていた。北東へいき、そこから北西へ――下手をすれば、倍の時間がかかる。

「だけど……!」
 キラは地図に目を落としたまま、反論しかけた口を閉じた。
 背後に居るリリィを、ことさら意識する。彼女は王都へ向かわねばならないのだ。
 第一師団支部は、”転移の魔法”のような”神力”で奇襲された。加えて、ドラゴンに、規格外な巨大ゴーレム……。
 一分でも、一秒でも、早く王都に。
 それを考えると、何をどうすれば良いのかわからなくなってしまった。

「なりませんわ。そんなことは許しません」

 沈黙もなく、リリィは断言した。
 外套で正体を隠したままの彼女は、しかし彼女と分かるほどの迫力を瞳に込めている。ぴしりと背筋を伸ばした姿に、キラはなぜだか恥ずかしい思いをした。

「人として、交わした約束を反故にするなど言語道断」
「綺麗事もええが現実的にどないやねん。王都に急ぎたい理由が何かは知らんが、それを無視してもええんかいな」
 すると、リリィに対して即座にエヴァルトが言った。訛り口調は激しいものの、その声は少し低く、噛み付くようでもあった。

「わたくしは、どちらかを蔑ろに出来ないという話をしているのです。あなたのいった『全部飲み込むという言葉』と、何ら変わりないと思いますが?」
「意味が違う――」
「それに。いつかは知らねばならなかった領内の実態を、こうして目にすることが出来る……これを逃す手はありませんわよ」
「ああ、もう! 綺麗事がすぎるやろ!」
「貴族も騎士も、これを原動力としていますの。わたくしたちは、やってのけねばなりませんの。ですから、いきますわよ!」

 リリィは、いつもよりも甲高く、そして声高に言い放った。
 エヴァルトがため息をついて仕方なさそうに首を振り……そしてキラは、リリィのほんの僅かな異変に気がついた。
 少しばかり、声が震えていた。
 彼女こそ、一刻も早く王都に行きたいのだ。

「リリィ。隣、座る?」
 彼女は、何も言わず、御者席に移動した。フードを目深に被り、顔が見えないように俯きつつ、密着する。
 腕に絡みつく姿は、さながら怯える幼子だった。
「貴族も難儀なもんやのう」
「貴族だから。騎士だから――そう言い切れるのは、格好いいよ。それに、たぶん、格好いいのはリリィだけじゃない」
「はん、そういうもんか」

 日が暮れても、エヴァルトは明かりをつけるのを好まなかった。
 広大な世界で行きていくための一つの知恵だという。夜闇の中では光は目立ち、魔獣や盗賊に目をつけられるきっかけともなる。
 その考え方はリリィにはなかったようで……。
「魔獣は遠くからでも鼻が効きますし、盗賊も夜に慣れている輩が多いですわよ。でしたら、いっそのこと明かりを絶やさないほうがよろしいでしょう」
 ともに御者席に座るリリィは、球状の”紅の炎”をいくつか馬車の周りに浮かせ、あたりを照らしていた。
 それだけでハラハラするのか、エヴァルトがかすれ声で興奮気味に言う。

「価値観違いすぎやろ! そもそもの前提として、魔力が持たん。いざっちゅう時に実力発揮できんかったら……!」
「微々たる量でしょう?」
「……才能の差ぁ!」
「魔力量はともかく、魔力操作のコントロールは訓練次第で……」
「俺ぶきっちょやねん!」

 ああだこうだと二人が言い争っているうちに、目的に近づいたらしい。
 ――よお。ここらへんじゃねえのか、”ハイデンの村”
 そう言って、ユニィが合図もなしに足を止める。その隣の馬も、白馬に合わせるようにしてゆっくりと歩幅を緩めた。

「止まってしまいましたわね。どうしたのでしょう?」
「多分、ここが”ハイデンの村”なんだと思うよ。地図見る限り、途中で村はないみたいだし」
 リリィは人差し指を立てて、ぱっと前へと降った。
 周囲に浮かんでいた火の玉がその指示通りに飛んでいき、前方を明るく照らす。

 ――人の気配はねえな。家畜もいやしねえ

 胸がざわつくほどに、”ハイデンの村”は廃れていた。
 寄り添うようにして密集した家々は、どれもこれもががらんどうだった。窓や玄関は開け放たれ、さながら野盗に襲撃でも受けたかのように荒らされていた。
 畑も掘り起こされ、厩や家畜小屋も破壊されていた。
「こんなことが王国で……!」
「確かに、悲惨やな。世界で唯一飢えのない国が、こんな問題抱えとるとは……。エマール領っちゅうんは、ある意味公国や」

 キラはリリィに声をかけようとして、小さな足音を耳にした。とっさに、彼女のフードを目深にまで下げ、うなだれる頭をそっと撫でる。
 慎重な足音はエヴァルトの方へ近づき――彼も、その小さな違和感に素早く反応した。
「――暗い中静かに近寄られたら、斬りかかってしまうやん。剣、ないけど」
「っとと! すまない、つい。村が燃やされているのかと思ってな」

 剣を持たないエヴァルトに迫力負けしたのは、門番のニコラだった。剣を押し付けられたかのごとく、両手を軽く挙げている。
「ん? ああ、あれか……」
 肩の力を抜いたエヴァルトが、赤いバンダナの下の青い瞳をちらと動かす。
 キラはその意図を察知し、リリィに合図した。
 村を明るく照らし出していたいくつもの魔法が、ふと消える。それと同時に、リリィの身体が寄りかかり……キラは、ただただ、強くその手を握った。

「まさか廃村があるとは思わんかったから、確認しとったんや。ひどい有様やな?」
「まあな」
 含みのあるニコラの言い方を、キラは意外に思った。
「あ、あの……なんというか、平然としてますよね。落ち込んでいないどころか、ちょっと余裕があるというか……」

 キラはリリィにも話を聞かせるために、ことさら手を強く握った。はっとして顔をあげようとする彼女を、体を密着させることでなんとか押し止める。
「しょ、正体がバレたらまずいから。うつむいてたほうが良いよ。……いろいろ考えちゃうかもだけど、僕の手を見てて」
「助かりますわ」
 ぼそぼそとリリィが応える間にも、ニコラが少しばかり自慢気に応えた。
「実際、あのままの暮らしが続いていたら、この村と運命を共にしたはずだ」
「ってことは、ここじゃないところで暮らしているってことですか?」
 キラは期待を込めて聞いた。

「ああ。”流浪の民”が訪れて、別の場所に村を移してくれたんだ。”隠された村”……長いが、誰にもさとられないようにそう呼んでいる」
「”流浪の民”って……”旧世界の遺物”を信仰している?」
「うん? そんな話は聞いたことがないが……」
「え――あ! いや、なんでもないです」
 ニコラはおろか、エヴァルトに加え、リリィにまで凝視される。

 土ゴブリンと戦ったとき、ランディから授かった”お守り”が輝き出したのだが……その時に、ユニィがぼやいていたのだ。
 白馬が常識はずれの存在であることを忘れ、ついその発言を普通のことと思いこんでしまっていた。
 ――てめえ、口にゃしてねえが、俺のこと馬鹿にしたろ
 頭の中で響く幻聴を無視して、キラは下手くそな愛想笑いをしつつ話を進めた。

「あ、あの、それで、”流浪の民”ってどんな人でした?」
「ん? 変わったやつだった。吟遊詩人だそうだが、それはもう下手くそでな」
「下手?」
「ひどい音痴なんだ。物語を普通に話して聞かせる分には、透き通った声で心に染み込んでくるようだったのに……なぜああも聞くに耐えなかったのか」
「変わってますね……」
「ただ、剣の腕は達者だった。竜ノ騎士団の騎士でさえ、太刀打ちできないのではなかろうか」

 ぴくりと。密着しているリリィが反応する。
 まだ”流浪の民”の強さを褒め称えるニコラに、キラは肝を冷やしつつ強引に話題を転換した。

「あ、あの、そういえば、自己紹介がまだでしたよね。僕、キラっていいます」
「む、そうだったか。失礼。私はニコラ――本名はニコラスというんだが、村の皆がこうよぶものでね。君は……エヴァルト殿の話では、夫婦で行商人をしているということだな?」
「ええ、まあ」
「っちゅうても、奥さんは商品管理や。さっきも言ったかわからんけど、あのとおり随分な恥ずかしがり屋でな。俺もそんなに声聞いたことないねん」

 エヴァルトの助け舟に乗っかり、キラはうなずきながらリリィを紹介した。カラカラに乾いた口で、どもりながらもなんとか言い切る。
「彼女は……ええっと、その、僕の妻で……リアといいます」
 ――ああん?
 なぜだか反応する白馬を無視し、エヴァルトに目をやる。

「こんなところで延々話してても埒が明かんやろ。その”隠された村”とやらに案内してくれへんか」
「言っておくが……」
「わかってるって。他言無用、誰にも言わへん」
「……ありがたい。それとこの剣だが、やはり返したほうが……」
「かまへん、かまへん。引け目感じるなら大事に手入れしとき。馬車のるか?」
「いや、歩いていこう。少しばかり迷いやすいのでな」
 そういってニコラはエヴァルトとともに歩きだし、キラは手綱で合図をしてゆっくりと馬車を動かした。

 真っ暗闇を迷わず歩き、ニコラが指し示したのは林だった。針葉樹林の群生地は、どこからともなく深い霧が立ち込め、そのままでは迷ってしまいそうなほどだった。
 木々の連なる代わり映えのしない景色に、不気味なほど地面にとどまる白い靄……。
 さすがのリリィも恐ろしさを感じているようで、絡みついた腕を離そうともしなかった。

「大丈夫?」
「ええ。キラも……声が震えていますが」
「ちょ、ちょっと不気味というか……なんか、背筋がゾクゾクするというか」
 二人して互いを支え合っていると、ニコラが面白そうに笑っていた。
「不気味なのも無理がない。あの吟遊詩人が言うには、これも一種の”結界”だそうだ。人を寄せ付けないための」
「結界、ですか」
「そう。彼は村の周りに二種類の結界を張ってくれたんだ。一つは、林全体を覆う霧のような結界。そして、もう一つが村を守る結界。……まあ、見てもらったほうが早いだろう」

 しばらくして、ニコラは立ち止まった。
 とりわけ太い二本の木の間の前に立ち、そっと手を伸ばす。手のひらを押し付け、ぐるりと慎重に右に回し……すると、水面に波紋が立つように、空間が波打った。
「え……!」
 キラもリリィも、声を合わせて息を呑んだ。

 ガラリと、周りの景色が変わっていた。
 それまで確かに木々に囲まれていたというのに、今や一本もない。代わりにあるのは、三角に尖った形をしたテントの数々と、たくさんの人だった。
 子どもたちが飛ぶようにして駆け回り、あるいは、犬や猫の追いかけっこが始まり。男たちがへべれけに酔っては、女房たちに叱られ。奥の方では、恋人たちが湖のそばで仲睦まじく語らい合っている。
 夜にもかかわらず皆が和気あいあいとしていたのは、夜空に浮かぶ輝きのおかげでもあった。魔法の花火が上がっているのだ。

「魔法ってすごい……」
「ええ……本当に」
 空中にまばらに光の玉が浮かび、時折、色とりどりの炎が上がって弾け飛ぶ。ぱっと飛び散るさまはさながら花の生涯を描いたかのようで、夜空に上がるたびに子どもたちの歓声が上がる。
 祭りのような賑やかさに、キラもリリィも圧倒され、声がかすれてしまっていた。

「驚いただろう? 私も、未だにこれが夢なのではと疑うことがある」
 同じく驚きで固まっていたエヴァルトが、ようやく訛った口調でらしさを取り戻した。
「なんや? 今日はなんかの記念日か?」
「いいや。陰気臭い暮らしが十年も続いたんだ。なら、十年はこれくらい……とね。この通り、魔法は暗闇で映える。怯えるしかなかった夜が、今や毎夜花火大会だ」
「そら見事なアイデアや。それも”流浪の民”が?」
「安寧は貰ったが、この夢のような毎夜は別だ。村にいる少年少女が考えついたものでね」
「ほう? 根性ある子どもたちやな。あんな状態の村を、ようここまで盛り上げられるもんやで」
「ああ、二人には感謝しかないさ。――さあ、ついてきてくれ。案内しよう」

 ニコラが歩き、馬車をすすめると、わらわらと人だかりが出来てきた。
 すべて、ニコラの人望だった。誰も彼もがひと声かけ、あるいは相談事を持ちかけ、または試食をしてみてくれと頼む。
「ランディさんみたいだ……」
「おそらくは、ここの村長の役割を果たしているのでしょうね。ざっと見てみても、お年寄りがいませんもの」
 もまれにもまれ、もはや歩くのも一苦労になるニコラ。
 笑いながらも怒りつつ、それなのに幸せそうな姿に、キラは目を奪われた。

「キラ」
「ん?」
「村を出たことを、後悔していますか?」
「後悔はしてないよ」
「後悔”は”?」
「うん。だけど……どうしたらあんなふうになれるんだろうって。ちょっと、思う」

 羨ましいのとも、嫉妬しているのとも、少し違う。
 言葉にできないもやもやは胸の中に溜まっていき、その原因を探れば探るほどに、泥沼にハマっていく。
 そこから救い出してくれたのは、他ならぬリリィだった。
「全部終わったら、王都にいらしてくださいな」
 うつむいたまま、ポツリと漏らしたかのような小さな声。風にさえかき消されそうだったが、その一言一句を耳に捉え、キラは頬を緩め頷いた。
 ――臆病なことよ。てめえも、あいつらも
 見透かしたような幻聴が聞こえるも、キラは首を傾げるしかなかった。白馬の揺れる後頭部を見つめるも、続けて何かを言う気配はなく。

 そうこうしているうちに、ユニィは手綱の合図を待つことなく停止した。
 キラは御者席から降り、”超恥ずかしがり屋”さんらしくしずしずと降りようとするリリィに手を貸す。
「さて、キラ殿、リア殿。小さいが……ここが我が家だ」
 ニコラの家は、三つのテントが連なっていた。真ん中のテントが一番小さく、左右につながる二つのテントは若干小ぶり。
 真ん中のテントはまるで玄関のように庇のある入り口があり……そこから、誰かが飛び出てきた。

「あなた!」

 必死な声と一緒になってニコラに飛びついたのは、きれいな女性だった。ニコラの妻らしい彼女は、大人っぽい端正な顔つきを歪めていた。
「どうした、ミレーヌ。何があった」
「あの子が――エリックがいないの! きっと……いえ、絶対に、リモンに……!」
 ニコラはビクリと体を硬直させて驚いていたが、次の瞬間には至って冷静な言葉で妻を落ち着かせた。
「わかった、わかった。とにかく、中へ入ろう。客人なんだ――さあ、三人とも、どうぞ」

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