36.”声”

 ”紅の炎”を限界にまで込めた剣が通じず。さらには、剣の腕までも劣っている。
 腕が重くなるほど消耗しているからというのは、言い訳にはならない。
 それもこれも怒りを抑えられない未熟さが原因であり……だからといって、目の前の白髪の男が待ってくれるわけもないのだ。

「チ――厄介だな、その”炎”は」
「そう思うならば、手を引いてくださるかしら」
「出来ない相談だな」

 拮抗ののち、互いに切り結ぶ。
 リリィの”紅の剣”は届かず、ブラックの黒剣が太ももを裂く。
「クゥっ!」
 よりによって。いや。狙われてしかるべきだった。
 胸当てばかり気にして、脚の甲冑も揃えなかったのが仇となった。

 鋭い痛みにうめき、思わずしゃがみ込む。
 それが隙とならないわけがなく。

「――ッ!」

 しかし。
 苦悶の表情を浮かべたのは、ブラックの方だった。
 キラが、その死角から襲いかかったのだ。

「え……ッ!」
 リリィが驚いたのは、彼が動けるからではなかった。
 その瞳が、血の如き赤色に染まっていた。

 さらに。
「なんだ、その動きは……ッ!」
 キラは、それまでの彼からは想像もできな動きで、いとも簡単にブラックを追い詰めていた。
 剣を振るえば黒剣を払い。敵が消えても素早く追従し。さながら未来を見越しているかのように、常に一手先を行く。
 剣を引いては、拳を繰り出し。さらには鋭い蹴りも飛び出す。
 五体を自在に繰り出す、剣士らしくない戦い方――。

「お母様……?」
 洗練された太刀筋に重なっていた姿が、いまや、一挙手一投足がかつての母にかぶる。
 そして――力が底をついた身体で、膝をつく姿も。

 リリィは、ぱっと飛び出した。
「させるものですか!」
 動けなかった過去とは違うのだと、自分に言い聞かせる。
 ありったけの魔力を左手に集約し、今にキラに迫るブラックに向けて、解き放つ。
 ゴウっ、と燃え盛る”紅の炎”は、黒い靄のようなものに阻まれる。
 しかし、そんなことはわかっていた。

 思い浮かべる、母の姿。
 その背中を追わずに居られない、最強の剣士。
 かつて見たその姿を、もう一度見ることが出来たのだ。
 未来を見据えた動きを。一手先に足を踏み込む動きを。そして、敵を誘導するその戦い方を。
 睨むは、炎という輝きにより伸びたキラの黒い影。
 現れるはずの瞬間に合わせて、剣を構え、ぐっと姿勢を低めて力を込め。

「――危ないところだった」

 ゾクリと、背筋が凍る。
 ブラックが、己の影に現れた。
 振り向かなければと、わかってはいた。
 だが、踏み出した足はそう簡単には止まらない。

「リリィ様!」

 そこへ割り込んだのは、黒マントを真っ白に染めたシスだった。
 黒剣が繰り出される寸前で割り込み、ブラックを触れることなく吹き飛ばす。
「間に合ッタようでナニより」
「シス……助かりました」
「アレは止メテおきます。ガキつれて早クお逃げクダサイ」
「相変わらず、ちぐはぐな性格ですわね」
「ソれがオレなので――サア、はやク」

 リリィはうなずき、地面にうずくまってしまったキラに駆け寄った。
 幸か不幸か、彼は意識を失っていたわけではなかった。
 ただ、様子がおかしい。苦しそうに喘いでいるものの、そのうめき声はさながら獣のようだった。

「キラ、大丈夫ですか?」
 やっとの思いで助け起こし――一瞬、誰だかわからなかった。
 いつものような不器用ながらも優しげな顔つきは、いまは影もない。
 こめかみの血管が怒張して蠢き、見開かれた赤い瞳は絶えず揺れ動いている。喉から漏れ出る唸り声は、まるで獣のよう。

 リリィは言葉を飲み込み、ぐっと唇を噛んだ。
 キラが無理をするのは、なにも今に始まったことではない。
 それこそ、初めて出会ったときから……。ずっと、痛みや辛さや苦しみを、抱え込んでいるのだ。
 やはり、あの村から連れ出すべきではなかったのではないか。
 その抱え込んだものを和らげられない人間が、手を差し伸べるべきではなかったのではないか。
 そう、思わずには居られなかった……。

 ――弱気になってんじゃねえぞ!

 何も出来ない悔しさでいっぱいになった頭を、ガツンとした声が貫いた。
 はっとして、リリィは顔を上げた。戦塵のなかで、ブラックと対峙するシスや、もはや味方であることを隠しもせず”預かり傭兵”を斬り倒していくエヴァルトがいる。
 だが、キラも含めて、誰も彼もが声を掛ける余裕などないはず。

「あなたは、一体……」
 呟いた言葉は、砂埃と喧騒に消えたが、ちゃんと”声”の主には届いたようだった。
 ――ンンっ? 誰だてめえ!
 随分と勝手な物言いに困惑していると、”声”はなにやら自己解決していった。
 ――ああ……。……ああ? どうなってんだ?
「そんなの、わたくしが聞きたいですわよ……。あなたは誰で、何をしたのですか?」

 薄気味悪くなってキラにギュッと抱きつき――そこで、はっとした。
 地を這うような唸り声が、少しばかり収まった。息苦しそうだった呼吸も、徐々に正常に戻っていく。

 ――まあ、いい。意識しろ、小娘。お前の”声”を届けるんだ
「一体、何の話……」
 ――今は理解しなくても良い。とにかく、”声”を届け続けるんだ

 それを最後に、幻聴は消えた。
 兆候も何もなかったが、リリィはそう感じた。
 なにもかもが不可思議で不気味だったが、幻聴の言葉を信じる他なかった。結局の所、できることといえば限られているのだ。

「キラ、キラ。聞こえていますか? 返事をしてくださいな」
 目が覚めるように。彼の苦しみが去るように。
 背中をなでながら、何度も、何度も、声をかける。
 夢中になって言葉をかけ続け――だからこそ、周りの状況の変化に気付くのが遅れた。

 ブラックが、あまりにも強すぎるのだ。シス一人だけでは抑えきれず、エヴァルトも加勢していたが、それでも押されている。
 シスの格闘術もエヴァルトの剣も、全て黒剣でいなされ、弾かれている。
 唯一”不可視の魔法”だけは有効打となっていたが、”神力”で対処され始めていた。
 二人がそうやって一人に集中していると、手持ち無沙汰となった”預かり傭兵”たちが自然と標的を変え……。

「くっ……!」
 リリィは剣を構えたが、何もかもが後手に回っていた。
 眼前に迫るのは”預かり傭兵”ただ一人。だがそれを対処しても、次には数人を相手にせねばならない。
 だからといって、まだ正気に戻らないキラを放ってはおけない……。
 唇を噛み締め、鈍い動きで”預かり傭兵”を相手取ろうとしたとき――誰かが、視界の外から操り人形へ突進した。

「え……! ニコラ殿?」
「息子の身が心配で。こっそりとついてきてしまった――のです」
 エリックを背負ったニコラは、厳格な顔つきを焦りで歪めていた。
 リリィは、背中でぐったりとする少年にはっとした。焦げた革鎧に、生々しいやけどの残る腕……。

「そんな顔をされても、こちらが困る――困ります」
「しかし……」
「国のため王都のため、そしてキラ殿のため……多くのことを抱えつつ、それでも馬鹿な息子を思って行動してくれたのです。その心を推し量れば――責められようはずもありません」
 ふいに。肩の荷が下りた気がした。

「――オイ」
 すると、白マント姿のシスがすぐ近くに着地した。
 ふわりとしたマントの内側から、より一層真っ白になった腕を突き出す。
 血の気のない腕の血管が膨らみ――近くにまで迫っていた”預かり傭兵”たちを、まとめて吹き飛ばしてしまう。

 ”不可視の魔法”だった。魔力をそのまま魔法化した”見えない力”を使ったのだ。
 常に重複する魔力コントロールの要求される高度な魔法を、シスはわけもなく、自在に操れる。

 さすが、とリリィは褒めようとしたが、
「お嬢サマを泣カスとは。何事ダ」
 むんとして口をつむぐ。
「い、いや、これは、俺のせいではなく……!」
 オロオロと弁明するニコラにかわり、リリィはツンとした口調で言ってやった。

「あなたには関係がありませんわよ」
「オや……?」
「そんなことより退路の確保を。キラの様子がおかしいのです――あまり悠長にしてられません」
「ムン。気ニハなりますガ……いいデショウ。――訛りバンダナ、交代ダ!」

 再びブラックに襲いかかるシスと、入れ替わりでエヴァルトが隣に立つ。
 ものの数十秒だったが、彼にもブラックの相手は厳しかったらしい。革鎧は切り傷でまみれ、右腕からはたらりと血がたれている。
「訛りバンダナて……字数多くなっとるやんけ。つか、誰や、あいつ」
「シスですわよ。わたくしの仲間ですわ」
「豹変し過ぎや。――で、少年、どないかしたんか」
「わかりませんわ。ただ――ともかく、ともに運んでくださるかしら。このままでは……!」
「そら来た! まかしとき。――ニコラ、先導頼むで」

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